私は、会社の同僚の顔を見るだけで、不愉快なんです!!
メロンちゃん、そういう時は、ラッキーだと、捉えてみて。
どうして、不愉快なことを、、ラッキーだと、捉えるんですか?
こんにちは、Greenです。今回は、不愉快な出来事こそ、自分の本音を知るチャンスなんだということをテーマにして、今回はお話ししてみたいと思います。
あなたの身の回りで、不愉快なこと、不快な事って起こってませんか?
例えば、引き寄せの法則とかを勉強しているのに、なぜか自分の身の回りには、嫌なことばっかり、起きてくるみたいなことです。
そんな風に感じる事ってないでしょうか?
自分が不快に感じるとか、不愉快に感じること、そもそも嫌なこと、そういうのが、やってくるんですね。
この嫌なこと、これは嫌な出来事なんだ。不快な出来事なんだ。どこに意味づけをしているのは、誰でもなく、自分自身だったりするわけです。
どうして、そういう意味づけをしてしまうのかといえば、私たちの中に、これは良いんだ、これは間違ってるんだ、これが正しいんだというルール、価値観というものが、あるんです。
私たちが体験する出来事、例えば嫌な人が行ってきて、不愉快な出来事が起きます。事実そのものを、ありのままに見るのではなくて、このルール、自分の無意識の価値観というフィルターを通して、出来事を見ています。
実は出来事そのものを、客観的に受け止めている、客観的に見ているということが、結構苦手だったりするんです。
自分の中にある無意識に持ってしまってるルール、そのルール自体をビリーフと言ってみたりもするんですが、ルール自体を見直していくんです。
見直して書き換えていくのか、フォーカスの向きを変えるのか、ずらすのか、そういうことしてみるんです。
今回は、こういう小手先のテクニックではなくて、こんな風に考えると、良いと思ってることを、伝えていきます。
心構え
それは何かというと、不快な出来事、不愉快な人とかは、普段は自分がわかっていない本音を知るチャンスなんです。
そういう心構えを、持っていただけると良いんじゃないかと、思ったりするわけです
自分の心のあり方、今までのビリーフとかを書き換える。そろそろ書き換えた方が、良いということに気づくチャンスなんです。
そういう風に思ってみると、良いと考えています。伝わっていますでしょうか?
私たちは誰かに、嫌われないようにとか、自分が嫌な目に遭わないようにとか、だから怒られないようにとか、あなたってすごいですね、と人から言われるようにとか、何か分からないんですが、相手の顔色ばかり伺っているんです。
自分の本音に蓋を閉めてしまうことが、多いと思うんですよね。そういう風に感じています。
自分の本音に蓋を閉めるので、1枚蓋を閉めると、2枚3枚4枚と、どんどん、重ねていってしまうんです。
蓋が重なれば重なるほど、本当に自分のしたいことは、何なんだろうか。自分が大切にしたいことは、何なんだろうか。自分が、本当に価値があると思っていることは、何なんだろうか。
そういうことが、どんどん、分からなくなっていくんです。
不登校の中学生
例えば不登校の子供を持つお母さんが、この子供は中学生になったばかりなんですが、中学校に入る際に、「サッカーをやりたいんだ」と言ったそうなんです。
それを聞いたお母さんは、あなたは足が遅いだから、美術部にすれば良いと言ったんです。なんとなく言ってしまったんですね。
その子供は、素直に美術部に入ったんです。しばらく美術を頑張っていたんですが、美術部の中で、人間関係がうまくいかなくなったんです。
いろんな衝突があったりして、最終的には、不登校になってしまったんです。
お母さんが、なぜ美術部が良いと言ったのかといえば、その子供は、まだ足が遅いというハンデを乗り越えて、心が強くないからだと思っていたそうです。
なぜならば、お母さん自身も、心が強くないと認識しているんです。
本音
そういう本音、そういう考えに基づいて、美術部に入った方が良いという話をしたんです。
自分のことを、一番知ってるであろうお母さんから、言われた子供は、素直に美術部に入部するわけなんですね。
自分が何かしたいという思いに、蓋をしたままで、何かをすれば、やっぱり、うまくいかなかったりするんです。
そのお母さんと話をしていると、そのお母さんは若い時に、お母さんの親から、似たようなことを言われてるんですね。
あとは自分は、これをやりたいんだということが、あったにも関わらず、「そんなの無理でしょ」と言われて、諦めて、すごくつまらない学生生活を送っていたんです。
自分自身がそんな風に、親から理不尽な体験をした怒りみたいなものが、実はすごい相当な怒りがあったんですね。
それをず~っと抱えていたせいで、その腹いせなんですね。
これは全く意識がしていなくて、逆恨みみたいなことを、無意識のうちに、自分の子供にしているんですね。
そういうようなことが、起きていたわけなんですが、気づいたお母さんが、涙をボロボロ流してるんです。
自我の確立
自分にとって嫌なこと、不快なことが起きた時、私たちは、ついつい、それを他人のせいにしてしまうんです。
あるいは、一方的に自分だけを、責めたりするんです。いずれにしても、自分にとって、嫌なこと、不愉快なことが起きてしまった時、すぐに敏感に気付けるはずなんです。
なんであいつはこんなことをするんだ。そういう風に、誰かのせいにするのではなく、まずは気付いた時に、ラッキーだと思って欲しいんです。
嫌な人がやってきたら、まずは、ラッキーだと思ってください。そういう風に思うのが、良いですね。
なぜラッキーと思うのが良いかといえば、普段自分が我慢している本音とか、自分が見られないように隠している本音とか、自分の何かに抑圧されている何かに、気づけるチャンスがやってきたということなんです。
自分は本当は、どうしたいんだろうとか、自分は、この人とどんな関係性を、築いていきたいんだろうかとか、本当はこの人に、どんなことを、して欲しいんだろうかとか、そういうところに、自分の本音が隠れたりしています。
その本音を隠したまま、相手に怒りをぶつけてしまうとか、不愉快に感じてしまう環境が、悪いんだとか言ってしまうとか、ついつい私たちは、やってしまうんです。
この嫌な出来事とか、不愉快な出来事が起きてしまった時には、相手が責めて見たり、環境が悪いせいにしたり、そうするのではなくて、まずはラッキーと感じて欲しいんですね。
ラッキーと思って、自分の本音に、気づくチャンスだと捉えてください。1回自分の内面を、見つめてみるのが良いかと思っています。
パートナー
例えば自分のパートナーに、腹が立ったとします。腹が立った時に、反射的に、パートナーに攻撃するのではなく、腹が立ったのであれば、本当はパートナーに、自分は何を期待していたんだろうかとか、本当はどんなことを望んでいるのかとか、そういう自分の本音を、掘り下げて確認してみたいんです。
その本音が叶わないから、「なんだこの野郎」とパートナーの方に、怒ってるわけなんです。
その本音をどんどん探っていけば、もしかすれば、もっと優しくしてほしいんだよねとか、もっと私に愛を注いでほしいんだとか、そういうものが、もしかすると、出てくるかもしれません。
ということは、もしかすると、私のことを、もっと愛してほしいんだよねとか、そういうのが本音であれば、パートナーに腹を立ててる場合ではなく、なくてですよ。
私は、もっと他の人から、愛されたいと思っているんだ。だとすれば、このパートナーからもっと愛されるために、私に今できることは何なんだろうかと、考えてみれば、良いと思っています。
愛されたいと思っているにも関わらず、「こい、この野郎」と怒っていたら、それはいつまでたっても、愛されません。
伝わっていますでしょうか?ですから、自分の本音に気づいて、本音を実現するために、本音に近づけるために、今、私にできることは、何なんだろうということを、是非に考える機会にしてもらえれば、とても良いことだと思っています。
表裏一体
必ず物事には、裏表があります。ですから、自分にとって嫌なこと、悲しいこと、自分にとって不愉快なことが、人生を生きていれば、色々起きてくるとは思うんですが、その裏側には、本当はこうしたいということがあります。
本音があるはずなんです。その本音に、ちゃんと気づくんです。その本音を実現するためには、今自分はどんな事をすれば良いんだろうか。
これを考えて行動していけば、どんどん、幸せに近づけて行けるのではと、思っています。
なぜなら、本音というのは、ありのままの自分が、望んでいることなんです。
本音に近づくというのは、ありのままの自分に近づくということなんです。本音に対して、建前で行くというのは、自分に対しても、他の人に対しても、嘘をついてる状態です。
嫌なことが起きるのか、きっとあいつのせいなんだ。そっちではなくて、ちょっと待ってください。
嫌な出来事が起きているということは、自分は本当はこの人に何を望んでいるのか。
本当は自分はこういう場面で、どういうことが起きれば、良いと思っているんだろう。
まずは、そういうことを考えて、その本音に近づくために、いま自分にできることは何だろう。
そういうことを考えて、行動してみると良いと思うんです。
今回は、不愉快な出来事というのは、実は自分が隠している、あるいは隠そうとしている、見て見ないふりをしている本音に気づくチャンスなんです。
矢でも鉄砲でも持って来いという、不愉快な出来事が起きれば、まずはラッキーだと捉えてください。
そういう心構えを持ってみると、実は現実世界は、加速度的に変わっていくんです。
最後に
そういうことについて、今回はお話ししてみました。いや、そんなことは絶対嘘だという方もおられるかもしれません。
私自身は、自己啓発書を読み出した頃は、こんなの嘘だと思っていたんです。なにを綺麗事ばかり言ってるのかと、そういう風に感じていたんです。
少し人生を歩んでくると、思い知らされています。
そういうこともあるのかな、その程度くらいに思っていただいて、客観的に自分の本音を探ってみる時間を、設けけてみても良いんじゃないかなと思ってます。
いかがでしたでしょうか、今回はそういう風に思って記事にしてみました
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。