「ここにどんな教えがあるんだろう?」
病気やケガにも教えがあるんだ
病気(怪我を含む)をしたり、それによって身体に障がいが残ったり・・・・・普通は、そういうことが起きると「なんて不運なんだ」「どうして自分が?」って嘆くと思います。
悲しい気持ちになるのはしょうがないけど、病気を単なる踏んとして送っ止めるだけだと、嫌な気持ちになって終わりです。
何も成長しない。
具合が悪くて辛い時に、ネガティブな感情に飲まれてしまうのは簡単だよ。
でもね、ほんの少しでいいから
「ここにどんな教えがあるんだろう?」
って意識してごらん。
そこには、今あなたに必要な学びがあるんだよね。
あなたにしかわからない気づきがある。
病気から愛を学ぶ人もいれば、明るい気持ちを学ぶ人もいます。
忍耐力がつく人もいるだろうし、明るい気持ちを学ぶ人もいます。
忍耐力がつく人もいるだろうし、看護婦さんの優しさが分かる人もいます。
人それぞれ起きている現象が違うし、見える景色も違うから、何を学ぶかはみんな違うの。
だけど、ちゃんと学べるようになっているんだよね。
病気って、いろんなことを教わるチャンスなんです。
人それぞれに、すごく大事な意味があるんだ。
心だけはいつでも自由で楽しめる
体がダメージを受けると、本当に辛いよね。
痛みがあるとか体が思うように動かないとかって、命を脅かすことだから、動物として一番のストレスなんです。
ただ、体の苦しみで心まで辛くなるのはおかしな話なの。
心と体は繋がっていると言うけど、主従関係で言えば、体を支配しているのは心。
心が主人で、体は召使いなんです。
心が体の言うことを聞くって、主人が召使いに使われるのと同じだよ。
苦しいのは体であって、心まで辛くなることはありません。
心だけは、いつだって楽しめるんだ。
その証拠に、体が痛かろうが苦しかろうが、心が楽しんでいれば、体の痛みが少しは軽くなるって言うことがあります。
体に痛みがあっても、自分の意識ひとつで心を解放することはできる。
それによって痛みが軽減するの。
心が苦しいんだところで、痛みが半分になるわけじゃない。
それどころか、体の痛みで心まで落ち込んじゃうと、ますます痛みが強くなったり、体が重くなったりします。
きっとみんなも、大なり小なり経験あるんじゃないかな?
心を楽しめばあなたの魅力はどんどん増すよ
一人さんってね、子供の時から、体の具合がよかったことなんてほとんどないんです。
それくらい病気をしてきたし、生死に関わるような大病にかかったことも、一度や二度じゃありません。
お医者さんに「この子はもうダメでしょう」と死を宣告されたこともある。
周りの大人たちには、成人式を迎えるまで生きていられないだろうと思われていたんだよね。
それでも、こうして今まで生きてきて、しみじみ思います。
どんなに苦しくても心は自由で、どこまでも楽しめるんだなぁって。
心は絶対に、体の苦しみに支配されないよ。
だからどんなに重い病気になろうと、私はいつも楽しいことを考えてきたの。
病気で辛いからって落ち込んでいたら、一人さんの人生はどうなるの?
ずっと落ち込んでなきゃいけない。
そんなのごめんだよ。
どんなに具合が悪かろうと、心の中だけは楽しいことを考える。
そうやって少しでも明るい気持ちになれば、不思議と痛みも紛れるんだよね。
楽しいことを考えながら過ごしていると、魂も磨かれるの。
特に、病気の時っていう、普段より辛い状況で明るくしていると、神がすごく喜んでくれるんです。
で、魅力得点を大サービスしてくれる。
だから、ものすごく魅力が増すんだ。
そうすると、みんなに愛されてなく仲間に恵まれるし、仕事だって劇的にうまくいく。
自然と豊かにもなります。
全然いいことが起きるんだよね。
嘘だと思うなら、一人さんを見てごらん。
こんなにもモテちゃってる上に、誰よりも豊かなんだ。
どこまでも幸せな人生だよ。
幸せを呼ぶ究極のコトダマ「まぁいいか」
病気をすると、イライラしたり、腹が立ったりしてどうしようもなくなることがあります。
そういう時に、「これで100%解決する!」っていう方法があれば楽だけど、残念ながらそういう魔法みたいなものはないんだよね。
ただ、コトダマの力を借りることはできます。
一人さんは、いつもそのタイミングでみんなに必要だと思う言葉を発信しているのですが、今、私が一番いいと思っている言葉を紹介しますね。
「まぁいいか」
これは、神が教えてくれた、究極のコトダマを持つ言葉です。
世間では、「まぁいいか」って投げやりな意味で使われることも多いのですが、一人さんが言うのはその真逆。
神的「まぁいいか」なんです。
神は、いつもあなたの味方でいてくれる。
あなたは、守護霊や守護霊にも守られている。
失敗しようが、病気をしようが関係ない。
私たち誰もが神そのもので、愛と光の存在だから、何をしてもうまくいく。
そんな意味を持つのが、この神的「まぁいいか」です。
この言葉をいつも口にしていると、だんだん肩の荷が下りて気持ちが軽くなるし、生きるのが楽になります。
神的な道が開かれて「自分は神そのものである」という実感が深まるし、未来は明るいって本気で信じられるようになります。
人生に対する安心感が違ってくるから、心は明るくなるし、苦しみも小さくなる。
だからどんどん幸せになるし、運勢だって爆上げだよ。
でね、最初から前向きな気持ちで「まぁいいか」が言えない時は、諦めの気持ちでも投げやりな気持ちでも構わないので、とにかく「まぁいいか」と言う言葉を口癖にするといいですよ。
最初は投げやりな気持ちがあっても、口にしているうちに、自分を尊重し、相手を尊重し、愛で信じる「まぁいいか」に変わっていくからね。
大丈夫だよ。
世の中、白と黒だけじゃ息苦しくなるよ
神的「まぁいいか」は、世の中にある、善悪のいずれにも属さない「グレーゾーン」を意味する言葉でもあります。
多くの人はすぐに善悪をつけたがり、正誤をつけたがり、白黒をつけようとするんだけど、それって自分も他の人も苦しくなるんだよね。
この世は、曖昧なところがなきゃダメなんです。
どっちでもいいやって言う、肩肘張らない気楽さも大事なんだ。
わかるかい?
1日の流れの中にだって、グレーゾーンはあるんです。
朝が来て、昼が来て、その次にいきなり夜が来ることはないよね?
昼と夜の間には、夕方という曖昧な時間が挟まれている。
今日は夕方がなかったね、なんてことは絶対にありません。
自然にも、グレーゾーンが必要だからです。
夕方の「夕」という言葉は、昼と夜を結ぶ「結(ゆう)」の意味なんです。
いきなり真っ暗になると、夜目の効かない動物たちが困ったりする。
だから、徐々に暗くなって「もうすぐ夜ですよ」っていう合図が必要なの。
きちっと割り切れる数学みたいに、自然は簡単に区切れないんだよね。
それは人間も同じです。
私たちの生活の中には、白でもない、黒でもない、そういう部分がいっぱいある。
グレーゾーンが欠かせません。
と言うか、そもそもこの世界で起きることの8割は、白黒つける必要なんてないの。
適度にいい加減でいいんです。
それなのに、無理やり白黒をはっきりさせようとするから、生きづらくなるんだ。
完璧に善人でいようとか、100%を正しく生きようとすれば、必ずどこかで歪みが生じるよ。
人間関係も仕事も、スムーズにいかなくなる。
でもね、肩の力を抜いて「まぁいいか」を口癖にしていると、だんだん気が楽になって、辛い気持ちが薄れます。
あなたの中でグレーゾーンが広がって、自然と笑えるようになる。
神的「まぁいいか」は、魂を成長させる意識そのものなんだ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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