逆に「そのままでいいんだよ」と”ありのまま”の自分を認められた時、人は本来の長所や役割に気付き、その才能を十分に発揮できます。
- 人間は「そのままではいられない」生き物
- 「飽きっぽい」のは欠点ではなくて才能
- できないことがあると他人に優しくなれる
- 宝は「クズ」の中に隠されている
- 軽トラがフェラーリになる必要はない
- 「知恵」や「勇気」がなくても、幸せになれる
- 追伸 神がつくらない限りできないもの
人間は「そのままではいられない」生き物
「そのままでいいんだよ」と言うと、「それでは、人は努力しなくなる」とか、「現状を変えないと、何も変わらない」っていう人がいるんだけど、そうではありませんからね。
なぜかというと、人間とは「そのままではいられない」生き物なんです。
人間に限らず、植物も動物も、命あるものは全て成長します。
成長が止まったものは次の命にバトンをつなぐため、死んでいくの。
そうやって、常に成長し続けているのです。
その中でも、万物の霊長たる人間は、終わりがないぐらい、どこまでも成長しようとします。
それに、肉体的な成長には限界がありますが、魂の成長には限度がありません。
だから、「そのままでいいんだよ」と言われても、人はどうしても必ず成長したくなるものなんです。
逆に「そのままでいいんだよ」と”ありのまま”の自分を認められた時、人は本来の長所や役割に気付き、その才能を十分に発揮できます。
私は人を啓発しようと思ったことがありません。
基本的に誰に対しても「そのままでいいんだよ」と思っているから、啓発しなくてもいいと思っているんです。
いつまでも、どこまでも成長していけるのが人間。
認められた時に力を発揮する生き物なんです。
「飽きっぽい」のは欠点ではなくて才能
大丈夫だと思えない人の理由は、実は「自分には欠点がある」と思っているからなんです。
例えば、私はすごく飽きっぽい性格なんです。
世間の人はそれを欠点だと思うかもしれませんが、私は自分の「飽きっぽい」ということを才能なんだと思っています。
多くの人はいろんな才能を山ほど持っているのに、それを使わないで生きています。
昔、学校の先生が授業中に喋ってばかりいる私に「お前はおしゃべりだから駄目だ」って言いましたが、私はそのおしゃべりのおかげでうまくいっています。
さらに、そのおしゃべりのおかげで「助かりました」とか「救われました」って言ってくれる人も多いんだよね。
先生や親が「いけない」っていうのは、その才能の活かし方を知らないだけなんです。
それを、誰かに「いけない」って言われたからって直そうとするけど、大体才能を治すことはできません。
それって直すんじゃなくて、抑えつけようとしていることになるの。
それでいつも抑えつけていると、いつかどこかで爆発してしまいます。
そうでなければ、自分のエネルギーを下げて爆発を抑えようとするんです。
そうすると、行動するのに必要な欲望とか、活動するためのエネルギーも一緒に下げてしまうことになります。
100%のものを20%にしたかったら、自分のエネルギー全体を100から20に落とすしかないんだよね。
でもそうすると、人は無気力になってしまうんです。
誰でもそれぞれに、たくさんの才能を持っているの。
要は、どうやって活かすかなんだよ。
できないことがあると他人に優しくなれる
私は「飽きっぽい」とか「おしゃべり」とか、すごい才能をたくさん持っているんだけど、その中の一つに「漢字を覚えられない」というのがあります。
読むのは困らないんだけど、書こうとして思い出そうとすると、それが”黒点”の状態となって出てくるのです。
それで世間の人は「いい人にも欠点はある」って言うけど、そうではありません。
私は「自分にできないことがある」ことを知っているから、「他人にもできないことがある」ことも知っています。
だから、誰かできない人がいると「教えてあげよう」じゃなくて、「やってあげよう」と思うんです。
その代わり、自分ができないことは他人に頼んでやってもらう。
私は自分にできることは軽く引き受けますし、自分にできないことは軽く頼めます。
自分にできないことがあることを知っていると、他人に「努力しろ!」って言わなくなります。
それは、努力してもできないことがあることを知っているからなんだよね。
他人ができないことで自分ができることは、代わりに自分がやってあげればいいだけの話だよ。
私のように「漢字が覚えられない」というのは、他人にどれだけ教えられても、自分がどれだけ努力してもできないことです。
そして、そういうことを私は才能だと思っています。
でも多くの人は、それを才能とは思いません。
自分や周りができることは、他人も努力すればできると思ってしまうんです。
また、多くの人は自分ができないことを才能だと思わないで、自分の最大の難点だとか、欠点だと思ってしまいます。
そして、それを克服しようと努力するんです。
そんなもの克服する必要はありません。
克服する前に利用することを考えればいいんです。
漢字がわからなかったら「電子辞書」でも買えばいいし、隣の人に聞けば解決します。
そうやって自分の出来ることはやってあげて、自分のできないことはお願いして行ってもらっていると、「自分のいいところ」も見えるし、「他人のいいところ」も見えてきます。
そして、もっと自分に優しくなれますし、もっと他人にも優しくなれるんです。
欠点を克服するものではなく利用するもの。
できないことは他の人にお願いすればいいの。
宝は「クズ」の中に隠されている
「どこの会社に行っても勤まらないんです」っていう人が独立して自分の会社を始めたりすると、ものすごく成功したりします。
だから「どこの会社に行っても勤まらない」というのも才能なんです。
あなたが「才能じゃない」と思っていることに、実はものすごい才能が隠されています。
そのことに気がつくと、目の前に「宝の山」があることが分かるんです。
私のお弟子さんになった人たちも、会社の経営を始める時に親や兄弟から「経営者なんかになれるわけがない」って言われました。
でも、それが立派な経営者になって、地域で発表される高額納税者番付に載るぐらい利益を出せたのは、自分の才能を活かせたからなんだよね。
その才能も、周りから見たら「クズ」のように見えるかもしれませんが、私から見たら、それは「宝」です。
だから今まで周りから「あれを直せ」とか「これをやめろ」と言われてきた人が私に会うと、私の口から「大丈夫だよ」とか「そのままでいいからね」という言葉が出てきます。
大切なのは、自分の才能に気づかせてあげることと、「活かし方」を教えてあげることなんです。
「刀」というのは「柄」を持つようにできています。
刀のほうを持つと手が切れてしまいます。
それと同じように、「才能」も使い方を間違えると人を傷つけてしまうことがあるんです。
例えば「短気」が人に向くと怒ったり、人を傷つけたりします。
でも短気な人って仕事が早いんです。
私も短気だから周りが私の仕事をしている姿を見たことがないぐらい、すごく仕事が早いんです。
さらにものすごいから次々とアイデアを考えちゃうの。
だから、「勤勉」なのも才能だし、「怠けたい」と思うのも才能なんだよね。
つまり、そのままでいいんです。
そのままの自分に気づき、でそのままの自分を生かす方法を考えればいいだけなんだよな。
誰もが「宝の山」を持っているんだよ。
大半の人は気付いていないし、「活かし方」を知らないの。
軽トラがフェラーリになる必要はない
お金持ちの多くは、親の後を継いだとか、親が元々お金持ちだったというような人なんです。
中にはゼロからお金持ちになれた人もいるけれど、そういう人って割合でいうと、大体1000人に1人ぐらいしかいません。
じゃあ、その成功するために必要な「千人に一人の知恵と勇気が出ますか?」って言うと、ほとんどの人は出ないんです。
それで、出ないっていうのも才能だから、そういう人は会社に勤めに行って、もらった給料の中から楽しめることを探す人なんだよね。
そういう人たちに「こうすればお金持ちになれる」とか、「こうすれば出来る」って言っても、それはその人たちにはできないことだし、する必要もありません。
成功した人が本を書くと「こうすれば成功できる」って言うけど、それはその人だからできた成功なんです。
体操競技の選手で「空中三回転」ができる人もいれば、普通の人で「でんぐり返し」しかできない人もいます。
それで、でんぐり返ししかできない人は、そのでんぐり返ししかできない中で、どうやって幸せになればいいのかを考える。
目の前の今歩いてる道を幸せに歩んでいくのが一番早い出世の道ですし、その人にとっての幸せな道なんです。
特別なことができる人もいれば、出来ない人もいます。
そのことを知ることが本当の「精神論」なんだよね。
軽トラック低燃費がいいし、小回りも利くし、すごく便利です。
でもその軽トラックと10Tトラックを比べて、軽トラ20トンの荷物を載せたら潰れてしまいますよね。
フェラーリは人も荷物もあまり詰めないけれど、早いんです。
だから、軽トラとフェラーリは比べるものではありません。
いくら軽トラにフェラーリの話をしても、軽トラはフェラーリには絶対になれませんし、なる必要もないんだよね。
軽トラックには軽トラックの良さがあって、フェラーリにはフェラーリの良さがあるんです。
本当の「精神論」とは、自分の出来ることを知ることなんだよ。
誰かや、何かを真似することじゃないよ。
「知恵」や「勇気」がなくても、幸せになれる
私は変わっています。
だから、私と同じことをしてもダメなんです。
特に私は累計納税額日本一だから「どうすればそんなお金持ちになれますか?」ってよく聞かれるんだけど、私の成功法とあなたの成功法は違います。
例えば会社を辞めるのだって勇気がいります。
私のように、学校へ行かないというのも勇気がいるんです。
荒波に出て行くんだとしたら、「知恵」と「勇気」の両方が必要です。
「知恵」だけでは出て行けませんし、「勇気」だけでは無謀だからね。
それで「知恵」も「勇気」もないんだとしたら、無いものは無いんだから仕方ありません。
でも、ないから幸せになれないかというと、そうではありませんからね。
あるものの中で幸せになればいいんです。
「精神論」と「金持ち論」は別の話なの。
郵便局の局長より幸せな、郵便配達人はいます。
だから「出世しようがしまいが、人は幸せになれる」というのが精神論なんです。
それに、お金持ちになったからって、幸せになれるとは限りません。
事業が成功しても、社員とか周りから嫌われてる人はいます。
だから、成功者は成功者で幸せになれる方法があって、サラリーマンにはサラリーマンの幸せになれる方法があるんです。
手の中にあるもので、どれくらい幸せになれるか。
何かがないと、幸せになれないわけじゃないの。
追伸 神がつくらない限りできないもの
「流れ星っていうのはどこの星にも落ちるんだよ。
だとしたら、どこの星にも生命体がいなきゃいけないんだよ。
それなのにいないんだよ。
この地球は水があったり鳥がいたり花が咲いたりして、生命に満ち溢れている。
それは神がつくらない限り、絶対に出来ないんだよ。
今、生命のもとになる物質は、タンパク質から何から全部あるよね。
つくる設備だってあるんだよ。
それなのに世界中の学者が集まっても、命あるものがタンポポの葉っぱ一枚できないんだよ。
これだけの科学技術を集めてもできないものが、自然に出来たっていうこと自体がおかしいんだよ。
ほっといたら自然に花が咲き鳥が飛び、全部が出来上がったわけがないんだよな。
それに偶然できたものは、必ず醜いんだよ。
こんな素晴らしい花から鳥から、偶然で出来るようなものはないんだよ」
私はこのお話を聞いて、ますます神様の底知れない愛を感じました。
神様が生命を宿してくれた地球は、まさに奇跡の星。
それに、生命が宿るものは、綺麗に見えないものだって作れたはずなのに、美しい色、美しい音。
一人さんが言うようにこの地球は、美しさに満ち溢れています。
「神がつくったものは完璧なんだよ」という言葉の意味が分かった気がしたのです。
それともう一つ、わかったことがあります。
一人さんは白い光の玉に乗っかって、死んだらどうなるかを見てきた時、宇宙からこの地球を見てきたのではないかということです。
地球から流れ星、そして天を見上げた時、人は自分のお願い事をします。
でも宇宙飛行士は宇宙から地球を見たときに、地球の人達の幸せを願う気持ちになるのだそうです。
これはまさに一人さんの発想で、一人さんは争いを嫌うし、人の幸せを願う精神論しか語りません。
発想そのものが「天」になっているのです。
だからひとりさんの場合は天を味方につけるというよりも、いつも天と一体化してるかのようです。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きも御座いません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。