私は、お母さんが可哀想で、仕方がないんです。私の責任です!!
私には、楽しそうで、幸せに見ええるんだけど、どこが、可哀想なの?
私が、学校のテストで、酷い点数を取ってしまったんです!!
こんにちは、Greenです。今回は、母親と自己肯定感の関係について、お話しさせていただきます。
自己肯定感との関係は、切っても切れないものがあります。親との関係です。
自分の身近にいるのは、幼い時から、やはり親ですね。特に、お母さんとの関係が切っても切れないのではと、思っています。
人格形成
お母さんのお腹にいる時は、一体化しています。オンギャと産まれてからは、おっぱいもらったり、何かとお母さんと時間を、過ごすわけです。
一般的な話ですけども、自分の人格形成に、必要なベースになるものを、子供というのは、お母さんから吸収するんです。
赤ちゃんを見てればわかるんですが、子供というのは、お母さんが大好きなのです。
私の友達にも、小学校1年生の男の子が、いるんですが、何か事があるたびに、ママ、ママと言うんです。
そう言って、お母さんの気を引こうとするんです。そのため、頑張るんです。
今度は、お姉さんに嫉妬されて、やっつけられたりするんです。そういうことがいろいろあるんです。
お母さんの注目を浴びたい、その反面、お母さんから、いろんなものを吸収してるんです。
人間の自己肯定感とは、お母さんと、切っても切れないとは思っています。
低下する自己肯定感の原因
そんな大好きなお母さんに対して、自己肯定感が低い方というのは、お母さんに対して、多くの場合、どんなことを考えてるかといえば、お母さんはかわいそうなんだ。
そういう風に思っていることが、結構、本当に多いんですね。
「お母さんはどんな人なんですか?」
- 毎日、家事や仕事で、忙しそうにしていたんです。
- いつもため息ばかりついていたんです。
- 結構、お金で苦労していたんです。
- いつもお父さんに怒られていて、大変だったんです。
- お姑さんからいびられて、かなり大変だったんです。
- いつも外では気が張っていたんですが、家の中では、辛そうにしてました。
いろんな理由とか、エピソードが違うにしても、いずれにしても、全体としては、お母さんはかわいそうだという、感情があるんです。
そういう感情や思考がある人が、本当に多いと、思ってるんです。
大好きなお母さんが、すごく忙しそうにしているのを見ると、子供ながらに、どうして忙しいかなと、思うわけなんです。
なぜ、僕と遊んでくれないのかな。なんであんなに忙しそうで、大変そうなのかなと、そういうふうに思うんです。
そんな大好きなお母さんが、嫌なため息をついていれば、どうしてため息ばかりついているだろうか。
お母さんのことが大好きですから、見てるんです。
いつも見ていて、お父さんとお母さんが喧嘩をすれば、子供ながらに、考えるんです。
どうして、どうしてと考えるのです。どうしてなんだろうと、原因を考えた時に、その原因の中に、いつも僕がわがままを言ってるからなんだ。そういう風に思うわけです。
自己否定感
- 僕が、ひろし君と喧嘩したせいなんだ。
- 僕が、学校のテストで、悪い点数は取ったからなんだ。
- 僕が男の子で、女の子に産まれなかったせいなんだ。
そういう風にいろんなことを、考えるんですが、子供なりにですよ、私のせいなんだ。僕のせいなんだ。
そういうことを考える中から、罪悪感や劣等感が生まれてくるんです。自分の存在価値は、ないと考えるんです。
無価値感みたいなことを、自分で考えて、どんどん、強化していくんです。
何かのきっかけで、そういうことを一個考えてしまえば、そこから無限連鎖のように、どんどん、広げてしまって、自己肯定感を下げてしまうんです。
逆に何を増やすかといえば、自己否定感を増やすんです。
自己肯定感が下がれば下がるほど、自己否定感を上っていくんです。反比例ですね。
きっかけは、私のせいで、お母さんがかわいそうだと、思うことですね。
何か分からないんですが、多分私の責任なんだ。
そういうことから始まることが、案外、多いんです。
当然、中には、「お前みたいなのは、生まれてこないほうが良かった」とストレートに言われるわけです。
相当傷つくんですね。そういうことを言われてなくても、多分、私の責任で、こんなに可哀想なんだ。多分私のせいで、こんなに苦しんでいるんだ。
そういうことを、ちょっと考えれば、それがどんどんと、拡大の一途をたどるわけです。
お母さんが可哀想なんだ。それを信じているんです。
具体化
本当であれば、お母さんは毎日楽しそうだとか、お母さんは、私のこと産んで、幸せだったんだ。これを、直接に聞ければ、一番良いんです。
聞くのは勇気が要りますが、聞いてみれば、一番いいんです。
案外、当たり前でしょう。今更、何言ってんのという答えが返ってくるんです。
聞ければいいんですが、そういうことは、なかなか聞けないんですね。
なかなか聞けないので、それでは、どうすれば、良いのかということですが、具体的にすることなんです。
それは、お母さんの可哀想なところを、ノートに書いてみるんです。なんとなく可哀想と思っているので、あれも可哀想、これも可哀想で、頭の中が整理がついてません。
お母さん全体として、可哀想になっているんです。一度、何が可哀想なのかを、具体的に書いてみましょう。
書き始めていけば、どんなことを思うかですが、案外可哀想だと思っていたけれども、ちょっと待ってみよう。
お母さんはお母さんなりに、結構幸せではないんですか。お母さんがお母さんなりに、案外、楽しくやっているんですね。
まずはお母さんの何が可哀想なのかを、具体的に書いて欲しいんです。
この作業は、案外辛いですから、書きながら、涙を流すかもしれないです。
とはいえを、最初から考えるのではなくて、一度、可哀想なところだけを、集中攻撃して、書いてみてください。
まずは、お母さんに対して、何が、可哀想だと思っているのかを、書いて欲しいんです。
具体的にノートに、どんどん、書き出してみるということです。
もし聞ける方がいるのであれば、勇気を出して聞いてみてください。
- お母さんって、結婚して幸せだったの。
- お母さんって、家庭を持って幸せだったの。
- お母さんって、私の事を産んで幸せだったの。
案外、本当にお母さんは、幸せだったりするんです。私たちが、思ってる以上に、幸せだったりするんです。
お母さんはお母さんなりに、幸せだったということに気付くんですね。そういうことが腑に落ちるんです。
お母さんは可哀想ではなかったんです。本当に腑に落ちた瞬間に、世界観が変わっていくんです。
自分のことを、責めなくて、良かったということに気付くんです。
その瞬間に、罪悪感は消えていくんです。それに反比例して、自己肯定感が増加の一途をたどるんです。
一度はこういうことを試してみてください。
最後に
もしあなたが、自己肯定感が低いと思っていて、なおかつ、お母さんって、どんな人と聞かれた時に、お母さんは、結構、可哀想なんだと思っているならば、この記事を、何度か読んでもらって、ノートにしっかり書き出して欲しいんです。
それによって、お母さんのことを、客観的な切り口からみて、可哀想ではなくて、案外幸せなんだと、感じるんです。
そういうとこにたどり着けば、今までのは、大いなる勘違いだったんだと、そういうところにたどり着けば、自己肯定感が、湧き上がってくるんです。
いかがでしたでしょうか、ノートに書き出してみてくださいね。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。