酒と女は二合まで
本物のお酒を造る
私の会社で起こったこと、家庭で起こったこと、これらはすべて、私が作った腐敗場が引き起こしたことだったのです。
そこで私は原点に返ることを決意しました。
私に起こった出来事を招いたのが腐敗場のせいならば、そこを発酵場に変えればいいんだと。
最初に手掛けたことは、本業の酒造りでした。
完全に向いてしまった酒蔵を立て直すためにも、良い8工場で作った本物のお酒を造ろうと決意しました。
本来、日本酒の材料は米と水、麹(蒸したお米に麹菌を植え付け、麹菌の酵素によって米のでんぷんを糖化させたもの)のみです。
いい米といい水、いい麹が揃えば、さかぐらに住み着いている微生物(発酵菌)がアルコールを生み出し、米が持つ地味滋養をいい感じで引き出して、自然とうまい酒を造ってくれます 。
昔はどこの酒蔵でも、このような自然に任せた酒造りを行っていましたが、私が酒蔵の仕事を始めた頃にはすでに廃れていました。
このやり方では規格通りの酒を安定して造ることができない上に、酒ができるまでに時間がかかり、コストも何倍にもなるからです。
しかも私は原価を出来る限り安く抑え、効率よく大量の酒を造るために 、農薬・化学肥料を使って栽培した安い米を使って「三増酒」を造るよう、、蔵人達に指示を出していたのです。
ちなみに三増酒とは、醸造用アルコールの他に、ブドウ糖や水飴、味を和らげる食品添加物、うまみ調味料などを人工的に加えたものです。
もちろん、三増酒を造っても法律違反ではありません。
しかし、三増酒は本来の鮭とはかけ離れたものです。
日本酒の体裁を取りながらも、中身は偽物と言っても過言ではありません。
何より三増酒は、飲み過ぎると翌日には気持ちが悪くなります。
これは、三増酒に含まれる添加物による悪酔いです。
1005、ウチの蔵も含め、多くの作家がこの三増酒に手を染めました。
その結果、世間に「日本酒は二日酔いしやすい」という誤解が広まってしまったのです。
本来のお酒は「百薬の長」と言われてきました。
であれば、私ももう一度この原点に立ち戻り、生命が喜ぶ酒造りをしよう。
儲からなくてもいいから人様のお役に立つ、 いい酒を造ろうと決めました。
こうして私の新たなるチャレンジが始まったのです。
人がつくり出す発酵場
いいお酒を作るために、いい発酵場を作らなければなりません。
そのために、最初に私がやったことは、人の場を整えることでした。
まずは妻に、私の正直な想いを伝えました。
すると妻は一言、
「分かりました」
と答えてくれました。
続いて会社のみんなに酒蔵としての方向転換を説明するとともに、私の想いを伝え、最後に、
「これはある意味、賭けみたいなものなんだ。
だから、自分についてきてくれなんて、言えないんだけど・・・・・・・」
そう言いかけたところで、
「社長、是非私にも、百薬の長たる酒を造らせてください」
「私もついていきます」
との声と拍手が、社員たちの方から湧き上がってきました。
私の酒造りに対する熱い想いがみんなに届いたのです。
私はまさに、感無量でした。
次に私が手がけたことは、酒を造る場を整えることでした。
自然に任せた昔ながらの酒造りをするには、蔵に棲みついている微生物たちが働きやすい環境、つまり、発酵するのに最適な場をつくることが重要です。
そうやって微生物にとって快い場をつくってあげることで、私たちの酒造りに彼らが力を貸してくれるのです。
そこで私が注目したのが炭でした。
昔から「炭は波動を良くする」と言われ、あらゆる生命体のよりよく生きる力を高める働きがあるとされています。
私は蔵の敷地に20 M 間隔で、合計20トンの炭を埋めました。
また、麹菌を育てる部屋である麹室には、床、壁、天井の中に合計5トンの炭を敷き詰めたのです。
そうしたところ、想像だにしなかった現象が起こりました。
以前は蔵全体が暗く、どんよりした雰囲気だったのですが、炭を入れてからは、蔵を包む空気が「気持ちいいな」と感じられるようになったのです。
そう感じたのは私だけではありませんでした。
ウチの蔵で働いている蔵人たちが口々に言うのです。
「最近ここにいると、不思議と心が落ち着いてきて、気持ちが良くなるんですよ」
自然酒「5人娘」の誕生
こうして発酵に適した良い場ができました。
後は原材料です。
農薬・化学肥料で育てた米の使用をやめ、価格は3倍しますが無農薬の米と麹、そして寺田本家が代々頂いてきた神崎神社の清水のみを原料に、昔ながらの自然づくりの酒を作り始めました。
そして、様々な試行錯誤を繰り返し、ようやく無添加の自然酒が完成しました。
名前を「5人娘」と名付けました。
これは歌人・土屋文明さんに頂いた名前で、寺田本家20代目当主と懇意にしていた文明さんが、ある日ウチの蔵に遊びに来た際、大勢の娘が出てきて驚いたことがあるそうで、その思いでからこの名前が浮かんだとのことでした。
また、この名前には「娘がたくさんいる酒蔵の酒を飲んだら、きっと楽しいだろう」という文明さんの想いと、混じり気のない自然酒の酒に、 あれを知らない娘のイメージを重ね合わせたものである、とのことでした。
偶然にも当時、我が家には義母と妻、そして私の3人の娘と合わせて5人の寺田本家の娘がおり、私はいい名前をもらったと喜んでいました。
こうして丹精込めて造った「5人娘」ですが、市場ではなかなか理解してもらえません。
「昔ながらの自然の酒だって?
うちのお客さんは 、そんな酒は求めてないよ。
安い三増酒の方がよく売れるんだ。
悪いけど他をあたってくれないか」
行く先々の酒屋さんでこう言われる始末です。
それでも諦めるわけにはいきません。
ウチの蔵人たちが真心を込めて作った自然酒であり、自分たちが自信を持って勧められる、「百薬の長」たるお酒です。
それに私はこの酒を造るために相当額の借金を重ねていました。
もう後戻りはできません。
まさに背水の陣の気持ちで方々を駆けずり回り、新しい販売ルートを探し始めました。
行く先々で門前払いを食らいながらも、自分の娘を嫁がせる想いで、私は諦めずに回り続けました。
「わかってくださる方が必ず現れる。
捨てる神あれば、拾う神ありだ」
そんな思いを込めて回っている時に、私はある雑誌で株式会社「片山」の片山雄介さんのことを知りました。
片山さんの会社は酒や調味料など醸造食品の卸販売だけでなく、有機農業と醸造文化を結びつける事業も進めていました。
各酒屋に対して「本当の発酵と醸造というものを展開していこう」と呼びかけ、啓蒙しながら販売をしていたのです。
「きっとこの方なら「5人娘」の良さをわかってくれる」
そう思った私はすぐに片山さんに会いに行きました。
そこで私は必死の想いで「5人娘」の良さを説明すると、片山さんは味見もせずに、
「寺田さん、一緒にやっていきましょう」
と言ってくれたのです。
その後、片山さんのおかげで自然食品店を中心とした販売ルートが出来上がり、少しずつ、少しずつ、ウチの自然酒を愛飲してくれる方が増えていきました。
言霊の力
愛飲者の数がそんなに多くないものの、飲んだ人たちから、
「変わった日本酒だ」
「酸っぱいけれど、俺、こういうの好きなんだ」
「体が元気になるような気がする」
「こんな悪酔いしない酒を飲んだのは初めてだ」
というお声を頂戴し、私はもっといい酒を造りたいと思うようになりました。
私は「5人娘」が造れたことのお礼と、さらに良いお酒が造れますようにとの祈願を兼ねて、 近くの神崎神社にお参りに行きました。
そこで珍しい名前の千社札が貼られているのを見つけたのです。
「斎藤一人・・・・・・。
一人って、なかなか面白い名前だなぁ」
お参りを済ませた後、私はある書店に立ち寄り、何かためになる本はないかなと、店内を眺めていたところ、一冊の本が私の視線を釘付けにしました。
その本の著者の名前は何と、神崎神社で見つけた千社札と同じ名前だったのです。
私はその本に運命的な出逢いを感じ、中身も見ずにその本を買い求め、家に帰って貪るように読みました。
本の中で一人さんは自分の事を「変な人」と呼びます。
そうすることで、読者が読んで、もし、自分の考えと違うことが書いてあっても、「決してあなたが間違ってるんじゃないよ」というメッセージを受け取ることができます。
また書いている一人さん自身も、「変な人が言うことですから・・・・・・」と気負うことなく、本の中で語りかけてくれます。
累計納税額が日本一という偉業を達成して、事業家として大成功を収めているのに、全く偉ぶることがなく、身近な出来事を例に取りながら人生の成功、そして幸せを説く一人さんのことが、私は大好きになってしまいました。
私はその本を読み終えるとすぐに、他の一人さんの著書、一人さんのお弟子さんが書かれている著書も読み漁りました。
そこで、酒造りにも役立つ、ひとつのキーワードが浮かび上がってきたのです。
それは言葉の大切さです。
人が発する良い言葉、一人さんが言う天国言葉は、その人を幸せに導きます。
逆に悪い言葉、地獄言葉を使っていると、その人も周りの人も不幸になります。
「良い言葉、天国言葉は人が成長する場、発酵場をつくり出し、悪い言葉、地獄言葉は人を腐らせてしまう悪い場、 腐敗場 をつくる。
言葉は言霊。
波動。
エネルギー・・・・・・。
酒造りに欠かせない発酵場をつくるために、これをどう活かせばいいか・・・・・・」
そう考えているうちに、あるアイデアが浮かびました。
「そうだ、仕込み唄を唄いながら酒を造ろう」と思ったのです。
発酵場をつくる仕込み歌
一人さんが言うように、日本の人たちは昔から言葉を大切にしてきました。
古くは万葉集に収められた和歌にこのようなものがあります。
「しきしまの大和の国は言霊のさきはふ国ぞまさきくありこそ」(柿本人麻呂)
その意味は、「日本という国は、言霊に宿る霊的な力「言霊」が助けてくれて、幸福へと導いてくれる国なのです」ということです。
言霊に霊が宿るのであれば、その言葉を唄にのせた仕込み歌はきっと発酵場に良い影響を与えるはずです。
ちなみに仕込み唄とは、昔はどこの酒蔵でも唄われていたものです。
酒造りは通常、厳冬期に行われます。
しかも、昔ながらの酒造りの場合、近代的な酒造りの10倍もの手間暇がかかる仕事で、何日も寝られない日があったりするほどでした。
そんな仕事を少しでも楽しんでやれるようにと、昔の蔵人達は楽しい仕込み唄を唄いながら作業をしていました。
近代化の中で忘れ去られてしまったこの習慣を復活させようということで、私達は唄いながら作業を始めたのです。
そうしたところ、蔵人達は大変な仕事もニコニコしながらやるようになり、いつしかくらの中から「大変だ」「嫌だ」「疲れた」などという、否定的な言葉が消えていました。
「芽でたいな~ 芽でたいな~ ・・・・・・」
仕込み唄がこだまする蔵の中では、自然とみんなの心も明るくなり、出てくる言葉も楽しいものになっていったのです。
良いことはそれだけではありませんでした。
ある日、私たちはとんでもないことを発見してしまったのです。
それは、仕込み唄を唄いながら酒を造ると、今まで以上に発酵の具合が良くなり、お酒の味が格段に良くなるのです。
試しに唄わずに造ったものと、歌いながら造ったものと比べてみたのですが、唄ったものは絶品でした。
その理由をいろいろと調べてみたところ、蔵つきの微生物(発酵菌)たちの生命力が強くなっており、響きあいが起こり、それによってうちの蔵が、より良い発酵場になったことが判明したのです。
※ 寺田啓佐(てらだけいすけ)
自然酒蔵元「寺田本家」23代目当主。
1974年に、300年続く老舗の造り酒屋「寺田本家」に婿入り。
1985年、経営の破綻と病気を期に自然酒作りに転向。
自然に学び、原点に帰った酒造りによる日本酒「5人娘」の製造販売を開始。
その後、発芽玄米酒「むすひ」や、どぶろくの元祖「醍醐のしずく」など、健康に配慮したユニークなお酒を次々商品化し、話題を呼んでいる。
2012年4月、逝去
追伸 ツキを運ぶ他力のはたらかせ方
「それが、自力の後に他力あり」
そう言うと、一人さんは、
「そうだよ。
逆の立場で考えてごらん。
例えば、郵便配達の人があっ寺田さんにいつも笑顔で天国言葉を話し、美化してくれていたら、あの郵便屋さん、いい人だなと思うよね。
その郵便配達人の人が郵便局を辞めて、人が来ないような場所で喫茶店をやることになったら、寺田さんはどうする?」
私はすぐさま答えました。
「もちろん、その人に会いに、お店行きますよ。
周りの人にも、あそこに喫茶店ができたから、行っておいでっていっちゃうな。
いい人だから、何かしてあげたい」
「私も同感だな。
そこの店の人がいい人なら、出来る限り宣伝するし、知り合いも連れて行っちゃうよね。
そうすると、そこの店の人は感謝感激して、自分は何て運がいいんだろう。
そこまでしてもらってとか、言ったりする。
でも、それは、今まで自分が周りの人に与えてきたものが、巡り巡って返ってきただけなんだよね」
「それが自力の後に他力あり。
自力なくして他力は働かない、ということなんですね。
そして、その自力というのは、自分でデコレーションすること。
自分で自分の幸せをデコレーションし、なおかつ人のもデコレーションするということなんですね。
でも、一人さん、郵便配達の人の霊は納得いくんだけど、ウチの場合、見ず知らずの人達まで応援してくれたんですよ。
これはどういうこと?」
私はそういうと、一人さんは、ニコニコしながら、
「寺田さん、他力って、人間だけじゃないよ。
他にも、見えない他力っていうのがある。」
「えっ?」
「寺田さんは、ひたすら人のことをデコレーションしてきたんだよ。
私と会う前から、生命が喜ぶ酒、百薬の長たる酒をもくもくと作り、人にも親切にしてきたんだよ。
それを神埼神社や香取神宮の神様は、ずっと見ていたんだよ」
「ということは、マスコミ各社がて楽だ本気を応援してくれたのは」
一人さんは、頷きながら、
「神様がそう向けたんだよ。
神様の救いの手は、それだけじゃない。
昔ながらの酒造りに戻して、経営が軌道に乗るまでの間、いろんな困難があったけれど、その都度、奇跡が起きたよね。
あれも神様の御技なんだよ。
私が、寺田さんにいろいろ教えるようになったのも、そうだよ。
私は神様に、寺田さんが成功するための手伝いをしなさいと言われて、あなたのところへやってきたんだよ。
だから、自力の後には他力あり。
自分でデコレーションしている人、自分のだけでなく人のデコレーションまでしている人は、誰でも絶対に他力が起こるんだよ。
自分の実力だけではできそうにもない、ハッピーなことが山のように起きるんだ」
一人さんが語り終えたとき、さわやかな風が二人の間をさっと駆け抜けて行きました。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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