「よく、『歯の歯が浮くようなお世辞』って言うけど、歯が浮くぐらいはまだまだ。
歯が抜けるぐらいがちょうどいいんだよ」
物事を美化する
一人さんがいる場が発酵場になる。
つまり、そこにいると心地よくて、その人の持っている才能を活かして幸せになってしまうのは、一人さんがやっている、ある習慣にあるのではないかと私は思います。
それは、美化です。
例えば、古い電車があれば、「なんだこの古い電車は。早く処分して、新しいのに変えればいいのに」ではなく、
「この電車は長い間、多くの人を運んできたんだな。
私もおかげで目的地まで行くことができる。
ありがたいな」と見るのです。
一人さんはわたしの酒蔵を見て、歴史を感じる酒蔵ですねと言ってくれます。
社会に対してもそうです。
景気が悪いとかなんとか、社会のせいにするのではなく、こんな世の中だからこそ、何かチャンスがあるはずだと見る。
雨の日も、「濡れるから嫌だな」ではなく、「草木が喜んでいるな」とよく見る。
このように、出来事自体は同じでも、美化してみるだけで、感じ方が全く変わってしまいます。
一人さんはまさに、この美化の達人なのです。
例えば食堂で、注文した料理がなかなか出てこない時は「今日は昼から贅沢に懐石料理ですね」と言ったり、まずい蕎麦屋さんに入ると「あの蕎麦屋はすごい!!そばから出汁を取っている」と言ったり、サービスも料理も褒めようがないような、すごいお店に入った時は、「今日は、良い修行ができましたね」と言って、笑いに変えてしまいます。
人を美化する
一人さんはお弟子さんのいいとこばかりを見て、そこを育てようとします。
つまり、人に対しても美化してみているのです。
この時のポイントは、少なくとも3割増しぐらいで相手を美化して褒めるのだそうです。
これはどういうことかと、人は自分のことになると、2割ぐらいよく見がちだからです。
例えばこちらが冷静に見て、「この人は50点だな」と思ったとしても、相手は「自分は70点だ」と思っていたりします。
すると、50点の人に20点プラスしてみても、それは美化したことになりません。
相手は当然のことを言われたと思います。
ましてや自分が感じたとおり、「あなたは50点だ」と言ってしまうと、相手は「20点マイナスされた」と、それを批判と捉えてしまいます。
だから最低でも3割増しなのです。
一人さんはさらにこう言います。
「よく、『歯の歯が浮くようなお世辞』って言うけど、歯が浮くぐらいはまだまだ。
歯が抜けるぐらいがちょうどいいんだよ」
こういう話をすると、中には「美化って、嘘をついているのと同じではないか」とか、「相手におべっか使うのが美化なんだ」と考える人がいるかもしれません。
しかしそれは違います。
美化は嘘ではないし、おべっかでもありません。
相手は美化していると、本当に、その人はその通りになるのです。
これは心理学的な法則なのです。
人は褒められると、褒めてくれた人の前では「そうありたい」「そうなろう」と思うようになります。
例えば、いつもはむすっとしていて、もうちょっとにこやかでいたら素敵なのにと思う人がいたとします。
その人に、「笑顔が素敵ですね」と言うと、
その人は、「この人は私のことを、笑顔が素敵な人だと思っているんだ。嬉しいな」
と思うようになり、笑顔が素敵な自分を意識するようになるのです。
正しさよりも、楽しい美化
一人さんはこう言います。
「確かに自分が見たものを見たまんま、『あなたはこういうところが良くて、こういうところが良くない』というのは、正しいことなのかもしれません。
だけどそうやって、いつも正しい事を言っている人は、なぜか成功しないの。
周りから嫌われるし、愛されていないんです。
『自分は間違ったことは言っていないのに、なぜ?』って言うけれど、正しさで人の心を傷つけたり、暗い気分にさせているから愛されないんだよ。
だけど、周りにいる人たちを美化してみる。
誰に対しても美化して、それを言葉に出して言うの。
そうしていると、最初は輝いてなかった人も、太陽のように美しく輝いてくる。
美化できる人は、自分がいる場所を美しく照らせるようになってくるんだ。
それで美化された人も、美化している本人も幸せになれるんだよ」
これはまさに、美化が、人が成長する発酵場を作り出している所以ですね。
まず自分を美化する
最初は他人を美化してみようとしても、どうしても相手の欠点ばかりが目に付いてしまうことがあります。
自分を美化して見る習慣をつけると、自己重要感が満たされ、自分を褒めまくることによって、自分に余裕が生まれます。
そうすると、相手の良いところも見えてくるのです。
一人さんが自分を美化して、他人も美化して見られるようになったのは、お母さんの影響だと言います。
一人さんのお母さんは、学校の成績が悪い一人さんに対して、「もっと勉強しなさい」とは言いませんでした。
それより、「あなたは学校向きじゃなくて、社会に向いているんだね」と褒めたそうです。
そしていつも「信じてるよ」と言われていたそうです。
そんな一人さんですから、中卒であることも、「自分は学歴がない」とはみずに、「誰よりも早く社会に出てたから、誰よりも早く成功できる」と見ました。
小さい頃から体が弱かったことも、「体が弱いから成功できない」じゃなくて、「体が弱かったから、体の弱い人の苦労がわかる。
だから体にいいものを作ろう」と考え、「銀座まるかん」という、健康食品を作る会社を造って大成功しました。
また、景気が悪い、社会が悪い、政治が悪いと、周りのせいにしなかったからこそ、今も成功し続けているのだと思います。
自分を美化するということは、自分に起こった過去の不幸な出来事さえも、幸福に変えることができます。
過去の出来事をいつまでも不幸な出来事として心にしまっていると、自分の心が腐敗場になって、恨みや妬みの心を生んでしまいます。
起こってしまった出来事を変えることはできませんが、そこから学びを見つけて美化するのです。
そうすれば、あなたの心に発酵場ができて、幸福を自ら選んでくるようになります。
自分の劣等感も美化する
自分を美化しようとした時、劣等感がある人はなかなか自分を美化することができません。
私もそれはよくわかります。
実はとても恥ずかしい話なのですが、私は「寝小便たれ」でした。
小さい頃におねしょをした経験は誰でもあると思います。
また、小学校までおねしょをしていたという話もたまに聞きます。
しかし私の場合、大人になってからもおねしょは治りませんでした。
小学校の修学旅行の時、私はおねしょをすることが怖くて、親にも学校にも内緒で修学旅行に行きませんでした。
そのことがばれて学校中に広まり、やがてクラスメート達は私のことを「寝小便大統領」と呼ぶようになりました。
私はそのことに深く傷つきました。
それから中学校、高校の修学旅行の時は一週間前から水分をとることを控え、さらに修学旅行の当日は一睡もせずに過ごしました。
起こってしまった出来事を変えることはできません。
しかし、それを美化したり、そこから学びを得たり、笑い話にすることで、自分にとって良い出来事に変えることはできます。
結婚してからも夜尿症が治らなかった私ですが、あることに気づいてからというもの、不思議と寝小便をすることがなくなりました。
それは、「自分は大人になっても夜尿症が治らない、恥ずかしい人間なんだ。
でも、こんな私のことでも頼って、、信頼してくれる人がいる」ということです。
それからというもの、自分の心の高慢さが消えて人の痛みが分かるようになり、優しく、人のいたわりの気持ちをもって接することができるようになりました。
すると不思議と、寝小便をしなくなったのです。
人は長所もあれば短所もあります。
そして多くの場合は、この長所の裏返しが短所であり、短所の裏返しが長所であったりします。
例えば、几帳面という長所を持っている人は、人から神経質だと見られるかもしれません。
逆におっとりしているという短所を持っている人は、人からおおらかな人だと見られるかもしれません。
大切なことは、自分の悪い所にとらわれるのではなく、それを美化して、いいところを見ることなのです。
私の場合も、自分の恥ずかしいところでもある夜尿症を美化することで、自分自身が傲慢にならず、他人の痛みがわかるようになりました。
小さい頃から辛くて劣等感の種になっていた夜尿症も、私に大切なことを教えてくれたと思えば、大切な思い出の一つに変わるのです。
あなたがいる場を美化する
自分を美化し、他人を美化できるようになったら、今度は自分のいる場を美化しましょう。
つまり、自分の周りを綺麗にするのです。
人は誰しも、綺麗な場所を好みます。
それは、綺麗な場所が発酵場につながることを、誰もが本能的に知っているからです。
逆に汚い場が嫌われるのは、そこが腐敗場につながることを知っているからなのです。
多くの人はゴキブリを嫌いますが、ゴキブリそのものを嫌うというよりも、ゴキブリがわくような不衛生な場が、腐敗場につながっていることを本能的に知っているから嫌うのです。
場を美化するポイントは、その場に感謝するということです。
いつも使っている自分の部屋、トイレ、お風呂など、自分の生活スペースに、「いつも使わせてもらってありがとう」という感謝の念を常に持っていると、汚れていたら自ずときれいにしようという気持ちが湧いてきます。
また、掃除という行為は感謝そのものです。
掃除は面倒くさくて、疲れる行為です。
しかし、掃除することによって、感謝の気持ちが湧いてくるのです。
「自分の部屋なんだから、汚れていようが、散らかってようが関係ない」と思っていると、部屋が汚れ、腐敗場を生み、何もしたくなくなるという悪循環を生みます。
そうではなく、まず掃除をする。
体を動かせば血液の循環も良くなる。
場が綺麗になれば、そこには発酵場ができ、心もすっきりするのです。
循環というのも大切なキーワードです。
部屋の窓を開けて空気を循環させる。
不必要なものをそのままにしていると、部屋の循環が悪くなります。
定期的に整理して、不必要なものは思い切って捨てましょう。
そして、常に使う人の立場に立って、場を考えましょう。
そこがお店だとすれば、店先はどんな状態だとお客さんは好感を持ってくれるか。
お店の中は、お客さんが快適にいられる場になっているだろうか。。
トイレに入った時、お客さんは気持ちよく使ってくれるだろうか。
目につきやすい場所だけではなく、普段目につかないところへも心配りをすることで、必ずお客さんに信頼感を与えることができるでしょう。
※ 寺田啓佐(てらだけいすけ)
自然酒蔵元「寺田本家」23代目当主。
1974年に、300年続く老舗の造り酒屋「寺田本家」に婿入り。
1985年、経営の破綻と病気を期に自然酒作りに転向。
自然に学び、原点に帰った酒造りによる日本酒「5人娘」の製造販売を開始。
その後、発芽玄米酒「むすひ」や、どぶろくの元祖「醍醐のしずく」など、健康に配慮したユニークなお酒を次々商品化し、話題を呼んでいる。
2012年4月、逝去
追伸 夫に「素敵よ」、妻に「綺麗だね」で夫婦仲良く
「うちの旦那はいつもブスっとしているの。不機嫌で嫌になっちゃうわ」
そう言っている奥さん、ご主人を褒めていますか?
ご主人は褒めてもらえないから不機嫌なのです。
試しに、「お父さん、いつも素敵ね」と言ってみてください。
「お前、熱があるんじゃないのか」などと言いながら、まんざらでもない顔。
すごく機嫌が良くなると思います。
「そんなことを言ったって、旦那だって私のことを褒めるどころか、ヘアスタイルを変えても気が付かないのよ。
なぜ私ばかりがお世辞を言わないといけないの」
という声が聞こえてきそうです。
私が思うに、お世辞とか、おべっかというのは、自分の利益のために、相手を気持ちよくさせる言葉。
ご主人を褒めるのは、それとはちょっと違います。
ただひたすらご主人に気持ちよくなってもらうための言葉です。
「自分を褒めてもらっていないのに、相手ばかり褒めるのは損」なんって思っていると、「バランスの法則」で、奥さんもいつまでたっても、ご主人から褒め言葉をもらうことができません。
「今はリストラとかで世の中は大変だけど、うちはお父さんがしっかり働いてくれるから安心」
「お父さんはやっぱりブルーが似合うわね。そのシャツ、素敵よ」
「髪、いつもより短くしたのね。その方がハンサムに見えるわ」など、何でもいいのです。
とにかく褒める。
そうすると、そこはバランスの法則ですから、ご主人も「今日はなんだか綺麗だな」とか、「この肉じゃが、うまくできたんじゃないか」とか、「お母さんは日曜日も家事があって大変だから、たまにはみんなで外に食事しに行こうか」なんてことになるわけです。
いい年して、そんなこと言えない?
そうでしょうか。
私の両親は結婚して、もう50年近く経ちますが、「パパは本当に昔から変わらなくて、優しい」なんて、子供の目の前で言ってます。
父は自営業なので、滅多に背広を着ることはないのですが、たまに着たりすると、「あなたは本当に何を着てもかっこいいわね」なんて言います。
父は父で、「ママはいつまでも若いな」とか「その服似合うよ」とか、しょっちゅう言ってますし、「今日は肌の調子が良さそうだね」なんてことまで言います。
私はそれが普通だと思っていましたから、子供の頃、よその家ではそういうことは言わないんだと知って、びっくりしたことがあります。
「旦那が私のことを何も褒めてくれない」と思っているなら、まず自分がご主人のことを褒めてください。
ご主人も同じですよ。
「もう妻の仏頂面を見たくない」と思っているなら、「いつも綺麗だね」と言えばいいのです。
簡単でしょ。
「セーター買っちゃった。素敵でしょ」
という奥さんに、間違っても、「何を着ても同じだよ」なんて言っちゃダメですよ。
「おお、綺麗な色だね。若返って見えるよ」。
こう言えばいいんです。
最初は心がこもっていなくてもいいのです。
ただのセリフ。
それで構いません。
そのうち本当に、「うちの奥さんが綺麗だな」と思えるぐらい、奥さんは輝いてくるはずです!!
斎藤一人さんの話を纏めました。
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