この人が、あなたの神様なの。
自分のために、こんなにがんばってくれる人って、いないんだよ。
鏡に映っている人が、あなたの神様なの
「私、出世したいんです」
っていう人が、皆さんの中にもいると思います。
でも、あなたを出世させるかどうかは、会社の上役とか社長が決めるんだよ、って、私は言うのね。
それから、商売をやってる人なら、あなたのお店で物を買うかどうかって、人様が決めるんだよ。
世の中って、ほとんど他人が決めるんだよ。
だから、他人が見たらどう思うかを考えなきゃいけない。
「私は、『ツイてる』を一日一万回言ってるんです」
って、言っても、シャツの襟首なんかが、垢だらけになってて、汚いんだとしたら「ツイてる」を言うのは1000回にして、残りの時間を洗濯した方がいいよ。
人間には心、魂がある。
ここに、神様がいるんだ。
神社へ行くと、お社の中にね、鏡がある。
神社の御神体って鏡だから。
それで、うちの「ついてる神社」にも、一応、ちっちゃい鏡が置いてあるんだけど、それを見るとね、大概自分の顔が映るんだよ。
別の顔が映ったら怖いからね。
大体、自分の顔が映るの。
そうすると、鏡に映ってる人が、あなたの神様なの。
だって、自分のためにこんなにがんばって、自分のためにこんなに行ってくれる人って、いないんだよ。
時々、自分に手を合わせた方がいいよ。
それで、自分に、
「ありがとう」
って、言った方がいいよ。
「僕、自分が嫌いです」
とかって、言う人もいるんだけど、そんなことを言ってないで、自分のこと、好きになりなさい。
「隣の人が嫌いだ」
っていうのは、構わないよ。
相性っていうのがあるからね。
でも、自分のことが嫌いでも、引っ越すわけにはいかないんだから。
自分からは引っ越せないんだよ。
自分を好きになるしかないの。
それで、自分の神様は自分なんだよ。
自分が神様だとしたら、その頭はお宮の屋根と同じなの。
だから、これをぐちゃぐちゃにしてちゃいけないよ。
「私、玉の輿に乗りたいんですけど」
って言ってても、顔がね、埴輪みたく、無表情になっちゃってて、髪の毛がワカメみたく、顔にべたっとくっついていたら、あなたの存在は光らないんだよ。
もうちょっと、自分が傍から見て、どう見られるかを、ちゃんと考えたほうがいいよ。
それで、そんなことが、ちゃんとわかってる人が精神論者なんだよ。
自分のことが分かったら、人の気持ちも少しは分かるじゃない。
それが、精神論者なの。
「ちょっとくらいかな」
と思ったら、ちょっと髪の毛染めるとかね。
ヘアースタイル変えるとかした方がいいよ。
頭っってね、神社の屋根なの。
それが、ぐじゃぐじゃになってる人がいると、私、
「クシでとかしたらいいよ」って、いうんだけど、
「いいのよ、うちはお金ないから」って言い返されちゃうことがあるんだよね。
でも、お金でとかすんじゃないでしょ、って。
櫛ぐらい、あるでしょ。
顔だって、服装だってそうなんだよ。
インドの奥地とかで、難行苦行してる修行僧じゃないからね。
時々、テレビとかでやっている番組を見たりしない?
「すごい修行僧ですよ」
とかって、紹介されて、どんな人が出てくるのかと思ったら、髪の毛こんなんなっちゃって、褌一丁で。
修行僧がいいんですよ、人の幸せのために使用してくれている人だから。
私たちは世俗の人間だからね。
だから、たった1%。外見。
外から見たらどう思われるか、ぐらいは気にしないと駄目なの。
自分は、花として生きているだろうか。
花のような顔をしてるだろうか。
そういう目で、鏡見ないとだめだよ。
人間界の花で、振り向いちゃうようじゃなきゃだめなの。
だって、他人は、まず、外見から入るんだもん。
「人間は中身ですよ」って言うけど、中身って他人には分かんないもん。
裸になっても、分かんないんだよ。
洋服着なくても、あなたの心の中は誰にもわかんないんだよ。
それなのに、
「中身は勝負です」
って、言ってる人もいるけれど、中身で勝負する前に、包装紙とか、色々あるでしょ、って。
デザインとか、色々あって初めて選んでもらえるんじゃない?
それでもって、
「素敵な人ですね」
って、言われるんでしょ。
人と話をしている時、肯定的なことを言ったりね。
否定的なことは言わないで、
「私は胴長だけど、座ると人より目立っちゃって、ツイてるんです」って言ってる人がいたら、私は、その人にほれぼれするよ。
だけど、順番ってあるじゃない?
相手は、外から中へ入ってくるんだよ。
その外をしっかりしないとだめだよ。
ブランドものを買え、とか言ってるんじゃないんだよ。
高価なものを買えって、言ってるんじゃないの。
あなたは、花んなんだよ、って。
私のお弟子さんたちも、ピンクの服を着たり、いろんな綺麗な色の服を着るの。
それで、女性はどんどん綺麗になる。
男性は、どんどん魅力的になるの。
そしたら、ここが天国なの。
だって、男が魅力的で、女がキレイだったら、天国でしょ。
ますます死にたくなくなっちゃいますよ。
ここが天国なんだよね。
済んだことは、変えられるの
今から、すごいこと言いますからね。
一生忘れられないようなこと、言いますよ。
いいですか?
「過去は変えられるけど、未来は変えられない」の。
一瞬、驚いた人、手を挙げて。
ね、驚いたでしょ。
もう一回言いますよ。
済んだ事は変えられない、あっ、違う、済んだ事は変えられる、間違えちゃいけない、俺が間違えちゃったよ。
しょうがない人だね、だから、こういう講演会は向かないって言ってるの。
そんなことは変えられるの。
でも、これから先のことは変えられないよ。
過去は変えられるけど、未来は変えられない。
これを覚えとくと、すごくいいことがあるの。
では、今からお話しますよよ。
みんな、よく言うじゃない?
「済んだ事は変えられないけど、これから先のことはあんたの自由になるよ」って。
でも、そうはならないんです。
残念だけど、変えられるのは過去なんです。
もちろん、過去にあった出来事を、もう一度やり直したで、消したりっていうことはできないよ。
でも、心出過ぎたことを思うときは、それは思い出じゃない。
思い出って、どんなふうにでも変えられるの。
例えば、自分は小さいからも病気ばかりして、辛い思いをしていた、と。
そういう人がお医者さんになったりすると、患者の気持ちがよく分かる、良いお医者さんになったりするんだよ。
その時、
「自分は、病気だったんだ。
でも、その経験があるから人に対して、病人に対して優しくなれたんだ。
病気してよかったな」
とか思える。
どんなに辛い過去、嫌な思い出も、幸せと思えば思えるんです。
それをオセロゲームみたく、ポンポンと、幸せに変えて行く。
私もね、学生時代は、勉強とか、嫌いだったんですよ。
なんで、嫌いだったかっていうと、成績が悪かったからなんですね。
だけど、それがために早く社会に出て、今みたく生まれたんだ、とか、勝手に済んだことですね、
「だから、幸せなんだ」
って、変えるんです。
それで、
「だから、今、幸せなんだ」
って、思えると、そこから先の未来は、全部しあわせなんです。
ところが、ずぅーっと不幸な人に、
「今日から幸せなりなさい」
って、言っても、なれないんです。
どうしてかというと、不幸な癖がついてるから。
何でもかんでも不幸とおもちゃう癖がついてるから、これから先に起こる出来事も不幸に見えちゃう。
この世の中のことって言うのはね、起きる事っていうのは、幸せにとろうと思うと、とれるんです。
辛いと思うと、「辛い」と思えるんです。
日本で働いて、やれ、給料が安いだところ、仕事がきついとかって言っていても、世界中から、「日本に入りたい」っていう人がいるんだよ。
日本に来れればいいからって、密航する人だっているんだよ。
だから、日本がしあわせか、しあわせじゃないか、って、その人の思い方なんだよ。
「〇〇だから、自分が幸せだ」
と、思えるか、
「〇〇だから、大変だ」
と、思うかでね、、人生、全然違っちゃうんだよ。
病気にかかっていても、
「幸せだな。
俺は病気だけど、まだ生きてるんだ。
病気じゃなくても、二十歳で死ぬ人もいるのに、病気なのにまだ生きてるんだ。
ツイてるな」
とかって、強気なことを言ってると、免疫力が上がって治っちゃうんです。
不思議ななもんだけど。
病気でも元気になれ、とかって、言ってるんじゃないんだよ。
大概のことは、済んだこと、今、現在、幸せだと思える人は、こっから先、ずっと、幸せなの。
この話は、いい話になんだけど、次行きますね。
本当に、この話は覚えとくと、いい話で。
過去、ずっと不幸せだった人がいるの。
それで、幸せな人が、そのまま、幸せになろうと思っても、不幸癖がついてる。
なんでも不幸に考える人っているの。
辛いの、そういう人って。
その本人が、辛いんじゃないんだよ。周りが辛いの。
本人は気が付いていないけど、なんでもかんでも、
「私は不幸だ」
って、言ってるのって、ごめんね、意外と楽なんだよ。
なんでかって言うとね、幸せってね、努力がいるの。
だって、困難にあっても、こう考えたら幸せ、こう考えたら幸せって、考え直すんだよ。
でも、何もしないで、
「不幸せだ、不幸せだ」
って、言ってるのは、自分より幸せな人見つけてさ、
「あの人は幸せそうなのに、自分はこんなにも不幸せだ」
って、言っていればいいんだもん。
そうやって楽している人と、幸せを感じるための努力をしている人が会うと、必ず努力している人が負けちゃうの。
相手の迫力に押されて、不幸に見えてきちゃう。
本を一冊でも読んでいる人と、本も読まない人とがね、話し合ってると、必ず勝つのは本を読まないで何もしてない人。
やる気のない人の方が、強いんだから。
やらない人に理屈を言わせるとね、すごい筋の通ったこと言うの。
世界中どこへ出しても恥ずかしくないような、筋の通った話を、ずっとしてるんだよね。
あれ聞いてるとね、申し訳ないんだけど、辛くなっちゃう。
だからね、幸せになろうって、がんばってるよき仲間は、集まった方がいいよ。
それで、覚えといてね。
過去はね、済んだ事って変えられるんだよ。
お菓子、ろくでもない男に引っかかったから、男を見る目ができたんだとか、ね。
皆さん、自分でいろいろ考え直してください、ってことです。
追伸 鏡を拭いても顔のシミは取れません
人は皆、傷を持って生まれてきます。
そして多くの人の場合、同じ傷を持っている親の元に生まれます。
なぜかと言うと、それは自分の傷に気づくためなんです。
自分が暴力を振っちゃうような人は、暴力を振るう親の元に生まれます。
それで、「これは自分にそういうところがあるからだ」と思えばその傷も治るんだけど、「暴力を振るう親が悪い」って言ってると、それは治りません。
そしてそういう人は、自分が親になった時に同じことをやるんです。
自分の顔にシミがついてるからって、鏡を拭いてもシミは取れません。
鏡を替えても取れないんです。
だから、部長が嫌だからといって会社を辞めても、また次の会社で似たような人が現れるからね。
でも鏡を見て、自分の顔の汚れに気づいて取ればきれいになるように、自分の中にある傷に気づいて直せば、起こる現象も変わってきます。
部長の対応が変わるとか、相手が転勤していなくなるとか、自分が昇進して移動するというようなことが起こるんです。
鏡には自分のそのままの姿が映ります。
それと同じで、自分に起こっている出来事は、自分の傷が投影されたものなんです。
だから起こった出来事を他人のせいばかりにしていると、いつまでたってもうまくいかないんだよね。
自分の鏡に映ったものをしっかり見て、気づいて対応すれば、現実の世界も面白いように変化していくからね。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きも御座いません。
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