自分に優しくできないのに、人に優しくできるはずがない
人生は結局、心がけ次第
神に近づくと、自分や人に厳しくなるなんてことはありえません。
神は愛と光の存在で、自分にも人にも優しいものだから。
髪に近づけば近づくほど、優しい顔になるし、明るい笑顔になるのが本当なんだ。
でね、人にやさしくなるって事は、それだけ自分にも優しくなっているんです。
だって、自分に優しくできないのに、人に優しくできるはずがないよね。
そうやって自分にも他の人にも優しくできるようになると、すごく幸せな気持ちになるんだ。
愛が溢れてくる。
それが、神に近づいているというサインなんです。
結局のところ、心がけ次第なんだよね。
みんなに愛される人は、愛されるようなことをしているだけ。
山にこもってまで修行しなくても、いつも笑顔だったり親切だったりすれば、それだけでみんなに好かれるよ。
その反対に、人から嫌われるのは、やっぱり嫌われるようなことをしているから。
人を不快にさせるような言動をすれば、間違いなくみんなに嫌われるよ。
神に近づくのに、修行するしかないかは関係ない。
心がけひとつで、誰だって神に近づけるんだ。
あなたが望みさえすれば豊かになれる
私はよく、こんな質問をされるんだけど、
「神に近づいた人は、経済的にも豊かになれますか?」
結論から言いますよね。
あなたが豊かになることを望めば、神に近づくことで間違いなく豊かになれるよ。
ただ・・・・・・世の中には、神に近づけば近づくほど、地位も名誉もお金もいらないっていう人もいるんです。
心が豊かになれば、十分だっていう人がいる。
自給自足みたいな暮らしが好きだから、何もない方が幸せだという人もいます。
こういう場合は、本人がお金を望んでいないわけだから、やっぱり経済的に豊かになることはないかもわかんないよね。
もちろん、神が勝手に面倒を見てくれて、知らない間に豊かになっていたっていうこともあると思います。
だけど本人が望んでいなければ、豊かになるための行動はしないものだから、大抵は豊かになりようがないと思います。
もちろん、それが悪いわけじゃありません。
だってその人は、何もないのが幸せなんだから。
その人にとってはそれがベストだし、理想的な人生なんだよね。
一方、もしあなたが
「健康になった。奇跡が起きた。神に近づけた。
だから、私は経済的にもうんと豊かになって当然だ」
と思っているとしたら、これは豊かな現実がもたらされるんです。
何事も、あなたが望むかどうか。
神に近づけば、あなたの望みをちゃんと叶えられますよ。
学びは人それぞれ違うんだ
日本は今、1億2000万人くらいの人口なんです。
だけどこれだけ大勢の人がいても、全く同じ学びは一つとしてないんだよね。
例えば、同じ病気でも人それぞれ症状や病状は違います。
風邪を引いたって、鼻水がどのくらい出るか、咳がどのくらい出るか、体のだるさはどの程度か・・・・・・みんな症状が違う。
それと同じで、1億2000万人いれば、1億2000万通りの学びがある。
どのタイミングでどんな学びが必要か、それだって人それぞれ違います。
なぜかと言うと、ひとりひとり、魂の磨いている部分が違うからです。
神に近づくと、自分にも人にも優しくなる。
それは多くに通じるたしかなことだけど、学びだってそれだけじゃないんだよね。
失敗や病気に対する精神力が強くなる人もいる。
失敗をしたことで、病気の人の痛みまで分かるようになる人もいる。
病気を通じて、失敗した人の苦しみまで想像できるようになる人もいる。
起きることにはいろんな学びがあるし、魂はいろんな形で成長していくんだ。
しかも、人と人が交われば、その掛け合わせでまた違った学びが生まれる。
探せば探すほど学びがあるし、掘れば掘るほど深いのが学びなんです。
そういう意味では、大切な人が失敗して落ち込んでいるときなんかは、周りにいる人は愛を持って見守るしかないの。
そこで本人が何を学んでいるかは、誰にも分からないからね。
励ましがあった方が学びにつながる人もいれば、放っておいて方がいい人もいる。
ヘタに励ましちゃうと、かえって相手を傷つけてしまうこともあります。
だから基本は、愛をもって見守ること。
相手にあった励ましが明確になるまでは、それしかないんです。
みんな、すぐに「こうした時はどうしたらいいでしょうか?」って、一つの答えを求めます。
だけど、「1+1=2」みたいにビシッと答えが出るのは数字くらいなもので、人生にはそういうはっきりした答えはありません。
あなたもわたしも、あの人もこの人も、1人1人正解が違うの。
ということが分かればね、自分と考え方や行動が違う人にも優しくなれるし、人と違う考え方や行動しかできない自分のことも許せるんじゃないかな。
また一つ、神に近づけたね。
この真理を知らないから他人をねたむんだよ
日本には、1億2000万通りの学びがあると言いました。
世界規模でいえば、80億近くになるんだよね。
と考えると、世界のどこかには、もしかしたらたった一回の失敗もしたことがないとか、まったく病気にかかったことがないっていう人がいるかもわかんない。
これだけの人がいれば、そういう人がいないとも限らないわけです。
そういう話をするとね、
「私は失敗ばっかりしているのに、不公平だ!」
「どうして私は病気ばっかりなの? 私だって健康になりたい!」
みたいな気持ちになる人もいると思います。
だけど、そう思う人はこの事を知らないだけなんです。
人は何度も生まれ変わる。
私たちは肉体が死んでも、魂は永遠に死にません。
この世での人生を終えてあの世に帰っても、また新しい肉体を授かってこの世に生まれてくるんだよね。
死んでも次の人生がある。
こちらの世界で言うところの死は、あの世での誕生なの。
そしてあの世での死が、こちらでの誕生なんだよね。
私たちはそうやって、何百回、何千回、何万回と生まれ変わります。
その中には、失敗や病気ばかりする人生もあるし、全く失敗や病気をしない人生もある。
今世は失敗や病気ばかりしている人でも、ひょっとしたら過去世では、失敗や病気をしない人生を送ったことがあるかもわかんないよ。
あるいは、来週以降の人生で体験するってこともあるだろうね。
とにかく今のあなたは、今世はそういう人生だって言うだけで、過去の人生も、次に生まれ変わって体験する人生も、今とは違う人生なんです。
それがわかれば、「あの人ばかりずるい」とか思わずに済むんじゃないかな。
でね、どこかに「私は、失敗や病気をしたことがありません」という人がいるとして、じゃあそういう人は神に近づけないのかと言うと、それも違うよ。
失敗や病気から大きな学びが得られるけど、そこでしか学びが得られないわけじゃないから。
学びというのは、楽しいところにもあります。
何でもない、当たり前のことからもたくさん学べるんだよね。
ということを知るのも、また大事な学びなんだ。
怖れがあるから学べるんです
失敗や病気って、すごく辛いものです。
それだけに、失敗や病気を何かの罰だと思ってしまう人がいます。
自分がダメな人間だから罰を受けているとか、前世で悪いことをした報いが起きているんだとか。
そういう風に悪く捉える人がいるけど、そうじゃないんです。
失敗や病気って、あなたの学びのために起きていることなの。
決して悪いことじゃない。
そこで何か気づくべきことがあるから、あなたの身に起きているんです。
全ては、愛を大きくするために起きることだよ。
とはいえ、
「どんな失敗でも、どんな病気からでも、それを経験したことで神に近づける」
「失敗と病気から神に近づく」
いくら自分にそう言い聞かせても、怖れが消えないことがあると思います。
そういう時はどうしたらいいんですかって、「怖れがあってもいいんだ」と思えばいいよ。
その怖れから学ぶことがあるからね。
怖れがあるのは、あなたには今、怖れが必要だからなんです。
魂が成長過程にあれば、怖れがあるのは当たり前なんです。
と言うか、そもそも失敗や病気を怖れるから学びに繋がるんだ。
怖れがなかったら、学ばないかも分かんないんだよね。
でね、そういうことが分かってくると、すごく気持ちが楽になる。
きっと私たちの魂が、失敗や病気から神に近づくということを本質的に知っているからだろうね。
と一人さんは思います。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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