コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 杉の子供も完璧に杉

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「杉の子供は、小さいけれど完璧に杉だ」

と言うように、子供も完璧に「人」なのです。

 

 

 

今日は「誰か」を許してあげましょう!


人の一生は修行です。

今のあなたの魂が、もう一つ上にランクアップするのに必要な修行が、あなたの目の前に問題として出てきます。

「自分の親とどうもうまくやっていけない」

「自分の親が好きになれない、許せない」

という問題も、あなたの魂が必要とした修行です。

だから、あなたは、その親の下で生まれ、育ったのです。

親子の出会いは偶然なんかじゃありません。

あなたが、あなたの親を選んだのです。

私も、私の両親を選んで生まれてきました。

でも、以前の私は、それがなかなか理解できませんでした。

何かにつけて、「お前が跡継ぎ」と言われ、厳しい言葉が私に飛んでくる。

口答えは絶対に許されない。

言われたことができないと、五つ玉のそろばんが飛んでくる、殴る、蹴る。

私が叱られているそばで、母も一緒に叱られている。

父の会社に勤めてからも、それは全く変わりません。

外から入ってきた人は皆、私たちが親子だとは気が付きませんでした。

それなのに、世間の人は、私が「社長の娘だ」と言うと、

「社長の娘だからいいわよね。

親が死ねば、財産もらえるしね」

という目。

でも、「社長の娘」の私は、何を言われても、心の中で、

「思いたきゃ、思ってろ」

と、自分に言い聞かせるしかない、と思い込んでいました。

でも、このマイナス思考が、一番の曲者だったのです。

何もせずに「黙って耐える」じゃあ、状況が変わるわけがありません。

自分をがんじがらめにして、フラストレーションの行き場をなくしてしまっているのですから、

「なんで、この親の子供に生まれてこなきゃいけなかったのよ」

になってしまいます。

父のことを恨んでいたわけではありません。

殴られても、蹴られても、父親とはどこかで血の繋がりを感じていたけれど、愛していたけれど、でも、父のこと、父の娘として生まれてきた自分が許せなくなってしまったのです。

でも、何年か経った時、

「あっ、私は、この親でちょうど良かったんだ」

ということが感覚的にわかってきました。

人は、いろんな人から愛されて、誰かに許してもらって生きています。

どんな問題が出てきても、愛を失わないで、豊かな心で乗り越えていけるかを試されています。

問題を一つクリアした時、後ろを振り返ってみてください。

その時に、きっとあなたは大きな愛の存在を発見するでしょう。

それは、今、私が生きている、ということ。

私が生きている喜びを感じることができたのは、親が私を産んでくれたからです。

それが分かって、

「自分は、この親を選ぶ必要があったんだ。

全てが、この家で本当に良かったんだ」

と思えるようになりました。

父のことがもっと好きに、そして自分の命も愛せるようになったのは、それからです。

親の事が許せないうちは、自分のことも許せません。

許せるようになるまでが、ひとつの修行です。

何もあなたが困ることではありません。

あなたが、あなたの親を選んだ理由、それは、あなたが自分で見つけられます。

その時は、あなたも、親をもっと愛してあげられる、親の愛を感じられます。

大丈夫、あなたなら、絶対にできる。

だって、あなたも、今、生きているんですもの。

 

追伸 信じないのは、相手の人生を邪魔するようなもの

 

ユミ

一人さんのお話を伺っていると、人を信じないって、相手の人生を邪魔するようなものですね。


斎藤一人さん

まさに、その通りなの。

相手に悪い波動を送って、邪魔するのと同じだよね。

親子関係でも、親は子供の事を心配するのが当たり前だと思っている人は多いかもしれないけれど、本当にそうだろうか?

心配だからって親が子供に過干渉すると、子供は潰れちゃうの。

あれもダメ、これも駄目って言われている間に、どれだけ子供を否定しているかわからないよ。

子供の行動をいちいちチェックするよりも、安心の波動を送ってあげたほうが、よっぽど子どもは健全に育つものです。

親は、「あの子には、あの子の神がついている」って思えばいいんだよね。

もっと言えば、親御さん自身が趣味に打ち込んだり、彼女(彼氏)を作ったりして、自分の人生をめいいっぱい楽しむの。

自分が楽しければ、子供には楽しい波動を送ってあげられるよね。


ユミ

なるほど。

自分が楽しんでいれば、「子供に自由に好きなことを楽しんでほしい」って思えるようになるから、自然と子供を信じられるようになりそうですね。


斎藤一人さん

そうだね。


ユミ
ちなみに・・・・・・これはちょっと極端かもしれませんが、例えば、子供がグレちゃって大変なんですっていうご家庭の場合は、どうしたらいいでしょうか?


斎藤一人さん

人には、「今の自分にちょうどいい」ものが引き寄せられるようになっているの。

今の自分にちょうどいい友達。

今の自分にちょうどいい学校。

今の自分にちょうどいい仕事。

花には蝶が集まり、うんこにはハエが集まるんだよね。

そう考えると、今、その人のお子さんが不良と付き合っているのは、その子にとってちょうどいい仲間だからかもしれない。

きっと、その子のことを認めてくれるのは、その仲間だけだったりするんじゃないかな。

親がその子の事を信じていなかったから、グレルという現象が起きたんだと思います。

親にしてみれば、これまで可愛がって心配して、世話を焼いてきたのにくれたと思っているかもしれないけれど、それは信頼とは違うよね。

本当に子供を信頼していたら、「好きなようにしたらいいよ」って、子供を自由にさせてあげられるはずだから。

今からでも遅くないの。

そういうことに気づいて子供を信じてごらん。

きっと現実も変わってくるからね。

 

 

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朝の儀式、今日からちょっと変えてみませんか


私は、子供は親を乗り越えるために生まれてきた、と思っています。

親であれば、子供の成長を願わない人はいません。

でも、親が心配しなくても、子供は成長して、親を乗り越えていきます。

親が子供を育てるときに大切なことは、子どもの生きる力を信じてあげることです。

そうは言っても、どうしてもあれこれ手を出してしまうのが大半の母親。

かくいう私も、毎朝、玄関先で、

「はい、ハンカチ持ったの? 宿題やったの? 忘れ物ないね」

これと闘っていました。

言うことを聞かないとガミガミ怒って、子供の意思はさておき、先回りして私が全部やってしまいました。

ところが、そんな私の子育てが、間違っていたことを知ったのです。

長男がまだ小学校1年生の頃、家族で食事に出かけた時のこと。

「お母さんはラーメンを食べるよ。貫太は何にする?」

と尋ねた私に、息子から帰ってきた言葉は、

「うん、僕は何でもいいよ、お母さんが考えてよ」

さすがにショックでした。

なんでもかんでも私が行ってしまうから、子供が自分で考えなくてもいい状況になってしまったのです。

父に抑えつけられて育ったことが嫌だったくせに、今、自分が父と同じことをやっているのです。

「この子の個性を、可能性を、私が私の生き方で押さえつけてしまったんだ」

と思うと、さすがに体が震えました。

怖くなって、小学校の先生に相談し、自分でも、

「口うるさいことはもう言わない」

と決意するのですが、口やかましい私が黙って見ていなければならないのは、結構大変でした。

でも、一人さんから、ある言葉をもらってからは、黙って見守ることが辛いことではなくなりました。


「子供には子供の人格があるんだよ。

親が子供に対してやるべきことは、信じてあげることなんだよ。

この子はできるんだって信じてあげればいいんだよ」

この言葉によって、我が家の朝の儀式が大きく様変わりしました。

学校に向かう子供にかける言葉が、

「お母さんは信じているからね」

学校のことも、勉強のことも干渉しなくなりました。

子供の人生に干渉しない子育てほど、楽しいものはありません。

親と子が、真正面から向き合って、話すことができます。

子供の方も、自分の生き方や可能性は自分で探さなくてはならない、と責任を感じるようになってきます。

もちろん、子供が社会に出て行くまでには、本当にいろんなことが起こります。

それらを乗り越えていくときも、信じてあげることが、何より子どもを勇気づけるということを体験できました。


「杉の子供も完璧に杉」
要は子供を信じればいいのです!


長男は、中学校の後半の頃から精神的な葛藤を迎え、学校に行かなくなりました。

本人は本人で、「学校に行かなければならない」と理解しているのですが、

「与えられた環境を楽しまなければならないのは分かっている。でも、どうやっても自分は楽しめない」

と言うのです。

物心がつけば、いろんな壁にぶち当たって悩むのは、ごく自然なことです。

それは、体が大きくなって、それまで来ていた洋服がきついと感じるのと同じようなもの。

子供自身が解決できると信じていたから、私はあえて何も言いませんでした。

しばらくは、毎朝、仕事に出かける時に、私と彼の間で、こんな会話が続きました。

「今日は学校に行くの?」

「家で寝てる」

「あ、そ。じゃあ、お母さんは顔晴って仕事してくるから、貫太も顔晴って寝ててね」

そうやってほっておいたら、卒業ができなくなる寸前に来てしまいました。

でも、この時も私は、

「卒業できなくなるから学校に行きなさい」

とは言いませんでした。

学歴がなくても、働いて自分で食べて行く道はいくらでもある、と思ったからです。

すると、そのうちに自分から学校に行くようになりました。

そして、この経験で、彼は「自由というものは、そんなに甘くない」ということを学んだようです。

一人さんが、

「杉の子供は、小さいけれど完璧に杉だ」

と言うように、子供も完璧に「人」なのです。

杉の子供は、ただ「小さい」というだけ。

何も、大人の杉でなければ、杉とは言えないわけではありません。

物事には、順番というものがあります。

芽が出て、茎が伸びて、葉が大きくなって、幹を太くして、大きな杉になるのです。

それぞれの段階で、大きさも大木さん、力も違いますが、杉の子供は誤ってみかんの木になる、ということはありません。

ひとつ、ひとつ、階段を上っていくだけ。

小さな芽は、大きな杉の木になるために発芽したのです。

杉の子供は完璧に杉、ということが理解できないのは、多分、小さな芽では誰かの足に踏まれてしまう弱さがある、ということを心配しているのでしょう。

でも、だからといって、杉をビニールハウスの中で育てても、狭い中に閉じ込められていたのでは、空を貫くような立派な杉にはなりません。

ましてや、小さいから早く伸びろと引っ張ってしまったら、杉の子供が死んでしまいます。

杉の子供は、大きな杉の木になる力を持って生まれます。

人の子供も、大人になって、自分の人生を生きる力を持って生まれます。

親は、子供の伸びる力、生きる力を信じていればいいのです。

 

斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

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