人の心とお腹は密接に関係しています。
発酵が進むと熟成してくる
お酒の場合、発酵が進むと熟成してきて、味がとてもまろやかになります。
それは、アミノ酸の成分が旨味成分に変わるためです。
通常、物質はエントロピーの増大とともに劣化します。
つまり、腐っていくのです。
ところが発酵の世界はエントロピーが増大せずに、腐ることなく、常に成長していく世界なのです。
人も年月を重ねることで老化していきますが、そこに発酵が加わることで、人としての味わいが出てきます。
人は人生の中でいろんな体験を積み重ねることによって、その人の人生に深みが出てまろやかになり、味わい深い人になっていくのです。
さらに言えば、発酵している人は歳をとっても、いつまでも若々しいのです。
実は私と一人さんは同い年です。
私と一人さんの両方を知る方はきっと、びっくりされたことでしょう。
私も年齢の割にはかなり若い方だと思っています。
しかし、一人さんの若々しさには敵いません。
まだ初めてお会いしてから数年ですが、それでも会うたびに一段と若々しく、かっこよくなっていく一人さんには本当に驚かされます。
日本はこれから本格的な高齢化社会になっていきます。
1980年代は一人の高齢者の年金を7~8人の若者で支えていたのに対し、現在は3~4人で支えなければならなくなっています。
さらに高齢化が進むと、若者二人で一人の高齢者は支えなければならない時代になります。
このことからも、年金は崩壊すると言われています。
そして高齢化による医療費の増大、支出が最も多い40代人口の減少から国内マーケットが縮小して消費が悪化。
そうしたことをから国の予算の支出が増え、税収が減り、日本経済は破綻するとさえ言われています。
しかし、果たしてそうなのでしょうか?
私はこれからの時代は、人生で様々な経験を重ねた、人間として深みのある、味わい深い高齢者たちが活躍する時代が来るのではないかと思っています。
そのように思うようになったのは、ある人との出会いがきっかけでした。
90歳の起業家
ある日、私は家の近所に新しくラーメン屋ができたので行ってみることにしました。
そこに行ってみて驚きました。
なんと店主のご年齢を聞いてみると90歳。
そして奥様のご年齢が83歳。
そのお二人でお店を切り盛りされているのです。
見た感じはお二人とも非常に元気そうで、実年齢よりも若く見えます。
しかし、ご主人に健康の事を聞いてみると、60歳の頃にに脳梗塞を患い、片方の耳がほとんど聞こえないのだそうです。
さらには狭心症を患うなどして、現在は4等級の障害者の認定を受けているのです。
そんな体なのになぜ、九十歳にして商売を始めようとされたのか。
私はそれが気になって聞いてみると、「このままでは申し訳ない」とおっしゃるのです。
「別に、お金に困っているわけではないのです。
実際、蓄えもありますし、年金だけでも十分、夫婦二人で生活していくことはできます。
しかし、自分の残された人生がただ毎日テレビを見たり、たまに旅行に行くだけなんて言うのはつまらないし、何より世間の皆様に申し訳ない。
働けるうちは働いて、少しでも世の中のお役に立ちたいと思うんです。
お店を出す時は、独立した二人の息子から猛反対されました。
「恥ずかしいからやめろ」と言うのです。
でも、最近ではどうも気になるらしく、たまに電話をかけてきてはお店の状況を聞いてくるんです。
これもありがたいことです」
奥様の方に聞いてみると、「この人は一度言い出すと聞かないから」と言いながら、嬉しそうに微笑んでいるのです。
そしてご主人と私たちが話している間をもお店の片付けをしたり、お茶を持ってきてくれたりします。
そのお茶を受け取ったご主人がにっこり笑って奥様に「ありがとう」と言っていたのが、すごく印象に残りました。
ご主人曰く、夫婦仲がいいのも、長生きの秘訣なのだそうです。
人は死ぬまで発酵していける
この90歳のラーメン店主店主の方とお会いして嬉しくなった私は、早速、一人さんに話して、一緒に行くことにしました。
するとさすがの一人さんもかなり驚かれた様子です。
そしてお店を出た後、私にこう話してくれました。
「実は、人前で話したりすることなのかについてはそろそろ引退しようかなって考えてたんだけど、今日、こうして寺田さんにここに連れて来てもらって、俺の考え方が間違ってたことに気づいたよ。
それと、あのラーメン屋のご主人の話を聞いて、すごく嬉しくなったんだ。
だって、あの人に比べたら俺なんかまだまだひよっこだし、これから俺にやれることっていっぱいあるんだなって思ったの」
これを聞いた私は、一人さんでさえこう思うのであれば、私などはもっと、まだまだこれからだなと思いました。
定年まで働いて、それからは旅行に行ったり、好きなことをしながら悠々自適に暮らしていくのも良いと思います。
しかし、人の人生には定年退職はありません。
あるとすれば、それは天寿を全うした時ではないでしょうか。
一人さんはよく「人は愛と光だよ」と言うのですが、いくつになっても愛と光を目指して生きていく。
そして最終的にはこの世での役割を果たし、魂の故郷に帰っていく。
それが人の一生だと思うのです。
よく、「今さら・・・・・・」という人がいます。
特に五十歳を過ぎた頃から、そういう事を言う人が増えるのではないでしょうか。
しかし、人は常に「今から、どう生きるか」が問われているのです。
今までの積み重ねがその人の人生になっていくのであって、「もう、今さら・・・・」というのはないのです。
今までの積み重ねがその人にの人生になっていくのであって、「もう、今更・・・・・・」というのはないのです。
いつだって「今から」。
常に「今から、何ができるか」というのが人のいかされる道であり、その活かされる力が発酵力だと思うのです。
この九十歳のラーメン屋のご主人のように、「死ぬまで現役、死ぬまで発酵」を貫いて行く人がこの日本にもっと増えれば、これからの少子高齢化社会に対して日本の未来は、もっと明るくなるのではないでしょうか。
心の腐敗とお腹の腐敗
人の心が「怒り」や「憎しみ」「悲しみで満たされていると、お腹は腐敗錠になってしまいます。
これに対して、「嬉しいな」「楽しいな」「ありがたいな」という気持ちになると、お腹が発酵場になって元気になるのです。
人の心とお腹は密接に関係しています。
私のことを、実体験として経験しました。
それは一人さんと出会うもっと昔、300年続いた造り酒屋「寺田本家」に婿として入った昭和49年にまでさかのぼります。
その当時の私は若干25歳でした。
しかし、それまでは父の経営する電化製品の販売会社でそれなりの実績を残していたので、商売に関しての自信はありました。
「お酒のことはわからなくても、商品がお酒であろうが電化製品であろうが、商売は仕入れ価格と売上の差が利益になる。
原価管理をきちんとして、商品を在庫なしに売り尽くせば利益は自然と上がる。
難しいことではない。
おまけに古い体質の業種だ。
近大経営とかけ離れた昔ながらの商売をしていては、時代に取り残される。
私にできることはたくさんある」
そんな私の気持ちとは裏腹に、現実はそんなに甘くありませんでした。
酒造りの現場では、私より一回りも年上の人たちがすでに力を持って活躍していました。
そこに後から来た酒造りの素人の私が何を言おうと、「ぼんぼんが来て、何がわかるんだ?」と社員たちのどの顔にも書いてあるようでした。
さらに折悪しく、私が婿入りした年の昭和49年から消費者の日本酒離れが始まり、売り上げはどんどん落ちていきました。
そして借金がかさみ、経営がどんどん、悪化していきました。
のどごしの良いビール、ダンディなイメージのウイスキー、おしゃれなイメージのワインに対して、日本酒といえば年寄りが飲むものといったイメージが広がっていったのです。
広がっていく腐敗場
私はいろんな酒造りにチャレンジしました。
そして納得のいくお酒を作ることもできました。
しかし、時代の流れに逆らうことはできません。
売り上げは下がるばかりです。
嫌い負けず嫌いの私は、「酒屋が売ってくれないなら、自分達で売るしかない」と居酒屋を始めました。
さらには日本酒に合う、蕎麦屋も始めましたが、全てが裏目に出て、どれもうまくいきませんでした。
こうなると負けず嫌いの私は、うまくいかない原因を周りに向け始めたのです。
「私はこんなにがんばっているのに、お前達はなんだ」とか、「会社がうまくいかないのは社員の質が悪いからだ」と、自らの仕事場を腐敗場に変えていったのです。
そのせいで社員は次から次へと辞めていきました。
40年間勤めてくれていた酒造りの杜氏さんや。蔵の中心として働いてくれていた番頭さん達が次々と辞めていったのです。
さらにはその矛先は家庭にも向かいました。
当然、家庭では夫婦喧嘩が絶えません。
家庭までもが腐敗場に変わっていきました。
私は仕事がうまくいかない不満を博打で紛らわし、人間関係のストレスからタバコの本数を日増しに増え、1日50本も吸っていました。
食べるものは大好きな肉ばかり。
三食カツ丼を食べる日もありました。
こうして私は自分自身の体も、仕事場も家庭までも腐敗場に変えて行ってしまったのです。
こうなると、あとは全部自分に返ってきます。
お腹の痛みが日に日に増し、我慢できなくなったところで病院に行くと、医師に「直腸の管」が腐っていますと言われました。
まさにお腹に腐敗場を作った結果です。
命に別状はないと言われたものの、腐った部位をそっくりと取り除く手術は凄絶で、看病のために付き添ってくれた妻が目を背けるほどでした。
※ 寺田啓佐(てらだけいすけ)
自然酒蔵元「寺田本家」23代目当主。
1974年に、300年続く老舗の造り酒屋「寺田本家」に婿入り。
1985年、経営の破綻と病気を期に自然酒作りに転向。
自然に学び、原点に帰った酒造りによる日本酒「5人娘」の製造販売を開始。
その後、発芽玄米酒「むすひ」や、どぶろくの元祖「醍醐のしずく」など、健康に配慮したユニークなお酒を次々商品化し、話題を呼んでいる。
2012年4月、逝去
追伸 すべてを発酵場に変えてしまう一人さんの力
一人さんに呼ばれて色んな所に行きましたが、一番驚いたことは、一人さんが行くところ全てが、日が差したように明るくなり、花が咲いたように笑顔で溢れていることです。
そして出会った人をどんどん幸せの道へと導いてしまうのです。
一人さんのお弟子さんである「銀座まるかん」の社長さん達も、ごく普通の人達でした。
一流の大学の出身者でもなく、特に何かで成功して、一人さんにスカウトされたわけでもありません。
どちらかと言うと、人生に迷える人だったのかもしれません。
そんな人たちが一人さんと出逢い、教えに触れていく中で、自分が本来持っている力をどんどん開花させていったのです。
一人さんは人を変えようとしたりとか、否定したりすることが全くありません。
その人のそのままの状態を認めてくれて、その上で導いてくれるのです。
だから、一人さんと一緒にいると、とても心地よくて楽しいのです。
決して無理なことをしなくてもいいのです。
これはまさに、発酵馬の条件にピッタリです。
発酵場が整っている場所は、菌などの微生物が住みやすい環境が整っていて、人がいても心地よく感じます。
そして発酵は、何かを変えようとはせず、そのものの特性を最大限に引き出そうとします。
例えば、発酵で米が麦に変わることはありませんが、その米の特質を最大限に活かして、美味しいお酒を作ることができます。
これに対してその場が腐敗場になっていると、お米はただ腐るだけで、決して美味しいお酒を造ることはできません。
腐敗場にいると、人も不快に感じます。
実はこの発酵場にいる菌と腐敗場にいる菌は、ほとんど同じ箘なのです。
大気中にいる多くの菌は「日和見菌」と言われていて、良い菌にも悪い菌にもなります。
つまり、箘そのものの良し悪しではなく、発酵場にいるのか、腐敗場にいるのかで変わってくるのです。
人にもそれぞれ個性があります。
その個性が悪いいうことはありません。
要はその個性が発酵に向かっているのか、腐敗に向かっているのかで、結果が変わってくるのです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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