神は幸せをくれないんだよ。
神は幸せに変える物をくれるんだよ。
- 神は幸せに変えるものをくれる
- 必ずみんなにも得、自分にも得
- 人の為って書いて偽という字
- 本当に役に立ったものに一歩通行はない
- 受けた恩を返そうという気持ちがあって初めて共鳴する
- 俺はみんなを守る、みんなは俺を守れ
- 得は徳にならない
- 追伸 「天命を待つ」んじゃない。天命が来てから人事を尽くすんだよ
神は幸せに変えるものをくれる
神様はな、俺たちを不幸にしようとはしてないんだよ。
ただ、幸せになる材料は山ほどくれてるんだよ。
だから「これで幸せになれ」って言ってるんだよ。
幸せをくれると思ってる奴がいるんだよ。
神は幸せをくれないんだよ。
神は幸せに変える物をくれるんだよ。
だから不幸を山ほど持っているんだったら、幸せに帰る材料が山ほどあるの。
それで、神はハンディをくれるということは実力があるんだよ。
いろんなハンデがあるんだよ。
人間っていうのはいろんな物が悪いんだよ。
人間っていうのはな、顔立ちが悪いか、頭が悪いか、歯が悪いか、痔が悪いかな。
何か悪いんだよ。
人間ってな、何か悪いんだよ。
その代わり、ひとつずついいものも持ってるんだよ。
それはみんな個性みたいなものでな、それで幸せになりなっていう、あのな、不幸になっちゃいけないんだよ。
俺達は天国から出てくる時に、まぁ、地獄から出てきた人もいるんだけど、どっちにしろ「幸せになります」って言って出てきたんだよ。
それで、因果は何個かしょってきますって言ってるんだよ。
それでも幸せになりますって出てきたの。
これが基本なんだよ。
それから、守護霊もついてるんだよ。
神も付いてるんだよ。
だから、夢から何から、なんでもかんでも、あの親じゃなきゃダメ、あの兄弟じゃなきゃダメ、あの部長じゃなきゃダメ、それでも幸せになるというゲームだな。
必ずみんなにも得、自分にも得
俺も今日、ここへ来たらこうやって話をしなきゃならないしな。
そうすると、くたびれることもできるんだよ。
「いや~、俺、がんばってくたびれちゃった」って。
でも、元気に楽しく帰ることもできるんだよ。
何故かって言うと、みんなのためだけに喋っちゃダメなんだよ。
みんなのためだけに喋った時は、必ず俺はくたびれるんだよ。
みんなも楽しくて、俺も楽しくなきゃダメなんだよ。
言ってることわかるか?
みんなだけ楽しいと俺くたびれちゃうんだよ。
俺も幸せでなきゃダメなんだよ。
だからみんなも楽しいけど、「ここら辺にいる人、2~3人くらい俺の彼女にならないかな」と思って、俺も幸せじゃなきゃダメなんだよ。
それが大切なんだよ。
何故かって言うと、みんなにも得だけど俺にも得じゃなきゃダメなんだよ。
人の為って書いて偽という字
人ってな、人にも優しく、自分にも優しくじゃなきゃダメなんだよ。
訳の分からない奴に限ってな、「人には優しく自分には厳しく」って、自分に厳しい奴だ人にも絶対厳しいんだよ。
歌を一曲歌って音痴なやつは、2曲目も絶対音痴なんだよ。
厳しい奴は絶対厳しいんだよ。
だから俺は人にも優しいけど、自分にもすごく優しいの。
だって自分って可愛いもんな。
だけど、みんなのことも可愛いから、みんなのためにも喋るんだよ。
だけど俺な、自分の為にならない事って嫌なんだよ。
あのな、この世はな、与えたものが返ってくるんだよ。
みんながくたびれたとするじゃん。
俺もくたびれるんだよ。
俺な、みんなのために話して今日すごいくたびれちゃったとするとみんなもくたびれてるの。
言ってることわかるかい。
人間ってな、今日は俺、楽しくってって言った時はみんな楽しいんだよ。
だからよくね、「人のためにがんばった」って言うけど、人の為って書いて偽って書くように、人の為って偽なんだよ。
あのな、人のためにがんばってって、人のためにがんばってるんじゃないよ。
今日、俺だって楽しくなりたいんだよ。
だから、人にも優しく自分にも優しく。
それで今日、みんなのためになってるとしたら、絶対俺のためにもなってるんだよ。
本当に役に立ったものに一歩通行はない
みんなが100ずつ得したら、皆が集まったぶんだけ俺は得なんだよ。
20人いるなら100×20なんだよ。
あのな、ひとりさんから教わったことを金額にしたら、いくらずつ得したとするじゃん。
そうしたら、このテープを本にしようが何しようが、これで絶対、俺のところに現金が入ってくるんだよ。
本当に役に立ったものは一歩通行なんて絶対ないんだぞ。
人の役にだけ立って、俺には全然一銭の見返りもない。
そんなの偽物なんだよ。
本当に役に立つ話だったらこのテープ売れるんだぞ。
だって価値があるんだもん。
わかるかい。
だから、本当にみんなが幸せになったら俺ももっと幸せになるんだよ。
だからこの世の中な、一歩通行の幸せなんて絶対ないんだよ。
バランスの法則って言ってな、バランスなんだよ。
今日な、あなたのためにな、俺が一生懸命しゃべって、あなたが得したとするじゃん。
1000得したとするんだよ。
いや、1000だとする。
いいか。
1000得したと思っても、あなたが1000得したと思ってるだけなんだよ。
それが本当の得にしたいんだとしたら、俺のためになんかやんな。
例えば「一人さんって素晴らしいんだよ」って褒めようが何しようがいいよ。
でも誰からでもただでももらいっぱなしは、絶対この宇宙では通らないんだよ。
あのね、一人さんは初めて会った自分のためにこんだけのことをしてくれたって、それに感銘したなら、青森に行こうが何しようが俺を褒めるとか、俺が得になることをしない限り絶対ダメなんだよ。
この世の中はバランスの法則なの。
自分だけ受け取って得したように思うけど、それだけだと俺から受け取ったことはひとつも役に立たない。
神が役立つ場面くれないの。
人間ってそういうものなの。
あのね、寺田さんの所へよく若い人たちが来て、寺田さんはご飯をご馳走したりしたんだよな。
そうすると、君たちは寺田さんに会って得したように思ってるけど、そうじゃないぞ。
こんだけ面倒を見てくれたんだから、日本酒は寺田のしか飲まないとかね。
自分が飲めないんだったら、おじいちゃんが飲んでるんだったら、「おじいちゃん、寺田のお酒を買ってよ」とかって。
受けた恩に対して何かする気持ちがなかったらな、太鼓だってバチがなきゃ音しないんだぞ。
人間っていうのは受けた恩に対して、自分が何をするかって思った時に、宇宙は共鳴するようにできてるの。
これが法則なんだよ。
受けた恩を返そうという気持ちがあって初めて共鳴する
あのな、納税日本一になった俺が、若者に「俺の為に尽くせ!」とか言うの、おかしいだろ。
普通はカッコ悪いから言わないんだよ。
こんなこと言うの俺だけだよ。
でもそうじゃないんだよ、本当に。
みんなのためなんだよ。
この宇宙はそういう仕組みにできてないんだよ。
だから心意気の問題でな、「寺田の親父に世話になったから、自分は酒飲むなら寺田の酒を飲んでます」とかな。
そういうものなんだよ。
あのな、キリンビールの社長にお世話になってるならアサヒビールで乾杯しちゃだめなんだよ。
そういうものなんだよ。
それが大切なんだよ。
この宇宙はそういう法則でできてるんだよ。
だから見ず知らずの君のために一生懸命しゃべったんだから、君は一人さんを広めるために一生懸命喋るんだよ。
それで広まったからって、そんなに俺に得があるわけではないんだよ。
そういうものではないんだよ。
あのね、受けた恩を返すって気がないやつはダメなんだよ。
恩を受けたら返すんだっていう気持ちなの。
だから、それがどんなに小さかろうがなんだろうが、そういう気持ちがある時に初めて宇宙は共鳴してチャンスをくれるようにできてるの。
それが君のためであり、お互いのためなんだよな。
俺はみんなを守る、みんなは俺を守れ
俺はね、うちのお弟子さん家なんかにね、「みんなは俺を守れ」って言うの。
そして俺はみんなを守る。
「一人さんに守ってもらったら嬉しいです」じゃあないの。
そうじゃないんだ。
それじゃだめなんだよって言うの。
一人さんは私たちを守ろうとしている。
そして、私たちは一人さんを守りたいんだってその気持ちが共鳴しあってうまくいくんだよ。
だから自分たちは微力だろうが、一人さんのためにこんなことをしたいとかね、だから人間ってやれることをお互いやりあって、初めて成功のエネルギーが共鳴しあうんだよな。
だから、自分が弱い人間だからって、行ってもらうだけっていうのはだめなの。
あの釈迦がね、托鉢に行って、お布施としてご飯もらう時に、貧しいところに必ずいけっていうの。
貧しい人は、貧しいからもらうことしか考えないんだよ。
それが貧しさをまた呼ぶんだよ。
来世もまた貧しくなるんだよ。
その中から一口ぶんのご飯でもこうやって人に恵むようになった時に波動が変わるんだよ。
「日本一の一人さんからこれだけ教わったんだから、日本一にこれからなろうとしている俺はこれだけのことをします」という何かなんだよ。
わかるかな。
これが共鳴なんだよ。
出せるものの問題じゃないんだよ。
俺が言っているのは、貧しい人はこんなご飯一さじ分だって、自分の食い扶持だって足りないんだから、一さじだって大きいんだよ。
だからその気持ちの問題なんだよ。
因果とはどういう気持ちでやったかなの
因果とはな、気持ちが作るんだよ。
あのな、この世に因果っていうのがあるんだけど、死刑囚は誰かが13階段のあのボタンを押すんだよ。
電気椅子は誰かがボタンを押すんだよ。
自動装置なんですって言うけど、誰かがボタンを押すんだよ。
全自動だとしたらそれの全自動を作った奴がいるんだよな、わかるかい。
その時な、「この野郎はろくな奴じゃないから」ってそういう気持ちで押すのと、「早く生まれ変わって次はいい人生を送りなよ」って言うつもりでボタン押すのとでは全然違うんだよ。
だから首切り役人が何人クビ切ったって、ちゃんと菩提を伴っているような人には、悪い因果は起きないんだよ。
因果とはどういう気持ちでやったかなんだよ。
あのな、ひとりさんと会ってこんだけ話し聞いて得したっていう気持ちだけではダメなんだよ。
得は徳にならない
一人さんに対して、何かして自分は徳を返したいんだと思った時に、いいい方の因果の「ダルマ」というのが起きるんだよ。
得は徳にならないんだよ。
徳は返そうとした時に、返したぶんだけ得になって戻ってくるんだよね。
親に産んでもらったとするじゃん。
得したように思うけど、それが徳じゃないんだよ。
徳というのは親孝行したいなとか、親に何かしたいなと思った時に良い事が起きるんだよ。
あのな、親の財産をもらいたいって、争ってでも親の財産をうんと取った人がいるだろ。
後からずっと見てると、必ず苦しい生活を送ってるんだよ。
それより5割ずつのところをな、私3でいいからって言って相手に7やって3もらったようなやつの方が、もっと言うと、もらわないで親の面倒を見ていたやつの方が、絶対幸せな人生送ってる。
あのな、何か人に受けた恩に対して返したいと思う心の恩の方が大切なんです。
「同じものは返さなくていいんですか?」って、いいの。
だって同じことは起きないんだから。
同じものは返せないよな。
ただ、気持ちってあるじゃん。
返したいという気持ちな。
不思議なんだけどね、親の財産もらったいってやつより、親の面倒を見たいっていうやつの方が、なぜか幸せになるの。
奢ってもらっているやつより、奢っているやつの方がなぜか幸せなんだよ。
そういうものなんだよ。
受けた恩は返すんだっていう気持ちな。
君は俺と1回しか会ってないんだよ。
だけど、俺から凄い100のもの、1000ものをもらったとするんだよ。
そしたらな、ちょぼちょぼでもいいから一生かけてもいいから返すんだよ。
それで、返そうと思っている人間には良い事が必ず続くんだよ。
何でもいいの。
一人さんの天国言葉の紙を人に配ろうがな。
名刺の裏に入れといて「これ、言うといいですよ」とか、些細なことでもいいから、これがひとりさんに対するお礼なんだという気持ちでやってると、運勢が違うんだよ。
だから、恩を返す気がなかったら、俺からいいものもらったとしても、生かす機会が来ないんだよ。
だから天国言葉一つ言いようが何しようが、なんでもいいんだよ。
なんでもいいんだけど何かをやろう。
いっぺんに1000は返せない。
だけど1000枚の紙は配れるかもしれないね。
一生かけてな。
運は覚悟によって光るものです。
まず始めることです。
ここは、行動の星だから。
追伸 「天命を待つ」んじゃない。天命が来てから人事を尽くすんだよ
未来というものの捉え方を変えるようにと、一人さんは言います。
「よく、『未来に向かって進め』と言うよね。
でも、これだと人間が進まなければ未来が来ないという気がしちゃうんだよ。
でも、そうじゃないの。
未来は人間が進まなくても、勝手に向こうからやってくるんだよ」
「未来に向かって進め」という言い方をするのは、先に何があるのか分かっている場合のようです。
でも、それは例外的な場合にしか当てはまらないと、一人さんは言います。
「例えば、高校や大学などの受験なら、その人にとって何年後にそれがやってくるのか分かるよ。
こんなことなら、前もって準備もできるから、『未来に向かって進んでいる』ような気がしちゃうの。
でも、こんなのは例外なんだよ。
ほとんどの場合、何がやってくるのかは予測できないの。
突然それが起こるんだよ。
人間が望もうが望むまいが、未来はやってくるの」
自分から進まなければ未来は来ないと錯覚すると、何もしなければ未来が来ないような気がしてしまいます。
先に嫌なことがあると思えば、何もしないで逃げていればその嫌なことをやらずにすむ、そんな勘違いをしてしまうわけです。
でも、未来は勝手に行ってきます。
もちろん、いくら逃げていても来てしまうわけです。
この勘違いをはっきりさせるため、一人さんはこう言います。
「怖がるのもいい。
みんな、怖がりだよね。
誰だって怖いんだよ。
先なんか進まなきゃいいと思っているんだよ。
でもね、こっちが進まなくても未来は勝手に来るの。
逃げたくても逃げられない。
誰だって、顔にシワが出来てほしいなんて思わないよ。
でも、老化は勝手に進む。
死んだって未来は来るんだよ。
お墓を掘り返してみな、1ヶ月も経つと、半分腐ってるから」
でも、一人さんは、向こうからやってくる未来を恐れる必要はないと言います。
だって、未来からくるのは、それが天命だからなんだよ。
神様がこの問題をやってみなさいと言っているの。
神様の出す問題は全部、自分ができる問題なんだよ。
だから、天命に任せる。
そして、それがやってきたら精一杯やる。
人事を尽くすんだよ。
その心構えがあれば、未来を恐れることなんかないんだよ」
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますか、一人さんの考えでは、順番が逆だということなのです。
未来が向こうから勝手にやってくるわけですから、予め準備などできません。
実際には、出来事が起こってから、その対策をするという順番になります。
つまり、人間には「天命を信じて、人事を尽くす」ということしかできないわけです。
また、一人さんの考え方では、天命が来たら、安心して鎮守を尽くせば大丈夫ということなのです。
一人さんはこう言います。
「一人で戦うのが辛いんだったら、仲間を集めればいい。
それでもいいんだよ。
人事を尽くすの。
問題は誰だって起きて欲しくない。
でも、起こるんだよ。
だから、起こった問題をちょっと変えてみる。
レモンに砂糖を入れればレモネードになる。
酸っぱくて飲めないようなものも、ちょっと変えてやるだけで美味しくなるんだよ。
問題とはチャンスなの。
望まなくても来るものなら、そう考えるんだよ。
問題が起こって自体が変わるということは、本当にチャンスなの。
ちょっと見方を変えてやれば、その問題がチャンスだと分かるんだよ」
ここで、未来についての一人さんの考え方をまとめます。
未来は向こうからやってくる天命。
天命は人事を尽くせば乗り越えられる。
未来に行ってくる天命に怯えることなく堂々と人事を尽くせば、きっとチャンスをものにできるはずです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆さま、いつもご精読ありがとうございます。
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