指導霊はつく人とつかない人がいてるんです。
どういう風な人につくんですかといえば、プロにつくんです。
指導霊
普通の人には守護霊がついてます。
一人に対して一人ついています。
この一人の守護霊というのは、変わることなくずっとついてるんです。
一人自分に守護霊が居てると思ってください。
思えない人は例え話だと思ってください。
ところが守護霊の上に指導霊というのが入ってるんです。
指導をしてくれる霊があるんです。
指導霊はつく人とつかない人がいてるんです。
どういう風な人につくんですかといえば、プロにつくんです。
私はアマチュアでバイオリンをしています。
これは楽しみでしていますから、指導霊はいないんです。
ところが私はバイオリンのプロなんだ。
プロとして生きている人間は、プロの指導霊がついてるんです。
プロって何ですかと言えば、プロとしての自覚を持ってる人です。
金儲けのプロなのに、うちは借金がいっぱいあるんですとか、お金が全然ないんですとかいうのは間違っているんです。
オカシイ
アマチュアの人がお金を持っていたりします。
アマチュアの人の方が上手だったりします。
これはおかしいですよね。
おかしいということに気づくことです。
気づけばこちらのものです。
今までのことは言いません。
お金儲けが仕事なのに、いろんな形で逃げるんです。
世のため人のためとか言いますが、税金を払ってください。
たくさん儲けて、奥さんにもっとオシャレさせてください。
お金をしっかり持って、洋服屋さんも喜びますし、宝石屋さんも喜びますし、皆さん全て喜ぶんです。
世のため人のためというのはそういうことなんです。
コーヒー一杯飲むと、その影響が遠くキリマンジャロまで出るんです。
キリマンジャロの下でコーヒー豆をとってる人の役に立ってるんです。
お役に立つというのは、本当の意味でそういうことを言うんです。
何かと言えば、ボランティアでお金は送ってあげよう。
何を送ってあげようとすぐに言いますが、本当は正業が成り立つのが一番いいんです。
我々は正業を支えているんだ、プロとしての覚悟がないというのは、例え話で、非常に失礼なんですが、ストリッパーになれば裸になるんです。
それをどうすれば、裸にならずに済むと考えているストリッパーがいてるとすれば、そんなものかと思うんです。
それと同じように、しっかり金儲けをするんです。
しっかり稼いで綺麗に使うんです、綺麗に使うというのは、一銭も残さずに使えと言ってるわけではありません。
お金の事で汚い事を言わないでくださいと言ってるんです。
お金のある人間は汚いことを言ってはいけないんです。
プロとしての自覚
自分はプロなんだ。
プロとしての覚悟を持つんです。
鉄骨の上で鉄骨を組む人がいてますね。
プロなんです。
斎藤一人さんがこの前、明石大橋に行った時に、設計しているんですが、設計通りに作るというのは大変なんです。
設計する人もすごいんです。
設計通りに作るというのも凄いです。
設計のプロなんですね。
私たちがその上に上がるだけで動けなくなりますよね。
素人とプロはそれだけ違うんです。
でもあの人たちも道楽で上がれば、なれないんです。
自分はプロなんだという意識を持って上がるんです。
トンネル掘るんだって、両方から掘るんですね。
最後一節穴を開けると、両方から掘っていますから、この前すごい話を聞いたんですが、両方から掘っていて、先に到達点に行けば、間違っていても許されるんです。
なぜかといえば、最後の人がそこに合わせなければいけないんです。
だから両方で非常に速くがんばるんです。
だけどプロはプロとしての、いろんなことがありますが、何を言いたいのかといえば、プロというのは正確に速くです。
料理のコックさんの話ですが、うちの旦那は料理のコックさんより腕がいいのよと言いますが、買い物たくさんしてきて、時間をかければ、プロにはなれないんです。
プロというのは、ある材料で早く作って、お客さんを満足させるんです。
儲けまで出すんです。
家庭ですごい料理を作ると言っても、食べに行ったほうが安くつくんです。
プロというのはそういうものなんです。
今まるかんの特約店に流れる方、なろうとしている方はプロなんです。
気づいていないんです。
自分がプロだという事に気づいていないで、鉄骨の上に上っていれば、落ちる可能性がありますよね。
危険ですね。
仕事にもならないか分からないです。
プロというのは、どこにどれを置けばもっと売れるか、旗は何本出すべきか、張り紙してくださいと言えば、確かに貼ってはあるんですが、高いとこにありすぎていて、人間は上を見ながら歩いたりはしません。
車しか通らないようなところで、人間しか見えないような字で、張り紙を貼るんです。
貼って車で通ってください。
自分が車で通ってください。
プロってそういうものなんです。
貼って車で通ってください。
貼り紙
貼り紙を貼ればいいのは、従業員の仕事ではありません。
まるかんさんにはそういう従業員はいてません。
貼り紙を貼るのが仕事ではなく、貼り紙を貼って、何人お客さんきてくれたのが仕事なんです。
お客さんが来貼り貼り紙ならば、貼るだけ無駄なんです。
紙の無駄、時間の無駄なんです。
紙を貼って何人来たかという統計をとって、一人も増えていなければ、何か間違いなんです。
字を大きくするか、内容を良くするか、言葉一つ考えるんです。
斎藤一人さんがこの前ペンションに行けば、お風呂は夜10時までにして下さいと書いてあるんです。
お風呂は夜10時までゆっくりと入れますと書いてあれば、得したような気分になるんです。
書けば良いってなもんではないんです。
商人の言葉は相手が見て、そうだなと思わないといけないんです。
お好み焼き屋さんに行った時も、ガスは絶対に触らないでくださいと書いてあるんです。
感じが悪いんです。
命令口調で書かれると、頭にくるんです。
それよりもガスを触ると火傷をする恐れがありますから、こちらでしますからお気軽にお申し出をくださいと書いてあれば、親切だな~と思うんです。
書いてることの内容ではなくて、どう書けば、お客さんに良く思ってもらえるか、伝えればいいのではなくて、何日から何日までお休みではなくて、何日から何日まで旅行に行きますのでお休みさせていただきます。
お客さんにはお菓子を買って待ってますから、何日に来てくださいねとか、何か良い言葉を書いてください。
シャッターが半分上がらないんです。
何か書きなさい。
シャッターが壊れてます。
ふざけるんじゃないんです。
商人の言葉ではないです。
プロの言葉ではないです。
道路の前が工事をしています。
何か書きなさい。
その時に工事中に来て頂いてありがとうございますとか、シャッター半分閉まっていますが中で元気でがんばっていますとか、お客さんの笑顔を見たいですとか、何か書きなさい。
プロ意識
1から10までプロではないんです。
なぜかといえばプロ意識がないからです。
プロとしての覚悟がないんです。
私たちはプロなんです。
斎藤一人さんの商人を志した時に、私はお金儲けのプロなんだ、景気が良かろうが悪かろうが、利益を出し続けないといけないんです。
だから斎藤一人さんはプロになったんです。
それで利益を出し続けているんです。
それでもやらなきゃダメなんです。
やり続けるんです。
景気がいいから儲かりました。
景気が悪いから儲かりません。
それではプロではありません。
プロというのは淡々と仕事をするんです。
斎藤一人さんの知り合いにトラックの運転手さんがいますが、立派なもんなんです。
重い荷物を積んで何時までに届ける。
渋滞からなにまで加味して何時までに届ける、私たちのドライブは行けばいいだけです。
違法すれすれぐらい積んでいるんですが、東名高速道路に行けば、トラックに嫌がらせをされてと言いますが、嫌がらせではないんです。
トラックは荷物いっぱい積んでいますから、坂の前に行けばふかしていかないと坂を上がれないんです。
その時に前でノロノロ走っていると、トラックは上がれないんです。
だからクラクションを鳴らすだけの問題なんです。
あなたに嫌がらせをするほど、構っている時間がないんです。
どいてあげるんです。
私たちもプロなんですから、プロって人の心がわからないとダメなんです。人の心がわからないから物が売れないんです。
物を売るというのは、相手のことも分かり、自分のことも分かり、自分の店のこともわからないとダメなんです。
うちは立地が悪いから、50M先には人がいてるんです。
人間の足というのは50M、100m、いくらでも動くんです。
楽しいとこならどこでも行くんです。
それなのになぜあなたのところに来ないんですか、魅力がないからです、斎藤一人さんが女性に惚れた時は博多でもどこでも行くんです。
人間は行こうと思えばどこでも行くんです。
魅力ってそういうものなんです。
あなたが出す魅力は何ですか、プロの魅力なんです。
自分はプロなんだ。
腹を据えてください。
ストリッパーなのにどうすれば裸にならずに済むか、そんなこと言ってるわけではありません。
そうでなければスパッと止めてください。
スパッと止めてサラリーマンになってください。
そうすればサラリーマンというプロにならなければ、どれだけ辛いかわかります。
サラリーマンはサラリーマンというプロなんです。
プロに徹しきれない人間は苦労するんです。
坊さんになれば坊さんだという坊主のプロにならなければいけないんです。プロです。
お釈迦様は坊主のプロだったんです。
だから働かないでずっと食べていたんです。
みんなからお布施をもらっていたんです。
合間にやっていた訳ではありません。
合間にして成功したものなどひとつもありません。
キリスト様もプロだったんです。
キリスト様は大工さんだったんです。
大工の合間にキリスト様をしていたわけではありません。
スパッと大工さんを止めて、本業に専念したんです。
斎藤一人さん達は商人であるんです。
その中のまるかんに来たんです。
商人中の商人になるんです。
プロとして生きるんだ。
何になってもいいんです。
商人をやめてもいいんです。
大工さんになってもプロなんです。
これからはプロ以外は通用しません。
プロって何ですかと言えば、プロであるという自覚です。
しっかりとした自覚を持てば、後は指導霊がついてきてくれて、指導をしてくれるものなんです。
斎藤一人さんのような能力のない人間でも、すごい指導霊がついてくれて、今日まで至ってまいりました。
プロである。
商人は金儲けのプロなんです。
手段が下駄屋であり、布団屋であり、まるかんであるんです。
手段が違うだけなんです。
等しく商人の仕事はお金儲けなんです。
しっかり儲けてボランティアを支え、そして国の福祉を支える人間でなければいけないんです。
追伸 神はあなたの成長にしか手を貸せない
私たちには一人一人、天の神様との中継ぎ役をしてくれる人がいます。
それが守護霊さんです。
守護霊さんが主に何をしてるかと言うと、ただあなたについてるだけです。
それであなたの願いを神様に代わって聞いてくれたり、神様に直接お願いできないようなことでも、神様と相談をしながらあなたに知恵をくれたりするんです。
同じように私たちには一人一人、指導霊さんがついてくれています。
指導霊さん休みその人の仕事や役割を補佐してくれます。
守護霊さんとの一番の違いは、守護霊さんが替わることはありませんが、指導霊さんはその人の状況によって替わります。
例えばあなたが大工だとして、一生懸命に腕を磨いていると、その上達に応じて指導霊さんが替わります。
さらに「多くの人が幸せに暮らせるための家を建てたい」とか「歴史に残るような建築家を目指すぞ!」と志を高く持つと、それに応じた指導霊さんがついてくれるのです。
ただの守護霊さんの指導霊さんも、あなたの成長を助けることはできますが、そうではないことに手を貸すことはできません。
例えばあなたが自分のことしか考えないんだとしたら、それを守護霊さんが応援することはできません。
また、「私はどうなってもいいから、あの人を助けてあげて」という願いにも、守護霊さんは協力することはできません。
極端な話、殺人を犯すような人にも守護霊さんはついているのです。
それで、そういう人の罪をばれないようにするとか、逃げるのを手伝うとかっていうのはできないんだよ。
神様の意志は、みんなに幸せになってほしいのです。
だから、自分によくて、相手にもいいということは神様にとってもいいということ。
さらに世間の人も喜ぶようなことをは神様の喜びます。
そういう人のことは世間が放っておきませんし、神様も放っておきません。
守護霊さんも指導霊さんもみんな、味方して助けてくれるはずです。
追伸の追伸 大我で仕事をするようになると、「ひらめき」が溢れ出る
「大我」で仕事をするようになると、神様があなたのことを強烈に応援してくれるようになります。
また、神様だけではなく、あなたについている「守護霊」や「指導霊」も大喜びして、あなたのサポートを始めるようになります。
ちなみに「守護霊や指導霊って何ですか?」と言う人もいますよね。
霊といっても、「幽霊」のことではないんです。
ちょっと説明しておきましょう。
「守護霊」とは、文字通り、その一いつも守ってくれる霊のこと。
この「守護霊」というのは、どんな人にも必ずいます。
今病気をしている人々や、貧乏で困っている人、人間関係のトラブルに悩んでいる人にも、「守護霊」は必ずいます。
また、事件や人殺しを起こしてしまうような人にも、守護霊は必ずいるのです。
しかし、今から話すことが大事です。
「守護霊」が動けるのは、「大我」でいる時だけです。
「自分も楽しくて、人のためにもなることをしたい」と考えている時だけ、守護霊は思いっきりサポートすることができるのです。
その人が「私さえよければいい」とか、「私はいいのよ」と小我でいる時は、守護霊は守ってあげたくても、手出しができません。
あなたの後ろで、「残念だなあ」という思いで、じっと見てることしかできないのです。
また、「指導霊」とは、その人の守護霊と協力して、才能や仕事など、専門的な分野で、その人を指導してくれる霊のことです。
この指導霊は、その人が日頃考えることのレベルによって、「入れ替わる」という面白い性質があります。
例えば、その人の魂のレベルが「小学1年生」なら、小学1年生にふさわしい「家庭教師」として、指導霊がつきます。
魂の段階が「高校3年生のレベル」になったら、高校3年生にふさわしい「家庭教師」がつくのと同じように指導霊が入れ替わるのです。
ですから、その人が「大我」で物事をやろうという思いが強いほど、さらにレベルが高い「指導霊」に入れ替わるのです。
神様、そして「守護霊」や「指導霊」。
「大我」で生きるようになると、このような見えない存在がこぞって、あなたの協力を始め、あなたの人生を盛り上げていきます。
言ってみれば強力な「親衛隊」を、常に引き連れているような状態です。
「親衛隊」は、あなたに色々なサポートをしてくれますが、そのサポートの一つが、「ひらめきやアイデアがバンバン出ること」。
例えば、商品を作っている人だったら、「あれとあれを合わせると、すごいものができるな」というアイデアがばんばん降りてくる。
文章を書く人だったら、「こうやって書いたら、わかりやすいな」とか、「こうやって書いたら、面白いな」というアイデアやキャッチコピーがばんばん降りてくる。
講演をやる人だったら、「こういう言葉でしゃべったら、お客さんは喜ぶだろうなというアイデア」がばんばん降りてくる。
いわゆる「今日は、頭が冴えている」という状態が、「大我」である限り、ずっと続くことになります。
このひらめきやアイデアは「自分が考えたものだ」と思ってしまいがちです。
しかし、本当は、「大我で生きようとしているあなたを応援して、神が授けたもの」なんですよね。
ですから、アイデアやひらめきを喜んで受け取ると同時に、世のため、人のために、広い心で、そのアイデアを大切に使っていく。
この事を忘れたら駄目なのです。
アイデアやひらめきをバンバンもらったことで、「自分は特別な人間だ」とか、「自分だけ得をしよう」とか、そういう風に狭い見解になった時、アイデアやひらめきは、ピタリと降りてこなくなってしまいます。
あくまで神は、「大我で生きる人」に、アイデアやひらめきを授けたいのです。
そのことを忘れずにいたいものです。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
www.youtube.com https://youtu.be/Zaw8dPcRRpo
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