コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 世間の声を聞くか、神の声を聞くか

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その人は常識アタマ、世間の声を聞いてるんだ、って言いたい。

神の声というのは、声として聞こえるんじゃないんだよ。

ひらめきだったりな。

 

 

 

世間の声を聞くか、神の声を聞くか


「いつか、やる」とか、「上手くなってからやる」とか、言ってる人に、俺、いっぺん聞いてみたいな。

あなたは誰のために、それをやるんですか?

「上手くなってから」って、それ、本当にあなたの声ですか?

あなたは世間の声をよく聞いてるけど、自分の中にいる神と対話してないんだよ。


人間は、みんな、自分の中に神がいる。

「本当ですか?」って、信じていただかなくたって、何も問題はない。

ただ、俺達一人さん一派がそう信じてるだけであって。

だから、そのつもりで気楽に聞いててね。


「コンサートをやりたい」というのは、実は、内なる神からの指令なんだよ。

だから、そういう気持ちが起きるんだったら、やればいいの。

先にコンサートをやれば、上手くなるんだから。

それを、「上手くなってからやる」というのは、俺に言わせると、神の声を聞いてない。


その人は常識アタマ、世間の声を聞いてるんだ、って言いたい。

神の声というのは、声として聞こえるんじゃないんだよ。

ひらめきだったりな。

そのことが妙にやりたかったり。
好きだったり。

それから、なぜか知らないけど、あの街に行かなきゃいけないような気がしたりとか。

それが、神の声なんだよ。


だから、本来、ひらめきとか神の指令、お告げというものは、等しくみんなに来てるんだよ。

そのひらめきでもって、一人一人をちゃんと導いてくれようとしてる。

ところが、人間の方が、その声を聞こうとしないの。

常識というもので、耳を塞いでいるようなものなんだよ。


あなたの成功の道は、あなたにしか歩けない。

常識みたいな、十把一絡げにしたようなものではないの。

ひとりひとり、指示が違うんだよ。

だから、あなたが、あなたの成功の道は歩き出すとあなたは楽しい。

周りも楽しい。

わかるかい?

常識で考えると、ディナーショーというのは歌手がやるものなんだよ。

だけど、「ゆうゆう」さんとこの妹さん、ディナーショーをやった人も、1回やったら、また次、また次って、毎年やることになったんだよな。

それって、喜ばれてるからなんだよ。

わかるかい?

「今年もどこそこでディナーショー、やりますか」って言うと、練習もやる、ドレスも作る、何もやる、かにもやる。

わかるかい?

ディナーショーに来てくれた人みんなを喜ばせたくて、色々やるんだよ。

だから、そこに来た人は、みんな、幸せになっちゃうし、また次のを楽しみにしてくれるんだよな。


そういう、みんながハッピーになっちゃう最初のきっかけ、「やりたい!」という思いを、世間の常識で無視してる。

いいかい、もう一回言うよ。

神の閃きは、いつも、来てるんだよ。

それを、自分で勝手に無視しちゃって、「俺には来ないんじゃねぇか!」と言ってるんだよな。

あなた、自分の思いに素直になってごらん。


「自分の思い」と言ったって、「泥棒をしたい」とか、法律違反になるようなものだったら、おかしいんだよ。

だけど、あなたの思いは、そうじゃないでしょ、って。

「ディナーショー、やりたい」

「写真展をやりたい」とかって、神の声なんだよ。

その声を素直に聞いて、自分なりのやり方でやればいいの。

それが、あなたも周りも幸せにする道なんだよね。

なのに、「歌手じゃないのに、行っていいのかしら」とか、そういう常識的なこと、なぜ考えるのか。

それをやっちゃいけない、という法律でもあるの?

あるんだったら教えてよ、って言いたいよな。


「成功」とは、ちっちゃな成功の繋がり


「〇〇やりたい!」というのが神声なんだよって、俺、突飛なことを言ってるように聞こえるかもわかんないけど。

信じられないかもわかんないけど、本当にそうなんだよ。

その声が、あなたを幸せに導いてくれる。


でも、私は、神の声とは、なかなか思えないんです・・・・・・って、そうだよな、わかるよ、俺。

もしかしたらね、あなたが聞いているのは、神の声じゃないかもわかんない。

悪魔(浮遊霊)の声を聞いてる人がいるんだよ。


日頃から明るく生きて、人に親切にしてる人なら、ワクワクすることが神の声。

そして、神の指令通りにやると、自分も楽しいし、周りの人も幸せになる。

誰にも迷惑がかからない。

悪魔の声だったら、暗い気分になるとか、陰湿になる。

だけど、神の指令の場合、考えるだけで気持ちが明るくなれるとか、楽しくなれるとか。

それで、誰にも迷惑がかからない、自分のできる範囲内でやれちゃうようなこと。

だから神は、俺たち人間に「無理してやれ」ということを、絶対言わないの。

自分のお小遣いの範囲内でできることだったり、自分がそれをやるために必要な道具であったり、環境が、「すでに用意されてた!」「私はここに呼ばれたんだ!」という感覚。

だから、例えば、「ピアノのリサイタルをしよう」と思った時に、区民センターを1万円か2万円ぐらいで借りられて、しかも、そこにピアノが置いてあった、とか。

リサイタルをやるのに「ピアノを買わなきゃいけない」じゃなく、すでに、できる環境が整っている。

だとしたら、それはやるべきこと、神の道なんだよ。


成功の道とは、ちっちゃな成功が連なってる道なの。

わかるかな?

10年後にはピアノのリサイタルができるから・・・・・・って、最初からいきなり目的地に行くんじゃないの。

本当は、10年後にできるんだったら、毎年一回、10年続けてピアノのリサイタルをやっちゃったほうが、「私が弾くピアノで聴衆を魅了したい」という夢の実現が早いんだよ。
10年後にこういうリサイタルを開きたいって、10年後を思い描くより、今から始めて、10回リサイタルをやっちゃった方が絶対、上手くなる上に、楽しみながら行ける。


だから成功とは、ちっちゃな成功が繋がってる道なんだよ。


「ゆうゆう」さんの妹の場合、まず、俺が「ゆうゆう」さんにやってきた。

その時、本人が「来世、ディナーショーやりたい!」という話をするんだよな。

そしたら、俺が「今年やろう!」って。

この俺の言葉に、その場にいた妹さんの友達が、「いいね、やろう、やろう」と言ってホテルに電話した。

それでディナーショーをやって、会場に来た人たちが喜んだ。

そしたら、また来年もディナーショーやりたくなって、結果、毎年の恒例行事みたいになったんだよな。

だから、段階、段階を踏んで、ちょっとずつ大きくなるの。

いっぺんになるんじゃないんだよ、目の前のことを一個一個クリアしながら、それが成功に繋がっていくんだ。

ディナーショーと、成功と、どう関係があるの? って思う人がいるかもしれないけど、実際、全ての成功がこういう道のりになっているんだよ。


それを、はじめの一歩目も出してない、ちっちゃな成功も繋げていないのに、いきなり「10年後にこうなりたいんです」って、なるわけがない。

10年後のことより、まず今あなたが歩く道を作るんだ。

すでに、神は道を作る材料を、あなたに与えてくれている。

その一歩が、成功につながる神の道なんだよ。


大木になりたければ、まずちっちゃな芽を出す


いいかい、大木になりたかったら、まずちっちゃな芽を出すんだよ。

ちっちゃな芽は、風雪に耐えながら、でかくなる。
自分は大木になりたいんです。

だったら、ちっちゃな芽のままじゃなく、ちっちゃな木になるの。

その次は、中ぐらいの木になる。

いきなり大木が、出るわけないんだよ。

だから、成功とはね、神の道理りなんだよ。

道理をちゃんとやらなきゃいけないんだよ。

だけど、その道理りが、神の言うとおりにやると、あまりにも早いから奇跡に見えるんだよ、人の目から見たら。

それから、誰のところにも神のひらめきは来てる。

誰だって、神の声を聞いてるの。

聞いていながら、世間のつまらない常識の方にとらわれちゃうんだよ。

「コレ、やりたい!」と思うもの、そしてそれにワクワクするんだとしたら、神の声なの。

あなたが明るくて人に親切なら、ワクワクすることをやってごらん。

小さなことから始めるんだよ。

いきなり大きなことは神の道理りじゃないよ。

小さな成功をつなげて、大きな成功に育てるんだよ。


これが神の道理りだからね。

神の声は、素直に聞いた方が、人生、うまくいくんだよ。


もし、あなたに、何のお知らせも、わくわくも、ないんだとしたら、無理なく出来る範囲内で人のために尽くせばいい。

人の喜ぶことをやればいいの。

それってね、荒地を耕してるようなものだよ。

まずはね、人には愛のある言葉を話し、笑顔にしてね。

いつも、優しくて笑顔でさ。

それを忍耐強くやってるとね、夢も出てくる、自分がやりたいことも出てくるの。

だけど、荒地にいきなりいくら種を蒔いたってね、何も出てこないよ。


だから、今何の夢もないんだったら、ひたすら人生という荒地を耕すの。

心が固くなっちゃってるんだよ。

もっと人間らしく生きてごらん。

そしたら必ず、夢も出てくる、やりたいことも出てくる。


自分はこれをやりたいんだ・・・・・・というのが出てきたら、今度は、それを、自分がやれるところから、一歩でも近づけるの。

そうすると次が出てくるの。

そしたら、またその次、またその次と、やることが出てくるの。

分かったかい?


なんか、今日も熱弁を振ってしまいました。

ありがとう。

 

追伸 清貧じゃない。「清く豊か」が正解です

 

今考えていることがいつ現実になるか・・・・その時間差がどのくらいあるかは、俺にもわからない。

でもね、ひとつだけ明らかなことがあるんです。

それは「思った何倍にも大きくなる」ということ。

例えば樹木の種て小さいけれど、芽が出て育つと、種の何倍も大きな木になるよね。

それと同じで、あなたの思いは何万倍にも大きくなって、現実として現れるんだ。

だから、おっかないことは少しも考えちゃいけないし、その反対に、ささやかな幸せでも感謝した方がいい。

「この程度のことでも幸せを感じても、大した幸せは来ない」なんてバカにしちゃいけないんだ。

わかるかい?


あのね、日本は世界的に見て治安が良く、豊かな国です。

だって変な話、外国から密入国してでも、日本へお金を稼ぎに行きたい人はたくさんいるんだよ。

それだけ豊かな国に生まれて貧しいままって、よほど貧しい考えているということじゃないかな。

と一人さんは思います。

思いって、それぐらい強いものなんだ。

昔から日本では「清貧」の思想が根強くて、貧しさに何か「美徳」を感じているんだけど、貧しいものが美しいっておかしいよね。

なぜ清い人が貧しくしなきゃいけないの?

そんなことを、神が本当に望むと思うかい?

俺たちは、神様と「幸せになります」って約束をして、この世に生まれてきたの。

幸せって、神様との約束だから、絶対に守らなきゃいけない義務なんです。

それなのに、清い人は貧しくあるべきだなんて、神がそんなことを望むわけがない。

神は「清く豊か」は求めても、清貧なんて求めるはずがないよ。

美しいって、豊かなことを言うんだ。

どんなに偉い人が清貧を唱えようと、おかしなものはおかしいんです。

 

 

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斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

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