方向を変えたその場から、幸せになっちゃうんだよ
あなたは幸せになるために生まれてきたんです
人は、幸せになるのが目的で生まれてきます。
ということは、幸せじゃない考え方って間違っているんだよね。
間違ってるから、苦労するようになってるんです。
私のお弟子さん達もね、最初は「自分に商売ができるだろうか」って不安がってたんです。
だけど、私の所に来ると、みんなすごい変わっちゃう。
何故かって言うとね、考え方が変わっちゃうから。
少しずつ少しずつ。
方向が変わるのと同じで、こっちに向かっていた人が、この場で考え方を変えると、その瞬間から別の方向へ進んでいくんだよね。
神の本当の意志っていうのは、みんな幸せになること。
だから、幸せじゃないこと自体が間違いなんだよ。
人生の方向を変えたらその瞬間からうまくいく
よく、こういう質問があるんです。
「方向を変えただけでは、結果が出ないんですけど。
ということは、方向を変えた後はまた苦労して前に進まなきゃいけないんですか?」
あのね、それは違うよ。
方向を変えただけで幸せになっちゃうっていうのが本当なんです。
幸せになるのに、時間はかからないよ。
早く結果を求めていいんですかって言うと、早く結果が出ないんだとしたら、その道は間違ってるって言う事なんです。
幸せの道っていうのは、方向を変えたその場から、幸せになっちゃうんだよ。
例えばね、「俺は野球選手になるんだ」って、バットを毎日、一生懸命になって振ってるとします。
やってると、ワクワクして楽しいはずなんだよ。
それが自分の道だから。
簡単に言うとね、プロの選手を目指したとして、もしプロの選手になるまで不幸なんだとしたら、その道は間違ってるということです。
その道に進むことが自分にとって本物なら、目指した時点で、もうワクワクしてくるものだよ。
芸能人になりたいんだとしたら、俳優の養成所に行こうが、舞台を観に行こうが、その道に進めばいいんです。
楽しい道っていうのは、そっちに方向転換しただけでワクワクするものなんだよ。
でね、その道に沿って歩いていると、いい人と出会ったりチャンスに恵まれたりします。
そこから、自分でもビックリするような展開で、ものすごく面白いことが起きたりするの。
ひょっとしたら、最終的には、自分が最初に望んだ通りにならないかもしれない。
ただ、ワクワクしながら自分の道を楽しんでると、どんな形であれ、最高に幸せな人生になるものだよ。
それとね、どの方向に進むのが正しいのかわからないって言うんだけど、日の当たっている方を向けば、眩しいに決まっています。
ということは、眩しい方を向けば、日は当たるんだよね。
幸せの道は、楽しくてワクワクするもの。
だから、楽しくてワクワクする道に方向を転換すればいいよ。
一番大事なのは本当に好きかどうか
楽しくないことを我慢してやっていても、そこに幸せはありません。
ところが、楽しい事ばっかりしてると不幸になっちゃうと教え込まれてるから、みんな楽しいことをするのに罪悪感を抱いたり、我慢することが大事だと思ったりしてるんだよね。
だけど、正しい道は楽しいものだから、そこに我慢はないんです。
じゃあ、どうしてみんな、我慢するのが当たり前だと思ってるのかって言うとね、我慢が大事だって、誰かがあなたに教えた人がいるからです。
それがあなたのお母さんだとしたら、そのお母さんにも、同じように我慢が大事だと教えた人がいるはずなんだよ。
よく、子供がゲームばっかりやってるとバカになっちゃうって言われるんです。
でもね、もし明日からゲームが学校の授業に入ったらどうだろう。
親は、子供がゲームばっかりすること、ものすごく喜ぶはずだよ。
ゲームばっかりやってると馬鹿になるって、そんなわけありません。
ゲームばっかりやってたおかげで、大人になってからゲームの開発者になって大成功したり、プロのゲーマーになって大活躍したり。
そういう人は現にいるんです。
ゲーム向きの子供っているんだよね。
そういう子は、ゲームをやってりゃいいんです。
もちろん、学校の勉強やらせちゃいけないって言うんじゃないんだよ。
要は、勉強が本当に好きかどうか。
ゲームが好きならゲームをすればいいし、勉強が好きなら勉強した方がいい。
好きなことをしているかどうかが、一番大事なことなんです。
正しい道って世間の常識と違うこともあるよ
私のお弟子さんにね、柴村恵美子さんっているんです。
でね、ある時、恵美子さんの講演会に来ているお客さんがこう言ったんです。
「恵美子さんの講演会を聴くようになったら、学校へ行かない子が行くようになりました。よかったです」
だけど、本当によかったのかな。
学校へ行くのがいいことだっていう前提のもとに話してるから、学校へ行くようになって良かったと言ってるんだけど、その子は本当に学校へ行きたいんだろうか。
もし、その子が学校へ行きたいと思って行き始めたんならいいけど、そうじゃないのに我慢して行くようになったんだとしたら、よかったとは言えないと思うんです。
大事なのは、本人が学校へ行きたいのか、行きたくないのか。
そのことを、先に考えないといけないよね。
あのね、学校に向いてない子っているんです。
それなのに、学校へ行ったから良かったって言うのは、頭が常識に汚染されてるんだよ。
刷り込まれてるの。
どっかで、誰かに刷り込まれたんだよ。
神の道ってね、世間の常識とは違うこともあるんです。
目の前で起きてること、そういう目で見てごらん。
自ずと、自分にとって何が正しいか、よく見えてくるはずですよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きもございません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。