嫌な人がいる。
自分が変わる。
嫌な人は変わらない。
でも自分が変わって、嫌な人がいても困らない状態になる。
そうすると嫌な人も変わるんです。
嫌な人とどう付き合うか
魂を成長させるために、神様は私たちに二つの大きな課題を与えてくださいました。
一つは「人間関係」のこと。
もう一つは「お金のこと」です。
この二つは全員に与えられた修行です。
そして人間関係について私たちが学ばなければいけない一番大切なことは、嫌な人に「嫌だ」「No!」と言えることなんです。
黒いものを黒というのに、なぜそんなに傷つくのか
嫌な人から好かれたら、おかしな人間になってしまう。
だってお巡りさんが泥棒から好かれたら、おかしいでしょ?
嫌な人から好かれると、その人も嫌な人になります。
そうして嫌な人間と付き合っているから嫌な人生になってしまう。
嫌な人はまれにしかいません。
そのまれとわざわざ付き合うことはありません。
ほとんどの人は普通か、いい人なんだから、そっちと付き合えばいいんです。
「この人、嫌だなあ~」
と思ったら、はっきりと顔または声に出して、「NO!」と言っていいんです。
「NOと言ったら、相手の人を傷つけるから」
なんて言う人がいますが、、傷ついてるのは相手ではありません。
「No」と言えないあなたです。
大体黒いものを黒というだけなのに、なぜそんなに傷つくんでしょう?
我慢しても何もいいことはありません。
「我慢は美徳」などといいますが、「我慢」からは恨みしか生まれないんです。
ある人から、
「斎藤一人さんはどうして神様からこんなに味方されるんでしょう?」
と聞かれました。
自分でも「どうしてかな」と考えたんですが、それは神様が喜ぶようなことをしているからだと思います。
では神様が喜ぶ事って何かな、と思った時、いろいろ思いつきましたが、嫌な人に「嫌」ということもそのひとつだと気付いたんです。
人に「NO!」というのは冷たい人間に思えます。
でも嫌な人に嫌な顔をせずに親切にしても、その人の嫌なところは直りっこない。
嫌な人は嫌な人です。
そういう人は自分で苦労して、嫌なところを直せばいいんです。
逆説的な言い方をすると、嫌な人に「嫌な奴」として接するあなたの気持ちを大切にすることが、相手のためにもなるんですね。
よく「どんな人にもいいところがある」という言い方をします。
それは確かです。
嫌な人にも探せばいいところがある。
でもそれを探すのはあなたの役目ではありません。
なぜわざわざあなたがそんな事をしてあげなきゃいけないのか。
あなたの周りにはいい人がたくさんいるんですよ。
あなたはその人達と仲良く、楽しくしていればいいのです。
なぜあなたが犠牲を払ってまで嫌な人のために、嫌な思いをしながら、その人の良いところを探さなきゃいけないんでしょ?
嫌な人間にもある「いいところ」を探すのは、嫌な人自身に任せておけばいい。
嫌な人は人に嫌われ、「NO!」と言われて、初めて自分で「これじゃいけない」と悟るんです。
嫌な人には「NO!」言ってあげることが、その人に対する愛なんですね。
それが相手の幸せを考えることなんです。
そして本当の愛で相手の幸せを考える人に、神様は味方してくれる。
そういうことなんじゃないでしょうか。
一番嫌な人は、実は「No!」と言えない自分自身だと気づく
嫌な人間と付き合っていると、嫌な人生になります。
世の中にはいい人間がいっぱいいるんだから、その人達と付き合えば、楽しい人生になります。
わざわざ自分から進んで嫌な人生を選ぶ必要はありません。
1、2回付き合って、
「この人、嫌だなあ」と思ったら、即、関係を断ってもいいんです。
一番いけないのは、嫌な人間から嫌われるのを恐れたり、その人から好かれようとしたりすることです。
その中でも一番最悪なのは、嫌な人間をいい人に変えようとすることです。
知り合いにも、暴力亭主と一緒にいて、相手に尽くして変えようとしていた女の人がいました。
何度も言いますけど、自分は変えられても、人は変えられません。
その人の場合も「離婚する」と言った時だけ、亭主は反省して優しくなりますが、すぐ元に戻ってしまう。
私はその女の人にこう言いました。
「相手は直る必要なんてないんだよ。直す必要があると思ったら自分で変わるよ。亭主はそのままでいい。ただあなたとは合わないから、あなたは別の人を探してください」
世の中には、その暴力亭主と相性が合う人もいるかもしれない。
その亭主を見て「いい人だ」と思う人もいるでしょう。
「だけど、私はそうは思わない。私はNO!です」
でいいんです。
嫌なものに「嫌」と言えないのは、口うるさい親に育てられ、親から嫌われるのを恐れている人に多いんです。
そういう人は「嫌」という気持ちを表明するのがなかなか難しいんですが、少しずつ小さな「NO!」を言っていけばいい。
そうすれば大丈夫なんだということが分かってきて、「NO!」が言えるようになります。
週末にいつも知り合いに買い物に付き合わされて、「嫌だな」と思っている人がいました。
私が、
「週末は親の所に行かなきゃいけないからって、断りな」
と言ったら、最初の週は言えなかったけど、
「次の週は絶対います!」
と宣言して、でも翌週も、喉元まで出てきたけど言えなくて、ようやく3周目に意を決して言ってみたら、相手は、
「あ、そうなの」
とすごく簡単に受け入れてくれて、拍子抜けしたと言っていました。
結局、「嫌な人だ」と思っていたのは、自分が断れなかったから嫌な人になっていただけ。
断れるようになったら、相手はただの普通の人だったんです。
だから自分が「嫌な人」を作っていたんですね。
ということは、どういうことかというと、一番嫌な人は自分なんです。
嫌なことを「嫌」と言えない自分自身が一番嫌な人。
その嫌な自分から逃げられなくなっているから、嫌なことが続くんです。
嫌な人って、自分だったんだと気がつくと、少しは「NO!」が言いやすくなります。
それで、これからもっと究極のことを言うので、よく聞いてください。
嫌な人がいる時に、自分の方が変わって、嫌な人がそのままでいても、自分が全く困らない状態になった時、嫌な人が変わるんです。
もう1回言います。
嫌な人がいる。
自分が変わる。
嫌な人は変わらない。
でも自分が変わって、嫌な人がいても困らない状態になる。
そうすると嫌な人も変わるんです。
不思議ですね。
嫌な人がいなくなるんですよ、本当に。
「NO!」を言い続けていると、嫌な人がいなくなる、と覚えておいてください。
追伸 世界ランキングの来日はツイている
「激しい時代が来ると思うか否かは、個人の自由」
そういった一人さん。
では、一人さんは、どういうふうに考えているのでしょうか。
そのことを尋ねると、一人さんはこう言いました。
俺かい? 別に怖くなんかないよ。
世界ランキングがやってきたところで、商売の仕方が全く変わることはないでしょ。
「今、目の前にいるお客さんを喜ばせる」
商売のコツって、昔っから、これしかないんだよね。
それで、何がお客さんを喜ばせるのかが分からなければ、成功しているところを見つけて、真似すればいいんだよ。
幸い、俺たちにはそれを教えてくれる仲間がいる。
俺たちは、車みたいなものなんだ。
ハンドルがあって、タイヤがあって、ワイパーがあって、一個一個違う個性が集まって、一台の車なんだ。
だけど、ハンドルにもたれかかっているタイヤはないんだよね。
そんなタイヤがいたら、車にはならないんだよ。
もちろん、俺も、えみちゃんも、まだ未熟だよ。
だから、これからも色々学ばなきゃいけない。
だけど、俺達は未熟でありながらも、タイヤはタイヤとしての働きを果たしている。
ハンドルはハンドルの役割を果たしている。
俺は自分の役割をやり続ける。
えみちゃんも、他の社長たちも、それをやり続けられる人だと確信している。
だから、俺は。「世界ランキング」は怖くない。
というより、むしろ、俺はツイてると思ってるよ。
こんなこと言うのは生意気だけど、今まで世界で戦いたいと思ったら、」こっちから出かけて行かなきゃいけなかった。
それが今、向こうからわざわざお出ましいただいているんだから、こんなにありがたいことはないと思っている。
それでお互い自分を磨いてさ、商人として学ばせてもらってさ。
その中でいろんな気づきをもらって、人生の修行もさせてもらって、もっともっと魂的に成長するんだって、ワクワクしているよ。
多分、一人さんはそういうだろうと予想はしていましたが、あまりにも予想通りのの答えだったので、私は笑ってしまいました。
一人さんという人は、そういう人なんです。
変えられないものは、変えようとしない。
変えられるのは自分だけなんだ、と明らかに眺め、いつも、一つ上を目指し続けている人なんです。
ですが、あんなことを実にあっけらかんと言ってのけるなんて。
私は、改めて、
「すごい人を師匠にしてしまったな」
そう思いました。
ですが、一人さんにそのことを言うと、
「えみちゃんがそう思うのはえみちゃんの自由だけど、俺はそう思わないんだよね」と・・・・・。
人間は環境に流される動物だというように考えている人もいるけれど、そうじゃないよ。
人間は環境を作る動物なんだよ。
今、俺達がいる環境は、人間が作ったんだよね。
真っ黒な夜を明るくしたのも人間なんだよ。
人間が環境を悪くしたと言うけれど、その環境そうとしているのも人間なんだよ。
それで、この不況を何とかしようとする人もいる。
財界にもいるし、政界にもいる。
でも、環境を作っているのはそういう人たちだけではないんだよ。
世の中不満だらけだけど、みんな、その中で幸せを見つけようとしている。
そういう環境を作ろうとしている人が学校の先生にも、町工場で働いている人にも、近所のおじさん、おばさんの中にもいるんだよ。
厄年だろうが、八方塞がりだろうが、
「そんなもの、困ったことじゃありませんよ」
って、目の前の現実を何とかしようとしている人がごまんといるの。
俺はそういう人たちを見るとね、こう思うんだよ。
「この人はかっこいいな。
みんなが参ったしている中で、一人勝ちしてるな。
自分はまだ青いな」って・・・・・・。
だから俺も、その人たちに負けちゃいられないんだよ。
余計な話なんだけど、もう一個、ちょっとだけいい話を教えてあげよう。
これからは「一人勝ち」の時代が来るんだよ。
これがまた、いい時代なんだよ。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
www.youtube.com https://youtu.be/Wxo-28NMe-k
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