私、あの人のことだけは、絶対に許しません!!
あの人なら、気持ちは分かりますが、あの人は、私のユーモアの2番目のお弟子さんなんです。許す方法を教えます。
嫌です!!
こんにちは、Greenです。今回は、許すということについて、私なりに、今思っていることを、お話ししてみたいと思います。
私たちが、抱えている様々な問題の裏側、奥底を探っていけば、実は誰かに対して、攻撃したい、責めたい、潰したい、そういう怒り的な欲求とか、恨みつらみ、敵意が抑圧されてるんです。
そういうものが、結構、巧妙に隠されていて、しかも多かったりするんです。
この多くの場合は、怒りとか憎しみのような攻撃性を伴った感情は、そういう不愉快な出来事を体験した時、一瞬で瞬間湯沸かし器になるんです。
罪悪感と罰
心のどこか深いところに、怒ってはいけないんだとか、人のことを憎んではいけないんだとか、そういう禁止令たくさん持っているんです。
あるいは、怒れば嫌われるとか、怒れば人に相手にされなくなるとか、人のことを憎んでしまえば、その人から、見捨てられてしまう。
そのような恐れがあれば、怒りとか憎しみを、どんどん、抑圧してしまうんです。
それも、瞬間的に抑圧してしまうんです。
あるいは、罪悪感などを持っていたりすれば、本当は自分が何も悪くなかったにしても、自分には、罰を与えなければいけないと、そういうふうに思うんです。
罪悪感を持っていますから、自分に罰を与えないといけないと思って、罰だから、甘んじて受けるしかないので、また自分を抑圧するのです。
本当は怒る場面なのに、これは罰だから、という風に捉えて、抑圧してしまうんです。
こうして抑圧された恨みつらみが、そういう傷つき体験が、どんどん、蓄積されていって、心の中のバケツが、どんどん、いっぱいになってくれば、今度は、そのバケツを空にしなければ、それ以上入れないんですね。
空にするためには、誰かをディスってみるとか、誰かに不平不満を、ぶつけたりするんです。
被害者意識を演じることによって、自分は演じる以外、自分の存在証明とか存在価値が、感じられなくなってしまうんです。
そういう怖いことが起きたりするんです。
しかし、自分の存在価値を感じたいために、他人のことを攻撃すればするほど、実は、自分に対して、最終攻撃として返ってくるんです。
そういうわけで、劣等感とか無力感を、余計に強めるんですね。さらに、自分の中に抱えている怒りが、増幅してしまうんです。
どんどん、悪い方向に転げ落ちてしまうんです。
それでは、どうすれば良いんですか?
自分を許す
それは単純に、罪悪感は手放せば良いんです。自分を許しましょうということです。
自分とか他人を責めるのではなくて、許す方向にエネルギーを使いませんか? 相手をディスったり、足を引っ張るのではなく、許す方向にエネルギーを使って欲しいんです。
実際に自分とか他人を、責めるのではなくて、許せるようになると、自分が思い描いている幸せに向かって、前向きに進めるんです。
前向きに進んでいくエネルギーが、どこからともなく、湧き上がってくるんです。
ただ、そうであったにしても、他の人は良いですが、あいつだけは、許せないというのがあるんです。
そういう人の存在も、あると思います。私にも、あります。「あいつだけは、絶対に許せないんんです」。
「許す」と「我慢」の違いについて
改めて伝えたいのは、注意して欲しいのは、「許す」というのは、自分だけが一方的に我慢する、妥協する。
こらえて自分を犠牲にして、それで「許す」ということを、言ってるわけではありません。
「許す」というのは、どちらかが一方的に、自尊感情を、奪わてしまうものではないんです。
「許す」ということは、むしろ与えることですね。
伝わっているでしょうか?
「許す」というのは、許可を与える。「許し」というのは、開放するということですね。
確かにあの人のことは、許せなかったのですが、あんな人のために、自分の大切な時間を、あんな人のために、ず~っと妄想して、憎んで憎んで、自分の大切な時間を、使うのはもうやめときましょう。
そういうことを、私は「許し」だと思うんです。
主体的に許していくというのは、私たちの思考とか感情とかの柔軟性を、ものすごく高めるんです。
根深い怒りとか、恨み辛みとか、そういうものから、私たちを開放してくれるんです。だから、そろそろ許しても、良いかなという感覚です。
そういうふうに時々思うことがあれば、是非それをきっかけにして、私はもう、許します。
「許す」方法
「私は許します」と実際に声を出しながら、何度も何度も声に出して、自分にじっくりと言い聞かせていくんです。
力まないで淡々とやってください。
これは良いことだと思っています。特に罪悪感を持ってらっしゃる方は、自分に罰を与えなければ、何かと自分に罰を与えなければと、思っているんです。
そういうような方は、「私は私を許します」と声に出して、淡々と言って欲しいんですね。
何度も何度も「私は、私を許します」と言ってあげるのも良いです。
「私はこれまで自分のことを、許せなくてごめんなさいね」と言ってみるのも良いです。
自分に謝ってみるというのも、すごく良いことだと思っています。
とういうことを、実際に言葉に出すと、違和感を感じたり、心がざわついたり、そんなことができないとか、そういう風に思ったりすることも、あると思います。
それでも何回も続けてみるのが、すごく大切なんです。続けていくうちに、自分ぐらい許してもいいかな、あの人は許せないけど、まずは自分は許してもいいと、そういうふうにまずは思ってください。
そんな風になってくれば、ここはハードルが高いんですが、今度、言ってみることは「私は、大嫌いなあなたを許します」。
「私は、私にあんな嫌なことを、してきたあなたのことを許します」という言葉を、声に出してみるのも一つの手段です。
ハードルが高いんですが、無理して言う必要はありません。全く無理して言う必要ないんです。
許しても、もういいかと思えば、それをきっかけにして、ちょっと加速をつけてみて、そんな時に、してみるのも良いんじゃないかなと思ってます。
そして時々、あんなに憎たらしい、あんなにひどいことを、私にしてきたあんな人のことを、許そうとしているんだ。
私は偉いな、私はすごいな、私はずいぶん大人になったな、私は成熟したんだ、私はレベルが高いという風に、自分を労ってみてください。
「本当に私ってすごいな」と言いながら、自分で自分のことを、抱きしめてあげて欲しいんです。
そういうことをやってみると、地味なワークなんですが、案外と自分の中に、じんわりと浸透していきます。
騙してるわけではないんですが、騙されたと思って、試してみて欲しいんです。案外良い結果が得られます。
最後に
そういうことをしてみると、自分が知らない間に、溜まりに溜まった抑圧が、心の中にいっぱいあるどろっとした恨みが、少しずつ、知らない間に誰かをディスったりして、一時的にスッキリするより、どのみち自分に返ってくるんです。
そういう面倒なことをしなくても、手放すことができるのだと思っています。
怒りとか恨みというネタは、受け入れがたいかもしれませんが、是非何度も何度も読んでいただければ、自分もそういうところがあるのかな、自分でもできるかもしれないというぐらいで、実際にトライしていただけると、良いんじゃないかと思っています。
いかがでしたでしょうか、今回は許すということについて、少し記事にしてみました。自分が一方的に、我慢して犠牲になるのとは、全然違うんです。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。