自分の人生は自分で選んだ。
自分の人生は自分の責任である。
これが腑に落ちれば、人生の色々な問題はとても解決しやすくなります。
- 人は何のために生きるのか
- 人は魂を成長させるために、この世に生まれてきた
- 「自分の人生は自分の責任」と1万回言うと、人生が動き出す
- 「自分の人生は自分の責任」
- なぜ、人や自分を殺してはいけないのか
- 魂の成長を途中で止めてはいけない
- 追伸 「よくなる」前提で生きると本当に良くなる
人は何のために生きるのか
私は子供の頃、こんな疑問を大人にぶつけてみたことがあります。
「人は何で生まれてきたの」
すると、
「おかしな子だね」
と言われて。ちゃんと答えをもらえなかった記憶があります。
今、私が子供から同じ質問を受けたら、こう答えるでしょう。
「それはね、魂を成長させるためなんだよ」と。
人は魂を成長させるために、この世に生まれてきた
人は何度も生まれ変わって、魂を成長させています。
前世でできなかったことを課題にして今世に生まれ、今世にできなかったことを課題にして来世で乗り越える。
ドリルの勉強と同じですね。
できなかったところをチェックしてできるようになったら、また次の段階に進む。
そしてどんどん魂を向上させていきます。
だから私たちは今世でどうしたら魂が成長するか、ということだけを考えて生きていればいいんです。
そうすれば放っておいても神様が味方してくれます。
逆に言うと、魂が成長するように問題解決をしないと、運勢が落ちていくことがあります。
問題解決の方法は千も万もありますが、その中で魂が成長する解決の仕方を選ばないと、運、つまり神様を味方にできないんです。
で、魂が成長するとどうなるか。
「そこまで考えちゃだめだよ」
と私は言っています。
なんでかと言うと、これから人が何回も何回も生まれ変わって魂が成長するんだけれど、どうなるか生まれ変わってみないとわからない。
今は魂が一番成長するにはどうしたらいいか、それだけを考えながら生きる癖をつける。
それだけを考えていれば、的が外れないというか、脱線せずに生きられます。
そうすれば必ず神様が味方してくれます。
そういう仕組みになっているんです。
「なぜ?」「どうして?」「その証拠は?」なんて考えないこと。
考えても答えが出ない不思議なことは考えちゃいけないんです。
答えの出ないことをずっと議論していると、それは現実を見ていないことになるので、人生が現実から離れてしまって運勢が落ちてきます。
私だったら、考えても仕方ない事を考えている暇があったら、どうしたら自分が幸せになれるかを考えます。
その方が楽しいし、魂も成長できますしね。
あるとき、こんなことを言われたことがありました。
私が、
「人は千回も万回も生まれ変わって成長する」
と言ったら、
「じゃあ、一人さん。時代をずっと遡って、最初に魂が生まれたのはネアンデルタール人ですか? それとも恐竜ですか?」
と。
そんなこと、私には分からない。
あなたが疑問に思うなら、疑問に思うあなたが研究したらいいんです。
私は「魂が常に成長する」と信じていて、今世の問題を乗り越えて、幸せになることが私たちの人生だと思っているので、議論しても答えが出ない不思議なことは考えないことにしているんです。
ただ、私なりに考えていることがないわけじゃありません。
恐竜の時代、人の魂は魂のまま、いろんな星にいたんだと思います。
その魂が、今の時代になって修行をする実践の場が地球だったというだけです。
私がそう思っているだけのことなので、別にこれを信じろと言っているわけではありません。
ただ、魂のことをそんなふうに考えていた方が、生きるのが楽になるんじゃないかと思います。
「自分の人生は自分の責任」と1万回言うと、人生が動き出す
私は魂を成長させるためにこの世に生まれてきたと信じています。
すると、こんなことを言う人がいます。
「俺は好きで生まれてきたんじゃない」
「産んでくれって頼んだ覚えはない」
そう思うのは自由です。
でもそんなふうに思わない方が楽ですよ。
ちなみに私はこう思っています。
「人は自分が一番成長できる環境を、自分で選んで生まれてきているんだ」って。
自分が生まれる前のことを記憶している赤ちゃんや子供たちがいるそうです。
そういう子どもたちの発言を記録したドキュメンタリー映画もあると聞きました。
(かみさまとのやくそく)
それを観た私のお弟子さんによると、子供達は神様と約束を交わし、地球にいる自分の親を選んで生まれてくるそうなんです。
親が子供を産んだんじゃなくて、子供が親を選んだんですね。
だから「俺は好きで生まれてきたんじゃない」ではなくて、「俺は好きで生まれてきたんだ」なんです。
子供は自分の魂が一番成長できる環境を選んで生まれてくる。
その通りだと私も思います。
「それを証明しろ」
などと言わないでくださいね。
私には証明できませんから。
でもそう考えた方が前向きに生きられるのは確かです。
なぜなら、自分が一番成長できる環境を選んで生まれてきたんですから、これ以上良い環境は他にないということになります。
「こんな嫌な家」とあなたが思うのは勝手ですが、そう思って生きるのか、「成長するために一番良い環境なんだ」と思うのかで、人生が全然違ってくるのは、簡単に想像できます。
大切なのは、自分が自分の人生を選んでいると思うことです。
あなたの人生は神様が決めたんじゃありません。
神様が番号のついた札をシャッフルして、お見合いみたいに親と子供をくっつけたんじゃありません。
自分でその親を選んだんです。
自分の人生は自分で選んだ。
自分の人生は自分の責任である。
これが腑に落ちれば、人生の色々な問題はとても解決しやすくなります。
なぜなら、自分の責任なら自分が変われば済むだけですから。
でも人や社会のせいにすると、相手が変わるまで待っていないといけないから、とても大変です。
例えば自分の健康は自分の責任だと思えれば、自分で気をつければいい。
ですが、自分が不健康なのは社会のせいだとすると、革命起こして社会を変えなければいけません。
自分が太ってメタボになったのは、隣の親父のせいだと思ったら、となりのおやじを変えなくちゃいけない。
自分以外を変えるのはとても面倒で大変なことなんです。
私なら自分の健康は自分の責任だと思います。
自分で食べ物や生活習慣を変えて、健康になれるよう努力します。
その方がずっと簡単です。
人生だって同じです。
自分の人生は自分の責任だと思えば、自分で努力したり、自分を変えたりして、人生を変えることができます。
これが「人生の舵を自分で握る」ということです。
でも人や社会のせいにすると、人生はなかなか変わらない。
「自分の人生は自分の責任」
これを口に出して自分に言ってください。
心の中でそう思っていなくてもいいから1万回言ってみる。
1日1000回くらい言うのは理由ありませんよ。
10日で1万回、簡単に言えちゃいます。
1万回言えば人間は変わります。
言葉は「言霊」っていうくらいで、波動だから、何かがちょっと変わります。
全然変わらなかったらもう1万回言ってください。
「言って」と言われたら、言ってみてくださいね。
言う前から、
「そんなことをしても変わるわけがない」
と言わないように。
やらないと、何も変わらないんです。
やれば変わります。
変わらなければ、変わるまでやればいい。
そうすれば、自分の人生が動き出すんです。
なぜ、人や自分を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのかというと、これも言わずもがなです。
自分も大切な魂、人も大切な魂だからなんです。
魂はみんな成長しようと思って生きています。
殺すということは、地球でのその魂の成長を途中で止めるということです。
そんなことをしてはいけない。
そんな権利は誰にもありません。
魂の成長を途中で止めてはいけない
この地球は、魂が成長するのに一番適した場所です。
なぜなら肉体と魂が一つになっていて、魂が学びやすいからなんです。
向こうの世界は「思い」だけの世界です。
だから「フランス料理が食べたい」と思うだけで、フランス料理を食べたことになります。
思っただけでかなってしまうのが、「思い」の世界なんですね。
でもこの世だと、「フランス料理が食べたい」と思ったら、レストランに行って、お金を払わないと料理が食べられません。
肉体や物質を伴わないと、「思い」は実現しないんです。
要するに、この世はできることとできないこと、正しいことと間違っていることを物質を通して見ることができるので、とてもわかりやすい。
それからあの世では人は皆同じランクの人同士集まっていますが、この世には素晴らしい人もいるし、普通の人もいるし、悪い人もいる。
「あんな風になりたいな」という手本にできる人もいれば、「あんな風になっちゃいけないな」という反面教師にできる人もいるので、上の人から教えてもらったり、下の人に教えたり、成長できるチャンスがたくさんあります。
言ってみれば、この世は学びの道場見ないみたいなところです。
だからこそ、魂は「ここが成長しやすい」と思って、一番ピッタリの環境を選んで、わざわざ生まれてきたんです。
殺人とか、自殺は、音声で学ぼうとしている魂の成長を途中で止めてしまうことに他なりません。
せっかくの学びのチャンスを奪ってしまう。
だから絶対やってはいけないんです。
ところで、殺された魂はどうなるのかと言うと、また向こうの世界に行って、魂の成長を計画し直して、この世に生まれ変わって出てきます。
人は何度でも生まれ変わって、この音声で出来なかった課題に挑戦しようとするんですね。
誤解しないように言っておきますと、人が死んでも向こうの世界に行っても、魂は成長しているんですよ。
人を殺したり、自分を殺したりすれば、地獄のようなところに落ちますが、そこでも学んでいるんです。
天国に行った人は、天国で学んでいる。
地獄に落ちた人は、地獄で学んでいる。
天国に行く人は天国で学んだ方がいいから行くんであって、地獄に行く人が地獄で学んだ方がいいからそこに行くんです。
魂は、いつも最適な場所を選んで成長している。
でも私なら地獄で学ぶより、天国で学びたい。
そして一番学びたい場所は、肉体や物質があるこの世です。
綺麗な女性には実際に触れたいし、美味しいフランス料理は実際に食べた方が美味しい。
せっかく楽しく学んで、魂も成長できるこの世に生まれてきたのに、わざわざその機会をふいにすることもないでしょう。
この次、この世界に出て来られるのはいつになるのかわからないんだから、今ここにいることをもっと楽しんだ方が得ですよね。
追伸 「よくなる」前提で生きると本当に良くなる
本当は人生に困ったことは起きないんです。
だって自分の人生は自分の責任で決めているんだから、自分でも処理できないような困ったことなんて起こるはずがない。
その人様に乗り越えられない「困ったこと」を神様は与えないんですよ。
でも親は子供に平均台の上を歩かせて、
「ここから落ちたら、大変だよ」
と言って脅します。
「テストでちゃんと点が取れないと、いい学校に行けないよ」
「いい学校に行けないと、いい職業に就けないよ」
「いい職業に就けないと、貧乏になるよ」
そうやって狭い平均台の上を歩かせようとする。
じゃあ、平均台の上から落ちたらどうなるんですか?
落ちたら、広い大地があるだけです。
何も大変なんてことなんてない。
私は子供の頃からそれを知っていたので、親がなんと言おうが、先生がなんと言おうが、
「高校なんか行かない。中学だけでいいんだ」
と言い張りました。
最後は知り合いの銀行の人まで出てきて、
「高校ぐらいは出ておかないと」
と説得されましたが、私は言うことを聞きませんでした。
そして平均台から飛び降りて、自分の大地を歩いていたら、会社を持って、納税額日本一になって、今、楽しくて、幸せです。
世の中は生成発展するようにできているんです。
その流れに素直に乗っていればいい。
今の世の中は江戸時代に戻りません。
生成発展しているんですから。
100年前もはもっとひどかった。
200年前はそれよりもひどかった。
時代は戻りません。
世の中をよくなるようにできているんです。
私の人生も、あなたの人生も良くなるようにできている。
「良くなる」と思い込んでいれば、別に何の問題も起きません。
「良くなる」と思っているから、よくなるように生きるし、よくなる道も見えてきます。
でも「よくならない」と思っている人は、「良くならなかったらどうしよう」と思うので、足がすくんで行動できません。
行動できないから、変われない。
変われないから、運勢が悪くなる。
「よくなる」前提で生きるのか、「良くならない」前提で動くのか。
決定的な違いですね。
ちょうど東京駅を目指している時に上り電車に乗っているのか、下り電車に乗っているのかと同じです。
世の中が生成発展すると思っている人は、上り電車に乗っています。
私の生活圏は総武線の新小岩というところにありますが、上り電車に乗ると、何もしなくても、新小岩、平井、亀戸、錦糸町・・・・・と東京駅に近づいていきます。
でも下り電車に乗ってしまうと、どんどん東京駅から離れてしまいます。
どっちの電車に乗りたいのか、どっちを信じるかなんです。
もちろんこれからだって、地震は来るし、台風も襲います。
だけど、昔は地震が来ても放っておかれた。
今は仮設住宅を作ってくれます。
年金が安いと言ったって、昔は年金なんてなかった。
ほら、やっぱり良くなっているでしょ?
「このままいくと、駄目になっちゃう」じゃなくて、「もっとよくなる」なんです。
それを信じるか信じないかだけ。
上り電車に乗るか下り電車に乗るかだけの話です。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
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