私は、他人様の陰になって、頑張ってるんです。でも怒られるだけで、失望と怒りがこみ上げてきます。褒めてくれません!!
こんにちは、Greenです。今回は自分の評価を他の人に、委ねるのではなくて、自分で決めてみませんかというお話をしてみたいと思います。
以前の私がそうだったんですが、自分に自信をつけようとして、ちょっと曲がった方向に頑張ってる人は、結構多いのではないかと思います。
劣等感
例えば対人コミュニケーション、他の人としゃべったりするのが苦手なんだという劣等感、そういったものを隠すために、それをカバーするために、どんな方向に頑張るかといえばスタイルを良くすることとか、ブランド品を身につけたりするんです。
そういうことで、解決しようとしてみたり、あるいは、何か人よりも劣っているという劣等感を、社会的に成功する。
例えばいい役職につくとか、有名な会社に入るんだ。そういうことによって、解決しようとするんです。
愛されていない自分って、誰にも愛されていないんだ。そういった不足感、絶望感みたいなことを、例えば行き当たりばったりで、見も知らない人とセックスしてみたり、不倫してみたりするんです。
これは私のことではありません。
私です!!
えっ!?
冗談です!!
進行の妨げになります。
グリーンさんまで、私を褒めてくれないんですか!!
自分で自分のことは労って、欲しいですね。
疑似恋愛関係みたいなことを、何回も何回も繰り返すことで、満たされない心の穴を埋めようとするんです。
こんな風にして、本来本当に解決したい、本当に抱えていて解決したい問題から目を背けてしまって、別な形で穴埋めをしてしまうんです。
別な形で、他人から賞賛を得ることで、劣等感を感じないようにするんです。
そっちの方向に頑張ってるんです。そっちの方向に頑張れば頑張るほど、本質的な問題からどんどん離れていくんです。
余計に本質的な問題が先送りにされて、問題が大きくなって、深くなってしまったりするんです。
そういう風にして頑張ってしまって、苦しんで悩んでしまっている方は、案外少なくないと思っています。
世界の中心
他の人からの賞賛を求めずにはいられないんです。自分は世界に中心にいるんだという感覚ですね。
そういう風に感じることができないと、心が折れてしまうんです。
なぜ心が折れるかといえば、ベースにあるのが強い劣等感なんです。
心の中のベースに強い劣等感が居座っているので、劣等感に潰されてしまいますから、自分が誰かから賞賛を得ることで、劣等感をカバーしてしまおうとするんです。
自分軸
自分の持っている劣等感を薄めるため、薄めるというか、払拭する、手放すには、他の人からの賞賛を期待するのではなくて、自分で自分のことをちゃんと理解してあげるんです。
自分で自分のことを労ってあげるんです。自分で自分のことを認めてあげるんです。
外側に向けて、誰か私のこと褒めてくれないかな。そういうことではなくて、自分で自分のことは認めてあげるんです。
フォーカス
こういう風に、外側から内側へ、視点の切り替え、フォーカスの切り替えというのがとっても大切ではないかと思っています。
そんなこと言ったって、自分のことは大嫌いだし、自分のことは認められないんです。そういう風に思うかもしれないんです。
小さいことからで、全然構いませんから、例えば今日は目覚ましでちゃんと起きることができた。
というレベルで良いんです。今日も安全運転で、きちんと会社までつけたな。よく今日も道路交通法を守られたな。
すごく嫌な上司がいた時には、私はよくあんな嫌味な上司と、なんとかかんとかうまく行っていけてるな。
すごい理不尽なクレームを受けた時とかは、私ってよくあんな理不尽なクレーム対応できたなとか、そんなふうに私たちは普段から色々何かにつけて、頑張ったりもしています。
きちんとやることはやっていたりするので、そういうところをしっかりと、まだまだだなと言って否定するのではなくて、ちゃんとしているところを、無理矢理にでも引き上げて、光を当てて労ってあげるんです。
そういうことをしてあげると、すごく良いんじゃないかなと思います。
他人軸
他人に期待すると、期待には必ずセットでつきものの失望の理由なんです。
失望にさらにセットでやってくるのは、怒りみたいなそういうものなんです。
承認欲求
この例え話が良いかどうかはわかりませんが、本当はゴキブリがすごく大嫌いで、私自身もゴキブリは大嫌いなんです。
本当はゴキブリが大嫌いで、見たくもないというくらい苦手で、例えば結婚しているパートナーの方から、いつも綺麗にしてくれてありがとう。
「本当に君って、良い奥さんだよね」と言われたいがために、無理やり我慢して、家のどこか見えないところに、ゴキブリホイホイみたいなのを置いといて、パートナーの人に見えないように、ゴミ出しの日に出していたとします。
本当は嫌なんですよ。本当はしたくないのに、そういうことを一生懸命にやって、早く褒めてくれないかな、褒めてくれないかな、そういうことを期待していたんです。
そういったある日、たまたまパートナーの方が、ゴキブリホイホイを設置しているのを見て、「おい、何をやってるんだ」と言って、急に怒り出すわけです。
「私がゴキブリを嫌いな知ってるでしょ、なんでこんなところに、ゴキブリホイホイを置いとくんだ」と言って怒られてしまうんです。
とてつもなく悲しくなると共に、なんで私はあなたのために頑張っているのに、「なんだこの野郎」というとてつもない怒りが湧きだしてくるんです。
ですから他の人に何かを期待して褒めてくれないかなとか、そういうことを期待して、あれやこれやと頑張るんことは、やめた方が良いですよということです。
それよりもゴキブリホイホイを置くのであれば、例えば私は家族の快適な暮らしとか、そういうことのために本当によく気を配って、よくやってるなと自分で自分のことを認めてあげて、労ってあげるのが、良いんじゃないかと思います。
自己否定感
他の人からの賞賛、「すごいね、頑張ってるね、ありがとう」というように、他の人からの賞賛を得るために、頑張っている時は、多くの場合素晴らしい自分になりたい方向で、頑張るのではなくて、今の自分ではだめだから、今の自分では大嫌いだから、他の人から好かれるように頑張るんです。
そんな風なネガティブなモチベーション、ネガティブな動機に基づいて、頑張ったりするんですね。
しかし、ネガティブな動機に基づいて頑張れば頑張るほど、ネガティブ、本来避けたかったことが、実現していくんです。
そういうことになるので、やめた方が良いと思います。
ネガティブなサイクル
先ほど期待には失望がセットになっていて、失望には怒りがセットになっているというお話をしましたけれども、誰かに賞賛してもらうことを期待すればするほど、やはり、世の中は何でもかんでも、自分の思い通りにはいきません。
何かと失望することばかりが増えてくるんです。
期待が多ければ多いほど、失望もだんだん多くなっていくんです。
失望が多ければ多いほど、怒りがどんどん積み重なっていくんです。
怒りが積み重なっていきますし、何回期待しても、失望ばかり体験するようになっていくんです。
やはりダメなんだ。私は何をしてもダメなんだ。この世は真っ暗闇だ。
そういうような自己否定感が、さらに強化されていくんです。
本当に宜しくないネガティブなサイクルなので、やめませんかということです。
イソップ物語
この記事を書いていると、ふっと思い出したんですが、小さい頃に読んだイソップ物語の中に、こんな怖い話があるんですが、あなたも読まれたことがありますか?
細かい話は忘れたんですか、確か牛とかえるの親子みたいなそういう話だったと思います。
お母さんガエルが、牛とお腹の大きさを競い合った話を、自分の自慢話を子供に聞かせるわけなんです。子供はカエルです。
その時に子供が「どのぐらいお腹を大きくしたの」と聞くと、お母さんガエルはお腹を膨らますんです。
子供は「それっぽっちなの」と言ったんです。「それっぽっちで牛と比べたの」と重ねて言うんです。
それでお母さんガエルは、頑張って頑張ってお腹を膨らまし続けるんです。
そして最後は、自分のお腹がパンクしてしまうんです。
伝わっていますか?
人から賞賛を得ようと思って頑張っている時というのは、最終的には、そういう結末が待ってたりするんです。
残念ながら劣等感が、変な方向に頑張らせたりするものなんです。
自分ではない自分、他人から賞賛されるだけの自分、その方向に向かって頑張れば頑張るほど、どんどん苦しい現実、嫌な体験というのは、きっと増えてるはずなんです。
さっきの牛とカエルの話もそうなんですが、本来自分はカエルなのにも関わらず、牛と自分を比較して、牛になろうとしているわけなんです。
そこに早く気づきませんかということです。
境界線
私はカエルなんです。カエルでいいんじゃない、そういうことに、まずは気づいてみることです。
私は全然、牛と違う生き物なんだ。そういうことに気づいてみるんです。
だからといって、牛の事をバカにする必要はないんです。
「お前は水中に潜れないだろう。どうだ」みたいなことを自慢して、人に対して、牛に対して劣等感を植え付けるみたいなことは、全くする必要はないんです。
私は私、あなたはあなたなんです。牛は牛、カエルはカエルです。
比較する必要がないんです。とうことに徹底的に気づくというか、それをしっかりと、自分の中にインプットし続けるんです。
最後に
そういう日頃の習慣、何かと他人と比較して、自分の落ち度、あるいは他人の落ち度、そういうことに気づく習慣を、継続するのではなくて、自分を認める習慣、そういったものを労う習慣、良いところを自分に根付かせていくことが、良いと思っています。
なんとなく伝わると良いんですが、どうでしょうか?
他の人が自分のことを、どういう風に考えているんだろうか。
他人の自分に対する評価、それを高めよう。
あるいは、他人は自分のことを、どう思っているんだろうか。それは何とかして知ってみよう。
そっちの方に頑張るのではなくて、他人の自分に対する評価を、あげようとすることに頑張るのではなくて、自分で自分のことをもっと評価して、認めてあげて、労ってあげましょう。
そっちの方に頑張り方をシフトさせた方が、きっと色んな人間関係とか、現実で体験することというのは、本当に良い方向に向かうのではないかなと思います。
少し脈絡がなくなりましたけれども、自分の評価を他人に言われるのではなくて、自分で自分のことを評価していきましょう。というお話でした。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。