この本には、日本が日露戦争で大国ロシアを破るまでの過程が描かれているんだ。
馬から降りた弱兵が馬上の強兵に勝つ
一人さんは、1日2冊ぐらい本を読むほどの大の本好きです。
そのことが世間にも知られているようで、時々私も人から、
「斉藤さんって、どんな本を読んでいるんですか?」
と、聞かれることがあります。
私も自分で会社をやっているので、逐一読んだ本をチェックすることなどできないのですが、経済や経営、政治、哲学の本から、小説、エッセイ、詩集、あらゆる本を読んでいるようです。
その中でも司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』は、すごく楽しんで読んでいた本のひとつです。
「小説の中に商売のコツがあるとは思えない。
でも、一人さんはすごく楽しそうな顔をして読んでるのね。
何かいいこと書いてあるんですか?」
そう尋ねた私に、一人さんは、こんなことを教えてくれました。
えみちゃんのご指摘の通りだね。
本を読んでるだけで、商売が上手いこと行くことはないよ。
ただ、この小説は面白いの。
この本には、日本が日露戦争で大国ロシアを破るまでの過程が描かれているんだ。
当時、日本とロシアの兵力を比較すると、ロシアの方が圧倒的に上だった。
特にロシアのバルチック艦隊とコサック騎兵集団は世界最強。
計算上、日本が勝てる見込みなんて、ほとんどなかったんだよ。
それで、この小説の登場人物ですで秋山兄弟っていうのが出てくるんだけど、秋山兄弟っていうのは、兄貴の好古っていうのが騎兵団の頂で、弟の真之が東郷平八郎の参謀をしてた。
それで、好古はコサック騎兵集団もびっくり腰抜かすぐらいの奇術をやった人なんだ。
冬至、日本の騎兵隊はできたばかり。
コサック騎兵集団とはどうやったって互角に戦えない。
そこで、好古が考えた戦術というのが痛快なの。
それは敵がやって来たら馬から降りるっていう戦術なんだ。
ただし、ただ馬から降りたんでは敵にやられる。
だから、好古は、戦争が始まる前に、軍部のお偉方に頼み込んで背中に背負える機関銃を買ってもらった。
これを部下たちに持たせたの。
それで、敵が来たら馬から降りて、馬を後方の安全な場所に隠す。
それで、奇兵隊が地面に這いつくばって機関銃を撃つ。
奇兵隊って、馬に乗る兵隊だよ。
それが馬から降りて地面に這いつくばるって、常識では考えられないことなんだよ。
それを騎兵隊の連中にやらせたんだよ。
だけど、そのおかげで日本の未熟な騎兵隊は敵を打ち破ることができたの。
で、一方、弟の真之は何をしたかと言うと、日本の連合艦隊は日本海海戦でバルチック艦隊を迎え撃つんだけど、その時向かってくる敵艦隊の目の前でいきなりぐるっと回って、敵の進路を遮断するっていう戦術を考えた人なんだ。
敵の前で急転するって、ヨーロッパの海軍戦術の常識ではタブーなんだよ。
船の形を思い浮かべてごらん、縦長でしょ。
ということは、船の側面は面積がでかいんだよ。
船首めがけて大砲を打つより、船の横っ腹に向けて打った方が命中率は高いの。
しかも、戦艦は巨大だよね。
その巨大な戦艦が曲がる時はうんと減速する、動かざる面になっちゃう、敵にとっては格好の標的なんだよ。
でも、日本の連合艦隊はそれをやりながら射撃の命中率が上がる距離まで敵艦隊に近づいてって、集中攻撃した。
それで、世界最強のバルチック艦隊が負けたんだよ。
人間って知恵を出せば、今持ってるものでとんでもない事ができるんだね。
なのにね、当時の日本陸軍には、知恵もださず、部下に、
「根性で敵をやっつけて来い」
って言った奴もいたんだよ。
そいつは乃木大将の散歩をやってた人なんだけど。
ロシアは根性で勝てるような相手じゃないんだよ。
事実、乃木軍の兵隊は二百三高地でバタバタ死んだ。
だから、陸軍の偉い人達から怒られちゃうんだけど、そいつは上の人達に、
「勝てないのは、兵隊が足りないから、大砲が足りないから」
って、文句ばっかり言ってたの。
しかも、海軍から、
「大砲渡すからこれで二百三高地を落としてくれ」
って提案があったんだけど、そいつは大砲の専門家だったの。
で、専門家のアタマで考えると海軍の提案むちゃくちゃだ、みたいなことをいって海軍の提案をはねのけた。
でも、そうかといって代替案を出そうとはしなかった、あれがない、これが足りないってぐちゃぐちゃ言ってたの。
それで乃木軍は蜂の巣にされてたんだよ。
ところが、いい加減偉い人たちも堪忍袋の緒が切れて、
「お前もういいから、ここは退け」と。
それで、海軍の大砲で二百三高地を攻めたら、何のことない、落ちちゃった。
自分の目の前に大きな壁が立ちはだかってるとき、今あるものを100%活かして相手に勝つ知恵を出すか。
それとも、今持ってる力を生かそうともせずに、「あれがないこれがない」ってグチャグチャ言うか。
これが勝ち負けの分かれ道なんだね。
いや、実に面白いよ。
一人さんがあまりにも楽しそうに話すので私もつい読みたくなってしまいました。
それで、実際に読んでみたんですが、本当に面白い。
以来、私は、一人さんが「これは面白いよ」と、教えてくれた本を積極的に読むようになりました。
昔の私は、時代小説を読むのが苦手でしたが、今では大好きになってしまいました。
一人さんの鳥小屋論
一人さんは、昔から鳥小屋論という考え方を持っている人です。
鳥小屋論とは、どういう考え方かというと、
基本線「どんなときも、生まれてきて幸せだと思おう」という精神論は敷くけれど、あとは各人の自由意志に基づいて行動するというものです。
鳥をちっちゃな鳥かごに入れておくと、かわいそうになる。
狭いと苦しくなるじゃん。
でも、でかい鳥小屋だったら楽なんだよね。
成功のhow toっていうのがあるでしょう。
成功する方法ってことだよね。
でもね、あーやって決め事を作っちゃうと、それは失敗になっちゃう。
なぜかと言うと、人はそれぞれ得意、不得意が違うんだよ。
感性も考え方も、全て違うんだよ。
それが人の個性なんだよね。
それで、その個性にいい、悪いはないの。
ただ、人と違ってるだけなんだよ。
だけど、そのやり方ができなかった人は、
「自分にはできない。自分はダメなんだ」
と思ってしまって、しまいには何もやらなくなっちゃう。
だから、鳥小屋を大きくしておいて、自由にさせといた方がいいんだよ。
そういう考えの師匠を持つと、弟子は自由気ままでいいものです。
でも、それが為に自由気ままが行き過ぎて、反省することも多々ありました。
そんな時の一人さんは、
「えみちゃん、必要以上の努力して、辛くなっちゃいけないよ」って言うだけ。
具体的にああしろ、こうしろと指示しません。
そんな一人さんに対して、私は一度、
「私にとって、一人さんは師匠です。
師匠なのに、どうしてでしょう矯正しようとしないんですか?」
と言ったことがありました。
その時、一人さんはこう言ったんです。
俺は人生を修行だと捉えている。
幸せになるためのね。
人生の中で色んな経験をして、あっちぶつかり、こっちぶつかりしながら、幸せな人間になっていく。
俺たちは商人だから、商売を通じてその修行をしているんだよ。
えみちゃんは、人よりうんとバイタリティがあるぶん、ぶつかった時の勢いがすごいと思うよ。
痛いだろうなって思うこともある。
だけど、えみちゃんは、このやり方でないと修行できない人なんだと思って、俺は黙って見てることにしているんだよ。
正直なことを言うと、本当はこのやり方が一番いいのになって思うことがあるよ。
でも、えみちゃんはこのやり方でしか修行ができないんだよ。
なぜって、俺は、えみちゃんじゃない。
えみちゃんも、俺じゃない。
それぞれ個性が違うように、その人に課せられた修行も違うの。
俺は、俺のやり方で修行するようになっているし、それが必要なんだ。
だから、えみちゃんは、そのやり方がえみちゃんにとって必要なものなんだよ。
中村天風さんっていう人がいるよね。
あの人がお師匠さんとヒマラヤだったか、とにかく高い山の、崖っぷちにある細い道を歩いていたんだって。
一歩踏み外せば奈落の底だから、天風さんはおっかなくて仕方がないく。
それで、お師匠さんに、
「こんなところを歩いていたら危険です。
落ちたらどうするんですか」
みたいなことを言ったの。
そしたら、そのお師匠さんの言ったことがすごい。
「何の必要があって?」
要するに、何の必要があって谷底へ落ちなきゃいけないんだと。
落ちる必要がないから、自分は落ちないんだっていうことだよね。
そのお師匠さんの言うとおりだよね。
危険な場所を歩いているから落ちるんじゃない。
危険じゃないところは歩いていても、死ぬときは死ぬんだよ。
ヒマラヤじゃなく、東京にいても死ぬ時は死ぬからね。
それで、その後師匠さんの考え方を発展させると、必要のないことは起こらないってなる。
だから、えみちゃんはえみちゃんのやり方で修行する必要があるし、そのやり方で蹴躓いても、それは必要なものなんだ。
例え、俺が、そんなやり方はやめて、この方法でいけって言っても、きっと恵美ちゃんの心の中には納得できない何かがあるよ。
だから、人生って、あっちぶつかり、こっちぶつかりしながら行くようになっているの。
それで、人生の修行って、自分がするものなの。
人生の修行は、早く終える必要はないんだよ。
早く悟る必要もない。
人間っていうのは、悟るべき時が来れば、勝手に悟るものなの。
それで、悟ることが目的じゃないんだ。
悟る時が来るまで、えっちら、ほっちら過程を楽しんでればいいの。
こういう精神的な話は、無理して理解する必要はない。
無理して覚える必要もないよ。
その時、その人が必要なことがスーッと入っていくものだから。
それで、必要な時に、必要なことがアタマに出てくるから。
学校の勉強と違って、なぜか必要なことは覚えてる。
覚えていることが、その人にとって必要なことだからね。
ついてる人間はどこまでもついている
「ついてる人間は、どこまでもついている」
一人さんはそう言います。
この言葉の通り、あの気づきのすぐ後、私についてる出来事がありました。
あの後、私は仕事で上京し、タクシーに乗りました。
「赤坂プリンスまで行ってください」
と、私が行き先を告げると、運転手さんが振り返って、私の顔をじっと見るんです。
それで、何を思ったのか知らないけれど、外国人のイントネーションで、
「アカサカプリンセス、デスネ」と言うんです。
でも、その運転手さんの顔は、どう見ても日本人なんです。
私は不思議に思い、
「運転手さんは、外国の方なんですか?」
と尋ねるのですが、運転手さんは、
「イイエ、ワタシハ、ニホンジン、デス」という。
それで、さらに、
「どうして、そんなことするんです? いつもそんな調子なんですか?」
と質問すると、
「ワタシハ、コウイウノ、スキ、ナンデス。
デモ、イツモ、コウデハ、アリマセン。
オキャクサンノカオ、ミテ、オキャクサン二、アワセマス」
その、お客さんに会わせてっていうのが、私としては、嬉しいような、悲しいような・・・・・・。
でも、その運転手さんとの会話はめちゃくちゃ楽しい。
いろんなことをお話ししたんですが、そのうち仕事の話題になり、私がまるかんの仕事をしていることを話したんです。
すると、その運転手さんは驚いて、今度は日本語口調で、
「エッ、あの斎藤一人さんのまるかんですか?
私、斉藤さんのファンで、本、全部持ってます。
何十回も読みました」
この人はものスゴイ・・・・・・・・。
私はそう思いました。
というのも、一人さんの弟子である私ですが、一人さんの本を何十回も読みませんから。
でも、もっとすごいと思ったのは、運転手さんのこの言葉。
「私、お客さんに会わせて、楽しいことをやるのが好きなんですよ。
面白くなさそうな顔をしたお客さんが乗車してきても、
『今この場を、どうやって楽しんでもらおうかな』
って考え、それをやっています。
そうすると、仕事が楽しいですよ。
24時間楽しいですね。
寝てる間も楽しい夢を見るし、朝は喜びで目覚められるんです」
タクシーの運転手さんは、楽な仕事ではないと聞きます。
それなのに、この運転手さんはそこに楽しさを見出し、人を楽しませようとしている。
一人さんは、いつも
「どんな仕事でも、それを楽しく行っちゃう人が成功者なんだ」
と言いますが、この人はまさしく成功者でしょ。
そして、私は、つくづく思いました。
「人は皆、幸せになるために生まれてきたんだ。
だから、私もあの運転手さんみたく、どんな状況にあっても楽しさを見出し、人に楽しさ、喜びを与えられる人間でありたいな」
そして、そう思わせてくれた運転士さんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
嬉しさのあまり、私を一人さんにそのことを報告すると、一人さんはニコニコしながら、こう言っていました。
「確かに、その人は成功者だよ。
考え方でこれだけ自分の仕事を楽しくて、人生は楽しくて、人様も楽しくしちゃえるなんてスゴイ。
こういう考え方は、俺たちの仕事でも、何にでも応用できる。
この話を聞けてついてるな、俺も真似するよ」
他の場所にも、その運転手さんみたいな成功者はたくさんいる。
パートの人でも、交通整理の人でもいるんだよ。
俺に学ばせてくれる人がいっぱいいる。
生まれてきて幸せだと思うよ」
私も、これからもっとたくさんの成功者に出会いたいと思います。
そして、いいことは「マネ」びたいと思います。
皆さんの周りに、楽しいことをやっている人がいたら、是非紹介してくださいね。
追伸 「ついてる」という言葉がくれたもの
「ついてる」
私は、この言葉を毎日1000回口にすることを日課にしています。
師匠である一人さんがこの言葉を口癖にしているからではありません。
年に1度か2度ぐらいしか言うことのない、この言葉を、毎日1000回口にすることが楽しく、また、この言葉を言っていると、エネルギッシュになるからです。
ですから、私は自分の会社のスタッフ達にも、この言葉はできるだけ口にするように勧めています。
そのことを知った一人さんからは、
「えみちゃん、俺はこの言葉が好きだから言ってるだけなんだよ。
だから、人様に強要するのはどんなものかと思うけど」
と言われたのですが、私は鳥小屋論という持論を持つ師匠の下で修行を積んだ弟子ですから。
でも、かつて、一時期、私にはこの言葉を言わなかったことがありました。
「この言葉の力を借りなくても、今の私には全ての事を肯定的に考えられる」
というような過信が、心のどこかにあったのかもしれません。
ところが、あることがきっかけで、「ついてる」という言葉の不思議な力を再認識し、日課として毎日1000回口にするようになったのです。
そのきっかけとは、ある日突然、自分の体に訪れた体調の変化。
元々、私は体育会系ですから、体力にすごく自信があったんです。
今日は沖縄、明日は北海道で、睡眠時間は2、3時間、というようなビジネスライフも難なくこなしていましたし、それが大変なことだとも思っていませんでした。
よく、マルカン以外の方たちから、
「まるかんの人たちは、ものすごくバイタリティがありますね」
と言っていただくのですが、その中でも私はナンバー・ワンだと言われることだったんです。
それなのに、ある時突然、自分の体が思うように動いてくれなくなったんです。
日中は、スタッフ達の前ではつらつとしている風を装いつつも、体が重くて、重くて仕方がない。
朝、ベッドから起き上がるのにも一苦労です。
「まさか、この私がこんなことになるなんて」
私はショックでした。
しかも、
「疲労感があるということは肝臓病かしら。
それとも、糖尿病かもしれない」
知らず知らずのうちに、悪い方、悪い方へと考える自分がいる。
そのこともまた大ショックでした。
「悲観的になるなんて、どうしたんだろう・・・・・・。
私は、ついてる人間じゃなかったのかしら?
いや、ついてる人間に違いないわ。
じゃあ、どうして悲観的になるの?」
そうやって自問自答していました。
ところが、
「ん? ついてる・・・・・・。
そうだ、私、最近、この言葉を言ってなかったわ。
これだ、『ついてる』っていおう」
その瞬間から、私はベッドから飛び出し、
「ついてる、ついてる、ついてる・・・・・・」
と、言いました。
案の定、テンションが上がってきました。
そして、このハイテンションに乗じ、マンションのプールで思いっきり泳ぎました。
泳いだ後、私の体には心地よい疲労感がやってきました。
まだ日暮れ時でしたが、すぐ眠りました。
いつもは睡眠時間3、4時間ぐらいですが、その日は10時間以上眠ったでしょうか。
翌朝は、もう気分爽快。
体も元気です。
その時、私は、実感しました。
「今まで、自分は人より体力があると思っていたけれど、実際のところ体は無理してがんばってたんだな。
だから、ここに来て、その無理が吹き出してきたんだ。
ただ疲れていただけなんだ」と。
それから、体に疲れが溜まってくると、だんだん不安になってくることもわかりました。
人生を明るく捉えるには、体も大事なんですね。
そして私は、自分の体に、こう言いました。
「ありがとう、私の体。
これからは、もうちょっと大切にするからね」
そうした時に、私の頭の中にある気づきがひょこっと出てきたんです。
その気づきというのは、人生に無駄なことはひとつとしてない、ということ。
昔の私は、落ち込んで元気がない人に対して、
「がんばって明るい気持ちを持ち続けないといけないよ」
ということを言ってたんですね。
元気づけるつもりで。
ところが、自分が体調を崩した時、その現状をなんとか克服しようとしていた自分がいました。
そして、その努力が反映されない現実があった。
「みんなも、がんばってたんだな。
もうちょっと、思いやりのある言葉をかけてあげればよかった・・・・・・」
と、私は反省しました。
でも、その時、
「人生って、面白いな。
ひょんなことから、気づきって出てくるんだ。
時には『内に入る』のも、いいもんだな」
とも思い、とてもハッピーな気分になりました。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
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