お金がなくなったから女もいなくなったって言うけど、そういう人はもともと嫌われていたんだよね。
間違ったことを教えるのも神の愛
占いをするのはいいけど、占いに頼ったりすがったりするのって、人生に必要な判断を他人に委ねているんだよね。
それで最初の何回かは占ってもらった通りにやって運勢が良くなったとしても、その後だんだん悪くなってくるの。
なぜそうなるかと言うと、神は自分で考えることまで他人に委ねるのを嫌うんだよ。
それが神の愛なの。
要するに、人にばっかり頼っていたらいけませんよっていうことを教えてくれる神の愛なんだよ。
悪いことを考えた時とか、自分も幸せになって人に親切にするっていう基本的なことがない時は、守護霊は役に立ちません。
それも神の愛なんです。
間違ったことをしているのにいいことが起きたら、間違いは永遠に正されないっていうことになっちゃうんだよね。
人は誰かの幸せのために犠牲にならなければいけないとか、そうしたことは基本的に間違っているの。
自分も幸せになって相手も幸せになることを考えないといけないんです。
不幸は怠け者でもできるの。
嫌なことがあったから嫌な顔をするって、誰にでもできることだよね。
そこを明るくするっていうのは、努力と忍耐がいることなんだよ。
だけどそれをやっていると良い結果が出てくるんです。
よく自分さえよければいいって言うけど、自分も良くて、周りの人にも親切にしてて大変そうに思えるけど、神が味方するからその方が楽なんだよ。
自分さえよければってうまくいきそうだけど、実はだめなの。
何故かって言うと、神も味方しないし、世間も味方しないんだよね。
だから結局、うまくいかないの。
万が一うまくいったとしても、友達もできないんです。
家族からも嫌われちゃう。
だからそういう人生って失敗だよね。
いくらたくさんのお金があっても誰からも愛されないようでは寂しいよね。
銀座のクラブで金を使うとするよね。
それで、うんと金使うのがいい客だと思ってる人がいるの。
でも、人間的に嫌われている人は嫌われているの。
だからそういう客が帰った後はみんなで悪口やなんか言うんだよな。
そういう人って、何十万円と使ってまで悪口を言われているんだから。
よく金の切れ目が縁の切れ目って、お金がなくなったから女もいなくなったって言うけど、そういう人はもともと嫌われていたんだよね。
本当の真理は行動していると必ずうまくいく
占いが好きで占い師のところに行く。
それで当たっているとしたら最初はいいんだよ。
それがだんだん悪くなるなら、自分で考えることを放棄したらどうなるかということが、行動の結果わかってきたんだよね。
どんなに立派に聞こえることでも、自分が幸せになって周りの人も幸せにならないんだとしたら、それは嘘なんだよ。
誰が何と言おうが、3000年前からでも4000年前からでも言われていることだろうが嘘なの。
だって事実上、あなたって不幸でしょ? って。
真理は一つって言うけど、今のあなたが不幸なのが絶対なる真理なの。
それ以上の真理なんてないんだよ。
私の教えてあなたが幸せになれば、それがぴったりの真理なの。
それで、もし私が言った通りにやってうまくいかなかったら、やめればいいだけなんです。
それであなたにもっとあっているものを探せばいいの。
ただどんなに立派な真理だろうが、行動していて不幸ならそれは間違いなんです。
それでおおよそ私の言っている真理って、やっているとうまくいくの。
自分を幸せにしてから人には親切にする
自分の足下を見て、まず自分が幸せになって、それから周りを幸せにして行くの。
特別な能力が欲しいというのは、人より得意なことをして有利に立ちたいっていう考えなんだよね。
それより人に親切にする方がいいんだよ。
滝に打たれて座禅を組んで、10年とか20年という歳月を費やして悟りを開きましたって、それで悟りを開いてどうするのって。
結局は人に親切にするしかないから。
悟った人間が怒った顔をしていることもないし、不親切なこともないの。
それだったら10年修行する暇があるなら、笑顔にして人に親切にしてればいいんだよね。
それを今いる会社でやればいいんだよ。
今いる職場でやればいいの。
そんな基本的なことが分かってから神を語ろうよ。
守護霊を語ろうよ。
私は今、ボランティアで「三身一体開運法」というのを教えてるんだけど、その三身が一体になるというのは、自分が神で真我が汚れているから、その汚れを取るための行いなんだよね。
「私は愛と光と忍耐です」って人に対して4回言うとして、10人にやると40回、100人にやると400回ということになるの。
それで現実に魂が綺麗になってくると起きる現象が違ってくるんです。
そういう体験をすると、オーラを大きくしたり、小さくしたり、相手に送ったものが見えるようになってきます。
不思議なことは不思議で終わらせたらダメなんだよ。
感じられないものが感じられるようになって、見えないものが見えるようになって、それが本当の神事になるんです。
理由もわかんないことをしているのが神事なんじゃないの。
私は自分のやっていることを一つも不思議なことだとは思ってないんです。
気だって感じられるようになるし、自分のオーラを小さくしたり大きくしたり、人のオーラだって見えるようになるんだよ。
神的な欲と悪魔的な欲
神的な欲と悪魔的な欲っていうのがあるんです。
人の物を取っちゃうとか、人の国を攻めるというのは悪魔的欲なんだよ。
今は法律が整備されて、そういうことは国際法上良くないってなったの。
今は、例えばえみこさんが何か買いたいんだとしたら、働いてお金を得ます。
それで人より多く得たいんだとしたら、人よりいい仕事をしないとダメなんだよ。
それで神的な欲を持って仕事をして、それで服を買う、バッグを買う、時計を買うって言うと、自分も喜ぶけど服屋さんも鞄屋さんも時計屋さんも喜ぶんだよね。
仕事を一生懸命やって利益が出たら税金を払う、そうしたら国も喜ぶ。
今は悪魔的欲って犯罪者しか出せないんだよ。
今こそみんなが正しい欲を燃やさないとだめなの。
「自分はもっと幸せになりたい」
「もっと美しくなりたい」と思ったら、そのためにできることから始めるんです。
もっと健康になりたいんだとしたら、体を動かさないとダメ出し、普段食べるものにも注意するんです。
それで、そういう人たちがこの国を支えているんだよね。
保険料を払っても使わないような人がこの国を支えているの。
病人が国を支えているわけじゃないんだよ。
だからみんなが神的な、まともな欲を持たないとダメなんだよ。
それを未だに、欲は全部いけないんだって言ってること自体が神的じゃないんだよな。
時代遅れなんだよ。
昔はそれでもよかったの。
地球が平らだって思いたい時期もあったの。
それはそれで良かったんだけど、今はそういう時期を過ぎたよね。
だからこの話も、魂のお祝いに対して必要な話ならば、必ず聞いてくれる人がいるんです。
でも中には未だに神に頼っていたい、人に頼っていたい、嫌なことが起きたら先祖のせいにしたいとか、そういう人たちには向かない本かもしれません。
ただ今の考え方で幸せになれないあなたは、この先も不幸のままだよね。
あなたが不幸だということ自体が人に頼り、神に頼り、自分の基準を変えようとしない結果なんだよ。
それで、あなたが不幸だということは、神がいる証拠なんです。
神が気づかせてくれているんだよ。
あなたが幸せなら、この世に神も仏もいないんだよ。
あなたはあなたの脳で考え、あなたの心で考えるようにできているんだよ。
人のことを認めるのが魂の時代
魂の時代って、自分が大切なように、他人も大切なんだということが分かる時代なの。
他人の魂も認めるって事なんだよ。
それで同じ魂だから、自分の得意なことはやってあげて、自分が苦手なことはやってもらう。
お互いがそんなことで認め合って助け合って生きていく時代なの。
本を作るのだって、私一人じゃできないんです。
編集者の方がいて、出版社や印刷会社、書店があって、初めて読者の手に届くんだよね。
それで本が売れたらその著者が偉いのかって言うと、やっぱり著者一人で本を作ることってできないんだよ。
お互いそういうことが分かってくると威張る人も少なくなってくるし、落ち込む人も少なくなるんです。
それで、今、自分のいる所で人に親切にするの。
長屋にいたら長屋で人に親切にできるし、 山の手にいても人に親切にすることはできるんです。
郵便局長より幸せな郵便配達員もいるんだよ。
この世はとにかく与えられた環境で幸せになるのが大切なんです。
無理して親切にする必要はないの。
誰かの保証人になるとか、そういうことだけが親切ではないよね。
自分のできる範囲でやればいいの。
自分が食えないのに人に与えなさいとか、そういうことを言ってるんじゃないんだよ。
笑顔でいるとか、上気元(一人さんは上機嫌をこう書きます)でいるとか、人が相談してきたら知ってることを教えてあげるとか、その程度のことでいいんです。
サラリーマンなら、あの人と同じ課になって良かったなって言われる人になるの。
商人ならあの人の所で物を買いたいって言われる人になればいいんだよ。
追伸 質問 金の切れ目が縁の切れ目
見栄っ張りな夫は、友達に奢ったり、家に人を招いて大判ふるまいをしたりします。
やめさせるにはどうすればいいですか?
斎藤一人さん
方法としては色々あると思うんですよ。
例えば、お小遣い制にして、家計を脅かさない範囲内で人にご馳走するとか、色々あると思うんです。
それよりも、私が気になることがあります。
はっきり言います。
ごめんなさい。
この旦那さん、もしかすると本当の友達がいないんじゃないですか。
それか、自分に自信がないのではないかと思います。
だって、見栄っ張りって、自分を大きく見せたいということですよね。
なんで、自分を大きく見せたいのでしょうか?
きっと奢ってあげないと自分と一緒にご飯を食べてくれないとか、大判振舞いをしてあげないと家に遊びに来てくれないとか、何か恐怖が心の底にあるんだと思います。
だって、奢ってあげなくても、人って仲良くなれるんじゃないですか。
一緒にご飯を食べたり行くんじゃないですか?
斎藤一人さんたちの仲間うちの楽しいルールは、基本的に、みんな割り勘です。
なぜかと言うと、おごりだから来る人というのは、別に本当は、その会が楽しいからとか、会いたくてきたとか、そういうわけで来てるわけじゃないですよね?
だから割り勘はいいですよ。
だって、絶対に来たい人しか来ないですから。
斎藤一人さんは、それが人との正しい付き合い方のではないのかと心から思っています。
だから、まずは、あなたが旦那さんの心の中の恐怖を取り除いてあげてください。
とっておきの方法があります。
それは、こんな風に言ってあげるんです。
「あなたって本当に人気者ね。だから、別に奢らなくても、みんな喜んで来てくれるわよ。割り勘で行けばいいじゃない。」
「家に呼ぶ時も会費制にしましょう。あなたのこと好きな人が、喜んで来てくれるわよ」
だって、「金の切れ目が縁の切れ目」、なんてことになってしまったらそれこそ悲しすぎますからね。
本当に奢らなくて誰も来なくなったら、あなたがこう言ってあげてください。
「誰よりも、私があなたのことを、いつも心から愛してるわ!」
心の隙間が愛で埋まると、見栄を張る必要なんてなくなりますよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きもございません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。