コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 楽しく遊べばそれだけで人生はうまくいく

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あのね、一人さんに言わせると、嫌なことを努力するとますます嫌になることはあっても、一流にはなれないよ。

一流になりたいんだったら、自分の好きなことで顔晴らなきゃ。

 

 

 

 

 


好きを極めた人が一流になる


努力が必要なことって、「俺「神ごと」じゃないんです。

だって神様は完璧な存在だから、努力なんかしなくても成功するはずだから。

神様って失敗することができない。

成功しかないんだよね。

その神様と同じ存在である俺たちだって、努力なしに成功できるんです。

なのにみんな、すぐ「努力が大事」「何事も忍耐だ」とかって言う。

神様って失敗することができない。

成功しかないんだよね。

その神様と同じ存在である俺たちだって、努力なしに成功できるんです。

なのにみんな、すぐ「努力が大事」「何事も忍耐だ」とかって言う。

嫌なことでも努力すれば報われるとか。

あのね、一人さんに言わせると、嫌なことを努力するとますます嫌になることはあっても、一流にはなれないよ。

一流になりたいんだったら、自分の好きなことで顔晴らなきゃ。

嘘だと思ったら、世の中で一流を極めた人を見てごらん。

間違いなく、みんな自分の好きなことで一流になっているから。

「私はゴルフが嫌いですけど、プロになって優勝しました」

何て言っている人、見たことないよね。


好きなことって、努力がいらないんです。

もちろん、一流になるには繰り返し練習をしたり、研究したり、鍛錬が必要だよ。

でも好きなことは楽しいから、自然とそれをやりたくなっちゃうものなの。

例えば、ファッションが三度の飯より好きな人は、何時間でも洋服屋さんにいられるし、何日かかると好きな服を探して買う。

そこまでできるから一流になれるんだけど、そういう人がものすごい努力をしているかと言うと違います。

ただファッションが好きだから没頭しているだけで、努力しているわけじゃない。

他の人にとってはきついことでも、自分が楽しけりゃ苦痛は感じないものなんだ。


人間はジグソーパズルみたいなもの


日本にはいろんな神様がいて、それぞれに名前がついています。

天之御中主神とか、天照大御神とかね。

だけどこの世は「ワンネス」といって、あらゆるものが、一つの神様から生まれている。

つまり神様たちは、本来はひとつの「大きい神様(=万物の源のエネルギー)」で、元を辿ればみんな同じなんです。

それから、人間や動物、植物、鉱物・・・・・・・といったすべての存在も、神様と同じもので作られているんだよね。

このようは「個」の集まりだけど、表面的に「個」に見えるだけで、本当は皆繋がっています。

分かりやすく言うと、俺たちはジグソーパズルのピースみたいなものなんだ。

形はそれぞれ違っても、みんな同じ素材でできている。

ピースを組み合わせるとピタッとはまって、一つの大きな作品ができるの。


ジグソーパズルって、どのピースが欠けても作品は完成しません。

つまり人はみんな違うけど、誰もがこの世に必要で、意味のある存在だということ。

みんな、すごい能力を持った神様なんだ。

でね、それぞれが自分らしく、本来の形でいられる場所にいると、パズルのピースがピタッとはまるの。
そうすると、ものすごくしっくりくる。

「私の人生はこれしかない」

っていう幸せ感を感じられるんだ。

わくわくや感動で満たされた楽しい世界で、そこに苦労は一切ない。


その反対に間違った道へ進んでしまうと、自分の形とは違う場所に行き着くから、そこに順応するためには、自分の形を変えなきゃいけなくなります。

自分を押し殺してたり、自分らしくない姿になったり・・・・・・。

本当の自分でいられないから、当たり前だけど辛くなるの。

だけど苦しい時は、そこは自分のいるべき場所じゃないということ。

その苦しみは、神様からの「あなたにふさわしい場所へ行ってください」というお知らせなんだ。


あなたの違和感が周りじゅうに迷惑をかける


パズルって、似たような形のピースがたくさんあるでしょ?

それと同じように、人間の世界にも自分にふさわしい場所のように見えるけど、本当は違う場所がいくつもあるの。

だけど自分のピースに似た形だから、みんな「ここが自分の居場所だ!」って飛びつくんです。

もちろん、実際には自分の居場所じゃないから、「何かおかしいぞ」「居心地悪いなぁ」って違和感を抱くんだけど、形がよく似ているから、ぐいっと体を押し込めちゃえばなんとかなる理由。

明らかに治りが悪ければ「ここは自分の居場所じゃない」と分かるけど、ちょっと無理すれば治るだけに、違和感があっても気のせいだと思ってしまう。

で、違和感がありつつも何とかなれば、「やっぱりここでよかったんだ」って。

この勘違いが、大問題なんだよね。


みんなは「少々間違った場所でも、なんとかなるんだったらいいんじゃない?」って思うかもしれないけど、あなたはそこに座っていると他の人に迷惑なんです。

まず、あなたがいるせいで、本来そこに入るべき人が入れなくなるよね。

あなた自身も違和感のある場所で苦労しなきゃいけないけど、それと同時に他の誰かにも犠牲を強いることになるんです。

それから、あなたがどんなに我慢しようが努力しようが、その場所にピッタリ合う自分にはなれないの。

必ずどこか窮屈だったり、隙間が出来たりする。

例えばあなたが窮屈だと、どうしても隣の人をぎゅうぎゅう押すことになるよね?

そうすると、押された人も窮屈になるから、さらに隣の人を押す。

まるであなたを起点としたドミノ倒しみたいに、不快感が連鎖していきます。

あなたが間違った場所にいると、周り中に迷惑をかけることになる。

だからみんなのためにも、あなたは自分らしくいられる場所にいなきゃいけないんです。


自分らしくいることが一番幸せ


自分が苦しむことで、周りの人まで不快にする。

それって、神様がものすごく嫌うことなんだよね。

なぜかというと、人間は、地球でめいいっぱい楽しむために生まれてきたから。

この世に生まれる前・・・・・・魂がまだあの世にいる時に、俺たちは神様にこう言われてきました。

「うんと楽しんで、幸せになりな」

その約束を果たすという義務をもって、みんなこの世に生を受けたんだよ。

あなたは神様との約束を果たすために、その命をいただいたんです。

その神様が、俺たちに我慢や苦労を強いるはずがない。

神様は、あなたに「ここが私の居場所だ!」って確信できるような、自分らしく楽しい人生を望んでいるんです。
そうやってみんなが自分のやりたいことをすれば、他人とぶつかることがないし、争いごともなくなる。

誰もが幸せになれるよね。

神様は、ジグソーパズルのピースを組み合わせた時に、完璧な素晴らしい絵が完成するようにこの世を作りました。

つまりこの地球は、自分らしくいれば輝ける子、ありのままの自分でいることが一番幸せになるっていう世界なの。

みんなが楽しく生きることで、完璧な素晴らしい世界が完成するんだよね。

にもかかわらず、人間はすぐに自分の居場所じゃない所へ行ってしまう。

その理由は、子供の時から「楽しいことばかりしているとダメになる」「我慢できない人間は社会で生きていけない」って教わるからです。

本当は自分が楽しくいられることをしたいのに、みんなに自慢できるような会社に就職しようとか、人にすごいって言われるような趣味を持とうとか。

自分の意見じゃなくて、人がどう思うかで行動するようになってしまうんです。

我慢や努力が当たり前の、苦労が前提の人生になっているの。

それと世間では、自分より人を優先する「自己犠牲」が正しいと教え込まれたんだけど、一人さんに言わせたら、自己犠牲なんてとんでもない話です。

自分にすら優しくできないのに、どうやって人に優しくするんだろう。

不幸な人が、人の幸せを願うことなんかできるわけがない。

人に優しくできるのは、自分に優しくできる人だけだよ。

人に優しくしたいんだったら、まず自分自身を可愛がらなきゃいけないんです。

だからあなたは、堂々と我慢や努力のない人生を歩んでいいんだ。

あなたが好きなことを思う存分楽しめば、それが結果的に、周りの人のことも幸せにするし、社会のためにもなるからね。


世界は自分中心に回っているんだ


すごく陽気な女性がいたんです。
その女性がある時、こんなことを言ったの。

「私はいつも楽しいけど、時々不安になります。

もしかして、あの世へ行った時に罰を受けるんじゃないでしょうか・・・・・・」

どうしてそう思うのか聞いてみると、

「いつも誰かのために生きている人は天国へ行くと決まっているけれど、私は誰かのためにという意識を持ったことがないから」って。


あのね、そういう心配をするから天国へ行けなくなるんです。

心配しなくても、自分の好きなことを楽しんでいれば絶対に天国へ行けます。

ピタッと自分の形がはまる場所にいれば、それだけで周りの人助けをしているんだよね。

もう十分、社会の役に立っている。

あなたが自分の居場所で楽しんでいれば、周りの人も快適なんです。

それが神様の喜ぶ生き方であり、正しい道なの。

正しい道を歩んだ人が、地獄に落ちるわけがないんだ。

世の中には、人の顔色ばかり伺って、我慢に我慢を重ねている人がいるよね。

で、不幸そうな顔をしながら、

「自分は何も悪いことしていないし、こんなに周りを気を使いながら生きている。せめて死後は天国へ行けるだろう」

と思っているかもしれないけど、天国ってどんなところかというと、あなたみたいな人がいないところだよって。

我慢が染み付いた、暗い顔の人は天国にはいないんだ。

あなたはとにかくあなたはとにかく楽しく生きたらいい。

そうすると、「世界は自分中心に回っているわけじゃない」とかって、水を差すようなことを言ってくる人がいるんだけど。

あのさ、自分中心に世界が回っていると思って何が悪いの?

この世には、一人ひとり「人生」という宇宙(世界)があるんです。
一人には、一人さんの宇宙がある。

あなたには、あなたの宇宙がある。

人生って、自分の宇宙なんだよ。

その宇宙が自分中心に回っているのは当然のことなのに、それを否定する人がいるから厄介なことになる。

せっかく人生を楽しんでいる人、「自分は変なのかな?」「私は普通じゃない、おかしいんだ」なんて思わせるようなことを言っちゃいけないんです。

おしゃれや買い物が好きな人に、「サッカーに興味を持った方がいいよ」とか言われてスタジアムに連れて行かれても困るよね。

もちろん、サッカーがいけないとか、そういうことじゃないよ。

宇宙の違い、好みの問題なの。

人それぞれ違っていい。

みんな、自分の宇宙を好きに生きたらいいんだ。

 

追伸 一人さん流・与えたものは戻ってくるルールとは?

 

Q 人を導くときに意識している事ってありますか?

斎藤一人さん

あるとしたら、愛だよね。

Q 愛なんですね。

斎藤一人さん
そこに愛があるのならね、相手は良くなるんだ。

それが、日本人らしさの愛としての「アイ」ね。

でも、英語の「アイ」は「I」だから、自分のことを意味するんだよね。

まずは、自分ありきということ。

でも、だからといって、日本人の愛は自分を犠牲にすればいいという意味でもないんだよ。

やっぱり、自分のことは大切。

だって、人にばかりご飯を食べさせてあげて、自分は食べなかったら3日ともたないでしょ。

だから、人に尽くすばかりだと長続きしない。

でも、もし、本当に人のためになることをやっているのだとしたら、それはきっと、自分にもプラスになっているはずなんだ。


この宇宙には「バランスの法則」っていうのがあるんだよ。

例えば、もし俺があなたに何かをしてあげたとしよう。

その時、あなたばかりにいいことがあるのなら、実際にはあなたにもそのことはほとんどプラスにはなっていないんだよ。

それは、俺が恩着せがましくやっているだけのことなんだ。

「たくさん世話をしたのに、あいつは感謝もしない」なんて心で思っていたりするのかもしれないよね。

でも、そんな時は、実際には俺の方も大したことはしてあげてないはずなんだ。

一方で、俺がただ無償の愛で、全力を尽くしてあなたに何かをやってあげたとする。

もちろん、見返りなんか何も期待していない。

そんな時には、あなたにだけ何かいいことがあるように見えても、実は俺にもたくさんのものが戻ってきているんだよ。


Q なるほど。そうすると、一人さんのおっしゃる「バランスの法則」とは、与えた相手からの戻りなど期待していない時に発動するんですね。

斎藤一人さん

そうだよ。さらには、それが無償の愛のもとで行われるものなら、与えた方の側ももっと戻りは大きいんだよ。
例えば、木霊ってわかるかい?

「おーい」って山に向かって叫ぶと、音が辺りに反響して、叫んだ時よりも大きな響きで「おーい」という木霊になって返ってくるよね。

だから、もし、何か叫んだつもりでも、木霊が返ってこないなら、最初から声は出していなかったというわけだよ。

つまり、何かを差し出したつもりでも、実は、そうではなかったり、あと、その人の役には立っていないことだったりするんだ。


Q そうなんですね。でも、どちらかと言うと、日本人は会社や組織なんかにおいて、自己犠牲を強要されると言うか、自分という存在を押し殺してまで組織に尽くすような姿勢をよしとするような雰囲気もあったりしますよね。


斎藤一人さん

本来ならうまくいく組織には、自己犠牲何かありえないんだよ。

それは、その本人が苦しんだりするし、それに無償の愛でもないからね。

でも、俺がお弟子さんに何かを無償の愛でやってあげたとしたら、その方帰ってくるのかもしれないし、その人を介して別のことで何かが戻ってくるのかもしれない。
どちらにしても、目には見えなくても、プラス・マイナスのバランスを考えるなら、最終的には俺の方にもそのことがプラスになっているんだよ。

だから、もし、人に尽くしているようでも、何か損していると思う人がいるなら、その人は、相手の役に立っていないことをやっているんだ。

それは、神の摂理じゃないね。


Q でも、中には、もらうことばかり、与えられることばかりを当然と考えるような人もいますよね。

だからかもしれないけれど、何かを与える時には、きちんとお返ししてくれる人だけに与えるっていう考え方の人も結構いると思うんです。

一人さんからしたら、そんな人はケチな人ということになりますか?


斎藤一人さん

そんなことはどうでもいいんだよ。

本当に与えたものが役に立っているのなら、きちんと帰ってくるんだから。

神は、ただ働きをさせないものなんだよ。

その人から何のお礼をもらわなくても、別のことでいいことがひらめいたり、運が上がったりするんだから。


Q なるほど。それにしても、僕は確実に、一人さんからたくさんのことを頂いている気がします。

斎藤一人さん

うん、そうだね。どうぞいただいてください。

でも、俺にも同じようにあなたが受け取っている以上のものが戻ってきているんだよ。

Q でも、まだ僕は今のところ蕎麦をご馳走するくらいしかお返しができていないから。

斎藤一人さん

いいんだよ、それで。

でも、もし、あなたのファンが100人増えたりすると、俺のファンも100人、いやそれ以上に増えちゃうの。

だからね、人に何かを与えることは、一法通行ではないんだよ。

Q 与えたものは戻ってくる、というルールも一人さん流なら、そこに無償の愛があるかどうか、ということがポイントなんですね。

斎藤一人さん

そう。あなたが今、やっていることに愛はありますかって、いちいち問いかけるといいよね。

 

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斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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