私は、分からないんです。自己肯定感とは、どういう感情なのでしょうか?!
こんにちは、Greenです。今回は、自己肯定感という感覚を、伝えたいと思っています。
自己肯定感というのは、自分が存在しているだけで、価値があるよねと、思える感覚なんです。
極端に言えば、息をしているだけで、たとえ死んだって、自分には価値がある。そういう風に思える感覚のことです。
これは、なかなか伝わりにくいんですね。そもそも、感覚なので、人それぞれに、感じ方の違いがあるんです。
自己肯定感
息をしているだけで、価値があるというのは、何を馬鹿なと思われるんです。
そういう話に、感じられるでしょう。
表現が難しいのですが、仕方がないんです。
感覚は感覚なんです。
私たちはオンギャと産まれてくる時に、両親とか、お姉ちゃんとか、お兄ちゃんとか、おじいちゃんやおばあちゃんに、面倒を見てもらうわけです。
それを、迷惑かけたな、申し訳ないなと思うとすれば、いわゆるこれを、罪悪感と言うんです。
それはなくて、私が生まれたおかげで、両親は、本当の意味で親になれたんだ。
これは極端すぎました。
おじいちゃんやおばあちゃんは、私が生まれたおかげで、孫の顔を見れて、嬉しいんだろうな。
例えば、私がご飯を食べるをかけて、農家の方とか、農林水産省の方に貢献できると、そういうふうに思ってください。
自分がしていること、寝ているだけでも、自分がこの世にいるだけで、恩着せがましく感じるのではなくて、何となく感じるんです。
だから、自分って、良いとなんとなく感じるんです。
意識しなくても、全てが自然に思える感覚です。
例えば、自分が死んだとしても、佐藤さんという人がいて、こういうことがあったよなと、それで何か気づいて、その人自体も、成長していくんです。そういう風に、自然に思える感覚です。
ということは、私には価値があるんです。
そういう風に、自然に思える感覚です。
これが、自己肯定感だと思います。
そういう自己肯定感の部分が、心の土台の部分にあるからこそ、たとえ何かうまくいかなくても、大丈夫かなと思うことがあっても、チャレンジをすることができるんです。
いわゆる、そういうことができる人を、自信がある人と言います。
別の角度から、少し自己肯定感について、考えてみたいと思います。
ポジティブイズム
例えば、上司の人に、職場で怒られたとします。
怒られるわけですから、落ち込むこともあると思うんです。
そういう時に、自分は、どうしてダメなんだろう。
また、上司に迷惑をかけてしまった。周りの人にも、迷惑をかけてしまった。
普通の人ならば、これぐらい、普通にできるのにと思うんです。
なぜ、自分はダメなのかと、そういうふうに考えてしまうんです。
どんどん、落ち込んでしまって、現実逃避してしまうんです。
そういうことしてしまうのが、いわゆる劣等感とか、罪悪感が強ければ、そっちの方に、流れてしまうんです。
被害者意識とかが、強ければ、どんどん、そっちの方に流れるんです。
やっぱり自分は、ダメなんだ。あんなにも上司の人も、怒る必要もないんです。
どんどん、そういう方向に行ってしまって、新しい改善の方向に、結びつかないんです。
だから、自己肯定感が高い時は、例え同じような怒られた場面でも、ありがたいと思って、次はうまくいくように、上司の人は、しっかりと自分に、伝えてくれようとしたと思うんですね。
上司の人も怒りたくなかったのに、自分のために、言ってくれたなと思うんです。ありがたいと、自然に思えたりするんです。
この上司が自分のことを、考えていていてくれて、ラッキーだと思える感覚なんですね。
これは、ちょっと違うんです。
ポジティブ思考というか、ポジティブイズムなんです。
あえて、変な表現をすれば、ナルシストなんですね。
上司の方に、迷惑をかけた事実があるので、申し訳ないなと思うんです。
そういえば、ここを注意するように、上司に言われたばっかりだったんです。
うっかりやってしまって、大変申し訳なかった。
そこで終わるのではなくて、ぐずぐず落ちていくのではなくて、僕のことを期待してくれているから、あえて、忙しい中を、耳の痛い話をしてくれたんです。
次は、どのようにして挽回しようか、上司の人に喜んでもらえるように、こういう風にチャレンジしてみようかと考えるわけです。
行動を制限してみたり、なんだあの上司、あんなこと言いやがって、そういうことを、押し付けてみたりするんです。
あるいは、怒られたということは、成長するチャンスだと、そっちの方だけを考えるんです。
存在価値
というのではなくて、迷惑をかけた事実は事実なんです。
迷惑かけられたからこそ、上司も怒ったんですね。
そういう側面もあって、そこはそこで受け取って、それをどういう風に次に生かすか、前向きに改善をするんですね。
実際に行動するんです。
考えてるだけではなくて、行動をするんです。
自己肯定感の高いところが、あると思うんですね。
たとえミスしたとか、たとえ何かうまくいかなかったとか、振られたとか、何かよろしくない出来事が、起きたにしても、出来事は出来事として、起きるわけなんです。
私という人間そのものに、存在意味というか、存在価値というか、そこを失敗したわけではありません。
よし、次はやってやるぞ。
そんな風に前向きな方向に改善できるんです。
そのベースになっているのが、自己肯定感ということになるんです。
自己肯定感を感じるためには、特別な理由とか根拠はないんです。
例えばお金、実績、役職、地位、名誉とかは、全く何の関係もありません。
まさに素っ裸の状態で、自分に対してはOKなんです。
そういう風に思える感覚なんです。
ナルシスト
ですから、不必要なまでに落ち込んでしまったり、拗ねてしまったり、言い訳するのは、自分の身を守ろうとする行為なんです。
OKが出ていないから、自分の身を守ろうとして、言い訳とかを、いろいろしたりするわけです。
時々、自己愛とか自信とかを、自己肯定感と一緒にしてしまうんです。
それこそ、本に書いてあったりもするんです。
自己肯定感が低くても、過剰に自己愛が、強いというのもあるんです。そういう人はたくさんいます。ナルシストです。
変なプライドの塊に、なって行ったりするんです。
自己肯定感が低くても、過剰に自信が高いというのもあるんです。
過剰に自信が強ければ、他者を傷つけたり、極端な自己中心にに走るんです。
そういう人は、世の中にはたくさんいてるんです。
少し健全ではない方向なんですね。
心の土台
自己肯定感が、普通に健全に高い時は、健全な自信もあるし、健全な自己愛もあります。
そもそも、根拠は要りません。
ただ、根拠はないんですが、自己肯定感というのは、心の土台なんです。
家でいえば、基礎の部分です。
外からは見えないんですが、しっかりと地面の中に、ぐさっと入ってるんです。
これが自己肯定感なんです。
和食系の定食で例えるならば、ご飯と梅干しみたいなものです。
とりあえず、それがあればOKなんです。
後は生姜焼きだとか、味噌汁だとか、そういうのがなかったにしても、ご飯と梅干しがあれば、なんとなくホッとするんです。
そういうのが自己肯定感なんです。
不思議な感覚なんです。
誰かに非難されたり、誰かに承認をもらえなくても、自分はやれる範囲でOKなので、そんな風に思える感覚です。
これは感覚なので、伝えるのが難しいんです。
伝えることができれば、良いと思っています。
自己肯定感が低い方は、根拠とかは入らないんですが、そもそも、自分には自己肯定感がどうして低いのか、そういうことを、うっかり考えてしまって、自己肯定感の低い原因探しを、ず~っとやられてる方もいてるんです。
そんなことしていれば、余計に自己肯定感が下がってしまうので、であれば、真逆のことをすることを、お勧めします。
どういうことかといえば、いろんな場面で、結構貢献できてるんです。
そういうことを、ノートにでも書き出してみるんです。
あくまでも、誰かと比べるのではなくて、自分なりに自分のやれる範囲で、こういうことは貢献できています。
とにかく書いてみてください。
例えば蛇口をひねって水を飲めば、これで、水道業者の方に、少しは貢献できたんです。
そういうレベルからで構いませんから、コンビニに行って、缶ジュースを買えば、コンビニの店員さんの時給に、少しは貢献できたんです。
そういう風に思える感覚のことなんです。
これは感覚なので、伝わるかといえば、なかなか難しいんです。
最後に
そういうレベルで構いませんから、どんどん、毎日、毎日の暮らしの中で、練習から、始めてみれば良いんです。
最終的には、別に何か問題があるんですか。
これでいいんです。
そういう感覚を自然に持てるので、小さなことから、当たり前だと思わないで、一旦、意識にのぼらせてみてください。
いかがでしたでしょうか、自己肯定感とは、どんなことですかということなので、自分なりに思っていることを、記事にしてみました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。