つまり人はみんな違うけど、誰もがこの世に必要で、意味のある存在だということ
人間はジグソーパズルみたいなもの
日本にはいろんな神様がいて、それぞれに名前がついています。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とか、天照大神(あまてらすおおみかみ)とかね。
だけどこの世は「ワンネス」といってい、あらゆるものが、ひとつの神様から生まれている。
つまり神様たちは、本来はひとつの「大きい神様(=万物の源であるエネルギー)」で、元を辿ればみんな同じなんです。
それから、人間や動物、植物、鉱物・・・・・といったすべての存在も、神様と同じもので作られているんだよね。
この世は「個」の集まりだけど、表面的に個に見えるだけで、本当はみんなが繋がっています。
分かりやすく言うと、俺たちはジグソーパズルのピースみたいなものなのだ。
形はそれぞれ違っても、みんな同じ素材でできている。
ピースを組み合わせるとピタッとはまって、一つの大きな作品ができるの。
ジグソーパズルって、どのピースが欠けても作品は完成しません。
つまり人はみんな違うけど、誰もがこの世に必要で、意味のある存在だということ。
みんな、すごい能力を持った神様なんだ。
でね、それぞれが自分らしく、本来の形でいられる場所にいると、パズルのピースがピタッとはまるの。
そうすると、ものすごくしっくりくる。
「私の人生はこれしかない」
っていう幸せを感じられるんだ。
わくわくや感動で満たされた楽しい世界で、そこに苦労は一切ない。
その反対に間違った道へ進んでしまうと、自分の形とは違う場所に行き着くから、そこに順応するためには、自分の形を変えなきゃいけなくなります。
自分を押し殺したり、自分らしくない姿になっり・・・。
本当の自分でいられないから、当たり前だけど辛くなるの。
だから苦しい時は、そこは自分のいるべき場所ではないということ。
その苦しみは、神様からの「あなたにふさわしい場所へ行ってください」というお知らせなんだ。
あなたの違和感が周り中に迷惑をかける
パズルって、似たような形のピースがたくさんあるんでしょ?
それと同じように、人間の世界にも自分にふさわしい場所のように見えるけど、本当は違う場所がいくつもあるの。
だけど自分のピースに似た形だから、みんな「ここが自分の居場所だ」って飛びつくんです。
もちろん、実際には自分の居場所じゃないから、
「何かおかしいぞ」
「居心地が悪いな」って違和感を抱くんだけど、
形がよく似ているから、グイッと体を押し込めちゃえば何とかなる理由。
明らかに治りが悪ければ「ここは自分の居場所じゃない」と分かるけど、ちょっと無理すれば治るだけに、違和感があっても気のせいだと思ってしまう。
で、違和感がありつつも何とかなれば、「やっぱりここでよかったんだ」って。
この勘違いが、大問題なんだよね。
みんなは「少々間違った場所でも、なんとかなるんだったらいいんじゃない?」って思うかもしれないけど、あなたがそこに座っていると他の人に迷惑なんです。
まず、あなたがいるせいで、本来そこに入るべき人が入れなくなるよね。
あなた自身も違和感のある場所で黒をしなきゃいけないけど、それと同時に他の誰かにも犠牲を強いることになるんです。
それから、あなたがどんなに我慢しようが努力しようが、その場所にピッタリ合う自分にはなれないの。
必ずどこか窮屈だったり、隙間が出来たりする。
例えばあなたが窮屈だと、どうしても隣の人をぎゅうぎゅう押すことになるよね?
そうすると、押された人も窮屈になるから、さらに隣の人を押す。
まるであなたを起点としたドミノ倒しみたいに、不快感が連鎖していきます。
あなたが間違った場所にいると、周り中に迷惑をかけることになる。
だからみんなのためにも、あなたは自分らしくいられる場所にいなきゃいけないんです。
自分らしくいることが一番幸せ
自分が苦しむことで、周りの人がで不快にする。
それって、神様がものすごく嫌うことなんだよね。
なぜかと言うと、人間は、地球でめいいっぱい楽しむために生まれてきたから。
この世に生まれる前、魂がまだあの世にいるときに、俺たちは神様にこう言われてきました。
「うんと楽しんで、幸せになりな」
その約束を果たすという義務を持って、みんなこの世に生を受けたんだよ。
あなたは神様との約束を果たすために、その命をいただいたんです。
その神様が、俺達に我慢や苦労を強いるはずがない。
神様は、あなたに「ここが私の居場所だ」って確信できるような、自分らしく楽しい人生を望んでいるんです。
そうやってみんなが自分のやりたいことをすれば、他人とぶつかることはないし、争いごともなくなる。
誰もが幸せになれるよね。
神様は、ジグソーパズルのピースを組み合わせた時に、完璧な素晴らしい絵が完成するようにこの世を作りました。
つまりこの地球は、自分らしくいれば輝けるし、ありのままの自分でいることが1番幸せになるっていう世界なの。
みんなが楽しく生きることで、完璧な素晴らしい世界が完成するんだよね。
にもかかわらず、人間はすぐに自分の居場所じゃない所へ行ってしまう。
その理由は、子供の時から
「楽しいことばかりしているとダメになる」
「我慢できない人間は社会で生きていけない」って教わるからです。
本当は自分が楽しくいられることをしたいのに、みんなに自慢できるような会社に就職しようとか、人にすごいって言われるような趣味を持とうとか。
自分の意見じゃなく、人がどう思うかで行動するようになってしまうんです。
我慢や努力が当たり前の、苦労が前提の人生になっているの。
それと世間では、自分より人を優先する「自己犠牲」が正しいと教え込まれるんだけど、一人さんに言わせたら、自己犠牲なんてとんでもない話です。
自分にすら優しくできないのに、どうやって人に優しくするんだろう。
不幸な人が、人の幸せを願うことなんかできるわけがない。
人に優しくできるのは、自分に優しくできる人だけだよ。
人に優しくしたいんだったら、まず自分自身を可愛がらなきゃいけないんです。
だからあなたは、堂々と我慢や努力のない人生を歩んでいいんだ。
あなたが好きなことを思う存分楽しめば、それが結果的に、周りの人のことも幸せにするし、社会のためにもなるからね。
世界は自分中心に回っているんだ
すごく陽気な女性がいたんです。
その女性がある時、こんなことを言ったの。
「私はいつも楽しいけど、時々不安になります。
もしかして、あの世へ行った時に罰を受けるんじゃないでしょうか・・・・・・・・」
どうしてそう思うのか聞いてみると、
「いつも誰かのために生きている人は天国へ行くと決まっているけれど、私は誰かのためにという意識を持ったことがないから」って。
あのね、そういう心配をするから天国へ行けなくなるんです。
心配しなくても、自分の好きなことを楽しんでいれば絶対に天国へ行けます。
ピタっと自分の方がハマる場所にいれば、それだけで周りの人助けをしているんだよね。
もう十分、社会の役に立っている。
あなたが自分の居場所で楽しんでいれば、周りの人も快適なんです。
それが神様の喜ぶ生き方であり、正しい道なの。
正しい道を歩んだ人が、地獄に堕ちるわけがないんだ。
世の中には、人の顔色ばかり伺って、我慢に我慢を重ねている人がいるよね。
で、不幸そうな顔をしながら、
「自分は何も悪いことをしていないし、こんなに周りを気を使いながら生きている。
せめて死後は天国へ行けるだろう」
思っているかもしれないけど、天国ってどんなところかと言うと、あなたみたいな人がいないところだよって。
我慢が染み付いた、暗い顔の人は天国にはいないんだ。
誰に遠慮することもありません。
あなたはとにかく楽しく生きたらいい。
そうすると、「世界は自分中心に回っているわけじゃない」とかって、水を差すようなことを言ってくる人がいるんだけど。
あのさ、自分中心に世界が回っていると思って何が悪いの?
この世には、一人ひとり「人生」という宇宙(世界)があるんです。
一人さんには、一人さんの宇宙がある。
あなたには、あなたの宇宙がある。
人生って、自分の宇宙なんだよ。
その宇宙が自分中心に回っているのは当然のことなのに、それを否定する人がいるから厄介なことになる。
せっかく人生を楽しんでいる人に、
「自分は変なのかな?」
「私は普通じゃない、おかしいんだ」なんて思わせるようなことを言っちゃいけないんです。
おしゃれや買い物が好きな人に、「サッカーに興味を持った方がいいよ」とか言われてスタジアムに連れて行かれても困るよね。
もちろん、サッカーがいけないとか、そういうことじゃないよ。
宇宙の違い、好みの問題なの。
人それぞれ違っていい。
みんな、自分の宇宙を好きに生きたらいいんだ。
人から信頼される秘訣は「遊び」です
仕事で成功しようと思ったら、まず人の信頼が欠かせないよね。
じゃあ、その信頼はどうすればえられますかというと、「遊び」なんです。
映画を観に行ったり、仲間と遊びに行ったり、うまいものを食べたり、温泉行ったり、エッチな本を見たり。
楽しければなんだっていい。
常に自分に楽しい思いをさせてあげるんだよね。
なぜ人の信頼を得るのに遊びが大事かと言うと、遊びもせず我慢ばかりしている人って、周りの人を信頼できないからです。
順を追って説明すると、こういうことです。
我慢ばっかりしてる人は、まず自分のことを好きになれません。
苦しい、辛い、やめたいって、そんなことばかり考えている自分を好きな人はいないでしょ?
で、好きでもない自分のことを信頼できるわけがない。
自分のことすら信じられない人は、当たり前だけど他の人のことだって信じられないんだよね。
そういう人は、誰からも好かれないんです。
だって考えてごらん。
あなたは、自分を信頼してくれない人を好きになれるかい?
遊びが足りない我慢ばかりの人ってね、いつも暗い顔をしていて、自分のことも、他の人のことも信頼できないの?
それじゃあ、周りが付いて来てくれないのは当然だよね。
昔は、社員旅行でも全員参加が当たり前だったんです。
みんなで行かなきゃいけないっていう変な空気があったから、行きたくない人も渋々参加していた。
だけど遊びを知っている社長だったら、たぶんこう言います。
「社員旅行のために用意したお金があるので、それをみんなに分配します。
それぞれ好きなように使っていいからね」
こういう社長、すごくかっこいいじゃない。
社員から信頼されそうでしょ?
自分が遊んでいる人は、他の人に対しても「こうすれば喜んでもらえらえる」というのが分かるから、すごく気が利くの。
遊んでいる人には、魅力があるんです。
だけど自分が遊んでいないと、周りの人の気持ちが分からないから魅力にも欠ける。
人は、自然と魅力があるものを選ぶ。
社長だって上司だって、魅力的な良い人の方がいいに決まっているし、そういう人が信頼されるのは当たり前なの。
追伸 信頼は、まず自分から
ユミ
信頼してあげようと思っていても、相手が自分の期待を裏切ったりした時などは、反射的に「もう、なんだよこの人!」と腹が立ってしまうこともあると思います。
どうすれば、もっと大きな心で相手を信じ来られるようになりますか?
斎藤一人さん
それは、自分を信じていないからだろうね。
自分の中にいる神のことも信じられないのに、人の神を信じられるはずがない。
自分のことが信じられるようになれば、「みんなの中にも、自分と同じように神が宿っているんだ」と思えるようになる。
だから、相手がどんなに失敗しようと、腹が立たなくなるんです。
自分や相手を信頼していると、表面的には失敗に見えるようなことが起きても、必ず「この失敗を経て、これから良い方へ向かうから大丈夫」って思えるの。
神は絶対に失敗しないという大前提で相手を見てあげられるから、失敗を失敗と捉えなくなるんだ。
わかるかい?
それなのに、普通の人は「あなたのこと、疑ってるよ」という波動を相手に送っちゃうからうまくいかないの。
そういう波動をキャッチすると、神はその後に見合うような現実を起こすことで、「その考えは間違いだよ」って教えてくれるんだよね。
一人さんのお弟子さん達って、俺と出会う前に成功していた人は一人もいないんです。
借金を抱えていたり、大赤字のお店を経営していたり・・・・・・。
だけど俺は信じていたよ、この人達も絶対に成功するって。
1%の疑いも持ったことがありません。
で、その通り、全員が大成功しちゃったんだよね。
なぜそんなに信じられるんですかって言うと、みんなの中に、同じように神がいることを知っているからだよ。
「ワンネス」という言葉があるんです。
全てのものは一つという意味なんだけど。
要は、この世のものは全て一つの神から生まれたものであって、みんな神と同じなんだよって。
俺たち人間も、神から分け御霊を頂いて生まれてきた神の子。
みんな、信じるに値する存在なんです。
でね、神というのは永遠なる進歩なんです。
進歩に終わりはなくて、常に進歩している途上にあるんだ。
自分に起こるどんな出来事も間違いではないし、誰もが成功に続く道を歩いているんだよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きもございません。
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