あなたは誰のために器を大きくしたいですかってことなの。
その誰かを受け止めるだけの器を、一生かけて大きくしていくのが人生なんです。
器は比較されてこそ大きくなる
人間の器を大きくすると言っても、結局は自分の持っているものを出し切らないと大きくならないのではないかと思います。
道具としての器も使わなければただの「もの」です。
どれほどの名器と言われる「器」でも、それが日の目を見ずにしまい込まれていたら、それこそ「宝の持ち腐れ」ですよね。
それと同じで私達が持っている器も、使って、使って、使い切るところに活かされるし、そして生かされる道があるのです。
人は生まれも違えば顔かたち、性格も違って様々です。
人の器も様々な用途があって、それぞれに価値があります。
人間の器に価値のない器なんて、一つもありません。
大切なのは、その価値に気づいて、活かし切ることです。
一人さんは、「この世の中は、必ず比べられるという仕組みを持っているんだよ」と言います。
例えば、あなたがスーパーへ買い物に行って、りんごを買うとします。
リンゴと一口に言っても、「ふじ」「つがる」「王林」「紅玉」「ジョナゴールド」など、様々な種類があります。
値段も違えば味も違います。
そして同じ品種でも、大きな傷みや具合も違って、これら様々な選択肢の中から、あなたにはそれぞれのりんごを比べ、最終的には一つのりんごを手にするのではないでしょうか。
人も世間に出れば、必ず比べられます。
顔や身長や体型、学歴や勤務先、資格や能力の高さなど、様々な尺度で比べられます。
ここで大切なことは、「どうぞ、比べてください」ということだと、一人さんは言います。
「この世の中は必ず比べられるんです。『自分は誰かと比較されたくない』と言っても、洋服屋に行けば、『あっちよりも、こっちの服がいい』って自分は比較してるんだよね。
だから、『比較されるのが嫌だ』って逃げるんじゃなくて、『どうぞ比較してください』って生きていかなきゃだめなの。
それで、他人が比較する基準は他人が持っているのだから、これはどうしようもないけど、自分が比べる基準は自分が決めるわけだから、自分で幸せになる基準を決めちゃえばいいの。
それと、器の大きさを決めるのも結局は他人なの。
ある人が会社で『あなたは器の大きな人ですね』と言われていたとしても、家に帰ったら奥さんに『あなたは器の小さい男ね!』って言われているかもしれないの。
大切なのは、あなたが誰にとって器の大きな人でありたいかってことなの。
そして、それを決めるのは自分自身なんです。
器って受け皿だから、大きい方が、より多くの人を受け止めることができるの。
でも、一人の人を受け止めるだけの器も大切なんです。
だから、あなたは誰のために器を大きくしたいですかってことなの。
その誰かを受け止めるだけの器を、一生かけて大きくしていくのが人生なんです。
天が与える試練とは何か?
人生はよく、旅に例えられます。
そして人生を旅に例えるのなら、器とは天が与えてくれた、旅をするための乗り物ではないかと思うのです。
さらに言えば、人は生まれてくる時に、自分の人生をどう生きるかを決めて天と約束し、それに見合った器を選んで生まれてくるのではないかとも思います。
そういう意味では、人の一生とは天との約束を守るための、修行の旅と言えるのではないでしょうか。
だから時に天は、その約束を守れているかどうか、まだその人が成長して約束を果たせるように、試練という形で試しているのかもしれません。
これまでの私の人生な中にも、様々な試練がありました。
そんな時に一人さんは、サッと解決策を教えてくれるのです。
そこで私はあるとき、天が与える試練とは何かを聞いてみました。
すると一人さんはこう答えてくれました。
「天が与える試練というのはその人の成長に合わせて与えられるんだけど、それは一見、何の問題もなさそうな所に出るんだよね。
例えば、お金が欲しいという人ががんばって仕事をし、努力をすればある程度のお金を稼げる能力は身につくんだよね。
それでお金を持った時は、今度はお金を維持する能力がいるんだよ。
それを派手に使っていると、必ずそれを狙う人が現れるの。
泥棒ってお金を盗むプロだから分かるんです。
その人がお金を持っていて、しかも隙があるかどうか。
それでこうしたことに防犯対策をするとか、怪しい人に注意するとか、色んな対策があるんだけど、一番注意しなければいけないのは、自分の驕りなんだよ。。
人におだてられて、やらなくていい仕事までして、借金だらけになるのは馬鹿馬鹿しいよね。
自分の足元を見て、しっかり歩こうね」
器量は弱いところで試される
確かに私のところへたくさんの人が来ました。
それで土地の購入や株式投資、自社ビルの建設など、様々な話を持ちかけられました。
そんな時、一人さんは必ず前もって教えてくれるのです。
「そろそろ、恵美子さんの所にもいろんな人が来るから気をつけなよ。
いろんな投資の話をして、融資の話を持ちかけてくるからね。
それで、そういう時はこう言いな。
『私は、そんなにいろんなことをするほどの器量がありませんから』」
私たち弟子はこうして一人さんから前もって教わっているので大丈夫なのですが、私の周りの知人や友人達の中には、投資話にだまされる人がすごく多いのです。
特に最近増えているのは、ボランティア福祉をうたった投資話です。
こうしたことに対処するためにどうすればいいか、一人さんはこう話してくれました。
「人がお金を持った時って、その人の器量が問われるんだよね。
それがどんな形で現れるかと言うと、その人の一番弱いところに現れるの。
例えば地位や名誉に弱い人には、そうした心をくすぐるような投資話が来るんです。
それで見栄をはったりすると、その見栄に転ぶんです。
男性で女に弱い人は女で失敗したり、芸能人に弱い人は芸能人にはまって引っかかったりするの。
こうやって天の試練は必ずその人の一番弱いところに現れて、その人の器量を試すんです。
人生はそうやって、弱いところを強くするという修行なんだよね」
斎藤一人さんの話を纏めました。
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