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斉藤一人さん キリストの愛

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人間は、どうしようもないから愛してるんだ。

要するに、未熟なやつだから俺を愛してやんなきゃいけないんだ、っていう。

これを「キリストの愛」っていうんだよね。

 

 

 


親というものは完璧であると思ってると、
親の未熟さは不満の種なんだよ


親は子供に期待をした。

子供の自分は、期待に応えようと努力したけれど、応えられなかった。

その時、子供の心の中は、親に申し訳ないような気持ちと、

親は期待を裏切った自分をもう愛してくれないじゃないかという不安、恐れ、そして、

「親のがっかりした顔を見て、あの時の自分は傷ついて落ち込んだり、自信を失ったりした」

っていうんだけど。


今、大人になった自分が、”自分探しの旅”に出かけてって、その場面に戻ってみると、

当時、あなたの親はまだまだ未熟なんだよね。

ちっちゃい頃の自分にとって、親は大きくて完璧に見えたけど、全然、完璧じゃないんだよね。

自分が親になってみるとわかるけど、本当、未熟なんだよ。


例えば、すごい話があるのね。

うちの子供が小学校の時の友達で、月曜から土曜日まで塾に通ってる子がいたのね。

それで、その子は、日曜日にお父さんが勉強を教えてくれるんだって。

その子のお父さんはね、学校の校長先生なんだよ。

「その子、勉強できるの?」って聞いたら、全然できないらしいの。


この話を聞いた時、俺思ったね。

その子にとって、あの家庭環境は地獄かもしれない、って。

そんなこと、考えもつかないような親ってね。


あの、これは余談だけどね。

生まれ変わりって、面白いもんでね。

親は子供の時に勉強が好きで、成績が良かったのに、

なぜか子供は勉強嫌いだったり、成績が悪かったりすることがあるんだよね。

それって、前世、自分が親だった時に、よその勉強のできない子を見て

「だらしない」と思ったか、「親がだらしない」と思ったか。

ともかく、何かよくないことを思ったか、いっちゃったか、したんだよ。

その結果、今世、勉強嫌いな子供が、自分の所に生まれる。

そうすると、そういう子を持った親の気持ちが嫌というほどわかって、魂が成長するようになってるんだけど。


この「因果の話」は、別の話なので、また機会があれば話すとして。

話を元に戻すよ。


親が子供の頃、学校の勉強がよくできたとするじゃん。

そうすると、自分たちが勉強が非常に良く出来たから、自分の子供もできて当然、ぐらいに思ってるんだよね。

だから、勉強できない子供ができた場合は、無理矢理にでも勉強させて、って。

それぐらい、未熟なんだよ。

わかる?


両親とも全然、勉強ができなかったとしても、なぜか子供は、出来のいい子だったり、というケースもある。

だから、世の中って、いろんな、多種多様なケースがあるのに、勝手に思い込んじゃってるの。

「自分の血を引いてるんだから、うちの子は勉強ができて当然だ」みたいにね。

ともかく、親って、そんなことも分からないぐらい未熟なの。
だから、テストの結果を見てがっかりした顔をしてみせたり。

悪気はないけど、ついうっかり、子供を傷つけるようなことを言っちゃったりするんだよ。


だけど、今のあなたが、その時に戻って、大人の目で、未熟な親を見る。

そうすると、だよ。

うちの親は未熟なのに、育児放棄もしないで、ちゃんとご飯食べさせてくれて、学校に行かせてくれたんだ、ありがたい。

ともかく、未熟なのに、産んでくれて、ここまで育ててくれて、ありがたい。


わかるかい?

「うちの親は、なぜ、こういう風にして自分を育てたんだろう」

「なぜ、私が傷つくようなことを言ったんだろう」

我が親の未熟さに不満を抱くのは、親は完璧だ、という勘違いをしてるからなんだよ。

だから、親のくせに、なぜ自分から自信を奪ったんだ、っていう。


ところが、「あんな未熟なのに、うちの親は頑張って育ててくれた」という頭で、

過去の、その場面に戻ってみた時に、「ありがたい」という気持ちが湧いてきちゃう。


面白いだろ。

な、人間ってのは、面白いんだよ。


どうしようもないから愛してるって、揺るがない愛


心のケアの一環で、自分の過去を遡ってね、昔、自分が親に言いたくて、でも、言えなかった不満とかを吐きだしちゃいなさい、っていうのがあるらしいの。

ためにためていた不満を吐き出して、楽になっちゃいなさい、っていう心のケアがあって。

これを受けてる人たちは、みんな、わぁーって泣きながら、親に対する不満を吐き出してるんだ、っていうのね。
それが間違ってるとは、俺は言わないよ。

それで、あなたが幸せなら、いいの。

ただ、一人さんには一人さんの考え方がありますよ、あなたのとは違うよ、ってことなの。


俺の説は、不満を吐き出すより、

「あの未熟さで、よく自分を産み、育ててくれた」

っていう感謝なんだよ。

よく「あの親が・・・・・・」っていうけどな。

一人で生きていくにも、精一杯だったんじゃないか、っていうぐらい未熟な人が、結婚して、子供まで産んで育てる。

それって、ありがたいことなんだよ。

わかるかな?


だから、感謝の念が湧いて、涙が出るぐらい掘り下げて、そこへ旅してこいよ、といってる。

過去をさかのぼって不満を吐き出すのもいいけど、それって、昔、言えなかったことを言ってるだけだよな。

未来をより良きものにしたい、自分の人生、開拓したいんだったら、

「あの未熟な親が、俺を育てたんだ、ありがたい」

そこまで行ってくるの。

そこまで行けば、後のことは、大概、許せちゃうんだよ。


あのな、キリスト教で、一番壊れやすい愛を、ただの「LOVE(ラブ)」って言うんだよ。

これは、他の女に走ったり、他の男に走ったりすると、うらみに変わっちゃう。

だから、愛でありながら、すぐ、うらみに変わるんだよ。

一番壊れやすい愛が、ただの「LOVE」なの。

他にも色んな愛があって、「キリストの愛」というのがあるんだけど。


「キリストの愛」って何ですか?・・・・・・ていうとな。

人間は、どうしようもないから愛してるんだ。

要するに、未熟なやつだから俺を愛してやんなきゃいけないんだ、っていう。

これを「キリストの愛っ」ていうんだよね。


どうしようもないから愛してる人間は、どうしようもないから愛してるんだ。

要するに、未熟なやつだから俺を愛してやんなきゃいけないんだ、っていう。

これを「キリストの愛」っていうんだよね。

どうしようもないから愛してる・・・・・・・になっちゃうと、もう、

どうしようもなくていいの。

だから、揺るぎないの。


それと同じで、親に、いろんなことがあるんだよ。

子供達から見ると、

「なんで、こんなやり方するんだ!」

というのがある。

ところが、その未熟な親が、いろんなことして働いて、子供を育ててるって、大変なことなんだよな。

で、自分が親になった時、親ってすごいんだ、って思うよな。
うん。


それで、あの未熟な親がありがたい、というとこに行き着いた時に、なんか、

許せる、そういうもんだよ。


マイナスの過去を”いいこと”に解釈できると、
今、起きてることでも、自分の思いのままになるんだよ


「自分がマイナスになってしまった原因は、なんだろう?」

と言ったって、そんなに、いくつもないんだよね。

だから、自分探しの旅に出かけてって、マイナスの思い出を、くるっ、くるっ、くるっくるって全部良い方にひっくり返す。

そしたら、そこから先は、今、起きてることでも、どうにでもなるんだよ。

人生の主導権を握れる、ことになる。

わかるかな?

過去に戻って、このマイナスの出来事は、これこれ、こうだから、良かったんだ。

そうやって、どんどん、どんどん、マイナスの過去を”いいこと”に解釈できるようになると、この先、起きることについても、”いいこと”に、”いいこと”に解釈できていく、と。

そしたら、これからは絶対不幸になんかなれない。

ずっと、ハッピーにしか、なりえないんだよ。

さらに、自分が「ここが自分の嫌なところ」と思っていたことと、欠点ですら”いい所”に変えられると、今度、どうなるかっていうと、

自分が気づいていない、お宝を発見できるようになる。

例えば、この前、背が高くてスタイルが良い女性がいて、

なんか、モデルさんになりたかったらしいんだけど、モデルになるには、あと3センチ、

身長が足りない、っていうのね。

それから、何だっけ?
バラエティに行くのには、明るさが足りない、とか。

他にも色々、自分は中途半端なんだとか、いってて。

俺、その子に、こういったのね。

「それって、あなたが他人の基準に合わせようとしているから、中途半端になっちゃうんだよ」って。


わかるかい?


この世界に、あなたって、一人しかいないんだよ。

全員、かけがえのないあなた、すごいものなんだよ。

だから、よその基準に合わせるんじゃないの。


新小岩にある、一人さんファンの集まるお店に通ってる、”奥ちゃん”っていう男性がいるのね。

彼の体型がね、ずんぐりむっくりなの。

あの形は、モデル業界の基準で見たら、モデル向きじゃないよ。

重心が下にあって、お年寄りを抱えたりする時でも、非常に安定感がある。

それで、奥ちゃんは介護の仕事をしてるから、彼にあの体型はぴったりなの。

まるで介護するために生まれてきたようなもんだよな。

わかる?


百合の花はね、ダリアに憧れないんだよ。

桜の花はね、ハスの花に憧れたりしないんだよ。

たんぽぽはたんぽぽで、精一杯咲いてる。

どの花も、でんでんに、一所懸命、咲くんだよな。

わかるかい?

そうやって、みんなも、精一杯自分の花、咲かせてさ。

元気に堂々と咲いてりゃ、いんだよ。

それを、誰かが勝手に決めた基準を持ち出して、あーだ、こーだ、

よそと見比べて、落ち込んで。

それより、たんぽぽはたんぽぽとして咲けばいいんだ。

ゆりはゆりとして、ダリアはダリアとして、咲けばいいの。

それが自分にできるようになった時、例えば、「自分は介護向きで、最高だな」とかって。

「自分はものすごい暗いから、葬儀屋向きだな」とか。

各自に、ぴったりはまる場所があるんだよ。

わかるかい?


それで、自分でそれを「最高です!」と思う。

最高が分かるようになってくる、と、今度、他人に対しても、その人が気づかないことでも、「こうだよ」って。

「あなた、ここ、最高じゃん」

って気づかせてあげられるんだよ。

斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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