
「感謝してます」の言霊に力を借りることなんです。
幸せな人って感度が高いんだ
人には、持って生まれた能力というものがあります。
歌の才能があるとか、生まれつき運動神経がいいとか、そういう人は、それほど練習しなくても、なぜか上手にできるんだよね。
才能を練習で磨き上げたら、それこそプロ級になっちゃうの。
一方、元々歌や運動の苦手な人は、練習しても、大きな上達は期待できません。
練習で人並みぐらいにはなれても、プロを目指すのはちょっと難しい。
第1、不得意なことを喜んでやりたがる人はいないと思います。
無理やり練習しても苦しいし、それでいて思うような成果も出ない。
やればやるほど、嫌になっちゃうだけだよ。
だから、苦手なことを努力で伸ばそうとする必要はない。
むしろ、がんばっちゃダメなんです。
それよりも、得意なこと、好きなことに夢中になる方がよっぽど楽しいよね。
楽しいから練習にも性が出るし、その分、芽が出る可能性だって高くなります。
ただ、この世に立った一つだけ、生まれ持った才能やなんやに関係なく、やれば誰でも絶対に結果が出るものがあるんです。
それは何かと言うと、自分を幸せにすることです。
と言うか、本来、人はこの世に生まれてきた時最高に幸せなの。
生まれつき不幸な人はいません。
だって、みんなもともと愛と光の存在だから。
幸せが当たり前で、こうであることの方が不自然なんだよ。
それなのに、なぜ不幸になってしまう人がいるのか。
それは、この世界に生まれた後に、周りの大人から心が傷つくようなことをいっぱい言われたからです。
世界の常識という名の、人を不幸にする間違ったルールを押し付けられ、不幸の道に引っ張られちゃうんだよね。
さっきの話にも通じるけど、好きでもないことを無理強いされるうちに、だんだん、幸せの「感度」が鈍くなってくる。
その状態を、不幸と呼ぶわけです。
例えば、勉強が得意な人は、勉強すること自体がまず楽しいし、やればやるだけ伸びるから面白い。
だけど、生まれる時に勉強の才能を持ち合わせなかった人は、どうやったって勉強好きになれないんだよ。
なのに強引にやらされると、嫌で嫌でしょうがない。
その苦しみがヘドロ汚れのように、心にどんどん積もっていく。
心が泥だらけになって、幸せに反応する感度がますます低下していくわけです。
目の前に美しいものがあって、それが特別なものに思えない。
感謝できず、幸福感が薄れてしまうの。
幸せの感度が高い人は、道端のたんぽぽ一つでも、その美しさとか、生命力に感動します。
それこそ、花屋さんの前でも通りかかろうものなら、「こんな素晴らしい世界に生きられて、なんてありがたいんだ」っていう感謝で震えるぐらいなの。
ひとりさんが、まさにそうなんだけどね。
そういうのが日常に溢れてるわけだから、少しぐらい嫌なことがあっても、すぐに幸せで満たされる。
立ち直りがすごく早いんだよ。
ところが、幸せの感度が落ちてしまった人は、道端のたんぽぽなんて目にも入らない。
花屋さんですら心に響かなくて、100万本のバラを見て、ようやっと感動するぐらいなの。
だけど、100万本のバラなんて、一生に一度もお目にかかれないだろう。
よっぽど花に縁のある人でも、日常生活にはまず出てこないと思います。
つまり、滅多に心が動かない。
日常に感謝がない。
嫌なことの方ばかりに意識が向くわけだから、不幸になるのは当たり前だよね。
でも、どんな人でも幸せの感度を上げられる方法がある。
それが、「感謝してます」の言霊に力を借りることなんです。
先ほどご紹介した、感謝してます1000回の旅をやってみな。
感謝波動で、誰でも絶対、幸せの感度が磨かれるから。
心の汚れが分厚い人は、一巡では効果が感じられないかもしれないけど、その場合は2巡、3巡・・・・・・と積み重ねたらいい。
少しずつ感度が戻ってきて、悪い方に引っ張られなくなってくる。
良くなり出すと、そのうちに加速もついてくるから、どんどんここでの汚れが取れて感謝波動が高まり、本当に「幸せだなぁ」と思えることが増えてきますよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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