神の領域、愛と光というものに、いつも心を、忍耐強く置くんだよ。
忍耐とは、苦しいこと、悲しいことに耐えろ・・・・・・と言ってるんじゃないんだよ。
忍耐の「忍」という字は、刀の下に心を置くんだよ。
だから、カルマがダルマに変わる
いいかい。
魂が向上してくると、今度は、神様が試験を出すの。
で、こういうことしてても問題が起きるんですか?・・・・・・って、起きるよ。
でも、慣れてくると、「そろそろ神様の試験があるぞ」って分かるようになる。
否定的なことを言いたくなるような試験が出されるんだよ。
その時に、否定的なことを言わずに、「この問題は愛と光と忍耐で答えたら」って考えたら、全部、答えは正解なんだよ。
で、出し方の問題じゃないんだよ。
一番の問題は、心構えなんだ。
要するに、
「愛と光と忍耐としたら・・・・・・」
っていうことなんだよ。
OK?
それで、やれば全部がうまくいくって、因果は解消するんだよ。
要するに、カルマがダルマに変わるんだよ。
OKかい?
いいかい。
この世の中には対極というのがある。
例えば、男がいて、女がいるよな。
闇があって、光がある。
それで、いいか、よく覚えててよ。
神とは、愛と光、なんだよ。
愛と光、というのは、簡単に言うと。
「愛」とは、優しさなんだよ。
それで、「光」とは、明るさなの。
心が優しくて明るいんだよ。
もう1回言うよ。
心が優しくて明るいの。
この、「愛と光」の世界は、全てがうまくいく神の領域なんだよ。
その「愛と光」の反対側・対極にあるのが、闇と恐れなんだ。
この世界は、何をやっても最後には不幸になる、悪魔の領域なんだよ。
例えば、1Mの棒で、神の領域と悪魔の力を表すとする。
それで、真ん中から右へ行くほど、「愛と光」が強いんだ。
真ん中から左へ行くほど、暗くて恐れが強いんだ。
例えば、心配というのは真ん中より少し左。
だから、心配が高じたものが恐れなんだ。
要するに、恐れが、ちょっと軽くなったようなものが心配ごとなんだよ。
だから俺が、「心配だ、心配だ」「子供が、心配で心配だ」とかって、天国に行けないぞ、って言うのは、心配は悪魔の領域だからなんだよ。
わかるかい?
よく、子供を心配するのは当たり前、って言うけど、子供は一個の魂で、あなたの所有物ではないんだよ。
あなたの子供の魂は、川が流れるが如く何度も生まれ変わって今世、あなたの体を通して出てきたけど、魂は一個の、別物なんだよ。
あなたと同等の魂なんだよ。
だから、この魂は、自分でやることを背負ってきてるんだよ。
だから、どんなことでも修行してカルマを解消しようとするんだよ。
だけど、親は、苦労をさせたくないんだよ。
だけど、片一方は、経験して、因果を解消したいんだよ。
だから、そこにぶつかり合いが生じるんだよ。
この子はこの子の、魂で、自分で背負えるものを持ってきた。
あなたは、それを超えられる立派な人なんだ。
お母さんは信じてるよ・・・・・・っていうのが、「信じてる」って事なんだよ。
それと、お母さんにはお母さんの魂の成長があるんだよ。
わかるかい?
子供を信じて、自分を信じて、神を信じてる人間に、心配なんかないんだよ。
わかるかい?
それで、1Mの棒の真ん中の棒の真ん中から、神の領域。
いいかい。
神の領域、愛と光というものに、いつも心を、忍耐強く置くんだよ。
忍耐とは、苦しいこと、悲しいことに耐えろ・・・・・・と言ってるんじゃないんだよ。
俺、仕事をしてても、そんなに「忍耐強く」とか「辛抱して」とか、やったことないんだよ。
その代わり、気持ちを暗い方とかに絶対持ってったりしないんだよ。
俺のお弟子さんで、俺の機嫌を取った人、「いない」っていうぐらいなんだよ。
何十年間も、これは自分で心を「愛と光」に置いてるんだ。
要は、優しくして、機嫌が良くて明るい所にいつもいるんだよ。
わかるかい?
みんなが否定的なのは、実は、習慣なんだよ。
みんなが暗い、っていうのは、習慣なんだよ。
で、あなたの習慣、じゃないんだよ。
あなたの考えは、あなただと思ってるけど、実は親の考えとか。
その親はおじいちゃんの考え。
先祖代々、そういう考えで。
後は世間の言うことを聞いてるだけで。
あなたの本当の考えなんか、何パーセントもないんだよ。
あなたが、あなただと思ってるのは実は本当の、あなたではないんだよ。
わかるかい?
本当の自分でいるには、自分がいつも、神の領域にいることなんだよ。
愛と光にとめておくことなんだ。
だけど、みんなすぐ、戻っちゃうんだ。
よく、「タバコがやめられない」っていう人がいるじゃん。
で、誰かが、刀みたいの持ってきて、「タバコ吸ったら、刺しますよ」と言ったら、タバコやめるよな(笑)。
わかるかい?
それと同じように、自分で自分の心に刃物を置くんだよ。
愛と光から心がぶれないように刃物を置くんだよ。
いいかい。
忍耐の「忍」という字は、刀の下に心を置くんだよ。
例えば、歯磨きでも、左から磨いちゃう人が、
「右からの方が正しいんだ」
と言われたら、一週間ぐらいが我慢して、意識的に右から磨くようにすればいいんだ。
要するに、反対側からこうやってやる癖をつければ、自然と右から磨くようになっちゃうんだよ。
だから、クセをつけるまでは、、心に刃物の「押忍!」という気持ちがないとできないんだよ。
わかるかい?
グッと忍ばないとダメなんだよ。
それで、心を、愛と光のところに置いておかないとダメなんだよ。
OKかい?
覚えといてよ、神の声の聞き方
だから、「忍耐」とは、嫌な亭主でも我慢しましょう、とか、どんなことでも我慢しましょう、とか、そういうことを、言ってるんじゃないんだよ。
忍耐とは、辛抱強く、心を明るい方に置くことなんだよ。
そうすると、どういう現象が起きるか、というと。
いいかい。
人はワクワクすることをすると、成功する・・・・・・・って本が、随分出たんだよ。
それを、はなゑちゃんやなんかが、二十何年前に、
「これ、一人さん、本当なの?」
と言ったとき。
それ、すごい危険な考えだよ、って。
なぜかと言うと、人間の心が愛と光にいるときは、神の領域だから、神のひらめきなんだよ。
ところが、「心配だ」って思っている人もいるよね。
例えば、「老後が心配だ」って。
「このままで、あたしたち、やっていけるのかしら」
って、思ってる時に、投資の話が出てきて、月1割くれる、とかって言うと、その人も、ワクワクするんだよ。
問題は、成功者にだけアンケートをとったら、「ワクワクしました」って言ったんだよ。
わかるかい?
失敗者もワクワクはしてるんだよ。
だから、神の領域にいるときにワクワクしたんですか?
悪魔の領域にいるときに、ワクワクしたんですか?って。
たくまの領域でワクワクした場合は、よく考えなきゃいけないんだよ。
考えると、「そんな、投資話なんか、あるわけない」って。
テレビやなんかでも、聞いてんだよ。
それで、「考える」というのは、知識の賜物なんだよ。
わかるかい?
知識だから、もしかすると、オレオレ詐欺で、
「おかあちゃん、俺だよ」
と言ってても、そういうの、テレビでやってたな、とか。
「本当にお前、あれだったら、なんつう名前なの?」とか。
「生年月日、言ってごらん」とか。
悪魔の領域の人は、よく考えなきゃいけないんだよ。
で、神の領域の人は、ひらめきで行動しなきゃいけないんだよ。
要は、「愛と光」でやってりゃいいの。
わかるかい?
悪魔の領域で浮かんだことにワクワクしたからって、やったら、えらいことになっちゃうんだよ。
だから、友達に聞くとか、な。
人に聞けば、人の知識までもらえるんだよ。
ところが、神の領域でひらめいたものは、行動した方がいいんだよ。
「愛と光」の領域の時にひらめいたものは、神のひらめきだから、やっても間違いがないんだよ。
だから、成功者は必ず、愛と光の、神の領域に、心を置いてるんだ。
わかるかい?
周りが闇・・・・・・が、神がくれる
最初のプレゼントなんだよ
心を神の領域に置いてる、そこに辛抱強く、忍耐強く心をとどめる癖をつけるんだよ。
そうすると。
俺なんかの場合、「いろんなものが、よく、ひらめきますね」って言われるけど。
「愛と光」のところに忍耐強く心を置いとくと、いろんなひらめきがくるようになるんだよ。
だから、これは誰でもできるんだよ。
で、こういうことを聞くと、
「あぁ、人は愛と光なんだ。言ってみよう、やってみよう」
ってやりだすと、心の中に灯がともるんだよ。
で、こういう話を聞かない時は、無明の世界といって、闇の中をライトも付けずに車を運転しているようなもんだから、やたら事故ったり、ぶつかったりするんだよ。
ところが闇の中で、あなたの心に、灯がともりました。
そうすると、何がわかるんですか?
周りが闇だ、ということが分かるんだよ。
これが神のプレゼントで、まず第一の気づきなんだよ。
どういうことですか?・・・・・・・って、自分が天国言葉を言ったり、「私は愛と光と忍耐です」とかって、言ってても、周りに暗い人ばっかりいるとか、地獄言葉を言う人ばっかり、だとか言うんだよ。
それって実はやっと気がついたんだ。
あんたもそれを言ってたんだよ。
そういうことなら、辛抱強くやり続ければいいんだ。
忍耐強く「愛と光で」って、やってればいいんだよ。
そうすると、あなたの光が大きくなるんだよ。
そうすると、周りも照らし出されて、変わってくるんだよ。
で、俺たちは、人生という時間。
今、こうして喋ってても、1分、1分、時間が過ぎるように、旅路を歩いてるんだよ。
それで、心に灯をともしながら、「愛と光と忍耐」ということで答えを出して歩いていると、類友の法則で、類は友を呼ぶ・・・・・・・といって、同じような仲間が集まってくるんだよ。
そこで人生が変わりだすんだよ。
わかるかい?
だから、これを淡々とやり続けなきゃいけないのに、
「周りが暗いからヤんなっちゃう」
って、地獄言葉を吐いちゃいけないんだよ。
周りが暗いから電気がいるんだよ。
電気の球で「闇夜うがヤんなっちゃう」とかってないんだよ。
闇夜を照らすために光はあるんだよ。
だから、俺たちはそのために灯をともすんだよ。
で、天国言葉、「私は愛と光と忍耐です」を言い続けるんだよ。
誰でもこの言葉を言うと、状態は良くなるけど、心に引っ掛かりができて、
「次はもうちょっと、いいことを言おう」
「もうちょっと、いいこと言おう」
って、魂が成長する。
そうすると、それでも、神様が地獄言葉を言いたくなるような、試験をくれる。
で、その試験をくれても、相も変わらず、愛と光で、忍耐強く、これで答えを出すんだよ。
そうすると、その闇のような問題が消えてなくなるんだよ。
わかるかい?
追伸 この世で一番大切なこと
今日は一人さん、珍しく真面目な話をしているな。
感謝しかないです、一人先生。
ありがとうございます、みっちゃん先生。
今日もこうして旅ができて幸せだな。
はい。
整然と区画された畑の真ん中をまっすぐ伸びる道を走る一人さん号の予定にこんもりとした緑が見えます。
みっちゃん、着いたよ。
林の手前にある駐車場に車を止め、そこから歩いて1分、2分の、緑の中にひっそりと鎮座する、御中主神社があります。
私たちはお参りを済ませると、再び一人さん号に乗り込みました。
さて次はどこに向かうのでしょうか。
「一人さんのお話の続き」も気になりますよね。
さっきの話の続きだけどね。
「男はつらいよ」という映画があったじゃない?
主人公の寅さんは毎回、振られるけど、次回また別の女性に恋をする。
寅さんは懲りない人だな、っていう見方もあるよね。
でも、一人さんはそうは思わないんだよ。
寅さんは懲りないのではなくて、「転んだら立ち上がる力」を養っているんだよ。
寅さんは「振られて悲しい思い」を経験するじゃない?
何回も「振られて悲しい」という経験をしていくからこそ、思うんだ。
「悲しんでばかりいても、相手はどうにもならないな」とか。
「どうにもならないことを思い詰めても自分のためにもならないし、誰からも喜ばれないよな」とか。
「しばらく経ったら俺はまた別の人を好きになっちゃう人間なんだよな」とか。
だんだんだんだん、明らかに眺められるようになってくるんだよ。
だから寅さんは立ち直りが早くて、それでもまた次にも恋ができるんだよ。
「明らかに眺められる自分」になるために、場数を踏んでるだけなの。
転んだら立ち上がり、明日の自分に向かう。
その力をを「忍耐」と言うんだよ。
転んだから立ち上がる力、忍耐を養う訓練を寅さんはしているんだよ。
いいかい、みっちゃん。
人生というのはね。
失敗しないことが大切とは限らないんだよ。
転んだら立ち上がる。
また転んだら立ち上がる。
何度転んでも、転んだら立ち上がる。
これが一番大切なことなんだ。
なぜかと言うと、人の魂は死なない。
魂は何度でも生まれ変わるから。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
www.youtube.com https://youtu.be/fyipjqirzuE
お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きも御座いません。
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