
ちゃんと立ち止まって、自分の中の「幸せの感覚」に耳を澄ませてみることが、大切なのかもしれない。
幸せって分かりづらい
幸せには、分かりづらい幸せというのがあります。
ハワイ旅行に行くって言うと、誰か聞いても楽しそうだなって気がします。
だけど観音参りって言うと、みんなにはその楽しさが浮かばないんです。
でも、観音参りって江戸時代から続いているもので、やってみたら面白いんですよ。
秩父の観音参りっていうのは、秩父全体を回るの。
ゴルフだと会員権を買わされたり、入場料を払ったりして、後から来る人を気にしながら回らないといけないけど、観音参りは空いてるし、ゴルフよりもっと広いところを自由に回れるんです。
ものって見方を変えるとすごく楽しくもなるんです。
それを発見するのも楽しいんです。
同じ飯を食うのでも、観音参りだと、どこで何時になるかわからない。
するとお腹が空いたところで入る。
だからあたりのところもあれば外れのところもある。
全部が当たりだとつまらない。
宿に泊まる時も、どこまで行けるかわからないから予約もしないんです。
そうすると、この旅館はいいねっていうのもあれば、ひどいねっていうのもあるんです。
そうすると外れがあるのも楽しみなんです。
外れがあるからあたりも楽しくなるんです。
もちろん外れのない旅っていうのも楽しいんです。
ここに行って、あそこに行ってとか。
事前にガイドブックやインターネットなんかで、評判の良い場所やお店を調べることだってできるんです。
でも全く知らないところに行って、あそこは美味しかったねとか、あそこはひどかったねとか、そういうのも楽しいんです。
それとひどいお店に何回も入っていると、要領が良くなるんです。
例えば、ひどいお店に入っちゃったなと思ったら、だいたい、卵丼と目玉焼きを注文すると味がそんなに変わらないとか、わかるようになってくるんです。
カレーライスまでは大丈夫とか。
旅の心得みたいなものが身につくんです。
だから皆さんも、知らないところに行って、このお店がひどそうだなと思ったら、目玉焼きを頼むといいんですよ。

どんなところでも楽しめる人になれ
ハワイに行って、ここに泊まって、ここに行くとイルカがいるとか、それは面白くていいんだけど、私のように予測不可能の旅っていうのも結構面白いんです。
中にはあんまりにも客が来ないんで、醤油がカビてるとか、そんなお店もあったりします。
そんなお店の方が記憶に残って、後々まで笑い話にできるから楽しいんです。
いろんな楽しみ方があるんだけど、結局一番大切なのは、どんなところでも楽しめる人間になることなんだよ。
楽しいことをお金出して買うんじゃなくて、ひどい定食屋を楽しめるかどうかなんだよね。
何でもお笑いに変えられる人生というか、それってとにかく楽しいの。
中にもあまりにもひどいところだと、もう1回行ってみようってなるの。
しまいにはいくら話しても、どのくらいひどいかわからないから、実際に人を連れて行こうってことになるの。
青森で止まった旅館の布団があまりにも重くって、それがどれだけ重いかって口で説明できないから、連れてっちゃおうって。
結局面白くない人の人生って、その人自身面白くなかったりするんだよね。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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