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斉藤一人さん 国にはめられた人、見破った人

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でも、今の政府は何の方針もなく、彷徨っている状態ですから、今の政府の方針を見抜くことはできませんよ。

そのことに気がつくのも眼力です。

 

 


国にはめられた人、見破った人

 


本当に、全てのものには理由がある。

偉大なるカラクリがあります。


日本の政府は、ちょっと前まで株式市場の活性がどうのこうの、とか言っていたようですが、その前は「貯金だ、貯金だ」と言って、国民に貯金を推奨していました。

小学生も、学校に週1回「郵便貯金の日」というのがあって、私たち子供も毎日毎週何十円かずつお金を積んだり、していたのです。

なぜ、国は、貯金を推奨したのか。


戦後、焼け野原になった日本を復興させなきゃいけない、ということになったのだけど、国はお金も、何もかもがない状態で。

でも、鉄鋼とかの重工業だけでも起こさないと日本の復興はありえない、ということで、政府はまず「国民からお金を集めて、重工業の大きいとこにそのお金を回そう」と考えたのです。

私は、「この方策が良くない」と言っているのではないのですよ。

ただ、全てのものには遠大なカラクリがあるんだ、と言っているだけであってね。

それで、政府は、国民に「皆さん、貯金しましょう」と、貯金を推奨して、小学生のお小遣いまで貯金させたのですね。

戦前は「1億国民火の玉だ」といって、戦争に参加させたけれど、戦後は「貯金だ、貯金だ」の大冷房がかかって、1億国民総貯金みたいになったんです。

そうやって集めたお金を、国は大手の重工業にに貸し出しました。

すると、重工業大手は借りたお金で、安く土地を買ったのです。

当時、日本は焼け野原だから土地はタダみたいなものだったからね。

そうすると、例えば、本当は1万坪ぐらいしかないところ、3万坪だとか、6万坪、土地を買ったんです、重工業の大手は。

ところが、何年か後に返済する時、土地の値段が倍になったりしているんですよ。

すると、1万坪の土地が必要なところ、6万坪買っておいたとすると、買った時より、はるかに資産が増えているんです。

工場設備すら含み資産になっちゃう、というね。

その一方で、物価はどんどん、どんどん上がります。

物価が上がると、どんどん、どんどん目減りするのです。

簡単に言うと、国が「貯金しなさい、貯金しなさい」といって、国民が貯金を一生懸命している間に、お金の値打ちが下がって行ったのです。

にもかかわらず、「貯金、貯金」と。

国いうままに国民は貯金して大損をした。

結局、重工業の大手が返す分は実質半分ぐらいで済む。

おまけに、買った時より土地の値段が倍ぐらい値上がりしていて資産が増えているから、事実上、ただで土地を手に入れたも同然の結果になる。

要は、借り得だ、ということです。

これは国の方針だったのですね。

一般の人は、そうとは知らずに、一生懸命、貯金して、だけど、お金の値打ちは目減りしていって、結局は損をした。

まぁ、そのおかげで国が復興したから、いいのだけれど。


ただ、中には「なるほど、国はこういう方策をとっているんだ」って、眼力で見抜いた人もいるんです。

今、六本木で有名な〇〇ヒルズを始め東京の土地に沢山のビルを持っている、Mビルの社長みたいな人が、国の作戦を見抜いていました。

そういう人は、貯金する側でなくて、借金をする側になったんです。

借金して土地を買い、それを担保にして、また土地を買って、と、どんどん増やしていき、莫大な資産を所有するようになったのです。

だから、国は何の方策をしているんだろうな、って。

こういう方策をやってる時は、誰のためにやってるんだろうな、って。

これを見抜ける人と、見抜けない人がいる見抜けない人がいる、ということなんですね。


本当に、眼力があるか、ないかで、全然、違ってきちゃいます。

日本は、世界で一番ぐらい、飛行機の免許をなかなかくれない国です。

でも、もし、万が一、戦争が始まったとしたら、免許もなしにすぐ飛行機に乗せてくれます。

そして、元気に戦争に行かしてくれますからね。

だから、国がやろうとしていることも見抜ける眼力をつけた方がいいですね。

この眼力は、これからの時代、必要になってきます。

でも、今の政府は何の方針もなく、彷徨っている状態ですから、今の政府の方針を見抜くことはできませんよ。

そのことに気がつくのも眼力です。

 


「アイ・アム・ア・ボーイ」から英語の授業が始まるわけ

 


世の中の人は、学校でいろんなことを教わり、いろんなことを知っています。

でも、意外と、必要なことは知らない、ということが多いです。

私は、自分に必要なことを知っていれば十分だと思っています。

自分に必要のないことを知ろうという気が、私にはないのです。

必要のないことを知らなくたって、別に何とも思いません。

だから、英語も、「これ、俺、いらない」と思ったのです。

けれど、英語の先生の義理もあるから、一応、「アイ・アム・ア・ボーイ」を覚えました。

ところが、「アイ・アム・ア・ボーイ」を使う場面が一度もないまま、ボーイじゃなくなってしまった、というね。

あっ、「アイ・アム・ア・ボーイ」だっけ?

大概の日本人は、中学校と高校で合計6年間、英語を習います。

でも、英語を喋れません。

大概の英文科を出ても、英語が喋れなかったりするんですけれど。

他の国の人は、みんな英語を喋れて、日本人だけ、喋れないけれど、そのことに、あなたは疑問を持ったことはありませんか。

それは日本人の頭が悪いせいではありません。

実は、英語というのは、インディアン語じゃないとダメなんです。

「インディアン、嘘、つかない」みたいな。

テレビやなんかで、インディアンが喋っているところを見ると、単語を言ってるだけでしょう。

それが、一人さんがいうところの、インディアン語。

おかしな言い方だけど、要は、英語を並べる、というね。

だから、英語を喋れるようになりたかったら、日常生活に必要な単語を覚えて、その単語をとりあえず喋ればいいのです。

水が飲みたかったら、「ウォーター、ウォーター」とかね。

お腹が空いたのなら、「ハングリー、ハングリー」といえばいいのですよ。

ジェスチャーをして。

トイレに行きたいのなら、「私はトイレに行くことを望んでいます。トイレはどこにありますか?」という文章を言うのではなくて、ただ「トイレ、トイレ」といえばいいんです。


これは、赤ちゃんが会話を身につける時と同じやり方です。

赤ちゃんは、「パパ」とか、「ママ」とか、「マンマ」とか、単語から始まるでしょう。

最初は、覚えた単語を喋って、その後に、文法覚えて文章を喋れるようになるんですよね。

英語だって、それと同じやり方をすればいいだけなんです。

必要な単語だけを50個か、百個ぐらい覚えて、外国人によしそれを喋っているうちに、自然と会話文になってくるのですよ。

ところが、学校で教える英語は、「アイ・アム・ア・ボーイ」ね、「私は少年です」という文法を教えるところから始めるのです。
だけど、「アイ・アム・ア・ボーイ」って、私は少年だ、といったってね。

少年は、誰が見たって、少年なんですよ。

「ディス・イズ・ア・ペン」だって、「これはペン」ですなんて言わないでしょう。

ペンは、「ペン」ですよ。

日常、絶対、使わないような論法で、教えるのはおかしい。

第一、赤ちゃんが覚えるようにして、英語を覚えれば、みんな、すぐ英語が喋れるのです。

それを、なぜ、「アイ・アム・ア・ボーイ」から始めますか?

その理由を見抜くのも眼力です。

理由は二つです。

一つは、明治から戦前までの政府は、国民に英語をしゃべらせたくなかった。

外国の人とペラペラ英語を喋ったり、外国のデモクラシーみたいなを知るようになると、国にとって不都合があったからです。

一方で外国には、明治以降、日本が発展していくために真似をしたい、いい文化・技術もあったんです。

政府は、そのいい文化・技術を取り入れるために、外国の文献を読み、紐解いて、いろんなことをしたかった。

だから、政府は、外国の文献を読んで理解できる人間が、どうしても欲しかったのです。

だけど、国民にはペラペラ喋ってもらいたくなかったから、「英語の授業は、文法重視の教え方で行こう」と。


そうすると、昔は子供が多くて、一つの学校に1000人ぐらい生徒がいたところもあるんですけれど。

あのね、”すごいいい女”って、1000人に1人ぐらい、いるんですよ。

学校の中には、”すごいいい男”も1000人に1人ぐらいて、すごい足の速い子も、すごい歌の上手い子も、1000人に1人ぐらい、いるんですけれど。

それと同じように、1000人に1人ぐらい、英語の文法を覚えるのが得意な生徒がいるのです。

英文法達人がいます。

英文法達人といってもね、足が速いとか、歌が上手いとか、その程度の話で。

だから、人は、皆、それぞれ自分の特技というのがあるんだけれど、たまたま、その特技が「英文法を覚えること」だったというだけの話なんです。

それで、”すごい良い女”は1000人に1人なんだけど、”うんとすごい、良い女”になってくると1万人に1人ぐらいになる。

それと同じように、英文法の達人は1000人に1人だけど、天才級になってくると1万人に1人です。

日本政府としては、一万人に一人ぐらい、英文法の天才がいてくれればOKだったんです。

それで、そういう人たちを試験で選抜して外国へ行かせ、文献を研究させました。

なおかつ、その人たちに「君たちはエリートだ」「これから、この国を導く指導者だ」というのです。

そうすると、そのエリート達は外国から都合のいい文化・技術を持ち帰ってきて、指導的立場に立つ。

いろんな特権も持たさされるのですね。

しかも、英語も喋れる。

この時代、英語を喋れる人はすごく少なかったから、ものすごいステータスでした。

エリートとしては、この体制を崩したくない。

ずっと、エリートでいたい、自分達の特権は守らなきゃいけない、という心理が働きます。

文法重視の教え方を、ずっと続けるしかないのです。


そうすると、そのやり方で教えると、英文法が覚えられない人が出てきます。

できない人に対して、学校の先生は「なんだ、こんなものも覚えられないのか」とか、言います。

言われた方は、劣等感でいっぱいです。

「自分は英語ができないから、きっと社会に出ても成功できない」って。

英語ができなかろうが、方程式が出来なかろうが、社会に出たら出世の道はいろいろあるのに、

「肉体労働はやりたくないけど、自分は頭が悪いから諦めるしかないんだ」と思ってしまうのです。

これ、一人さん流に言うと、「相手の思う壺」

「英語ができない自分は頭が悪い」と言うけれど、教え方が良かったら、肉体労働の人だろうが、どんな仕事をしている人も覚えます。

英語、喋れますよ。

だって、アメリカの子供だって、英語を喋ってるでしょ。

アメリカの子供たち、私達より頭がいいんですか?

違いますよね、能力が同じですよ、って。

なのに、どうして英語ができないぐらいで「自分は頭が悪いからダメなんだ」と思わなきゃいけないの?

なぜ、劣等感を植え付けられなきゃいけないのですか?

そういう疑問を持たないできたのは、明治時代から政府はずっと、英文法を教えるやり方をしてきたからですよね。

そして、学校の先生も、教育長みたいな人も、そのやり方を変えなかった。

苦労して苦労して学校の先生になったり、やっとの思いで教育長になったりしたから、そのやり方を変えたくなかったのです。

あの人たち、今さら、「英語なんて、子供でも喋れます」とはいえないんですよね。

でも、大多数の人は、自分たちもそうだったから、何の疑問も持たずに、ただ、そのまま流されてきただけなんですよね。


この眼力があると、学校の先生に「英語の勉強ができなくて、どうのこうの」と言われても、中学生の頃の一人少年見たく「あんたらの思うつぼにはならないよ」って。

劣等感を感じず、実に清々しく生きていけて、いいですね。

 

斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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