その人と一緒に暮らしていて、本当に自分は楽しくやっていけるかどうかを経済の観点から考えるということなんです。
- 「いい学校」っていうのは、「受かった学校」のことなんです
- 斎藤一人の結婚相談室
- 「迷ったら経済で考える」と解決するんだよ
- 神様がくれたアイデアはすぐ実行する!
- 追伸 神様は差を埋めるためのものを出してくれる
「いい学校」っていうのは、「受かった学校」のことなんです
ひとりさんが貫太の中学受験の時に、いいことを教えてくれました。
「あのな、かんちゃん。
偏差値の高い学校がいい学校じゃないんだよ。
いい学校っていうのは、受かった学校なんだ。
だって、自分のことを入れてくれたんだもんね。
だから、かんちゃんにとって良い学校は、入れてくれた学校のこと」
こう言われて、貫太は随分と気が楽になったと言ってました。
受験の相談で、よく、「いい学校へ入れるでしょうか」という人っていますよね。
では、どんなに評判がよかろうが、偏差値が高かろうが、自分の子供を落とすような学校は、その子にとって良い学校なんかじゃないんですよ。
だって、そこは自分の子に何もしてくれないんですもの。
第一志望の学校に落ちて、がっかりしている人もいますよね。
これも同じです。
合格した学校がいい学校なんです。
がっかりする必要なんかないんですよ。
全部落ちちゃったなんて人もいます。
そんな人も落ち込まなくて大丈夫。
そういう人は、きっと、学校向きじゃなかったんです。
社会向きなんです。
社会に出て働けば、楽しく幸せになれるようにできているんですよ。
親は子供の将来のことを考えます。
それで、高学歴でいい会社に就職することが子供にとっての幸せだと、つい思っちゃうんですよね。
それも無理はないと思うんです。
今までの日本は、サラリーマン社会を作ろうとしていて、そのために学校教育があったんですね。
それで、偏差値の高い学校出て大会社に入れば高収入を得られるということになっていたんです。
だから、親がそれを望むのも当然だったんです。
でも、これからは学歴の関係ない時代がやってくるようです。
最近よく、年功序列が崩れて、能力給の時代になってきたなんて聞きますよね。
つまり、どんなに学歴があろうと、どんなに有名な大企業に入ろうと、本人に能力がなければ収入にならない時代になるということなんです。
その代わり、能力さえあれば、学歴がなくても高収入を得られる時代だということでもあるんですね。
能力をつけるには、やっぱり本人にも向いた道を歩かなきゃダメなんです。
その子に向いた道を歩かせてあげるように、これからの親は考えた方がいいみたいですよ。
どんなに学校に入ろうと、その子の人生はそこで終わりじゃありません。
その先の方がずっと長いんです。
何が良かったかなんて、先へ行かなきゃわかりませんよね。
だったら、前向きに行きましょうよ。
そうすれば、「本当に、この学校がこの子にとって良い学校だったんだな」って思えるようになりますよ。
斎藤一人の結婚相談室
誰かと縁があって結婚したいと思えば、すればいいんです。
ただ、本当にそれがよかったのかどうかは、お互いに話し合ってみないと分からないことなんです。
それで、「本当によかったのかな」と思う時だってあるんですよね。
でもね、結婚したことを後悔する必要なんかはないんですよ。
この結婚は駄目だと思ったんなら、別れればいいんですから。
恋愛というのは一種の狂気ですから、ちょっと頭がおかしくなってしまうところがありますよね。
その勢いで結婚してしまうこともあるんです。
問題は、結婚した後に正気に戻ってから、どう考えるかなんですよ。
この人と一緒にいていいのか、それとも一緒にいない方がいいのか。
これを判断する時が来るということなんです。
でも、人生で大事な選択をする時、判断するのに迷っちゃうことってありますよね。
昔の私も、もちろんそうでした。
私はそんな時いつもひとりさんに相談していました。
そして、ある時ひとりさんがとても便利な考え方を教えてくれました。
「迷ったら経済で考える」と解決するんだよ
それがこの言葉なんです。
「それはね、経済で考えると分かるんだよ」
人生の選択で迷ったら経済で考えてみる。
これがコツなんです。
じゃあ、ここでね、結婚を経済で考えてみましょうか。
これは結婚について、単純にそろばんを弾いてみるというのとは違うんです。
この人は将来いくら稼いでくるんだろうとか、10年後には部長に出世して年収がいくらになっているはずだとかいうような、単純な金額上の損得を計算するということじゃないんですよ。
その人と一緒に暮らしていて、本当に自分は楽しくやっていけるかどうかを経済の観点から考えるということなんです。
楽しくやっていくにはお金がかかります。
美味しいものを食べたいし、洋服やバッグも欲しい、たまには旅行だってしたいですよね。
子供が欲しいと思っても、お金がなければ育てていけませんものね。
結婚してからしばらくたち、頭が正気になった時、二人にはお金が足りないと気づいたとします。
その時に、「なんで結婚したんだろう」ってぐずぐずと思っているだけで、いつまでも何もしようとしないような亭主なら、別れてしまえばいいんです。
だって、一緒に暮らしていても楽しくありませんもの。
でも、この時に、「よし、何とかしよう」と思って行動するような亭主なら、たとえ、結局は稼ぎが足りないままでも、楽しく暮らせるかもしれません。
亭主の稼ぎが足りないなら、奥さんが自分で働いてそのぶんを稼げばいいだけです。
ただ、奥さんが働こうとすると、嫌な顔をするような亭主だったら、やっぱり駄目です。
楽しくなくなっちゃいますからね。
逆に、働くの応援してくれるような亭主なら、奥さんが2人ぶん稼いじゃって亭主を食わせてしまうという、これまでの逆バージョンだって、楽しく一緒に暮らせるかもしれません。
こんなふうに、楽しく暮らすのに必要なお金をどうするかと考えれば、二人で暮らすことが楽しいかどうか、はっきりしてくるんですよ。
結婚を経済で考えるというのは、こういうことなんです。
人生の選択で迷ったら、自分が幸せになるのに必要なお金はどうするのかと考えれば、答えが見えてきます。
ここで中心になるのは、「自分が幸せになる」ということなんです。
そして、それをはっきりさせるのが、「お金をどうするか」なんですね。
これが一人さんの教えてくれた「経済で考えてみる」ということなんです。
ところで、楽しく一緒に暮らせるかどうかを考えて、片方が嫌だと思えば、離婚すればいいんですけれど、なかなか踏み切れないという人がいますよね。。
私にもそんな経験がありました。
私は、元の夫と一緒にいない方が幸せになれそうな気がしていました。
でも、夫は本当にいい人だったんですよ。
だから、どうしても躊躇してしまっていたんですね。
それで、私はひとりさんに相談したんです。
それとひとりさんは、いつものあの温かい声で、こう教えてくれたんですよ。
「おまっちゃん、人間というのはね、二人でも生きられる。
でも、ひとりでも生きられるんだよ。
本当は自分がどうしたいのか、それを考えて決めればいいんだよ」
私はひとりさんの言葉を聞いて、とても勇気が湧いてきたんです。
それで、私は二人で幸せに生きられないかと、色々と試行錯誤してみたんですよ。
夫も私の考え方を理解しようとして、協力してくれたんです。
そして、一人で生きる方が幸せだと確信した時に、二人は別れることにしました。
そこには嫌な気持ちなんか微塵もなかったんです。
むしろ、結婚から大事なことを学び終えて、「結婚を卒業する」という爽やかな気持ちだったんですよ。
人間は一人でも生きられます。
そちらの方が楽しければ、そうすればいいんですよ。
神様がくれたアイデアはすぐ実行する!
突然、頭の中にポンとアイデアが出ることがありますよね。
でも、人によっては「こんな思いつき、きっとダメよね」とか、「私の考えたことなんか」って思っちゃって、実行しないんです。
これは、本当にもったいないですよ。
だって、こういう時のアイデアは大抵いけるんですから。
自分が信じられないから、実行しないんですよね。
そんな人にいいこと教えちゃいます。
考えがポンと閃いたら、「これは神様のくれたアイデアだ」と思ってください。
これなら、どんなアイデアだって「すごいんだ」と信じられるでしょう。
なにせ、神様がくれたんですから。
ひとりさんが教えてくれたんですけれど、アイデアをくれた神様自分の中にいるんだそうです。
「自分が考えたんじゃない。
神様がくれたんだ」と覚えておいて、これからは自信を持って、いいアイデアをバンバン実行しちゃいましょう。
追伸 神様は差を埋めるためのものを出してくれる
恵美子さんは昔、東京から地元の北海道に戻って指圧の治療院を開業した頃、「自分の生まれ小境である上士幌町に観音様を建てたい」と思いました。
その頃の恵美子さんは寄付ができるほど儲かっていたわけじゃないし、観音様を建てるだけの貯金があったわけでもありません。
ただ、「生まれ育った故郷に何かご恩返しがしたい」「観音様があれば、そこに住む人の心を暖かくすることができるかな」という想いがあっただけです。
私がこの観音様の話を聞いた時、私は恵美子さんに「きっと叶うよ」って言いました。
それから数年後、えみこさんは立派な観音様を建てることができたのです。
では、なぜえみこさんが観音様を建てることができたかと言うと、まずは「観音様を建てる」という目的ができたからです。
それも「見栄をはりたい」とか「税金を払うのがもったいないから」というわけではなく、「お世話になった人や土地にご恩返しがしたい」という気持ちでした。
そうやって「観音様が欲しい」ではなく、「観音様を建てられるだけの寄付ができるくらい豊かになりたい」という目的を持って、さらに自分のエゴからではなく、「自分にもいいけど他人にもいい」という道を歩き出した時、必ずその目的を達成するために必要なものが引き寄せられるのです。
もう少し具体的に言うと、「観音様を建てたい」と相った時の恵美子さんと、「観音様を建てられるくらいに豊か」な恵美子さんには差がありました。
その差を埋めるためのものを、そこに向かう道の途中で「まずはこれ」「次はこれ」と次々と引き寄せていったのです。
富士山に登るのもスタートは登山口からですよね。
それをいきなり10合目の頂上に着きたいっていうのは無理なこと。
5合目までは車で行けても、後は一歩一歩、自分の足で登っていくしかありません。
神様は豊宝、恵美子さんを今すぐ「観音様が建てられるくらいに豊か」にすることなど簡単にできます。
でもそれでは、恵美子さんのためになりません。
豊かになることも大事ですが、その過程の学びと成長も同じくらい大切なのです。
それと、「自分のため、そして人の為」ってやっていると神様はひらめきをくれます。
でもそのアイデアを「自分が考え出したんだ」と思い出すと、うぬぼれや過信につながって、神とは違うところと繋がるのです。
人生がうまくいってない人でも閃きは起こります。
ただ、そのひらめきがどこから来たひらめきかが重要なのです。
「自分だけ良ければ」とか「自分さえ我慢すれば」というのは悪魔のささやきです。
天のひらめきは常に「四方よし」になります。
そのひらめきを次、また次とこなしていけば、必ずその道は幸せに、そして成功につながっているのです。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
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