その人にとっては、もう学ぶことを学んどのたから、次の所に行けばいいの。
人生に忍耐は必要?
Q仕事をしていると、時には嫌なことにも直面しますよね。
そんな時は、我慢しててもそれを乗り越えるべきだと思いますか?
例えば、人生には忍耐が必要な時期とかあるのでしょうか?
斎藤一人さん
自分の人生を苦行だと思えば苦行になるし、遊びだと思えば遊びになる。
でも、もうこれはダメだと思うなら、そこから逃げないと自分が壊れてしまったり、場合によっては、死んでしまうようなことだってあるかもしれないよね。
目の前のことから逃げるのはいけないと思うかもしれないけれど、もし、自分が今やっていることが本当に向いていないのなら、会社がや仕事をする相手だって困るんだよ。
それに、今みたいに豊かで恵まれた時代に生きている人たちは、もう、限界まで我慢なんてする必要はないのかもしれないよね。
でも、もっと厳しい時代に生きていた昔の人たちは、我慢することなんて当たり前だったんだ。
今は過労死なんかもあったりするけれど、昔の人は、ちょっとやそっとでは死ななかったんだよ。
Q 今は残業なんかも少なくなりましたけれど、昔は残業することが当然のような時代もありましたからね。
斎藤一人さん
昔はそれが、当たり前だったんだよ。
厳しい時代に生きた人たちは、肉体的にもきつかったかもしれないけれど、厳しいことに耐えられるほど心の方も丈夫だったんだよ。
Qでも、今の若者たちにとっても、何か目標があるならば、多少の我慢などは必要ですよね。
斎藤一人さん
我慢できる子なら、そうすればいいよね。
ただ、我慢ができない子もいる。
そして、我慢ができないというのなら、それはそれでいいんだ。
商人にも向き不向きがあるように、向いていないのなら、他の仕事を探した方がいいよ。
仕事ができない自分が悪いんじゃないよ。
ということを伝えるだけだ。
それでも、どうしてもやりたいんだったらもう少しやらせてみる。
だけど、やる気もなくなってきているのなら、やっぱり向いてないんだよね。
Qそうなんですよね。
こちらとしても、悩むところですよね。
でも、自分でも限界を感じているのなら、もうそこから逃げたっていいのではないかと。
斎藤一人さん
「逃げる」という言葉より、「卒業」だよね。
自分に合うか合わないかを自分で分からずに入ってきただけなんだから。
その人にとっては、もう学ぶことを学んどのたから、次の所に行けばいいの。
今の無駄な日々をリセットして、次のステージに行かないとね。
昔はね、我慢すればいいことがあったのだけれど、もう今の時代はそういうわけでもないからね。
Qでも、忍耐力がないと上の世代の人たちからは怒られることもありますよね。
斎藤一人さん
上の世代の人たちは、自分たちの時代しか知らないからね。
ちょっと前の時代の人たちは、例えば、あるお店に勤めていたりすると、そこに何十年も勤め上げたなら、店主から暖簾分けのような形で、ご褒美として自分のお店を出してもらうことなんかもあった。
つまり、その人は、これまでずっとがんばってきた甲斐があったというわけなんだ。
でも、今は暖簾分けをするお金も出してもらえないようになったし、例え、暖簾分けされたとしてもお店の維持をすることもできなくなった。
もう、時代が変わってしまったんだよ。
だから、自分に向いている仕事をどんどん体当たりで探していくしかないよね。
Q自分に合った仕事が見つかればいいのですが、でも、やっぱり「これは自分のやりたい仕事じゃない」なんてことを言う人は多いですよね。
斎藤一人さん
それは、自分に合った職を探しているというよりも、色々な会社や人達に会う経験を通して、魂の修行を積んでいるということなんだろうね。
だから、一つの仕事が続かない、何ていう人がいても、その人はそれでうまくいっているんだよ。
Q なるほど。そういう視点を持てば「仕事が続かない」などと言って落ち込んだり悩んだりすることもないかもしれませんね。
我慢ができない時は去るのではなく、そこを卒業していく
一人でさんの語ることは、時を越えていつの時代にも使える色あせない法則が多い。
けれども同時に、一人さんは時代の感覚にも敏感で、その時にぴったりなアドバイスをくださるところがすごいなと思う。
一人さんのおっしゃる通り、今の50代以上は、どちらかと言うと社会の中で忍耐強く頑張ってきた世代だ。
そして、そのすぐ下の世代である我が40代前後の世代も、なんとなくそんな精神を受け継いでいる。
つまり、我慢することは当たり前だと思っている人が割と多いのだ。
だから、現アラフォー世代は、「俺たちの時代はね~」とかつて自分たちがそうであったように、若い世代にも我慢することの重要さをといたりするものだ。
けれども、今の十代から二十代前半は、もはや、もうまるっきり新しい世代といってもいいだろう。
このことは、まもなく40歳を迎える自分は、覚えておかなくてはいけない事実でもある。
いずれにしても、僕たちは、どんな状況においても「魂の修行」しているということを忘れないでおきたい。
教えはどうやって自分に取り入れる?
Q「自信を持つように。でも、過信は良くない」
「人を気遣うことは大事。でも、人の目を気にし過ぎないで」
「人には優しく、でも、なめられないように」など、一つのことを一言で単純に言い切れないことが多いのですが・・・・・・。
そのあたりのバランス感覚のようなものは、どう考えますか?
斎藤一人さん
人間ってね、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしているとね、自然にそういうことも分かってくるんだけれどもね。
要するに、真ん中を走っちゃえばいいんだよね。
Qということは、バランス感覚はやっぱり大事なんですかね?
斎藤一人さん
バランスを崩すと、怪我をしてしまうよね。
例えば、何車線もある高速道路で車を運転するときのようなものだよ。
運転をしながら、右に寄り過ぎると右の車線の車にぶつけてしまうし、左に寄り過ぎると左側にぶつけてしまう。
人生ってね、運命を運ぶものだからね。
運勢っていうのは、文字通り、勢いがついているから、バランスを考えて人生のハンドルを切らないとね。
Qなるほど。かつて、ある評論家の方が「謙虚であるべきか、傲慢でもいいのかと言われたら、ちょっと傲慢なぐらいでいい」とおっしゃっていました。
でも、一方では、人として謙虚でなくてはいけない、という人も多いですよね。
どちらが正しいのかなと思うこともあって。
斎藤一人さん
それを判断するのが、あなたの役目なんだよ。
もし、謙虚か傲慢かで迷うことがあるなら、それは、その時々で違うし、その両方が正しいとも言えるんだ。
要するに、場面によって違うんだよ。
じゃんけんみたいなものなんだから、じゃんけんのように、その都度出すものを変えるんだよ。
だって、いつもグーを出していると、勝てることもあれば、勝てないこともある。
でも、相手の様子を見て、この人は次にパーを出すなと思えるなら、こちらがチョキを出せば勝てるしね。
後出しジャンケンみたいなものだよ。
相手のことをよく観察できれば勝てるんだ。
Qそうですよね。それを決めるのは、あくまでも自分なんですね。
斎藤一人さん
でも、人間関係においては、まずは、謙虚な姿勢でいた方がいいこともあるよね。
こちらが低姿勢に出て、相手も低姿勢に出てくれる人だと、そこから良いところをお互いに認め合いる関係になれるから。
だいたい俺は、そんな関係になれない人とは付き合わないしね。
でも、これは俺の生き方だから、これが絶対に正しいというわけではなくて、あなたは自分で判断すればいいんだよ。
そのために、本をたくさん読んだりして学んだりするんだよ。
もちろん、本だけじゃなくて、映画やお芝居から学ぶ人もいるだろうし、何もまだはないから痛い思いをしながら学んでいく人もいる。
でも、最終的には、どれが正しいっていうのがないのが答えなんだよ。
だから、相手や状況によっていちいち変えるんだな。
そして、そんなことが自然にできるようになると、苦労しないで状況を判断できるようになるよ。
Qその都度、柔軟に対応していくということですね。
斎藤一人さん
そうすると、もう、揉め事も怒らなくなってくるよ。
でも、揉め事自体が魂の成長なんだけれどもね。
だって、生きていて何も問題がなくなったら、それはそれで退屈で困ってしまうよね。
Qそうですよね。
追伸 立派はつらいよ
斎藤一人さんの話を纏めました。
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