昔の貴族の家は「浄土造り」と言って、庭に池があったり部屋に仏間があって、そこに観音様が祀ってあったりしました。
最大の資産は自分です
それと、「死んであの世に持って行く物って記憶しかないんだよ」と一人さんは言います。
今世の私は、商売はお金を通して経済を学ぶ使命だったんだと思います。
でもスポーツを通じてとか、子育てを通じてとか、いろんな立場通じて人は自由や豊かさを学びに来てるんだと思うのです。
与えられた環境の中でどう、豊かに生きるかということをみんなで学んでいるのです。
その中でどんな豊かさを作るか。
それが天とつながると出てくるのです。
この豊かさを最大にに作っているのが一人さんです。
なぜなら先日、「一人さんにとって資産とは何ですか?」
という質問に、即答で「自分」と答えたのです。
「何百億も生み出しちゃう体でしょう? これが。
何があったってこの体があれば、何回でも立ち直れちゃうんだよ、それ以上の資産ってないよ」
一人さんと出会って40年という月日が経っていますが、私はこの答えに度肝を抜かれました。
確かにひとりさんは我が身一つで何百億というお金を生み出してしまいますし、これ以上ない位の心の豊かさがそこにはあります。
まさに自分の中の天と繋がって、豊かさを生んでいる人、天の才を活せる「天才」だと思うのです。
そんな中、私は小さい子供からも、お年寄りからも、多くのことを学ばせてもらってます。
お金がなくても豊かにしている人と会うとすごく勉強になります。
自分に与えられた環境の中で、豊かさを持って生きている。
そういう人へやっぱり人柄が良くて、天と繋がっている人だと言えます。
この世が天国になる日
何か問題が起こった時、そこに起きた現象と、それに反応した心の現象があります。
そこで心が負けると落ち込んだり、悲しんだりということになります。
でもその時に、心が起きた現象に負けてない人たちがいます。
そういう人たちが、昔も今も時代を引っ張り、支えてきたのです。
どんなに辛く悲しい時でも、明るく天国言葉を使って顔晴っきたのです。
愛と怖れは常に表裏一体で、恐れが出ている時は愛がなくなっていますから、人の幸せを願う行もそう、笑顔も天国言葉も、ありがとうゲームもそう。
愛を出す訓練を一人さんがさせてくれました。
起きた現象が辛いから、苦しいから、悲しいからとただ落ち込んでいるのは、私は自分の人生をサボっているのと同じだと思います。
でもそれをやり続けた人だけで自己重要感を得られ、さらに人に対しても自己重要感を与えられる人になれるのです。
何かあった時に問題から逃げてはいけません。
もしそのことでもしあなたが辛かったり苦しかったりしたら、それは天からの、何かを変えなさいというメッセージなのです。
私たちはそれを素直に聞く耳を持たねばなりません。
天は常に私たちに手を差し伸べています。
私たちはその手に気づかないといけません。
天がくれたギフトに気づいて、受け取らないといけないのです。
運勢を開くためにはまず、自分の心の扉を開かなければなりません。
その扉を開くと無限大の知恵があるのです。
そこが天です。
私はこれからの時代、天を味方につけないで成功することは不可能だと思っています。
これからは魂の夜明けとともに、それぞれが天命を全うする時代が来るのです。
自分の大切さに気づき、相手の大切さにも気づく。
輪廻を繰り返してし成長してきた自分が魂に気づき、お互い成長を助けあった魂の友との縁にも気づく。
そんな気づきが一つ、また一つと増えていけばやがてこの世は天国となり、地球村が完成するのはだと思います。
「楽行」のススメ
お釈迦様は人を導くための悟りを拓くために、難行・苦行というのをしたんです。
滝に打たれるとか、断食をするとか、座禅をしてずっと座っているとか。
それもその辺とかじゃなくて、ジャングルの奥地でトラがでるような所で座っていたから大変だったんです。
この難行・苦行で悟れる人はすごく少ないんです。
だから、ほんの一握りの人しか悟りの道を行く船に乗れなかったの。
だからこれを「小乗仏教」と言って、小さくしか乗れないよっていう意味なんです。
それを法然という人が出てきて、ただ「南無阿弥陀仏を唱えなさい」と言ったの。
それで、昔から「南無阿弥陀仏」というお経はあったんだけど、心に浄土を描かないと駄目だったんです。
つまり、浄土を心で描きながら「南無阿弥陀仏と唱えな極楽浄土へは行けないと言われていたんです。
昔の貴族の家は「浄土造り」と言って、庭に池があったり部屋に仏間があって、そこに観音様が祀ってあったりしました。
だから心に浄土を描くこともできたんです。
でもそうなってくると、貴族しか悟れないっていうことになってしまいます。
だって普通の人たちは心に浄土を描こうにもそれがどんなものか分からないし、貴族の家に入れてもらって見ることもできなかったんです。
そこで法然は心で描くなくても「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでいいんだよと言って、多くの人を救う教えとして広めました。
その教えは難行・苦行に比べて楽だからということで、「遊行」と言ったんです。
こうしてこの教えは親鸞などに受け継がれていきました。
昔は、女性は不浄な存在だから成仏できないと言われていたんです。
比叡山や高野山なんかでも昔は女人禁制で、未だにそういった場所も残っています。
もし本当に女性が成仏できていないんだとすれば、女性は天国に行けないということになります。
ということは、天国には男しかいないっていうことになってしまいます。
それって私に言わせれば地獄なんです。
そこで親鸞は「女性も成仏して極楽浄土に行けるよ」と言って、民衆を導いたんです。
親鸞はお坊さんで初めて結婚したと言われていますが、正確に言えば、初めて自分が結婚したことを世間に知らせた人なんです。
その当時から多くのお坊さんは隠れて奥さんを貰っていたの。
比叡山が焼き討ちされた時に女性がたくさん出てきたっていうのは、正式発表してないけど、隠れて奥さんをもらっていたからなんです。
それを親鸞は世間に発表したんだよね。
何故かって言うと、女性は不浄で、その女性と結婚した男性も成仏できないんだとしたら、ほとんどの人は成仏できないことになります。
そこで「それっておかしいんじゃないか?」ということで、自ら結婚を発表したんです。
遊行というのは、難行・苦行に比べたら遊んでるぐらい楽だから遊行と言ったんです。
ただ、その遊行でも救われない人がいるんです。
遊行という教えが広まってから何百年と経ったけど、それでも駄目なんです。
それで私が天から教わったのは「楽行」というものなんです。
「らく」で「楽しい」とできる人もたくさんいるの。
だから私が神や仏の話をするにしても、「CDを聞くだけでいいよ」とか、「別に口で唱えなくてもいいよ」って言うんです。
それに私のCDは面白くて笑っちゃって、楽しくてしょうがないんです。
人って楽しければ聞くよね。
だから私が伝えたいのは楽行の世界なんです。
私は自分で事業をしてるから、人にそういう教えを伝えてもお賽銭を要求しません。
場所とかもいらないから建物を作る必要もないし、だからみんなから寄付を集める必要もないんです。
CDなんかでも「自由にダイビングしてくださいね」とか言って、ただの上に、聞くだけで良いからすごく楽なんです。
「楽行」で楽に楽しく学んだ時、私一人で悟りを開いて成仏して天国に行ってもしょうがないね。
楽行をやった人達とみんなで天国に行くんです。
共に成仏しないといけないの。
それで楽行で成仏した人にはある、お役目があるの。
よく「解脱する」と言って、もう地球に生まれ変わってこない人とかがいるんだけど、楽行をした人は解脱しないんです。
またこの地球に戻ってきて、その時はまた仲間を増やして、ともに天国へ行ける人を増やすんです。
この地球で楽行をした人が天国にいっても、楽しかったからまた地球に戻りたいって思うの。
苦しかった人は二度と戻りたくないって思うんだよね。
でも楽行をした人は楽しかったから、地球に戻るのも嫌じゃないんです。
だから楽行をした人たちは天国にいても、「次はみんなでどこに行こうか?」とか、「私は、今度はアフリカに行きたい」とか、「私はチリに行きたい」と言って、そうしてこの世で楽行を広めて仲間を増やし、一緒にまたあの世に帰りたいの。
でないと、一人であの世に帰って誰もいなかったら寂しいもんね。
飼っていたペットや、みんなで行けるのが楽行の世界なんです。
楽で楽しくて、しかもみんなで行ける。
それでまた、みんなで帰って来られるんだよ。
遊行は難行・苦行に比べたら確かに楽だけど、でもつまらないの。
壁に向かってずっと座禅を組むとか、念仏をずっと唱えているとか、そういうのはよっぽど辛抱強い人しかできません。
私たちは楽で楽しくなきゃできない人を救いに来ているんです。
難行・苦行に耐えられる人は、どうぞそちらに行ってください。
あと1000年もすればこの楽行の世界が分かってくるの。
でも、今までが悪いわけではないんです。
難行・苦行から遊行に移り、そして今、楽行を学ぶ時が来たんです。
難行・苦行では苦しいし、遊行ではつまらない。
それが今度は楽しく悟りが開ける、成仏できる世界が来たの。
それが魂の夜明けなんです。
「楽しちゃいけない」と思っている人は、苦労しないと成功しないと思っているんです。
苦労というのは間違いなの。
天が「間違っているよ」と教えてくれているんです。
だから苦労をした時は、立ち止まって間違いを正すの。
それから行動するんです。
そうすると楽に成功します。
本田宗一郎も苦労してオートバイを作ったんじゃないの。
楽しくてしょうがなかったんだよ。
真の成功に向かう道を歩んでいる時は、ワクワクして楽しいんです。
辛くて苦しいんだとしたら、それは絶対に何かが間違っているんです。
苦労の後には苦労の道が続いています。
我慢の先には恨みが待っています。
だから、その前にストップして、自分の何が間違っているかは正さないとダメなんです。
正しい人が大変な思いや、苦労をするはずないんだよ。
だからそういう時は楽行に戻らないとだめなの。
それは決して、サボれと言っているのではありません。
例えばゴルフをするのでもマラソンをするのでも、大変だけど好きな人は苦じゃないし、楽しいんです。
それでゴルフでもマラソンでもやっていて楽しくなかったら、それはその人に向かないんです。
そういう人は水泳をやるとか、何か別のことで自分が楽しめることをを探せばいいの。
追伸 みんなで楽しく挑戦するということ
「あそこに住む気がして、仕方がない」というペントハウスの話をします。
それは最初に見た、夢の意味です。
私が「最上階を買います!」と、とっさに言っていたのは、天に向かってみんなで階段をのぼった、あの夢が頭をよぎったからです。
天に一番近い場所、それが最上階だったかもしれません。
そして後から登ってくる人達は、きっと共に、天を目指して挑戦していく人達だったのです。
それは特約店さんや愛弟子さん、一人さんが大好きなすべての人たち。
どの人も本当に楽しそうで、わくわく笑顔でいっぱいだったのが、今でもはっきり思い出せます。
私がこれまで辿ってきた道のように、天を目指す旅路は、楽しくて楽しくて仕方がないものなのです。
「俺が神様から教わったのは、難行苦行でもないし、遊行でもない。楽行なんだよ」
いつも一人さんはこう言います。
辛いこと、苦しいことはできない。
同じことをやっているのでは飽きちゃう。
それでも幸せに豊かに生きたい。
そんな人のために、一人さんの楽行があります。
楽しく楽しく、どこまでも楽しく。
天に続いている道は、そういうところなのです。
ペントハウスを購入した年のはじめ、私は「一人さんを3倍、広める」という目標を立てました。
それに伴って、またいろんなひらめきと引き寄せが起きて、今まで行ったことのないところにも講演会に出かけて行ったり、インターネットのこともさらに勉強したり、いろんなことに挑戦してきました。
すると、初めて出会う人がこれまでになく多くなってきたのです。
初めての人にももちろん、一人さんの事を一生懸命伝えます。
けれどその前に挨拶して、5億円のペントハウスの話をすると、誰もが「それはすごい!」と一目おいてくれ、その後の話を聞いてくれる姿勢がぐっと変わるのです。
同時に、ここへ来て一人さんが「押し出しは大事だよ」という話を公開してくれたのも、偶然ではないと思っています。
神様は、私が一人さんを3倍広めるための押し出し道具としても、ペントハウスを与えてくれたのでしょう。
そして「私も恵美子社長のようになりたい!」
「恵美子社長ができたなら私もできる気がする!」
「幸せなセレブになって、素敵な家に住めるようにがんばります!」
と言ってもらえるのも、すごく嬉しい。
ありがたいことだなぁと思うのです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
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