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斉藤一人さん 天網恢恢疎にして漏らさず

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ただ、天網恢恢疎にして漏らさず、というのです。

簡単に言うとね、天の神様がそれを見ていますよ、ごまかしが効きませんよ、って言うんです。

 

 

 

天網恢恢疎にして漏らさず


私たちは一人ひとり、素晴らしいものを持って生まれました。

でも、私たちの「為す」ことに、完璧はありません。


ついうっかり、他人を蔑むようなことを言っちゃうことも、時にはあるでしょう。

ただ、そんなことでも、自分の運勢が悪くなってしまうんですよ。


自分が何気なくしていることが、音声を悪くしていくなんて絶対に嫌だと、もし、あなたが思うのならば、これから私が話すことがお役に立つかもしれません。

ただし、私の思いとしては、皆さんに強要するつもりはひとつもありません。

そのことをあらかじめお伝えしておきますね。


まず、「キャバクラなんて・・・・・・」という言い方は私はしない人間でありたいと思っています。

そういう言い方は良くないな、って思っているんです。

キャバクラに入ってる人は自分のお金で遊んでいるんだし、また、そういうところで生きている人もいます。

シングルマザーみたいな女性で、キャバクラで働いて子供に食べさせたり、学校へ行かせたりしている人もいるんです。

他人のことを、何がいけない、かにがいけない・・・・・いろいろ言いたくて、言いたくてしょうがない・・・・・・という人はいえばいいのです。

本当にいいんですよ。


ただ、天網恢恢疎にして漏らさず、というのです。

簡単に言うとね、天の神様がそれを見ていますよ、ごまかしが効きませんよ、って言うんです。

わかりますか?

「クラシック音楽はいいけど、演歌がいけない」みたいなことを思う。

演歌を聴いているお客さんに、柄の悪い人がいるのもかもわかんないけど、柄のいい人もいる。

クラシックを聴いている人も同じですよ。

柄が悪いのも、いいのもいるんです。

ともかく、どこへ遊びに行こうが、どこでお金を使おうが、自分のお金を使うんですよね。

だったら、そこで好かれた方がいいよな、って思うんです。

だって、自分のお金を使って、身銭を切ってまでして「嫌なお客だ」とか言われたら自分がかわいそすぎだもん。


人は何のために生まれてくるのか?


人間の魂は永遠不滅です。

何回も何回も、人は生まれ変わります。


何のために生まれ変わるのかと言うと、自分を高めるためです。

自分が成長するようなことを、魂は色々経験したいのです。

笑ったり、泣いたり、いろんな思いをする中で私たちは心を耕し、ちょっとずつ知恵を付け、さらに豊かになっていきます。

経験が豊かさの生みの親です。

だから経験したい。

だから、何回も生まれ変わります。


「魂の成長」とは、他の誰かの幸せのために自分が苦労しなくてはならないとか、自己犠牲であると、おっしゃる方もいます。

そのような考えを否定するつもりは、私にはありません。

ただ、私が教わった「魂の成長」というのはこうですよ、と言いたいのです。


私の言う「魂の成長」とは、何かを我慢したり、非の打ち所のない人格者になったりすることでは、ありません。

そして、ここが肝心です。

今の自分を、ちょこっとだけ、バージョンアップできれば、それでOKなのです。


ですから、例えば、キャバクラへ行きたい人に「キャバクラへ行っちゃいけないよ」と言っているのではないのです。

キャバクラに行って、「そこで好かれる人間になろう」と思った時点でもうすでに、前のその人ではなくなっています。

これが「魂の成長」なんです。


自分も他人も互いに「大切な存在」と認め合う


先ほど、私たちは、それぞれ自分の魂を成長させるために生まれてきた、という話をしたんですけれど、じゃあ、魂はどんな風に成長していくんですか、ということですよね。


大雑把に言うと、魂の旅路(魂の成長段階)は、次のようになっています。

一番最初、ピラミッドの1段目は「自分も嫌い、他人も嫌い」という風に、自分も周りも認めない、世の中全部否定する、というところから始まります。

そこから成長して、次の、二段目になるとどうなるか。

「自分は大切だけど、他人はそうではない」あるいは、逆に「他人は素晴らしいけれど、自分はダメなんだ」と思っちゃうんです。


そのまた次の段階、魂の旅路の目的に一番近い(最も理想的な)ところまで来ると、「自分は唯一無二のかけがえのない存在で、同様に他にも唯一無二のかけがえのない存在だ」と思うんです。

今、魂の成長過程がイメージしやすいように、ピラミッドの1段目、2段目、などと言いましたけれど、自分も人も、皆大切な存在ということが分かっている人は、自分より後ろの方で魂の旅路を歩いている人のことを「自分よりレベルが下の人」というような、捉え方はしません。


そして、世の中は、自分も他人も「大切な存在同士だと互いに認め合える、そういう社会であれば最高です。


人はなぜ不平・不満や愚痴を言ってしまうのか?


この世の中は、自分も他人のことも認められないとすると、嫌なことだらけ。

そうなってくると、生きながら地獄にいるのと一緒です。

苦しくて苦しくて、仕方がない状態になってしまいます。


じゃあ、自分のことを認めないで、自分のことを卑下してばかりいて、「あの人は素晴らしい」「この人は素晴らしい」ということをやっていればいいんですか、というと、これもやはり辛いんです。

また、「自分はこの段階なのに、あなたはまだまだですね」というような、上から目線な考え方をしている時もスカッとしない。

もやもやするんですよ。


例えば、日頃から、自分はいい言葉をしゃべり、自分がいる場所は明るく照らそうと思っているんだけれど、地獄言葉・・・・・・・不平不満、愚痴、泣き言などのマイナスの言葉、自分も周りも嫌な気分にさせる言葉を、私は「地獄言葉」と呼んでいます・・・・を四六時中、口にしている人に対して、イライラしたり、怒ったりすることがありませんか?


どんなに「周りに毒をまいちゃ駄目じゃない」とか、どんなに注意しても相手はやめないんです・・・・・・・と相手に対する不平不満を誰かに言ってても、それを言ってる間中、言ってる本人は、何とも言えない、嫌な感じを味わっているんです。

わかりますか?

地獄言葉を言わない方がいい、何ていうことは、皆さん、知っているんです。

だけれども、自分が言わないのって、すごく難しいんですよ。
他人が地獄言葉を口にすると、すぐ条件反射的に注意をするけど、この世の中、自分が他人に言った通りに生きている人はどれぐらいいるんですか、っていう。


わかりますか?


相手のこともそうだけど、自分で自分のことを否定したり、責めたりするのはやめて行かなきゃ、なかなか幸せになれないですよ、って言いたいんです。

 

自分を幸せにできるのは自分しかいない


ちょっと話が寄り道するんですけれど、昔から私がお弟子さん達に教えてきたことは、人間として生まれてきた以上、最低一人は幸せにしなきゃいけない人がいるんだよ、ということなんです。

まずその人を幸せにしないと、他の人を幸せにすることはできません。

だから、その人をまず、最初に幸せにしてあげる。

それができてはじめて、もう一人、他の人を幸せにしてあげられます。

じゃあ、自分が幸せにしなきゃいけない人って、誰だと思いますか?


実は、自分自身なんです。

あなたがまず幸せにしてあげなきゃいけない人は、他の誰でもない、あなた自身です。


自分はまず自分自身を幸せにしなきゃならない・・・・・・という前提に立った時「他人の地獄言葉は注意するけど、自分も言ってるじゃないか」とか、自分に都合の悪いことを考えてはだめなのです。

だって、自分に都合の悪いことを考えていたら、自分が苦しくてしょうがないんです。


自分で自分の粗探しをする必要はないんです。

自分の良くないところは、周りがいくらでも指摘してくれる。

あなたはあなたの味方でいてあげてください。


特に、自分の至らなさを感じ、ダメな自分と勅命している時、どうか思い出して欲しいのです。

「最高に情けない、ダメな自分の一番の応援団は自分なんだ」

ということを。


応援なんてできませんよ、自分はこんなダメなのに・・・・・・と思いますか?

だからこそ、自分がなるんです。
一番の応援団に、自分がなってあげなきゃいけません。

ちなみに私は、絶対に自分を裏切ったりはしません。

だらしない自分の味方をしてくれる奇特な方はそういないだろうと思うからこそ、一人さんは絶対一人さんの味方なんです。

周囲の人たちに「一人さんはタフですね。全然、動じないね」と言われる理由は、そこだろうと思います。

そこが私の強さじゃないかと思うんです。


自分と他人の差を認める


自分も他人も「大切な存在同士だ」と互いに認め合いの世界が理想ですよ、という話なんですけれど。


一人ひとり、考え方も個性も、いろんなものが違う中で、「自分も素敵、あなたも素敵」というように認め合おうよ、と私が言ったのは、「お互い好きあいましょう」とか「仲良くしましょう」というのではないのです。

自分と他人との差を取るように心がけてみましょうよ、と言っているのです。


差を取るというのは、例えば、こういうことです。

自分は旦那さんを愛していて、家族を愛している。

それは素敵でしょ?

でも、10回離婚している人も素敵なんですよ。

「あの人ったらねぇ」って、批判の対象ではないのです。


あの人はあの人の人生を歩んでる、あなたはあなたの人生を歩んでる。

歩む人生は違っても、ともに魂の成長を目的に人生の旅路を往く旅人なんです。

だから、例えば、私は女性が好きです。

男性が好きな男性もいるんです。

それを第三者がとやかく言ったってしょうがない。

自分が正しくて、あなたが間違っている、というものではないのです(だからといって、私のことは狙わないでね)。


また、働き者の人がいます。

私、一人さんも働くことが大好きです。

一方、働いていない人もいるでしょう。

そういう人は、親御さんに養われているかも分からないし、一生かかっても使い切れないほどの財産を持っているのかもしれない。

ともかく、その人なりの事情があるんです。


だからといって、私のように、働くのが好きで好きでたまらない人間を、無理やり休ませようとするのは良くありません。

逆に、自分が働くのが好きだからといって、「だから、あなたも働きなさい」と言ったところで通らない。

生まれつき、働き者ではない人がいるんですよ。


「私はこれが好き。あなたはこれが好き。お互い、好きなことをやれてよかったね」

「そうだよね、幸せだよね、豊かだよね」

お互い大切な人同士、自分も我慢しないし相手にも我慢させない関係であったら、最高にハッピーだと思いませんか?


「私も生まれながらにして、すごい価値がある存在だけど、あなたも元から、すごい価値のある存在なんだよ」

「自分も素敵だけど、あなたも素敵だね」

そういうスタンスで話ができる世の中が、一番の理想なんです。


そしてこれが、一番の「さとり」なんです。

斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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