例えて言えば、鳥を捕まえるのでも、その鳥の生態を知らなければ捕まえることは出来ません。
つまり、運という鳥を捕まえたければ、それがどういうものかを知らないと捕まえることはできないのです。
運はどこにでもあるんだよ
運のことを説明するのって難しいんです。
何故かって言うと、みんなが思っている運と、私が思っている運はかなり違うんだよね。
多くの人は仕事がうまくいかなかったり、自分が不幸な理由を、「自分は運が悪いんだ」とすぐに運のせいにするんだけど、運のこという前に大事のことってあるの。
仕事でもなんでもそうなんだけど、最後には実力なんだよ。
簡単にいうと、例えば私がどこかの社長を見て、「この人には負けない」って思うと、その会社が100年やってようが、従業員が10万にいようが、関係ないんです。
最後には社長同士の一騎打ちなんだよ。
それで、実力のある方が必ず勝つんです。
今、ものすごく先に行ってようが、絶対に追いついて勝つんだというたったそれだけのことなの。
何が言いたいかっていうと、運のない人は実力のことを信じられないんだよ。
それで、実力のある人は、運というのがわからないんです。
運も実力も必要なんです。
ところが、実力のある人は運のことバカにするんです。
それで運の方に行く人は、実力を磨くこと怠けるんです。
だからうまくいかないんだよ。
それで最終的に運ってなんですかっていうと、実は運ってどこにでも転がってるんです。
テレビを見てても参考になることってあるし、一生のうちにアイデアっていくつでも出るんだよね。
街に出て繁盛してるお店を見に行けばアイデアをもらうことって出来るし、田舎にでも繁盛してるお店ってあるんです。
それで、それを見られただけで運がいいんです。
うどん屋でも蕎麦屋でも、お店が繁盛すれば、普通の会社の部長ぐらいの収入はあるんです。
それで、もう2、3軒店を増やすと、ベンツなんかに乗れるようになるんだよ。
だから「仕事がうまく運がいい」っていうのは、そんなに特別のことではないんだよね。
まずは行動が大事だから
運というのは、行動しない限りどうにもならないんです。
なぜかと言うと、この地球という星は行動の星だから。
それでこの星は行動の星なんだってことがわからない限り、運がいくらきてもダメなんだよね。
あなたが乗る電車が上り電車なのか、下り電車なのか、目的地に止まるかどうかも分からないで電車に乗るのと一緒なんです。
たまたま正しい電車に乗ることもあるけど、全く逆に行ったり、そこに止まらずに通り越しちゃうことにもなるの。
だから、この星は行動の星だって知っただけでも運が良くなるんだよね。
恵美子さんは私と出会って、私の知恵は借りたんです。
だけど、自分で行動もしたんだよ。
だから、人の行動まで助けてくれるものってないの。
「何かいい仕事ないですか」って聞く人がいるんだけど、八百屋でビルを建てた人だっているんです。
逆に八百屋で財産を無くす人もいるんです。
それで、そんなことを知ってることが運なんだよね。
それを知らない人は、何かいい仕事があれば自分でも上手く行くと思ってるんだよ。
そんな人にいくら運が来たってそれは運だと思わないから、活かすことができないの。
だから言い換えれば、運とは知ることかもしれないね。
それで本当に運がいい人っていうのは、他の人がやったら潰しちゃうような店でも繁盛させることができるのです。
それは運ばれてくるもの
運というのは運ばれてくるものなんです。
それが人からであったり、さらに言えば神様からであったりする。
お金でもモノでも、そのもの自体が歩いてくるなんていうことはないんです。
だから、お金も人が運んでくるものなので、人に好かれない限りはどうしようもないんだよね。
まず運のいい人って愛想がいいよね。
愛想が悪くて人から嫌われているような人で運のいい人っていないんです。
人に嫌われているという時点で、もうすでに運が悪いんです。
それで、そんなことにも気づかないぐらい運勢を悪くしてるんだよ。
だから、そういうことをやり続けてしまうんです。
仕事って全部、数字に出るんです。
それで、運がいい人って素直なんだよね。
中庭「素直すぎると人に騙されたりしませんか?」というような心配をする人がいるんだけど、素直な人って素直に数字を見ることができるの。
ひねくれた見方をしないんです。
それで、ブスッとしてるより笑顔がいいに決まってるのに、そんな分かりきったこともやらないんだとしたら、その人はひねくれてるよね。
だから、そういう人は運が悪いんじゃなくて、運をなくしてるんだよ。
「恐れている、ツイてない、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、心配事、許せない」
といった地獄言葉使うより、
「愛してます、ついてる、嬉しい、楽しい、感謝してます、幸せ、ありがとう、許します」
といった天国言葉を使った方がいいに決まってるの。
1+1=2って誰に聞いても同じなのに、その答えを2と書こうとしない性格に問題があるんだよね。
だから、その性格が運を悪くしてるんだよ。
運が悪いって簡単に言うと、我が強いってことなの。
だって、いいと分かってることをやろうとしないのは、我が強いからなんだよね。
つまり、運を逃してるのは我なんです。
ブスっとしている人は、ぶすっとしてる人が好きなわけじゃないよね。
ブスッとしてる人でさえ、ブスッとしてる人は嫌なんです。
ということは、ぶすっとしてる人は、誰からも好かれないの。
それで、誰にも好かれないことをしながら成功するのって無茶なんです。
それに、人にも好かれない人って神様も嫌いなんです。
それで運がいいわけないの。
だから、当たり前のことを当たり前のようにやればいいんだよね。
それでもっと素直になればいいんです。
何に対して素直になるかで決まる
自分の気持ちに素直になるのは大事だけど、人の意見に耳を傾ける素直さも大事なんです。
例えば、「俺はこのラーメン、絶対うまいと思う」って始めたとしても、売上が上がらないんだとしたら、それは世間に受け入れられてないということなんだよ。
運が悪い人って、そこに素直さがないんだよね。
自分の好きなラーメンをお客さんに食べさせようとするのと、お客さんが喜ぶラーメンを食べてもらおうとするのとでは、志の高さが違うんです。
自分のためにお客さんがいるんじゃないの。
お客さんのために自分の店があるとしたら、そのお客さんが喜ぶラーメンって何ですかってことなの。
それを売上も上がらず、そのラーメンを出し続けてるんだとしたら、それって我が強いんだよね。
そして、その我が運を逃すんです。
商売人でもサラリーマンでもそうなんだけど、おおよそ、仕事って、魂の修行なんです。
それでお店はお客さんから支持されないといけないんだけど、サラリーマンだったら自分の上司が支持してくれないと駄目なんです。
例えばあなたが平社員だとしたら、係長はどうしたら自分の事を支持してくれるんだろうかって、じっと見ていれば分かるの。
それをたった一人の人も満足させられないとしたら、それは修行が足りてないってことなんだよね。
神様が「目の前のその人を満足させなさい」っていうのは何も、おべっかを使いなさいって言ってるんじゃないの。
その係長の任されている係の成績を上げればいいんだよ。
それで明るく返事して、隣の人の仕事も手伝ってあげててってやっていると、必ず次の人が現れるんです。
それで、その次の人って、次の修行なんです。
例えばそれが今度は課長だとすれば、その課長を満足させる方法を考えればいいの。
課長って課全体のことを考えてるから、課を盛り上げるようなことをして、仕事が順調にいってると課長は喜ぶんだよね。
それで、「うちの課長はぼんくらでやんなっちゃう」っていう人がいるんだけど、いくら課長がボンクラでも、あなたががんばって課全体を盛り上げて、仕事もできるんだとしたら、絶対それを他の誰かが見てるの。
それにその人が本当にぼんくら奈良、誰が見たってぼんくらなの。
それなのにその課の成績が上がってるんだとしたら、絶対あなたががんばっているからだって、誰から見ても分かるんです。
だから、まずは目の前の人を満足させる。
そして、次はこの人、次はこの人ってやっていくと、最後には全体を満足させられる仕事ができるようになってくるの。
そうやって、人生の階段は一歩、一歩、登っていくものだと思っている人が、運のいい人なんです。
人の「運が良かった」を真に受けちゃダメだよ
運のことばかり言ってる人が成功しないのは、運に頼って行動しないからなんです。
だから本当に運のいい人は、行動しないとダメだっていうことを知っている人なんです。
お金は人が運んでくるものなの。
いくら神様に頼んでも、神様が運んでくることはできないんです。
それを神様にはお金持ちにしてくださいって頼むこと自体、おかしなことだってわからないとダメだよね。
おかしな人が、運がいいわけがないんです。
サラリーマンだったら上役を満足させて、同僚から愛されるようにすればいいんだよ。
そして、そのことをして努力するの。
そうすると、運が必ず後から付いてくるんです。
それで、運が良かったんですっていう人は、相当の努力をしているの。
逆に運が悪かったんですっていう人は努力が足りないってことなんです。
だから運がいいというのは、努力した人間が謙虚になって言う言葉なんだよね。
成功した人が、私は成功するためにこれだけの努力をしたから成功しましたっていうと嫌味に聞こえるの。
努力してもそのことを言わないで、みなさんのおかげですとか、私は運が良かったんですっていうのは、その人が謙虚だからなんです。
出世した人がみんな私は運が良かったんですって言うから、それを聞いた人がそうか、運は大切なんだって思うけど、それは修正した人が努力したことの自慢話をしないだけなんだよ。
そういう人は立派な人なんです。
それで立派な人は私なんてたいしたことないですっていうけど、だからってそれを聞いた人が真に受けちゃダメなんです。
本当にその人がたいしたことしてなかったら、その人は大したことない人になっているはずなんだよ。
たいしたことしたからその人があるんだよ。
それで大したことしてるのになおかつ、運が良かっただけですっていって、へりくだってるんです。
だから周りからもっと支持されるの。
それでそんな人は神様も支持するんです。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
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