幸せになった人は、断食や座禅が本当に好きだったんだよ。
だからって、好きでもない人が同じ事をしてても苦痛でしかない。
- 自分を卑下するのは神様へのいじめなんだ
- 断食してうまくいくのは断食が好きな人だけ
- 欠点は直さなくていいからね
- 問題が起きるのは、神様の粗探しをしているから
- 中国の皇帝は彼女を5000人作って天下を取った
- 好きなことをすると、愛と光が出放題
- 追伸 「辛い」が「楽しい」に変わるたった一つの方法
自分を卑下するのは神様へのいじめなんだ
自分を卑下すると、何をしてもうまくいきません。
会社の社長にまでなったのに、自分を卑下したせいで、そこから人生が転落する人だっているんだよね。
自分を卑下するって、あなたの中の神様を卑下するのと同じだから、うまくいかなくなるのは当たり前なんです。
それなのに、世の中には自分を卑下する人が溢れている。
みんな、自分を厳しく見過ぎちゃってるんだよね。
とにかく自分を大切にしていない。
可愛がり方が全然足りないんだ。
うまくいかないのは、自分の可愛がり方が足りないからなのに、「もっと厳しく、もっと厳しく」って正反対のことをしているの。
そんなの俺に言わせたら、どこまで神様をいじめたら気が済むんですかって話だよ。
で、自分をいじめることも駄目だけど、人をいじめるのもダメなんだよね。
だって相手の中にも、あなたと同じように神様がいるんだから。
人をいじめるってことは、相手の中にいる神様をいじめるのと同じことだから、大きい神様があなたにご褒美をくれるわけがないよね。
自分も相手も、みんなお互いに神様なんです。
だから、誰のこともいじめちゃいけないよ。
断食してうまくいくのは断食が好きな人だけ
幸せになるには、断食をしたり、壁に向かって座禅を組んだりするのがいいですよっていう教えがあるんだけど。
実際にそれで幸せになる人がいる一方で、同じことをしたのに人生がうまくいかない人もいる。
その差は何ですかって、幸せになった人は、断食や座禅が本当に好きだったんだよ。
だからって、好きでもない人が同じ事をしてても苦痛でしかない。
幸せになるために断食したのに、それが拷問みたいに感じるっておかしいよね。
好きなことをすれば、今この瞬間から幸せになれるのに、なぜわざわざ好きでもない事をして苦しまなきゃいけないの?
だいたい一人さんに言わせると、女性のお尻を見てるより、座禅を組んで壁を見てるほうが好きだっていうのは変態だから。
座禅が好きな人からすれば、女性のお尻が好きな俺の方が変態に見えるかもわかんないね。
何が言いたいんですかって、変態でも成功できるし、幸せになれるよってこと。
それがあなたの本当に好きなことだったら、人に変態と言われようが何しようが気にしなくていいんだ。
エッチなビデオを見ている人より、壁に向かって座禅を組んでいる人の方が偉いとかって、そんなのおかしいよ。
どちらも好きなことをしているだけなんです。
自分を可愛がって、神様を大事にしているんだよ。
それを、エッチなビデオが好きなやつは変態だとかって思うほうが間違っているの。
あなたが成功できないのは、おかしな事を言っているからなんだよ。
おかしな常識で自分にタブーを設けているから、神様に喜んでもらえないんだ。
自分を可愛がらないことには、始まらない。
そのことを絶対に忘れちゃいけないよ。
欠点は直さなくていいからね
人にはいろんな個性があります。
ところが、その個性を「欠点」と受け取っている人がものすごく多いの。
例えば、あなたは朝寝坊ばかりしているとするよね。
普通に考えたら、それって欠点に見えるかもわかんない。
でも一人さんだったら、欠点だなんて思わないよ。
素晴らしい個性なの。
だから朝寝坊を直す必要なんてないし、俺だったら絶対に直そうとしないよ。
と言うかね、なおしちゃいけないの。
神様がつけてくれたものに、間違いがあるわけがないんだ。
あなたの朝寝坊には、何か意味があるんです。
自分では駄目な所だと思っているかもしれないけど、直さなくていいの。
一人さんは学校の宿題が嫌で嫌でしょうがなかったから、1回もしなかったという話をしたんだけど。
それもそれでいいの。
嫌なことは、誰が何と言おうとしたくないからね。
じゃあ、我慢して宿題をした人は間違っていたんですかって、そうじゃないよ。
我慢して行った人も、それはそれでいいんだ。
我慢して宿題をしたあなたも正しいし、最初から宿題なんてするつもりがなかった俺も正しい。
真面目な人も、真面目なんだから真面目がいいの。
一人さんみたく不真面目になりたいと思うんだったらそうすればいいし、真面目のままでいいんだったら、それがあなたにとっての正解なんだよね。
何かができるようになったからとか、良くなったから自分を褒めるんじゃなくて、そのままの自分でいいんだ。
あなたはそのままで完璧なんです。
朝起きられない人は、夜働けばいいんだよ。
朝も夜も働きたくない人は、なぜか親が財産を持っているとか、ちゃんと生きていけるようになっているものです。
だから「これがいけない」とか「あれがいけない」って、そういうのはないんだ。
自分が駄目だと思っているのは、親とか先生とか、周りにいる人があなたにダメと言ったことなんだよ。
元々、自分で駄目だと思っていたことじゃないよね。
周りにそう思わされているだけなんだよ。
問題が起きるのは、神様の粗探しをしているから
自分と友達になるって、自分を肯定してあげることなの。
いちいち自分を否定するのを止めないと、自分と友達になれないんです。
で、自分と友達になれない人って、他の人に対しても粗ばかり探すんだよね。
神様のところへ行っても、欠点を探す人っているんだよ。
いくらあなたが「神様の欠点なんて探しません」と言っても、自分や周りの人の粗ばかり探すのは、神様の欠点を探しているのと同じ行為なの。
わかるかい?
花には蝶、うんこにはハエが集まると決まっているんです。
いい考えの人には、神様がとんでもないご褒美をくれるの。
反対に、貧しい考えの人には、嫌なことばかり起きる。
私にはどうして問題ばかり起きるんでしょうかって、それはあなたの考え方に、どこか間違いがあるっていう神様からのお知らせだよ。
あなたは自分を可愛がっていませんよね?
それは間違いですよって。
その証拠に、誰になんと言われようと自分を可愛がっている一人さんには、嫌な事って全然起きないし、嫌な奴も近寄ってこない。
何をしても成功するし、いつも幸せなんだ。
中国の皇帝は彼女を5000人作って天下を取った
仕事もするけど、遊びも一生懸命。
一人さんのお弟子さんって、みんなそうなの。
それぞれ好きなことをしている。
それがいいんだよね。
好きなことを思いっきり楽しんでいるから、不況が来ようが何しようが、なぜかうまくいっちゃうんです。
それを、遊んじゃいけないとか、彼女なんか作ってるから会社が潰れるんだとか言うから苦しくなる。
そういう考えでいる人には、本当に悪いことが起きるんだよね。
会社が潰れるのは、心の中に彼女を作っちゃいけないっていう、ネガティブな感情があるからだよ。
やましさとかね。
だけど楽しく彼女を作っている人だったら、そんなことくらいで会社が潰れるわけがないんだよ。
むしろ会社はうまくいくんじゃないかな。
あのね、中国の皇帝司馬炎は彼女が5000人もいたっていう逸話が残されているんだけど、それで天下を取ったんだよ。
ところが、秦の始皇帝は天下を取ったんだけど、秦の王政は15年くらいしか続かなかったの。
それが始皇帝が万里の長城を作ったからだと、一人さんは思っているんです。
どういうことですかって、万里の長城は、恐怖の心から作り上げたものなんだよね。
外敵が攻めてこないように言っていう恐怖で、大勢のために過酷な労働を課し、あんな巨大なものを作っちゃったの。
心の中に恐怖の種をまくと、現実では必ず、それ以上の恐怖が襲ってくるんだよ。
だけど皇帝司馬炎の彼女が5000人もいたっていうのは、自分の楽しみで集めたんだよね。
楽しい心からは、もっと楽しくなるような現実しかもたらされない。
だから、もし一人さんが始皇帝の友達だったら、こう助言しただろうね。
「万里の長城なんか作ってないで、その金で1000人彼女を作りな」
その方が民も喜んで、秦はもっと長く続いたんじゃないかな。
これからは、楽しいことをする時代なのです。
だからみっちゃんは大衆演劇をどんどん観に行けばいいし、いくらでも神社巡りをすればいい。
で、周りの人も、その人がやっていることに罪の意識を持たせたらダメなんだ。
仕事もちゃんとしていて、誰にも迷惑をかけていない。
法に触れるようなことはしていないんだから、楽しく遊んでいいに決まっている。
誤解を恐れず言えば、日本って、世界的なすごい事業家っていないんだよね。
それはね、みんな真面目すぎるからなの。
自分の可愛がり方が足りないから、言ってることも今一つ面白くない。
だけど、これから遊びの足りている事業家が出てくれば、ものすごい事業家になるかもわかんない。
楽しみだね。
好きなことをすると、愛と光が出放題
自分を大切にするっていう話をすると、こういう人がいるの。
「自分ばっかり大切にして、人は大切にしなくていいんですか?」
あのね、自分を大切にすると、人を大切にしなくなるって、そんなことを起きるはずがないんです。
全然違う。
人間というのは、神様の愛と光でできているんだよね。
だから、もともと愛と光にしかなれないのに、人間が作ったいろんな「常識」で、その愛と光が隠れちゃっているの。
あなたの魂には、常識という名の汚れがいっぱいくっついていて、今は愛と光が見えなくなっている。
だけどその汚れを一枚一枚引き剥がしていくと、最後には愛と光が現れるんです。
じゃあ、どうすれば汚れが取れるんですかって、したいことを自由にすればいいの。
要は、楽しく好きなことをすればいいんだよね。
嫌なことはやらないで。
それって、愛と光ってことだよ。
で、愛と光だけになると、人に意地悪しようとか、そんなこと思うはずがないの。
自分の中に神様がいるのと同じように相手の中にも神様がいる、相手も愛と光の存在なんだって分かるから、誰に対しても自分と同じように優しくできるの。
神様から分け御霊を頂いて生まれた人間は、見た目の違いはあっても、誰もが愛と光なの。
あなたと同じように、みんな神様なんだよね。
そのことを実感するには、あなたの好きなこと、楽しいこと、ワクワクすることをしなきゃいけないんです。
何をするときも、
「これは私が楽しくなることかな?」
それを基準にするんだよ。
楽しいことを追求するという意味では、どんなに自分を優先しても、そこから出るのは愛と光なの。
自分を可愛がれば可愛がるほど、愛と光が放たれる。
そうやって自分自身を楽しませている人は、周りの人のこともうんと楽しませられるんだ。
人に嫌なことをするのって、自分を迎えつけている人間なんです。
時々、大金持ちの令嬢や子息なんかが、周りの人にひどく当たり散らして、それがニュースになったりするんだけど。
あれって、嫌なことをしている本人が、ずっと抑えつけられてきたんだろうね。
小さい時から「いい学校へ行かなきゃいけない」「うちの会社にふさわしい人間にならなきゃいけない」とかって、ものすごく縛られてきたんじゃないかな。
ものすごく縛られてきたんじゃないかな。
自分を可愛がれないからから、人に対しても優しい気持ちを持てないんだよね。
追伸 「辛い」が「楽しい」に変わるたった一つの方法
最後に四つ目の話をします。
全部できなくてもいいからね。
「一人さんはそんなことを考えてるんだな」っていう程度でいいの。
なんか最近、私は「たとえ話」でピアノの話ばっかりしてるから、この前ピアノの先生に「ピアノの話ばっかりしないでください」って言われたんだけど。
いやぁ、悪気はないの。
みんな小さい頃に習い事に行かされるけど、中でもピアノを習わされるのってすごく多いんだよね。
それでピアノの先生になるような人って、練習なんかの「辛いこと」とかそういうのを乗り越えた人なんだよ。
だからつい、生徒に対しても「辛いこと」を押し付けちゃうの。
だけど、本当は「この頃に1番飽きるな」っていうのも分かってるはずだから、そういう時に流行りの曲を弾かせるとかすると、習う方は楽しくなるんだよね。
要するに、楽しさをアレンジして教えれば、練習を「辛いという流れ」から、「楽しいという流れ」に変えることができるよねって言いたいの。
ところが、なかなかこの流れを変えられないのは、「自分が苦しいのを乗り越えた人」だからなんだよ。
ちなみに、私は苦しいのは大嫌いなんです。
私が何かやる時って、まずは苦しくないことを始めるんだよ。
断食も「お腹いっぱいになったら始めて、お腹が減ったらやめようね」とか。
そうすると、参加者がすごく多いんだよ。
苦しい事って誰でも嫌なんだよね。
だから、ピアノでもなんでも、流れをちょっと変えて、「楽しいピアノ教室」ってやったら、楽しく習いたいっていう人は、「指先の動きが良くなれば弾けるんだから、楽しくやろうよ」って言った方がいい生徒もいるんだよ。
「そんなことは嫌だ変」っていう生徒もいるかもしれないけど、そういう人は他所に行けばいいんだよね。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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