コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 歩

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「歩くという字は、止まることが少ないと、書くんだよ」

一歩ずつでもいい、前に進んでみることです。

 

 

 

「がんばる」を「顔晴る」と考えると、うまくいきます


あなたは、自分より、人の幸せを優先することが美しい、と考えているかもしれません。

ところが、そうではないのです。

まず、自分が幸せにならなければ、人を幸せにすることはできません。

持っていないものを、どうやって人にあげることができるでしょう。

あなたが「なりたい自分」になるということは、あなたが幸せになることです。

人は幸せになるために生まれてきて、それができれば、人に幸せをいっぱいあげられるのです。

「なりたい自分」を主張すると、人の幸せを優先する美徳に反してしまう、そんな恐れは捨ててください。

自分に無理して、自分を犠牲にして、人の幸せを優先するなんて、そんなことは美徳ではありません。

そんなことをして、本当に「誰か」が幸せになれるとしたら、その「誰かさん」は、よっぽど鈍感な人。

だって、「なりたいもの」を我慢したあなたの顔が、曇っていることに気がつかない。

そして、あなたが「顔晴る」その様子こそが、その「誰か」にとって、元気をくれるということがわからないのですから。

いいえ、一番鈍感なのは、あなた自身かもしれません。

昔の私も、人の幸せを優先することが正しいことだと信じていました。

自分を犠牲にしないと、周りに幸せをあげることはできないと考えていました。

二人姉妹の長女として生まれた私は、父の会社を継いで行かなければならない立場でした。

私はその期待に応えようとして、心のどこかで、親のために働いている、という思いがありました。

働きたくて働いているのに、どうしても気持ちが晴れることがなかったのは、私が自分を犠牲にして働いていたからです。

今にして思えば、そんな考えで働いていた私は、社長に対して、とっても失礼でした。

命がけで商売しているそばで、

「私はあなたの犠牲になって働いています」

という人間を見たら、いい気分になれるわけがありません。

あなたは、周りの人を不幸にしたくないと言う。

でも、誰かの犠牲になっているあなたの暗い顔を見て、誰が喜んでくれますか。

周りの人を不幸にするのは、犠牲になっているあなたです。

人の親というのは、いつも子供が幸せであることを願っています。

自分の犠牲になっている子供の顔を見て、喜ぶ親はいません。

また、子供の犠牲になっている親の顔を見て、傷つかない子供はいません。

そんなことをしたら、

「親を自分の犠牲にしてしまうなんて・・・・・・。

自分は生まれてこなければよかったんだ」

と、自分を愛することができない人になってしまいます。

また、子供にとって、

「お母さんは、あなたのために〇〇してあげるのよ」

という言葉ほど、重荷に感じるものはありません。

「そんなこと、誰が頼んだの」

と、子供に言われるのがオチ。

たぶん、あなたも子供の時に、親に言ったことがあるんじゃないですか。

「愛する人のために私は我慢している」という、まなざしは、お互いの心を閉ざしてしまいま。

愛は遠ざかってしまいます。

人の犠牲になって、幸せになれると思ったら大間違いなのです。

一人さんから教わりました。

「自分が幸せになることでも、少なくとも、この世から不幸な人間が一人減る」


不幸な顔がひとつなくなれば、みんなの心の重荷が一つ軽くなります。

まず、あなたが生き生きすることが、あなたの愛する人たちを幸せにします。

 

追伸 顔晴る方法

 

働くのは大好きですが、たまにめげてしまって、顔晴るのが辛い時にすぐに気合が入って、また顔晴る方法はありますか?

斎藤一人さん

これも同じなんですが自分以外の人に役に立っているんだ。

会社の役に立ってるんだ。

同僚の役に立っているんだ。

社会の役に立っているんだとか、そういう気持ちになるとやる気が出てきます。

 

 

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「歩」という字は「止まるが少ない」と書きます。
だから・・・・・・


鳥が卵を産んでも、すぐにヒナはかえりません。

今日、苗を植えても、その場で花を咲かせることもなければ、実をつけることもありません。

卵を温めて、ヒナはかえります。

苗に水をやって、お日様の光に当てて、大きく育ちます。

あなたは、自然の摂理を知っていると言いながら、どうして頭の中で、それとは全く逆のことを描いてしまうのですか?

「誰でも、やりたいことがやれるんだよ」

と、言った時に、最初の壁にぶち当たって、

「できると言ったのに、できないじゃない」

と言って、諦めてしまう人は大勢います。

でも、「できない」のは、今だけ。

「今」を大切に生きることは大切だけど、人生が「今しかない」と早合点しないでください。

今、ここからスタートを決意して、何十年もの人生があります。

今世を終えた後も、生まれ変わって、新しい世で人生を送ります。

でも、だからといって、

「どうせできるんだったら、手を抜こう」

とは考えないでください。

土台作りで手抜きがあれば、どんなに長い時間をかけてたたいものを作ろうとしても、柱は傾き、建物は倒れてしまいます。

また、最短距離で目標に到達できる道が目の前にあるのに、その道を歩くチャンスを逸してしまいます。

だから、

「気合を入れて、努力する」

努力にもいろいろ、答えの出し方にもいろいろあります。

それは人それぞれ、他人にとっての正解が、あなたにとっての正解とは限りません。

自分にピタッとくるものに出会うまで、行ったり来たりすることは当たり前。

でも、その歩みを止めない努力をしていれば、絶対に見つかります。

一人さんに教わりました。

「歩くという字は、止まることが少ないと、書くんだよ」

一歩ずつでもいい、前に進んでみることです。

口で言うほど簡単なことじゃない、って、あなたはおっしゃるかもしれない。

そりゃあ、そうだ。

私だって、最初はなかなか出来なかった。

だから、「訓練」が必要になるんです。


こんな時は
「私は間違っていた宣言」をしちゃいましょう


昔、自分の子育てが間違っていたことに気がついた私は、それを改めます、という決意表明を詩に書いて、その紙を冷蔵庫に貼り、子供たちが見ている前で、「私は間違っていた宣言」をしたことがあります。

今、その当時のことを思い出すと、子供たちと大笑いしてしまうのですが、本当に大真面目だったんです。

否定的な考え方しかできず、できないことを人のせいにして、周囲に苛立ってばかりいたら嫌な自分を変えたかったから。

でも、

「お腹が空いたときは怒りません」

「悪い自分を改めます」

などと、宣言してみたのですが、しばらくはなかなか出来ません。

それで、また子供達にガミガミ言って、

「『間違っていた宣言』が貼ってあるよ」

なんて言われて・・・・・・。

人間って、忘れっぽいものだけど、私は特にそう。

でも、「自分を変えたい」と思い続けていると、

「私は、こういう自分でいいのかな。

私、どんな女になりたいんだろう」

っていうのが、突然、むずむずっと出てきます。

すると、「おっかない」って言われれば、

「私って、人からおっかないって言われるために生まれていないよな。

そばにいると、『あったかいね』って言われるような人間になりたいと思っているでしょ」

って、自分に問いかけてきたら、

そうしたら、

「そりゃあ、そうだろうな」って。

だから、私は今でも続けています。

「こんな自分になりたい」

というのを書いた紙を枕元に置いて、毎朝それを見る。

実行できるまで、毎朝見ます。

もう一つ、中村天風さんという人の言葉で、私が好きな言葉があります。

「この道は1度しか通らない道。

だから役に立つこと、人のためになることは、今すぐやろう」

この言葉を見ると、本当に自分ができる、人の役に立つことを精一杯やろうと思います。

それでも、頭の中では分かっているのに、

「まっ、いいや。めんどくさいじゃん・・・・・・・」

って、つい逃げ出したくなる時もある。

だから、気合を入れるために、明確に自分の心に、

「今日を楽しく、今日全力投球する」

と宣言しているのです。

この積み重ねが、自分の夢を叶える時の考え方。

楽しく全力投球できるにはどうしたらいいかわ、あなた次第。

それができるまで、「今日は楽しく全力投球」と、しばらく言い続けてみませんか。

 

 

斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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