人間社会のくだらない競争をあまりしない方が良いんです。
徳を上げる競争をしていけば、人間社会の決め事なんか絶対に勝てないんです。
魂力
笑顔でいるんだよ。
自分の機嫌は自分でとるんだよという話。
仕事のことでも自分のことでも一生懸命に、出し切るんだよという話。
徳というのは一生懸命に出すんだよ。
徳というのを一生懸命に出せば、幸せになるよという話をしています。
これが魂力という話なんです。
魂のステージが上がります、仕事を一生懸命にします。
自分の機嫌を人にとってもらおうとしている人間と、自分の機嫌を自分で取れる人、魂の力が全然違うんです。
だからそういう人は魂力が全然違うんです。
それから同じレベルの人がいますよね。
同じレベルの人がいれば、いい学校を出ているとか持ち物が良いとか、ブランドものを持っているとかで、そういうことで差をつけたりできるんです。良い車に乗ってるとかで差をつけるんですね。
ところがどんなに頑張っても、魂力が上に上がった人には絶対に勝てないんです。
不思議なもんなんですが、例えば郵便局で働いている人がいます。
同僚の手伝いをいっぱいしている人もいます。
そういう徳をいっぱい積んでいる人は、郵政大臣より幸せな、郵便配達の人っていてるんです。
そういう人や何かあった時に、魂レベルが上だと、肩書きが上だろうが、持ち物が上だろうが、その人に会うと勝てないんです。
校長先生より立派な考え方の用務員がいたら困るということではないんです。
だから自分が総理大臣になった時に、あの人にお礼が言いたいという人が用務員のおじさんでも全然構わないんです。
天に唾
そういうふうに自分の持てる力を一生懸命に出して、自分の機嫌を取れた人とは魂の次元が普通の人とはもう違うんです。
世間でそういう人の悪口を言いふらす人がいます。
魂の次元が違う人の悪口を言っていれば、天に唾すれば全部自分の顔にかかるんです。
唾を吐いた人の顔にかかってくるんです。
上には届かないんです。
一方の人はいつもニコニコしていて自分の機嫌をとって、あなたの悪口を一回も言ったことがないんです。
もう一方の人は悪口を言ってるんですね。
そうすると世間の人はあの人が怪しいとか、あの人は変だとかいうことで、自分で自分にかけた唾がかかってくるんです。
何を言いたいんですかと言えば、自分の魂力が上がり、自分の魂のステージが上がった時に全てが逆転するんです。
学歴も関係なく、持ってるカバンも関係なく、乗っている車も関係なく、社会的地位も関係ないんです。
徳
その人に会った時、全然違うんです。
徳というのは外に出さなければいけないんです。
徳とは何ですかと言えば、自分が一生懸命にハガキを書きます。
自分が良いことを一生懸命にしていて、相手が年賀はがきもたかない時に、年賀はがきも書かないのよと言った時に、それはもう徳ではないんです。
徳というのは、年賀はがきを書くのは私の楽しみなんです。
返事とかはいらないんです、自分の楽しみにしているんです。
正しいことを楽しみでやるようになれば、それは徳なんです。それを人にまで、あの人はやらないといえば、もうそれは徳ではないんです。
人に徳を撒けばいいんですが、要するに人に親切にできるのに、しないとどうなるかといえば、毒を出さずに体にためておくと、古くなって毒に変わるんです。
その毒が体のあちらこちらに噴き出します。
たまったところが悪くなるんです。
だから自分の徳を出せば出すほど、魂のステージが上がっていくんです。
だから人間社会のくだらない競争をあまりしない方が良いんです。
徳を上げる競争をしていけば、人間社会の決め事なんか絶対に勝てないんです。
人間力
この人には勝てないというのが分かります。
ブランドバッグを持っているよりも、その辺で買ってきたバッグを持っていっても、人間力、魂力の違う人間に会った時にはもう勝てないんです。
本当にそうなんです。
上から下までブランドものにしている人が、白衣姿にしているマザーテレサが出てきた時に、勝てますかと言えば、それは勝てないんです。
魂力が違うんです、魂力を磨くというのは、例えばグルメで、あの店でなければ嫌だ、この店でなければ嫌だとか、すごいグルメの話をしているよりも、アジの開きでも、とった漁師さんに感謝し、お米でも作ってくれた人に感謝し、そのお米もあのブランドでなければ嫌だ、このブランドでなければ嫌だと言ってる人間よりも、出てきたものに感謝して美味しく食べて、本当にお米を作るのにどれくらい苦労したんだろう。
このお魚を取るのにどれくらい苦労したんだろう、魚も命なんです。
その命を奪っておいて、美味いとか不味いとかいう魂の人と感謝を持って食べている人では、会った時に、私は世界中のグルメを食べましたとか言ってる人と私は感謝してこのアジの開きを食べました。
そう言って食べている人とでは人間的重みが全然違うんです。
この人には勝てない、周りから見ていても風格が違うんです、人間的風格とか重みが違うんです、そういうことがすごく大切ですから、会社の一番下で働いている人で、社長より幸せな人はいてるんです。
社長にならなければ幸せになれない、部長になれなければ幸せになれない、絶対に違います、もちろん社長でも幸せな人はいてます、だけど社長になれなくても社長より幸せな人がいっぱいいてるんです。
そういう人は何ですかと言えば、徳を積んで人間力を磨いた人です。
人間力を人間の値打ちが違えば、どんなにデコレーションをしても駄目なんです。
この記事を百回読んでもらえれば分かります。
斎藤一人さんは何を伝えたかったのか、出世する方法とかではなくて、人間力をつければ、どこの誰でも幸せになって、どこの誰も比べ物にならない、魂の次元が上がっていくんです。
出世しなければ幸せになれない。
お金持たなければ幸せになれない。
ブランドものを持たなければ幸せになれないという話をしているのではないんです。
人に喜ばれ、自分で自分の機嫌をとって、自分のできる仕事を一生懸命に全力を挙げて仕事をして、人助けをし、体を軽くして、心を軽くしてあげることに一生懸命にしている人、とその辺からブランドものを選んだとか、高級車を買って、さあどうだと言ってる人とは人間力が違うんです。
会った時の凄みが違うんです。
魂から湧き出る力が違うんです。
そういうことを伝えたいんです。
勉強するのが楽しくなってきて、徳を積むのが楽しくなってくるよということです。
追伸 一人さんの教え「幸せはデコレーションケーキ」
今の世は、競争社会
その勝ち抜き競争で勝った者だけが成功者というのが世間の常識です。
でも一人さんの成功論は、幸せ。
「一人さんの成功論でいくと、いろんな成功があるということになりますね。
だって、サラリーマンにはサラリーマンの幸せがある。
主婦には主婦の幸せがある。
学生には学生の幸せがあって」
私がそう言うと、一人さんはこう言いました。
「そうだよ、寺田さん。
だから、人は誰でも成功者になれるんだ。
ただし、誤解しないでよ。
私は、日本一になること、勝者になることがいけないと言っているわけではないんです。
勝者になれる人は、なればいいんだよ。
だけど、1番になれない人は、本当に失敗者、不幸なんだろうかと思うんですね。
だって、会社で1番出世して社長になったのに、自分は孤独だとか言いながら酒を飲んでる人って、わりとたくさんいるよね。
自分は孤独だって、それみんなに愛されてないんだ。
嫌われているんだよね。
それは本当に成功なんだろうか」
私は一人さんにいいました。
「一人さんの成功論でいくと、社会的な成功を収めても、幸せを感じながら生きていないのたから成功じゃない」
「そういうことになるよね」
「でも、そんな成功論を持っている一人さんが、なぜ、私たちを日本一にしよって」
すると、一人さんは、
「日本一と呼ぶにふさわしい酒だ、と私が思ったの。
それもあるんだけれど、1番の理由は、そうじゃない。
あれはデコレーションなんだ」
「デコレーション?デコレーションケーキのデコレーションですか?」
一人さんは、うなずいていいました。
「幸せは、デコレーションケーキ。
だと、私は思っているんです」
デコレーションケーキというのは、スポンジケーキの上にクリームをぬって、イチゴなどを載せたりして、飾り付けがしてありますよね。
土台のスポンジケーキは同じでも、生クリームを塗っただけのものを「どうぞ、召し上がれ」と言われたときと、生クリームを塗ってイチゴちょこんと乗せたの出されたときとでは、普通、後者のほうが嬉しいですよね。
イチゴに加えて、「○○さん、お誕生日おめでとう」とかいうメッセージがついたチョコレートが1つ乗っていれば、さらに嬉しい。
一人さんは、
「人生もそれと同じだ」
というのです。
「自分が置かれている環境は、スポンジケーキなんだよ。
ケーキの場合と同じように、土台の環境が同じでも、どういうデコレーションをするかによって、幸せ感が全然違っちゃうんだ。
もっというと、最高級の素材でもって作った最高のスポンジケーキでも、全くデコレーションをしなかったら、子供は、なんだ、つまんないっていうよね。
大人だって、せめて、クリームぐらいはぬってよって思う
あまり、嬉しくないんだよ。
人生も、それと同じ。
どんなに恵まれた環境でもデコレーションしなきゃ、つまんない人生になっちゃうの。
ただ、デコレーションといっても、そんな大したことをする必要はないんだよ。
例えば、寺田本家さんは、年に何回か、みんなで手料理を持ち寄って、青空の下で宴会するよね。
そうすると、みんな楽しいんだよね。
だから、その青空宴会もデコレーションだし。
それから、寺田さんが出版記念パーティをやるときに、余興大会をするとする。
賞金が出なくても、余興大会するよっていうと、みんな張り切っちゃう。
どんな出し物だったら受けるかって考えてるうちから楽しいんだよね。
今、寺田さんとこでやってるてっぺん作戦も、やり始めてから、みんな楽しくなって。
これだって、一つのデコレーションだよね。
だから、ちょっとしたデコレーションで、楽しいか、そうでないかが決まってくる。
微差が大差なんだよね」
斉藤一人さんのお話を纏めました。
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