みんな、間違うことを恐れるから最初の一歩が踏み出せないんだけど、この世に間違えない人はいないし、大抵のことは謝れば許してもらえるものだよ。
間違うことを恐れなくていい
一人さんはいつも、「魂を成長させるんだよ」と言います。
そうすると、何か難しい修行をしなきゃいけないと考える人がいるんだけど、そんなのいらないからね。
それは、魂を成長させるわけだから修行はある。
だけど、何も修験者みたいに山にこもって厳しい修行しなくったって、魂は成長させられるんです。
日常生活の中で簡単に、しかも楽しく修行できるの。
日常生活の中で簡単に、しかも楽しく修行できるの。
だって魂の成長とは、自分らしい愛を出すことだからね。
自分のダメなところを「そのままでいいよ」って受け入れ、許し、綺麗に磨いてあげたらいいんです。
個性を磨きなれていない人は、個性を磨くことでなぜ愛になるのか、よくわからないかもしれない。
でもね、こういうのはやってみたらわかるんです。
これでいいのかな、間違ってないかなって迷いながらでいい。
自分なりに「これが愛じゃないのかな?」って思う気持ちを出してみな。
それがもし間違った愛だったら、周りの人のちょっと迷惑そうな反応でわかるだろうし、その時は相手に「ごめんね、こういうのが愛だと勘違いしてたよ」って謝ればいい。
間違った時は、修正すればいいだけです。
みんな、間違うことを恐れるから最初の一歩が踏み出せないんだけど、この世に間違えない人はいないし、大抵のことは謝れば許してもらえるものだよ。
と言うか、ちょっと愛を勘違いしたくらいでいちいち怒る人はいないと思うけどね。
相手が怒るのは、「それは愛じゃないよ、やめてね」と言ってもやめないからです。
間違えた時に潔く謝ることをせず、人のせいにしたり、自分は正しいと言い張ったりして、不快な態度を重ねるから嫌われるんだよね。
で、もしあなたが失敗して謝っているのに責め立てるような人がいたら、それはただの嫌な奴だよ。
そういう相手に付き合っていると、あなたが苦労するだけだから、今すぐ離れた方がいいと思います。
どんな個性も自分らしい愛に変わるんだ
人それぞれ個性はあるけど、それは磨いて初めて輝き出すものです。
もちろん、すでに優しい人とか、明るくて気立てがいい、よく気が付く・・・・・みたいな人は個性が磨かれているって事だけど、それだってもっと磨けばますます輝くし、どんなに非の打ち所がなさそうな人でも、自分で「駄目だなぁ」と思うところはあるものだからね。
個性は一人ひとつしかないわけじゃなく、人間は個性だらけなんだよ。
磨かれた個性は人の役に立って皆に喜ばれるし、あなた自身の魅力となってすごいオーラになる。
それはあなたしか出せない、あなたらしい愛なんだ。
ただ、同じ個性でも、嫌味が多いとか暴力的だとかって、あいとかけ離れたようなものだってあるよね。
個性というのはそういう尖った性格や気質も含むし、意地が悪いことですが、それはそれで一つの個性だから。
そういう悪い個性はどうするんですかって、悪い個性のままほっておかなきゃいいだけの話なの。
人を傷つけるような個性があるんだったら、それを愛に変えたらいい。
例えば、人の粗ばかり見える人は、その「観察する能力」を、人の良いところを見つける方にシフトしてみな。
きっと誰よりも人を大切に思えるようになるし、周りからも愛されるようになる。
つい感情的になってしまう人は、その強大なエネルギーを拳に注ぐのではなく、世の中の不正や理不尽な事に向けてごらんよ。
みんなの幸せを考えられる、頼もしいリーダーになれるかもわかんないよ。
そうやって荒削りの個性を磨いた時、あなたはあなたにしか出せない愛を放つ。
それが「私は私」っていう言葉の本当の意味です。
世の中では、自分らしさを勘違いしている人も多いけど、自分らしさってさんに個性を丸出しにすればいいわけじゃない。
あなたにしか出せない愛を出すことなんだ。
人はみんなもともと愛と光の存在なんです
個性を磨け場合になると言ったけど、正確に言えば、「愛を取り戻せる」んだよね。
この世界には、最初から愛の人間なんていないから。
私たちは生まれてくる前に、あの世で神様から「分け御霊」を頂いてきました。
みんな、神様から命を分けていただくことで地球という星に生まれてきたし、この世に存在することができている。
神様の命を分けてもらったということは、みんなの中に神様がいるって事なの。
深い慈愛で光り輝く神様がこの体の中に存在するのだから、愛のない人がいるわけがない。
いくら愛がないように見える人でも、それは愛を忘れているだけで、愛を思い出せばいつだって愛の光で輝き出すんだよね。
そのために、個性を磨くの。
個性を磨くって、曇りかけている愛を磨いて光を取り戻すってことなんです。
嫌なことがあれば、落ち込むこともあると思います。
愛を見失うこともあるだろうし、自暴自棄になりそうな時だってあるよね。
だけど、神様は絶対なる愛です。
誰に対しても、平等に光を当ててくれます。
その光を自分でさえぎったり目を背けたりしない限り、私たちが輝きを失うことはありません。
愛も光も、いつだってあなたの中にあるからね。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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