何かの一言が「不幸の壁」の弱い部分に小さな穴を開けるんだろうね。
「不幸の壁」は薄いところから崩れる
悩んでいるいる人に向かってアドバイスしているわけでもないのに、なぜか元気にさせてしまう一人さんのマジック。
好奇心が洋服を着ているかのような私にとって、その極意はどうしても知りたいところですが、一人さんは、いつも、
「俺はそんな立派な人間じゃないよ。
お客さんに喜ばれることを考えるだけで、もう手一杯なんだ。
その人がスゴイ人なの。
どんなにいい話してても自分に役立てられない人もいるのに、俺たちのたわいもない会話を聞いてて、自分で気づいて、何かを掴んで言ったんだよ」
の一点張りで、全然取り合ってくれません。
「でも、何かの宗教団体に入っていた人も、一人さんに会って、話を聞くと、みんな脱退しちゃうじゃないですか」
私がそう言っても、
「えみちゃん、あんまりそういう事を人に言わない方がいいよ。
そうじゃなくても、俺たち、世間から宗教団体だと思われてるんだから。
こんなことを言うと失礼かもしれないけれど、宗教団体のメリットって税金が免除されることなんだよね。
だけど、生意気言って申し訳ないけど、俺たち商人は税金を払ってるんだよ。
税金を払っている上に宗教団体だと思われて、何か得なことある?
得なんてことないよね」
というだけです。
でも、私は、引き下がるつもりはありませんでした。
何かの縁で出会った人達ですし、何よりその人たちを私と同様に「ア」の字の子供、神様の愛から生まれた大切な命。
私は、その命を大切にしてあげたかったのです。
だから、私はひとりさんにこう言いました。
「どうしても知りたいんです。
一人さんに会った人は、なぜ生まれ変わったかのように元気になるのか・・・・・・」
私の勢いがすごかったのでしょうか、とうとうう一人さんは根負けして、語り始めました。
俺と会って話を聞いた人が、どうして元気になるのかは知らないよ。
知らないけれど、俺は、自分のことを不幸だと思っている人は、心に「不幸の壁」というものがあるんだって考えているんだ。
「不幸の壁」があるから、なんでもかんでも不幸なことのように思えて落ち込んだりするんだけど、この不幸の壁のどこか一箇所に穴が開けば、壁は崩れちゃうんだよね。
洪水で土手が決壊する時みたいなものだね。
一箇所、小さな穴があくと、そこから決壊して、水がバンバン流れてくる。
水が流れ出ていってしまえば、川原は干上がってやがて草も生えるし、花も咲くんだよ。
ところが、人が思い悩んでいることっていうのは、「不幸の壁」の一番暑い所にあるんだよ。
普通、人はそこに向かって穴を開けようとする。
要するに、説得しようとしちゃうの。
だから、なかなかうまくいかないんだ。
人っていうのはね、自分で自分を変えることは許せるけれど、他人に帰られるのは嫌なの。
それで、悩んでいる人は、
「悩みから解放されたい」って言うけれど、
本当は自分が悩んでいる問題に触れてもらいたくないの。
それが人の心理っていうものなの。
ところで、ここからがポイントだと思うんだけど、俺は、その人が悩んでることに触れないで、えみちゃんに向かって話してばかりいるんだよね。
それが、「不幸の壁」の弱い部分に小さな穴を開けるんじゃないかと思うんだ。
どういうことか、って言うと、いろいろ雑談してると、
「この人は私に強要しようとしない人だ」
とか思って、それまで頑なだった心が、ふわっと開くんだね。
人の話を聞こうと耳を傾けてくれるんだよ。
その時、何かの一言が「不幸の壁」の弱い部分に小さな穴を開けるんだろうね。
それで、俺とえみちゃんの会話から、自分で何かに気づく。
人の話を聞きながら自分で何かを掴みとったんだっていった時、人は初めて悩みを解決できた上に、自分に自信も持てる。
だから、俺たちは、悩みを抱えた人が目の前に行ってきても、
「何でも解決できる人だね」
っていうスタンスで接してあげればいいの。
その人が持ってる力を信じていればいいの。
それで、その人の喜んでいる顔を見ていると、俺もハッピーなんだよ。
えみちゃんも、試しにやってごらん。
この話を聞いてから、私は自分の目の前に並んでいる人が現れた時に、こう言ってあげるようにしました。
「大丈夫だよ。あなたなら解決できる、私はそう信じてるからね」
確かに、一人さんが言った通りでした。
この言葉には、人に勇気を与える力があるようです。
「あの時、えみこさんからもらった言葉で、私はチャレンジしようと思いました」
そう言っていただけるんですよ。
そして、その時は私も、ものすごくハッピーになれるんです。
でも、私はまた師匠の域には達していません。
一人さんはこういうんですよ。
「俺から気づきをもらったと思わないで帰っていく姿を見たとき、俺は最高にハッピー」
人の苦労話を聞きたがるのはなぜ?
私を含め、一人さんのことを不思議な人だと思っている人は大勢います。
ところが、一人さんに言わせると、
「みんなの方が、不思議に思えて仕方がない」
なんだとか。
例えば、ある人が成功すると、テレビや雑誌などで、
「私が成功に至る過程にはこんな苦労がありました」
といった類のエピソードが紹介されますが、一人さんにとっては、それが不思議なんだそうです。
どうしてかと言うと、一人さんは子供の時に、
「こんだけ苦労したから成功しましたっていう話は嘘だ」
と見抜いたからなんだそうです。
俺が子供の時に、大人達が集まって、仕事の話をしているのを聞いていたんだけど、その時、
「これは嘘だ」と思ったんだよ。
成功している人ってね、すごく簡単な事やってた。
要するに、自分が得意なことをやって成功したんだけど、日本の場合は、苦労しなきゃ成功できないみたいなことになってるから、苦労ばなしをしなきゃいけないって勝手に思っちゃってるんだよ。
それで、その苦労話をよく聞いてみると、戦争中はこうだった、ああだったって、要するに、戦争で苦労したんだよね。
戦争中っていうのは、誰でも苦労してたんだよ。
言ってることが無茶苦茶なの。。
戦争の苦労と仕事の話がごっちゃになっているんだよ。
だから、人の苦労ばなしなんて全然参考にならないと思うんだけど、世間にお聞きたがる人が大勢いる。
不思議だよ。
確かに、私から見ると、一人さんは商売向きの人。
事実、何の苦労もなく事業を成功させ、10年連続高額納税者番付トップ10入りを果たしました。
では、私の場合はどうなのか・・・・・・?
ひとりさんの仕事を始めて、2がなく商売をさせて頂いてる私ですが、自分に障害の才能があったわけではないような気がします。
そのことを一人さんに言うと、一人さんは、
「俺は、えみちゃんのことを商売向きだと思って弟子にしたんだよ。
えみちゃんは自分の才能を信じられないようだけど、人っていうのは、みんな困らない才能を持ってるんだよ」
と言って、こんなことを話してくれました。
面食いっていう人がいるじゃない?
だけど、その逆で、面食わぬっていう人もいるんだよね。
面食わぬって、まぁ、八方美人だと思ってくれていいんだけど。
世間の人は、そんな八方美人はダメだ、みたいなことを言うけど、あれは才能だよ。
だって、そういう人が接客業したりすると、誰にも親切にサービスするから、たちまち出世しちゃう。
それから、高いところへ上がって、電線を張り替えたりするのも平気な人がいる。
俺には絶対に無理。
脚が震えちゃって、立ってるのが精一杯だよ。
だから、あれも、すごい才能だよ。
それで、「他は我にあらず」って言うんだね。
他の人と自分は違うっていうことなんだけど、才能もそういうものだよ。
だから、それぞれに、それぞれの才能がある。
それで、それぞれの働く場所、人様のお役に立てる場所がある。
神様は、俺達を困らせないようにしてくれているんだ。
そうやって言うと、
「私には全然才能がありません」
っていう人もいるんだけど、そういう場合は、勝ち馬に乗ればいいだけなんだよ。
要するに、才能があるやつを見つけて、そいつに聞けばいいの。
あのさ、昔のヤクザ映画なんかで、丁半博打のシーンがあるじゃない。
あれなんかを見てて思うんだけど、うんと勝ってるやつを見つけて、そいつが丁にかけたら、自分も丁にかければ勝てるんだよね。
ところが、
「あいつが丁だから、俺は半だ」
みたいに、ごちゃごちゃ言う奴がいるの。
それで、そいつは負けちゃうんだよ。
だから、勝ち馬に乗るの。
それも大事な才能なんだよ。
噂の「ツイてるカード」
今、まるかんでは、「ツイてる」カードをご来店の方達と楽しんでいます。
書いた心がほっこりする言葉のカード(全88枚)の中から、ピンと来た1枚を引く、という遊びです。
遊びなんですが、何故か皆さん元気になって、どんどんついている人になってしまうんですよ。
追伸 自分でやりたいと思ったことは、自分で決めていいんだよ
常識だとか、皆が言うからとか、関係ないの。
我慢なんかしなくていいんだよ。
自分でやりたいと思ったことは、自分で決めていいんだよ。
今までそう思わなかったのなら、今、気づいて、これからそう思えばいいんだよ。
苦労はもう終わりなんです。
変わろうよ。
そうすれば、人にもっと優しくなれる。
人に優しくなれたら、もっともっと幸せになれるんじゃないかな。
人間って、仕事の成功だけじゃつまらないよね。
やっぱり仲間だよ。
いい仲間がいてさ。
共に話し合えて。
好きで一緒にいたいっていうのが、本当の仲間だよね。
それが一番いい、健全な付き合い方なんです。
人は、できないから魅力がないんじゃない。
できないことが、一つでもできるようになった時、すごく魅力が出てくる。
「私はできないから、やらない」じゃあない。
やらない言い訳にしちゃ駄目なんです。
「深い井戸ほど、水はきれい」なんです。
もうひと掘り、もうひと堀りでやり続ける。
成功に向かって歩き出してる人を、成功者って言うんです。
「人生の壁」って、「竹の節目」と同じです。
竹の節目と同じだから、一つ節目を突き抜けると、しばらくはスーッと上がる。
そうするとまた、新しい節目が出てきます。
でも、みんな、途中の節目を抜くのは諦めちゃうんですね。
「節目がたくさんあって、これ以上も行けない」って。
だけど、竹って、節目がないと、弱くて潰れちゃうんですよ。
私だって、今までいくつも節目があったんです。
壁の乗り越え方は、時代も条件も違うから、人それぞれ何です。
ただ、言えることは、どんな人生にも、節目(壁)が出てくるということ。
節目ができたら、諦めずにコンコン叩くこと。
叩き続けること。
要は、自分だけ、やりきればいいの。
世間ができていようが、出来ていまいが、そんなことはどうでもいいの。
親ができていようが、出来ていまいが、そんなこと知ったことじゃない。
友達ができようが、できまいがどうでもいい。
自分だけは、正しいことをやり続ける。
そうすると奇跡が起きてくるの。
何か、みんな勘違いしててね。
自分のことを構わないで、他人のことを構う。
そんなことばかりしている人のこと、偉いって思ってるけど。
自分ができないことを、他人にできるわけがないんです。
自分の事がちゃんとしていれば、他人をかまってあげられる。
自分のことを大事にしてるから、他人も大事にできるんだよ。
自分を大切にしない人は、他人からも大切にされないの。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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