コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斎藤一人さん どんな向き不向きも個性。尊重が必要なんだ

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自分が嫌なことは、我が子だろうが誰だろうが押し付けちゃいけないよ。

愛とは、自分がされて嬉しいことであり、相手も笑顔になるものです。

 


どんな向き不向きも個性。尊重が必要なんだ


子供のためだと言って親が何かを強要するのは愛ではありません。

子供にとって、親の強制は、本当に迷惑なんだよね。

ということを肝に銘じて、まずは自分の子と、よその子を比べないこと。

よその子を見て「うちの子もこれくらい勉強ができたらいいのに」みたいなことを思うのは、親のエゴだからね。


人にはそれぞれ、特性があるんです。

よくできるって事は、それがその子に向いているからであって、向いていないことをがんばっても、せいぜいなみレベルを維持する程度なの。

飛び抜けた成績にはならないものだよ。

よその子と同じようにしたって、よその子と同じ結果は得られないんだ。

もちろん、あなたの子にもそれが向いていて、本人が「やりたい」というのなら、勉強でもスポーツでも挑戦させてあげたらいい。

だけどそうじゃないんだったら、無理強いはだめだよね。

たまに、親が教育ママで子供が東大に入ったという話を聞くこともあるけど、その子が東大に行けたのは、元々東大に行ける素質のある子だったの。

別に親が教育ママじゃなくても、勉強好きで自主的に勉強したと思うし、それで東大に入っただろうね。

そして東大向きじゃない子には、いくら親が教育ママになってみっちり勉強させても、やっぱり東大には入れないと思います。


学校嫌いの子に無理やり登校させたり、勉強の苦手な子に宿題をさせたり、塾通いをさせたりするのって、体の弱い子をボクサーや力士にしようとするのと同じなの。

体つきは外見ですぐに分かるから、ひょろひょろした子には誰もボクサーとか力士になれとは言わないし、親だって望まないよね。

見た目で「怪我をするのがオチだな」ってわかるから、最初から考えもしないと思うんだよ。

ところがこと勉強となると、なぜか親の目の色が変わる。

頭の中は外から見えないから、やればできるとかってすぐ勉強させようとするわけ。

あのさ、頭だって体つきと同じように、向き不向きがあるんだよ。

勉強の苦手な子に勉強させても、コテンパンに打ちのめされて心を病んじゃうよ。

向いていないことを強要するのは暴力だし、いじめと同じなんだ。

どんな向き不向きも個性だし、全ての個性は尊重されなきゃいけないの。

親のあなただって、向いていないことを押し付けられるのは嫌でしょ?

それを愛だと言って強制するのはおかしいし、本当の愛じゃない。

自分が嫌なことは、我が子だろうが誰だろうが押し付けちゃいけないよ。

愛とは、自分がされて嬉しいことであり、相手も笑顔になるものです。

そして、本当の愛で行動すれば、自分も相手もその場で幸せになる。

よく「いづれ幸せになる」とか「今苦労しても将来楽できる」って言うけど、今ここで幸せにならないものは、やっぱり勘違いの愛だよね。



愛も練習。出し慣れると上手くなるよ


人間はみんな、生まれた時には全員が「自分らしい愛」で満たされているし、生まれながらに愛のない人はいません。

誰もが、愛を知っている。

にもかかわらず、うまく愛が出せない人がいるのはなぜかと言うと、育った環境の中で常識は間違った愛に縛られ、本当の愛を忘れてしまったからです。

そしてそのせいで、長いこと自分らしい愛を出せない時間を経てしまったこと。

要は、愛を出し慣れていないのが原因なんだよね。


うまく愛が出せないのは、愛がないからではありません。

愛の出し方を忘れちゃってるだけで、練習すれば自分の中にある愛を思い出せるし、いくらでも出せるようになる。

だって人は皆、神の子だからね。

もともとすごい愛の持ち主なんです。

例えばスキンシップが多い国の人だと、人前で抱き合うことに抵抗はないし、映画やなんかでもサラッと「I love you.」って言うじゃない。

そういうのは、日本ではちょっと考えられないよね。

もしかしたら、最近の若い人たちはこういうことにそれほど抵抗がないのかもしれないけど、少なくとも一人さんの世代やその上の人達で、パートナーに大っぴらに「愛してるよ」なんていう人はあまりいなかった。

本心では愛していても、口に出すのは恥ずかしいから、昔の男はたいてい「いちいち言わなくても俺の気持ちはわかるだろ?」ってなもんで。


だけどさ、それは日本では愛を口にする習慣がないだけで、もしそういうのが当たり前の文化になれば、日本人だって外国の人たちみたく、サラッと愛の表現が出来るんだよね。

習慣があるかないか、言葉に出したり態度に出したりすることに慣れているかどうかの違いだけで、やれば誰でも普通にできます。

自分らしい愛を出すことも、それと全く同じです。


私たちは、もともと愛と光の存在です。

色んな常識や観念にとらわれて愛の出し方を忘れている人でも、
愛の出し癖さえつけたら、いくらでも愛は出せるようになるの。

何も特別なコツなんていりません。

失敗しながらでも出しているうちにどんどん上手くなるし、大きな愛が出せるようになるから。

という意味で言えば、愛を出すコツがあるとしたら、諦めないで出し続けることだろうね。



愛のない世界とは縁を切ればいい


愛のない子は、愛のない親に育てられたからだ。

そして愛のない親もまた、愛のない親に育てられている・・・・・・という話があるんだけど。

それが正しいとか間違っているとかじゃなくて、こういう話を聞いた時、「愛のない環境が連鎖している」ということに、絶望や悲しみを感じる人って多いと思うんです。

愛のない状態が続く家に生まれた人は、普通の人より愛を見出すことが難しいだろうなって感じるかもしれない。

でもね、一人さんはこの話をこう解釈するんです。

愛のない人に、「愛のない親に育てられたせいだよ」と言ってあげることが愛。


いま愛を出せず苦しんでいる人に、「あなたが愛を出せばいい」「自分で変わろうとしなきゃ」なんて言っても、追い詰めるだけなの。

ますます愛を見失いかねないよね。

そういう場合は、愛を出せない原因を誰かのせいにしてあげることも愛なんです。

親や環境のせいにしてあげることで、その人の心が少しでも軽くなるんだったら、それでいいんだよね。こういう愛もあっていい。


もちろん、最初は心を軽くするために親や環境のせいにしたとしても、いつまでも愛から逃げているわけにはいかないよ。

いずれは、自分で愛を出す道へ進まなきゃいけない。

愛から逃げている限り、やっぱり幸せにはなれないからね。

苦しんで苦しんで、もうこんな苦しみは嫌だと思ったら、その時は親が悪いとか環境が悪いとか関係なしに、自分で愛を探すしかないんです。


でね、もしあなたが薄情な親に育てられたんだとしたら、あなたは薄情な親がどんなに嫌なものか知っているわけでしょ?

愛のない人生がいかに苦しいか、あなたが一番よくわかっている。

だったら、もうそういう世界とは縁を切ればいい。

これからは、あなた自身で自分にうんと愛を注いであげたらいいし、あなたの周りにいる人にも愛で接してあげな。

どんどん愛を出して、愛のない世界から離れるの。

あなた自身が自分の価値を認め、個性を磨きだしたら、間違いなく人生は開かれるからね。

 

斎藤一人さんの話を纏めました。

 

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