親切って、親を切ると書くよね。
これは、親になり切るという意味なんだよ。
親は子供に対して見返りを求めたりはしないよね。
もし、子供が何か危険にさらされていたら、自分を犠牲にしてでも助けたいと思うよね。
自然治癒力を高めてくれるお酒
私はこの発酵場を使って、新たな自然酒造りにチャレンジしました。
それは、人間に嫌い備わっている自然治癒力を高めてくれる、玄米から作ったお酒です。
玄米は精白された白米と違い、外側に食物繊維、内側に炭水化物、胚芽の部分に抗酸化作用のあるビタミンやミネラル、そして体の毒素の排泄を促進するフィチン酸など、私たちの健康維持に不可欠な成分を多く含んでいます。
さらに腸内の菌バランスを整え、アドレナリンの抑制や血液浄化作用といった、体の酸化を抑えるのにも効果も発揮する食品です。
そして何より注目すべきは、玄米には目に見えない生命力があります。
土にまけば芽が出て実になっていく。
一粒が千倍にも万倍にもなります。
私は家の壮絶な病気の後に玄米を食べ始めたのですが、しばらく続けていると、私も周りもビックリするぐらいの変化が現れました。
手術後半年もしないうちに、病気をする前の体よりもはるかに元気になったのです。
この経験から玄米のお酒を造ろうと思い立ったわけですが、これは最初の段階から壁にぶち当たってしまいました。
肝心の麹ができないのです。
硬い殻に覆われている玄米に麹菌を振りかけても、麹菌が食い込んで行きません。
あれこれ工夫を凝らしてみても、全く歯が立たないのです。
試作品を造る前からいろんな人に、「うまくいくはずがない」と言われていたのである程度覚悟をしていましたが、まさか、こんなにも難しいものだとは思ってもみませんでした。
後に一人さんにこの時の事をお話ししたら、「それは『自力の後に他力あり』と言ってね、人がまっとうな努力をしていたら、必ず助けてくれる人が現れたり、天が味方してくれるんだよ」と言ってくれました。
まさにそんなことが起こったのです。
伊勢神宮に献上されていた古代酒の研究論文が、偶然にも私の手に入ったのです。
これにヒントを得て、玄米を水につけて発芽させ、それを2度蒸してから麹菌をふりかけ、普通の2倍の時間をかけて、麹米を広げたり盛ったりという作業を繰り返してみたところ、ようやく麹菌を食い込ませることに成功しました。
こうして前代未聞の発芽玄米酒が完成したのです。
見返りを求めない生き方
この新しいお酒には、「玄米と水と微生物の生命力を結びつけることで、新たな生命力を持つ酒を生み出したい」という思いを込めて、「むすひ」と名付けました。
「むすひ」は、宇宙の根源的な生成化育(産み育て)の力を有する「産霊(むすび)」という言葉にちなんでおり、神と自然と人を結ぶといった願いが込められているのです。
味のほうは正直なところ、発芽玄米独特の癖があり、好き嫌いがはっきりと分かれます。
うまい酒の味を知っている人の舌には、ちょっと違和感のあるお酒かもしれません。
だから私は、初めてこのお酒を飲む人にはこう言っていました。
「日本一まずい酒です」
ところがなんと、この日本一まずい酒にリピーターがついてきたのです。
不思議に思い、再注文のメールやFAXを読んでみたところ、
「一度飲むとクセになる味」
という意見の他に、こんなコメントも発見しました。
「血糖値が落ち着いてきました」
「冷え性が良くなりました」
「血圧が安定しました」
さらには、この発芽玄米のお酒を患者さんに進める意思まで現れたのです。
今までの私は、添加物だらけの不自然な酒造りをしながら、お金を追い求め、人から撮ることばかり考えていたのが空回りして、何もかもが裏目に出て、にっちもさっちもいかなくなって・・・・・・。
それでも怖いから、持っているものを手放せないでいました。
それは酒造りの原点である発行に立ち返ることで、微生物の生き方、それは与えっぱなしで、何一つ見返りを求めない、ただ自分の使命を全うする生き方に気づかされたのです。
それが多くの人に喜んでもらい、健康のお役にまで立てるお酒を作れるようになったばかりでなく、倒産寸前だった酒蔵が、再生への道へと歩みだすきっかけにもなったのです。
私は大自然の恵みに感謝しつつ、ここに至る道程を支えてくれた教え、それを、示してくれたある人に逢いたいという思いを募らせて行きました。
その人とはもちろん、斎藤一人さんです。
「場」がもたらしてくれる不思議なご縁
私は日頃から、二つの神社によくお参りに行きます。
一つは、関東で古くから信仰を集める東国三社の一つで、寺田竹本家が代々、お神酒を奉納してきた香取神宮。
もう一つは蔵の裏にある神崎神社で、ここの家から汲み上げられた清水を使って、お酒を造らせて頂いています。
お参りに行った際には必ず日頃の感謝をするとともに、「いつか一人さんに逢えますように」と願をかけていまし
た。
そんなある日、取引先への配達から帰った私に一本の電話が入りました。
それは「ゆうゆう」という喫茶店を営んでいる私の知人からでした。
「寺田さん、急で申し訳ないんだけど、今からうちの店に来ていただけないかしら?
至急、相談したいことがあるの」
少し興奮気味に話す知人のことが気になって、私はすぐさま車に飛び乗って、知人のお店に向かいました。
お店に着いて車を停めようとしていると、それを待っていたかのように知人がお店から出てきてこう言いました。
「寺田さん、ごめんね。
相談っていうのは嘘で、実は今お店に来ている人が、寺田さんが前から言っていた、あの人みたいだったので・・・。
そう、その斎藤一人さん」
私は驚きと興奮で全身が震えました。
お店に入ると、一人さんらしき人は奥の席でお連れの方達と楽しそうにお話ししていました。
面識のない私がいきなり話しかけるのも失礼かと思い、カウンターのところでウロウロしていると、知人が一人さん達にこう話しかけてくれました。
「コーヒーのお味はいかがですか?
実はこのコーヒーは、あちらにいる寺田さんが無償で提供してくれる、特別なお水で作ってるんですよ」
私はドキドキしながら、そのお水は神崎神社の地下から汲み上げられた清水であること、自分もそのお水を使ってお酒を造らせてもらっていること、一人さんのことは本で読んで知っていて、いつかお逢いしたいと願っていたことを、一気にまくし立てました。
すると一人さんはにっこりと笑顔でこう言いました。
「実は私たちが今日ここに来たのは、香取神宮と神崎神社の御祭神に導かれてきたんですよ。
これも何かのご縁ですね」
私は驚きました。
確かに「一人さんに逢わせて下さい」と、香取神宮と神崎神社でお願いをしていましたが、それが「ゆうゆう」という場を介して実現するなんて!!
私はただただ、一人さんと引き逢わせてくれたこの「場」に感謝しました。
不思議な関係
こうして私とひとりさんは不思議な出逢いを通じて、不思議な関係が始まりました。
私は一人さんに憧れ、一人さんに学び、一人さんのようになりたいと願っています。
しかし、私は一度も一人さんに、「弟子にしてください」と言ったことがありません。
もちろん、一人さんから「弟子になりなさい」とも言われていません。
ひとりさんの仕事のお手伝いをさせていただいているわけでもないので、一人さんが私に対して親身になって相談に乗ってくれたり、アドバイスをしても、一人さんには何のメリットもないはずです。
さらに不思議なのは、私が何か悩み事を抱えていると、そういう時に限って一人さんから連絡が入り、「この前、いいお店を見つけたんだけど、一緒に行かないかい?」とさりげなく誘ってくれるのです。
それは一度や二度ではありません。
ほぼ毎回、そうなんです。
人に親切にするということ
私はある日、なぜこんなにも私に親切にしてくれるのかを一人さんに尋ねてみました。
すると一人さんからこんな答えが返ってきました。
「自分では、そんな大したことをしてるつもりはないんだけどな。
だって、人に親切にするのは当たり前じゃない?
どこの親御さんも、学校の先生でも、子供に『人に親切にしなさい』って言うよね」
確かにその通りです。
私も「人には親切にしなさい」と言われて育った記憶があります。
そして私の子供たちにも同じことを言ってきました。
しかし、大人になってからは、人が他人に親切にする時は、何か裏があるのではないかと考えるようになりました。
また、人に親切にした時は、何か見返りを期待してしまう自分がいます。
私が思っている親切と、一人さんがやっている親切とはどこか違うようです。
私は更にそのことを尋ねてみました。
「親切って、親を切ると書くよね。
これは、親になり切るという意味なんだよ。
親は子供に対して見返りを求めたりはしないよね。
もし、子供が何か危険にさらされていたら、自分を犠牲にしてでも助けたいと思うよね。
これが親心というものなんだよ。
この親心になりきるのが親切ということなの。
そこで私はこういうふうに考えているの。
もし、子供が他人に対して親切にしているのを見たら、親は嬉しいよね。
それに親切にされた人の親も喜ぶ。
全ての人の親は天であり、神様だと私は思っているの。
子供である人が親切にされているのを見たら、親である神様は喜ぶよね。
それに神様は私にとっても親みたいな存在だから、親に喜んでもらおうと思って人に親切にするんだよ」
私のこの話を聞いて、ようやく一人さんが私に対して、なぜこんなにも親身になってくれるのかが分かりました。
親身というのは親の気持ちになって全てを受け入れる心であり、育む心なんだ。
そして単に許可する「許す」ではなく、慈愛に溢れた「赦す」心であり、待つ心なんだ。
そんなことを私は一人さんから教わることができました。
すべてを発酵場に変えてしまう一人さんの力
一人さんに呼ばれて色んな所に行きましたが、一番驚いたことは、一人さんが行くところ全てが、日が差したように明るくなり、花が咲いたように笑顔で溢れていることです。
そして出会った人をどんどん幸せの道へと導いてしまうのです。
一人さんのお弟子さんである「銀座まるかん」の社長さん達も、ごく普通の人達でした。
一流の大学の出身者でもなく、特に何かで成功して、一人さんにスカウトされたわけでもありません。
どちらかと言うと、人生に迷える人だったのかもしれません。
そんな人たちが一人さんと出逢い、教えに触れていく中で、自分が本来持っている力をどんどん開花させていったのです。
一人さんは人を変えようとしたりとか、否定したりすることが全くありません。
その人のそのままの状態を認めてくれて、その上で導いてくれるのです。
だから、一人さんと一緒にいると、とても心地よくて楽しいのです。
決して無理なことをしなくてもいいのです。
これはまさに、発酵馬の条件にピッタリです。
発酵場が整っている場所は、菌などの微生物が住みやすい環境が整っていて、人がいても心地よく感じます。
そして発酵は、何かを変えようとはせず、そのものの特性を最大限に引き出そうとします。
例えば、発酵で米が麦に変わることはありませんが、その米の特質を最大限に活かして、美味しいお酒を作ることができます。
これに対してその場が腐敗場になっていると、お米はただ腐るだけで、決して美味しいお酒を造ることはできません。
腐敗場にいると、人も不快に感じます。
実はこの発酵場にいる菌と腐敗場にいる菌は、ほとんど同じ箘なのです。
大気中にいる多くの菌は「日和見菌」と言われていて、良い菌にも悪い菌にもなります。
つまり、箘そのものの良し悪しではなく、発酵場にいるのか、腐敗場にいるのかで変わってくるのです。
人にもそれぞれ個性があります。
その個性が悪いいうことはありません。
要はその個性が発酵に向かっているのか、腐敗に向かっているのかで、結果が変わってくるのです。
※ 寺田啓佐(てらだけいすけ)
自然酒蔵元「寺田本家」23代目当主。
1974年に、300年続く老舗の造り酒屋「寺田本家」に婿入り。
1985年、経営の破綻と病気を期に自然酒作りに転向。
自然に学び、原点に帰った酒造りによる日本酒「5人娘」の製造販売を開始。
その後、発芽玄米酒「むすひ」や、どぶろくの元祖「醍醐のしずく」など、健康に配慮したユニークなお酒を次々商品化し、話題を呼んでいる。
2012年4月、逝去
追伸 物事を美化する
一人さんがいる場が発酵場になる。
つまり、そこにいると心地よくて、その人の持っている才能を活かして幸せになってしまうのは、一人さんがやっている、ある習慣にあるのではないかと私は思います。
それは、美化です。
例えば、古い電車があれば、「なんだこの古い電車は。早く処分して、新しいのに変えればいいのに」ではなく、
「この電車は長い間、多くの人を運んできたんだな。
私もおかげで目的地まで行くことができる。
ありがたいな」と見るのです。
一人さんはわたしの酒蔵を見て、歴史を感じる酒蔵ですねと言ってくれます。
社会に対してもそうです。
景気が悪いとかなんとか、社会のせいにするのではなく、こんな世の中だからこそ、何かチャンスがあるはずだと見る。
雨の日も、「濡れるから嫌だな」ではなく、「草木が喜んでいるな」とよく見る。
このように、出来事自体は同じでも、美化してみるだけで、感じ方が全く変わってしまいます。
一人さんはまさに、この美化の達人なのです。
例えば食堂で、注文した料理がなかなか出てこない時は「今日は昼から贅沢に懐石料理ですね」と言ったり、まずい蕎麦屋さんに入ると「あの蕎麦屋はすごい!!そばから出汁を取っている」と言ったり、サービスも料理も褒めようがないような、すごいお店に入った時は、「今日は、良い修行ができましたね」と言って、笑いに変えてしまいます。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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