「いいことがあったら幸せ」というのは”願い”なんです。
そうだとしたら、願ったことが実現しないと幸せになれないことよね。
でも私が言っているのは”思い”なんです。
いいことがあったら幸せ。
悪いことがあっても、それは幸せの一部。
そう思うと、全てが幸せになるんです。
- 「いいことがあったら幸せ」というのは”願い”なんです。
- 幸せは”願い”ではなく”思い”なんだよね
- 「100%幸せだ」と思っても悪いことは起こる
- 幸せとは”探すもの”である
- 追伸 幸せとは探すものである
幸せは”願い”ではなく”思い”なんだよね
とにかく幸せって、何があっても「100%幸せだ」と思えるかどうかなんです。
嫌なことがあっても「こんなのは幸せの一部です」からって言える人に、幸せがどんどん訪れます。
「ついてる人には悪いことは起きない」のではありません。
ついてる人にも悪いことはおきます。
ただ、起きても捉え方が違うんです。
いちいち起ることに左右されて駄目です、不機嫌になっていたら、本当の幸せにはなれないよね。
多くの人は幸せを過大評価し過ぎてるんです。
人生にはいろんなことが起きるし、いろんなことが起きないと人生はつまらないもの。
「いいことがあったら幸せ」というのは”願い”なんです。
そうだとしたら、願ったことが実現しないと幸せになれないことよね。
でも私が言っているのは”思い”なんです。
いいことがあったら幸せ。
悪いことがあっても、それは幸せの一部。
そう思うと、全てが幸せになるんです。
私はいつも機嫌がいいんです。
それを見てよく「ひとりさんは嫌なことがないんですね」って言われます。
みんなが思うような嫌なことは私にもあるけど、私はそんなことでいちいち不機嫌にはなりません。
だって、そんなことが起こるのは織り込み済みだし、それも幸せの一部なんだよね。
それで、「豊かだからそういう気持ちになれるんですか?」って言われるけど、そういう気持ちでいたから豊かになれたんだよ。
起きることに対する捉え方って、思い続けているうちには分かってくるからね。
大切なのは思い続けること。
「100%幸せだ」と思っても悪いことは起こる
幸せというのも結局、起きた出来事に対して「100%幸せだ」と思えるかどうかなんです。
それで、「私が100%幸せだ」と思っていても、浮気がバレる時もあります。
つまずく時もあるし、車を擦られる時もあるの。
先日もちょうど、みんなでドライブをしながら、この「100%の法則」の話をしていました。
どんなことが起きても幸せだと思えるかどうか・・・・・・そんな話で車中は盛り上がりました。
そして、途中でトイレ休憩をしようと思って、サービスエリアに車を寄せました。
ところが、車を降りてトイレに行こうと歩き始めた途端、突然「ぽとんっ」しましたねと鳥のフンが私の肩に落ちてきました。
一瞬びっくりしましたが、次の瞬間になんだか笑えてきてね。
累計納税額日本一の大金持ちで、「100%幸せだ」と思っている私でさえ、こういうことが起こるんです。
「100%幸せだって言っていると悪いことが起こらない」
決してそういうことじゃないの。
いろんなことが起こるけど、何が起きようとも、それらをひっくるめて「100%幸せだ」と思えるかどうかが大切なんだよ。
普通の人は悪いことが起こると不機嫌になったり「ついてない」って思ったりします。
起こる出来事を100%予測するのは不可能だから、そうすると、あなたの幸せは偶然の出来事に左右されることになるよね。
人を変えることはできませんし、起こる出来事自体を変えることもできません。
変えられるのは自分だけなんです。
何かをやって失敗しても、経験したらだけ得なんです。
それで、次はその経験を糧にして、うまくやればいいの。
先日もある人が「ちょっと嫌なことがあって、愚痴を言っちゃったんです。
こんな私はだめですよね」って言うけど、そうじゃないんです。
幸せな人でも、つい愚痴をこぼすことはあるの。
そんなことも含めて幸せだなと思えばいいんです。
いちいち何かにつけて不幸だと思う曲を止めないと、幸せにはなれないよ。
最初はね、頭ではわかっていても、なかなか「100%幸せだ」なんて思うのは無理って人もいるよね。
でも、思うの。
思い続けて物事を見つめていくと、なぜ起きたのかという原因も分かってくるからね。
幸せとは”探すもの”である
不幸な人って、幸せの探し方が下手なんです。
「アジの開き」だって作るのに大変な手間がかかっています。
そのことを思って食べると「幸せだなぁ」と思えるんです。
水道の蛇口をひねれば水が出るのだって「幸せ」だよね。
昔はわざわざ川まで水を汲みに行っていたんですから。
さらにいえば、世界には飢えで苦しんでいる人が約8億、慢性的な栄養失調の人が約20億人いるといわれています。
世界各地で未だに紛争が起こっていて、いつ銃撃戦に巻き込まれたり、爆弾を落とされたりするかも分かりません。
それに比べれば、私たちは世界の平和な日本に暮らせて幸せ、生きているだけで幸せだと思います。
幸せって、幸せと思える感度が高いか、低いかなんだよね。
そして「幸せ」とは、与えられるものではなく、”探すもの”なの。
些細な事がある度に「不幸だ、不幸だ」って言う人がいるけど、幸せな人にも不幸な人にも起こる事って、そんなに変わりはありません。
それでも、幸せと思える人のところに、幸せって引き寄せられて来ちゃうんです。
完全無欠の幸せが探してみたってどこにもないから。
神様だってね、「幸せ」というものをくれるわけではないんだよね。
「幸せ」に変わるものをみんなにくださるんだよ。
性格だって、この世の中に完璧な人なんていません。
誰にでも欠点の一つや二つはあるものなの。
細かいことを言わなければ誰だって「いい男」だし、「いい女」なんです。
それを、「こういうところが良くなってくれたら」とか「ああいうところを直してくれたら」とかって言っていると、いつまでたってもきりがありません。
幸せっていうのは、50点か60点でいいの。
完璧を求めすぎると、幸せになんかなれないよ。
サッカーが好きな人って、相手から邪魔されたりすることですら、面白さを感じます。
だから人生も邪魔する人が現れたら「これでもっと面白くなるぞ」って思えると、その人の人生はますます面白くなるんだよね。
人って誰でも、ものすごい可能性を秘めています。
それを”ちっちゃく”まとめようとするからダメなんです。
「ここがダメ」とか「あそこがダメ」とか言ってると、どんどんちっちゃくなっちゃうんだよ。
もっと大きく、おおらかに物事を捉えて行こうね。
繰り返すけど「何がないと幸せじゃない」ではないからね。
「幸せ」は、あなたの心の感性や感度によって決まってくるからね。
「仕事の成功論」と「心の幸せ論」は同じ
幸せを見つけるのが下手な人は、商売の成功の仕方を見つけるのが下手です。
うまくいってない人って、幸せも成功も、「見つけるもの」だと思ってないの。
「与えられる」か「偶然入ってくる」ものだと思っているんです。
要は、日頃から”見つけ癖”がないんだよ。
「ご飯が食べられて幸せ」とか「仕事ができて幸せ」とか、幸せを探す癖が日頃からあるかどうかなんです。
自分に嫌なことがあっただけで「最悪だ!」って言っている人生と、「今日も朝起きられて幸せ」っていう人生では違います。
「幸せのネタ」を見つけられる人って、「商売のタネ」を見つけるのも上手です。
幸せな人って、いいところを見つけるのが上手なんだよね。
そういう人が「売れているお店・人気のお店」に行ったら、その店のいいところをたくさん見つけます。
そしてその中で、自分で真似できることをするんです。
逆に不幸な人って、悪いところを見つけるのが上手なんです。
「売れているお店・人気のお店」に行っても「あそこが駄目だ」「ここがなってない」とか言って、いちいち”重箱の隅”をつつくようなことをするんです。
人を雇うのでも、幸せな人は、その人のいいところを見つけて、そこを褒めて伸ばそうとします。
でもうまくいってない人って、悪いところを見つけてはそこを指摘して、直させようとするんだよね。
「仕事の成功論」と「心の幸せ論」は同じなんです。
毎日の生活の中で「幸せの種」探しをしてごらん。
実は毎日、たくさんの種を頂けていることに気づくから。
追伸 幸せとは探すものである
不幸な人って、幸せの探し方が下手なのです。
「アジの開き」だって作るのに大変な手間がかかっています。
そのことを思って食べると「幸せだなぁ」と思えるんです。
水道の蛇口をひねれば水が出るのだって「幸せだ」よね。
昔はわざわざ川まで水を汲みに行っていたんですから。
さらに言えば、世界には飢えに苦しんでいる人が約8億人、慢性的な栄養失調の人が約20億人いると言われています。
世界各地で未だに紛争が起こっていて、いつ銃撃戦に巻き込まれたり、爆弾を落とされたりするかも分かりません。
それに比べれば、私たちは平和な日本に暮らせて幸せ、来ているだけで幸せだと思えます。
幸せって、幸せと思える感度が高いか、低いかなんだよね。
「幸せ」とは、与えられるものではなく「探すもの」なの。
些細なことがあるたびに「不幸だ、不幸だ」って言う人がいるけど、幸せな人にも不幸な人にも起こる事って、そんなに変わりはありません。
それでも、幸せと思える人のところに、幸せって引き寄せられてきちゃうんです。
完全無欠の幸せを探してみたってどこにもないから。
神様だってね、「幸せ」というものをくれるわけではないんだよね。
幸せに変わるものを皆にくださるんだよ。
性格だって、この世の中に完璧な人なんていません。
誰にでも欠点の一つや二つあるものなの。
ことを言わなければ誰だって「いい男」だし、「いい女」なんです。
それを、「こういうところが良くになってくれたら」とか「そういうところを直してくれたら」とかって言っていると、いつまでたってもキリがありません。
幸せっていうのは、50点か60点でいいの。
完璧を求めすぎると、幸せになんかなれないよ。
サッカーが好きな人って、相手から邪魔されたりすることですら、面白さを感じます。
だから人生の邪魔する人が現れたら「これでもっと面白くなるぞ」って思えると、その人の人生はますます面白くなるんだよね。
人って誰でも、ものすごい可能性を秘めています。
それを「ちっちゃく」まとめようとするからダメなんです。
「ここがダメ」とか、「あそこがダメ」とか言ってると、どんどんちっちゃくなっちゃうんだよ。
もっと大きく、おおらかに物事を捉えて行こうね。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。