コンクラーベ

斉藤一人さんです

20191229105200

斎藤一人さん キリストに薄情を求めても無理だよね

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お釈迦様に「悪人になれ」と命令しても、なりようがないと思います。

 


キリストに薄情を求めても無理だよね


愛は、「今日はすごくたくさん愛が出せた」「 昨日は全く愛が出せなかった」みたいなことがありません。

いつでも、大体自分の魂レベルに見合った愛が出るものです。

魂には段階があるというか、「今の自分はこれくらいのランク」というベースがあり、それより低いレベルの愛も、高いレベルの愛も出せないの。

魂レベルが10段目の人だったら、いつでも10段目くらいの愛が出る。

100段目レベルの魂を持った人は、100段目くらいの愛がずっと出ているんだよね。

もちろん、そのランクは魂を成長させることでどんどん上へあがっていくから、そのたびに愛も大きくなっていきます。

どんどん愛の達人に近づいて、 安定的に愛が出せるようになってくるの。


時々、「いつもはすごくいい人なのに、まさかこんな悪事を働くなんて・・・・・・」みたいなセリフを耳にするんだけど、それって本当の姿を見てないだけだと思います。

なぜなら、魂レベルの高い人は、急に愛のない事をしたりしないから。
本当にいい人だとしたら、悪いことをするわけがないんです。

例えば、キリストに「薄情になれ」と言ったって、これは絶対に無理だよね。

お釈迦様に「悪人になれ」と命令しても、なりようがないと思います。

それくらい、上へ行けば行くほど愛は止まらない。

脅かされようがひもじい思いをしようが、愛が溢れ出すんだよね。

神様レベルになると、 愛を出さないことの方が難しいの。


もちろん、一人さんも含め、人間ってみんな未熟だからね。

「もうこれで愛は十分」っていう最終地点はないし、神様レベルの愛は、人間にはどうやっても出せません。

それでも、「ちょっとでも神様に近づこう」という思いで魂を成長させたら、間違いなく、今よりは神様に近づけるよね。

個性を磨いて自分らしい愛を出すことで、神様だって応援してくれる。

だから一人さんは、死ぬまで一段、また一段って階段を上って、人間としての頂点を目指したいんです。

今世できないことは来世やるし、それでもできなければ再来世・・・・・・って、魅力を磨き続けるよ。



一目で「この人についていこう!」って人がいる

 

愛のある人って、もちろん見た目も笑顔で優しそうな表情だったりするんだけど、何が一番違うかと言うと、(※)波動なの。

愛のある人とない人では、波動が全く違うんだよね。

 

(※)周波数みたいなもので、「良い波動は、良い出来事(人)を引き寄せる」「 暗い波動は、もっと暗くなる出来事(人)を引き寄せる」という作用がある


愛のある優しい人って、やっぱりそういうのを感じさせる雰囲気があるんです。

あったかくて優しい波動が出ているから、側に行くだけですごく癒されるし、幸せな気持ちにさせてもらえるの。

中には、一目見ただけで思わず「この人について行こう!」って気にさせる波動を持つ人もいるんです。

魂レベルがかなり上の段階まで進むと、神がかった波動が勝手に出ちゃうんだよね。

だから初対面だろうと一期一会だろうと関係なく、みんなを魅了する。

あった瞬間にものすごい愛が伝わるし、目の前にいる人の心を、それこそ鷲掴みにしちゃうんです。


愛を磨けば磨くほど、良い波動が出ます。

良い波動の人は周りからもうんと好かれるし、仕事も家庭も面白いほど上手くいくから、「この道を進めばいいんだよな」ってはっきりわかるんだよね。

そういう意味で言えば、嫌なこと、悪いことばかり起きる人は、やっぱり何かが間違っているって事だよ。

ちゃんと愛が出せていないとか、愛の出し方を間違えているとか、「そっちへ行っちゃだめだよ」っていう神様からのメッセージなの。


で、それを無視していると、ますます大きなトラブルが起きるんです。

神様って優しいから、あなたが気がつくまで、あの手この手でお知らせしてくれるの。

あなたを立ち止まらせるために、「困ったこと」という警告でサインを送ってくれているわけだから、それに早く気づいて修正することだよね。



本当の愛って義務や下心なんてないよ


愛をサラっと出せる人もいれば、出すのが苦しく感じる人もいます。

なぜ人によってこうした違いがあるのかと言うと、愛を出すのが苦しく感じる人って、そもそも愛を出してるわけじゃないんだよね。

愛じゃないものを出しているから苦しくなるし、嫌になるの。

愛って、苦しいものじゃないんです。

相手も自分の気持ちがいいのが愛だし、もっと出して相手を喜ばせたいと思うのが愛なの。

じゃあ苦しくなる人は何を出しているんですかって、多分、上辺だけの親切だろうね。

義務感で仕方なく親切にするとか、下心のある親切とか。

本心からの思いやりではないのに、愛と勘違いしてるだけじゃないかな。


親切と愛って、本来は同じ意味です。

心からの親切は、あいと同じなの。

だけど、そこに「本当は嫌だけど」っていう無理矢理感があると 愛でなくなるんです。

そうなると、ただの「やりたくない事」になっちゃうの。

親だから助けなきゃいけないとか、親戚だから頼みを聞かなきゃいけないとか、「本当はやりたくないけど義理があるから」「周りの目もあるし」「面倒を見るのが常識だからしょうがない」みたいなのって、やっぱり愛じゃないと思うでしょ?


それと愛の場合、ベースに「手伝ってあげたら相手が喜ぶかな?」「こんな風に言ったら嫌な気持ちにもなれないかな?」っていう、受け取る側に寄り添う気持ちがあるものなんです。

だから、相手がどう受け取るか考えながら行動するし、もし相手にちょっとでも不快感を与えてしまったと感じたら、すぐに謝って行動を改めるんだよね。


一方、世の中には相手が喜ぶかどうかも考えず、「おためごかし(人のためにするように見せて、実は自分の利益を図ること)」やおせっかいで親切を装う人もいる。

相手がどう受け止めるかなんて関係なくて、自分が正しいという思い込みで押し付けをするとか、「してあげたんだからお返しを頂戴」っていう図々しさがあると言うか。

そういう勘違いの愛だと、くたびれるのは当たり前だよね。

自分がしたくてしてるわけじゃないんだもの。

自分ではそんなつもりがなくても、疲れちゃうってことは、親切の押し付けになっている可能性がある。

もし思い当たることがあれば、一度「自分は、本当に愛を出しているのかな?」って振り返ってみるといいよね。

斎藤一人さんの話を纏めました。

 

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