命をもらっているし、名前も貰っている。
それに、こんなに働き者に生んでくれた。
こんなに働けるなんて、これが何よりの財産だよね。
嫁と姑の問題だって、特別なものと思わないことです
嫁と姑という関係で困っているという話はよくありますよね。
きっと相手の立場や自分の立場に気を使いすぎるんだと思うんです。
私にも、そういうことはありました。
私の場合、「いい嫁だと言われたい」と思ってしまったので、疲れちゃったんですね。
「お姑さんに悪く思われたくない」、「こんなふうに思われたら嫌だ」、そんなことばかり考えていました。
そして、「自分はこうしたいけれど、お義母さんはそれを良く思わないんじゃないか」と思って、自分を殺してしまっていたんです。
自分のやりたいことをする時には、お姑さんに隠れてしていたんですよ。
だから、お姑さんといる時には、いつも居心地の悪い気分になっていたんです。
それで、私はひとりさんに嫁と姑の問題についても相談したことがあって、
「嫁って難しいね。
お姑さんとどうしてもうまくいかないの。
なんでだろう?」と尋ねたんです。
するとね、ひとりさんはとても朗らかに、こう教えてくれました。
「本当に、おまっちゃんが嫁だから、お姑さんとはうまくいかないのかい?
もし、本当に嫁だからというのが理由で気疲れしたり、仲が悪かったりするんだとしたら、それは絶対に解決しないよ。
だって、結婚している以上は、嫁、姑という立場は変わらないんだからね。
それが当たり前なんだから、悩む必要もない。
ずっとそのまま、気疲れしたり、喧嘩したりしてればいいんだよ。
でも、本当はね、嫁と姑だから仲が悪いんじゃないんだ。
女と女のぶつかり合いで仲が悪いだけなんだよ。
うまくいっていないのは、おまっちゃんとお姑さんとの間に、ちゃんとした人間関係が作れていないからなんだね」
私は、「あっ!」と思いました。
一人さんに言われて、今まで私のしていたことは間違っていたと気づいたんです。
お姑さんに変な遠慮をするなんて、愛とは違うとわかったんですよ。
だって、自分のことを悪く思われたくないから遠慮するなんて、実はちっとも相手のことを考えていませんもの。
こんなの、ただの利己主義なんです。
それからは、「私はこんな人です」というのをちゃんと出すようにしました。
夫のお母さんというのを意識せず、人間としての普通の付き合いとして考えるようになったんです。
そして、昔は嫁だった私も、今は息子たちが結婚して、お姑さんの立場になりました。
でも、「嫁だから」「姑だから」というのは一切言わないことにしています。
うちのお嫁さんは敬子さん、洋子さんと言うんですが、私は「けいこちゃん」「ようこちゃん」と呼びますし、二人は私の事を「和美さん」と呼びます。
だって、私は「姑」という人間ではないし、二人は「嫁」という人間ではないんです。
あくまでも、一人の女として、もう一人の女性と付き合うんですから、名前で呼び合うのは自然なことですものね。
もちろん、呼び方なんかはどっちでもいいんです。
「お母さん」と呼ぶのが自然なら、それでも構いません。
大事なのは、嫁と姑の関係を特別なものと思わないことです。
他の人と付き合うのと同じことで、人間と人間の付き合いなんだと忘れないことなんです。
そうすれば、その人のことを思いやれるし、愛することもできるんですよ。
相手の立場に立てれば、すべてはうまくいくんです
ある日、私はいつもの喫茶店に通い、ひとりさんのお話を聞いていました。
一人さんの周りには四、五人の人が集まって、ひとりさんの楽しいお話を聞いて笑ったり、何かと相談にのってもらったりしていたんです。
ある日、私たちの中のある女性が、ひとりさんにこんな愚痴をこぼしたんですよ。
「夫の母親が寝たきりになって、長男の嫁である自分が介護しているんです。
長男の嫁だからって、どうしてこんなことをしなきゃいけないんでしょう」
介護って本当に大変です。
それでこの人も、ひとりさんに慰めてもらいたくて、つい、言うっちゃったんだと思うんです。
でも、この時ひとりさんが彼女に言ってあげたのは、ちょっと意外な、こんな言葉でした。
「それはね、そもそもの考え方が間違っているんだ。
義務で介護される人の立場にもなってみな。
義務でいやいや面倒を見られて、自分のパンツまで変えてもらったりしたら、どう思う?
『死んでしまったほうがましだ』という気持ちになっちゃわないかい?
義務なんか持ち出されるくらくらいなら、いっそのこと、
『どうしてもあなたのことを介護する気になれない、わるい悪いね』
と言われた方が、マシなぐらいだよ。
本当はそうじゃないんだ。
介護が必要な人を放っておいたら、自分の良心の呵責があって嫌だから、介護しようという気になったはずなんだよ。
面倒を見てあげたいという自分の気持ちをスッキリさせるために、介護をしているんだ。
それなのに、『嫁の義務だから』なんてつまらない事を言い出すから、『やらされている』という気になってしまうんだよ。
面倒を見たいからなんだと思えばいいんだけれど、嫁だからと思ってしまうのは悲しくないかい?」
その女性は一人さんの言葉を聞いて、初めのうちは驚いていました。
彼女はひとりさんが慰めの言葉をかけてくれると思い込んでいたんですね。
でも、しばらくして、彼女はこう言ったんですよ。
「おっしゃる通りでした。
私が行ってあげたかったからなんですね」
その時の彼女には笑顔が戻り、なんだか輝いて見えました。
ひとりさんは、慰めの言葉をかけることより、彼女の本当の気持ちに気付かせてあげることのほうがもっと大切だとわかっていたんですね。
そのおかげで、彼女は元気を取り戻すことができたんです。
この話の女性と同じような問題で悩んでる人は多いですよね。
うちのスタッフは女性が多いので、中には、「嫁だから面倒を見なきゃいけないんです」という人も、やっぱりいるんですよ。
私はそんな人に、ひとりさんに教わったことを思い出して、こう尋ねます。
「本当に、嫁だから面倒を見るの?
それって、介護される人が望んでいるのかな」
そう言うと、みんな考え込むんですよ。
そして、
「私が面倒を見ないと気が済まないからですね」
と気づくんです。
もし、できるだけのことはしてあげたいと思うけれど、忙しくて時間がないというのなら、必ず自分で直接面倒を見なければいけないというわけじゃありません。
働いてたくさん稼げるのなら、そのお金で専門の人にお願いすれば、自分でするよりもよっぽどレベルの高い介護をしてあげられます。
面倒を見てあげたいという気持ちがあるかどうか、これがまず大切なんですよ。
もし、そういう気持ちがあるのなら、ちゃんと「自分がそうしたいからなんだ」と自覚して、自分にできる形で面倒を見てあげましょう。
遺産よりすごい財産があなたの中に三つあります!!
死んだ人のお金がもらえないからといって喧嘩するなんて、心が貧しいですよね。
そういえば、親の遺産を巡って喧嘩をして、親戚が法事にも来ないという話をしていた人がいました。
その人の場合、そんな親戚と付き合わなくなっただけ、絶縁してよかったのかもしれませんね。
少し前に父が病気で危なかった時、親戚が遺産の事を言ってきたことがありました。
でも、私は、「好きなだけ持っていけばいいじゃん。
私ががんばって働くわ」と思っていたんですよ。
昔、周りの人からもよく言われていたんです。
「おまっちゃんはいいよね。
お父さんから財産を受け継ぐことができるし」ってね。
その頃、私はそんなことを全然考えたこともなかったんですよ。
父も私に言ったことがあります。
「お前にはまとまった財産を残してやるから」とかね。
でも、ある時私は両親にはっきりと言ったんですよ。
「その財産は、お父さんとお母さんの二人で稼いだもので、私が稼いだんじゃないの。
私が欲しいとも思わない。
悪いけれど、自分たちで作ったお金は、生きているうちに全部使ってしまってね」
父では私の先々のことを心配して、遺産を残そうとしてくれているのはよくわかるんです。
でもね、遺産をもらわずに、もし、私が稼げなくて野垂れ死にするのだったら、それまでの人生なんです。
私は、人のお金をあてにするような、そんな惨めな生き方はしたくないと思ったんですよ。
私がこんなふうに思えるようになったのには、もちろん、一人さんの影響がありました。
ひとりさんが、私にこう教えてくれたことがあるんです。
「俺たちは、親から遺産なんかより、もっとすごいものをもらっているよね。
命をもらっているし、名前も貰っている。
それに、こんなに働き者に生んでくれた。
こんなに働けるなんて、これが何よりの財産だよね」
遺産なんか当てにするからいけないんです。
偶然に入ってくるお金ほどありがたいものはないかもしれません。
でも、それがなくても生きられる自分になろうと思った方が、もっとがんばれますよ。
追伸 粗末にしたものが原因となる
因果とは、自分が粗末にしたもので困るようになっているんです。
例えば、これは私が思うことですが、前世で自殺なんかしちゃうと、今世で死にたくない時に死んじゃうの。
子供がまだ小さくて、これからという時に死んだりすると、そこで命の大切さを知るんだよ。
一例です。
今世でお金に困っている人は、前世でお金がある時に、お金を粗末に扱ったんだよ。
だから今世でお金の大切さを学んでいるの。
「彼氏ができないんです」っていう人がいると、その人はできないから欲しいんであって、彼氏がいたらまた粗末にするかもしれない。
だからできないことで学んでいるんだよね。
子供が欲しいのにできない人は、前世で子供を粗末にしたんだよ。
だから今世でそれを学んでいるの。
嫁とか姑とか、仲の悪い人は1000年くらいずっと仲が悪いの。
それを今、魂的に解決しに来てるんだよね。
それで今は自分がやられてるから相手が悪いって言うけど、前世が同じことを自分がやってたの。
それで今度はやられる立場になって、自分が過去に行ったことを学んでるんだよ。
だけど私はそれを、自分がやったことだから我慢しなさいって言ってるんじゃないからね。
我慢するとそこから恨みが出て、同じ事を延々と繰り返してしまいます。
いじめることも、いじめられることもいけないの。
でもこれは前世の因果だから。
相手を恨んでまた新たな因果を作るんじゃなく、「いけないこ」とに気づいて、やらないようにすればいいんです。
嫁と姑の問題であなたが嫁だとすれば、この因果を終わりにするためにまず会いに行かないとか、距離を取るようにすればいいの。
「親子だからそんなことできない」とか「行かないと何を言われるか分からない」って言う人がいるけれど、そういう人はまだ因果がわかってないんだよね。
「自分がやられたからやってる」では因果はいつまでたっても消えません。
私たちが前世からやってることをなぜ気づかないかと言うと、過去世のことは覚えてないんです。
だから、自分がやったことをやられてるとは思えないの。
それでなぜ覚えていないかというと、覚えてない必要があるから覚えてない。
例えば前世で憎み合ってる人同士が今世で会うと、今世でもいがみ合ってるのに、さらに前世のことも覚えてたら「前世でこんなことされた」とか「あんなことされた」と恨みが出て大変なことになっちゃうからね。
麻雀とかでも、ゲームが終わったら全部チャラにしてまた新しいゲームを始めるけど、それと同じで一旦ゼロにする必要があるんだよね。
私たちは魂が成長して、許し合えるようになるんだよ。
それでいきなり許せない場合は、距離を置けばいいの。
繰り返しますが、「私が昔やったことだから我慢しよう」とすると、我慢から恨みしか出ないの。
それで「私はこんなにやってるのに、あの人は・・・」と、
さらにその恨みが増すんだよね。
だからまず、距離を置けばいい。
「やったからやられてもしょうがない」では因果が巡るだけで解決しないんです。
それでやられてるほうも、やってるほうも、どちらかが気がついたら距離を置くようにするんです。
交通事故と同じで、どちらかが避ければお互いには衝突しないんです。
お互いに避けないからぶつかるんだよね。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。
お世話になっております。
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