コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斉藤一人さん 本当の幸せって、どんなだろう

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そんな時は、「どうしたら、あの人が喜ぶだろうか」

「どうしたら、この人は幸せになるだろうか」

そんなふうに、人の幸せを考えてみたらどうだろう。

 

 

 

本当の幸せって、どんなだろう


本当の幸せ。

それって、なんだろう。

あなた、本当に幸せですか?


もし、あなたが「今、すごい幸せで、これ以上何も望みません」というのなら、それは、あなたにとってはもちろん、私にとっても喜ばしいことであって。

そういう、すごい幸せな人からしたら、この話は必要ないかもわかんない。

それから、「釣りが大好き」「ゴルフが大好き」、自分の好きなことを考えていればハッピーなんだ、って。

そんな、自分の幸せを見つけちゃった人には、やっぱり、一人さんは「よかったね」っていうことで。

ただ、自分の幸せ、というのが見つかっていない、「人生、つまんないな」とか、「なんで、自分をこんな目に遭うんだろう」とか思ってる人。

それから、本当の幸せって、どういうものか知りたい人。

今も、そこそこ幸せだけど、もっと、自分は幸せになれるんじゃないか。

そういう人に、一人さんから提案があるんです。

自分の心をが幸せを渇望して、「自分の幸せって、どこにあるんだろう」とか、考えてる時。

そんな時は、「どうしたら、あの人が喜ぶだろうか」

「どうしたら、この人は幸せになるだろうか」

そんなふうに、人の幸せを考えてみたらどうだろう。

 

本当のお楽しみは、これからだ!


人生って、不思議です。

「自分の人生、つまんないな」

「俺って、ついてないな」と言ってた人でも、人を喜ばす人生を歩き出すと、展開が凄い違ってきちゃう。

人生が急に輝きだす、って言うのかな。


例えば、前に、若い男の子で「自分と仲良くしてくれる人がどこにもいないし、世の中、つまんない」っていう人がいたんです。

ところが、人を喜ばすことをやり始めたら、会社やなんかで、仲良くしてくれる人が出てきて、毎日「楽しい、楽しい」って言い出したの、その子。

しばらくしたら、仲の良い人と一緒にサークルに出かけるようにもなって、そこでも人に喜ばれてて「自分は幸せだ」って。

もっと驚いたのは、最近やけに顔がイキイキ輝いて、かっこよくなってきたから「なんか、いいことあったのかい?」って聞いたら、「サークルで知り合いになった女性に告白されて、今、付き合ってるんです」って。

その子のことを見てて、私、思うんだけど。

よくね、定年退職だとかで、ずぅ~っと家にいて、テレビを見て一日過ごしてるような人に、周りが「こういうサークルがあるから、行ってみれば」とかって言うんだけど。

サークルに出かけたとしても、結局、行かなくなっちゃうと思うんです。

だって、出かけて行っても、そこで、自分が何をしていいのかがわからない。

そうすると、そこもやっぱり、楽しくないんだよ。

だから、そういうサークルへ行く前に、普段の生活の中で、何かひとつ、人を喜ばせることをしてみると、いいかもわかんない。

それで、人を喜ばすって、みんなが思ってるほど、難しいことじゃないんだ。

例えば、女性に「いつも、綺麗だね~」って、いってあげたっていいし。

外で食事をした時、お店の人に「美味しかったよ」というのもいい。

友達やなんかと会ったら、「あなたと会えて、嬉しいよ」とか。

会社に行ったら、上司や社長に「この会社で働けて、私はついてます。感謝してます」とか。

そういう言葉を言っても喜ばせることができるし、字を書いても喜ばせられる。

なおかつ、それをやってる自分自身が、すごく楽しいんだよね。

だから、「人を喜ばせるんだって」ことを、自分の趣味なんかにしちゃうと、いいかもわかんない。


趣味っていうと、魚釣りとか、ゴルフとか、色々な趣味があるじゃない?

魚釣りも楽しいし、ゴルフも楽しい。

いろんな楽しみが、あるんですけど。

ひょっとしたら、人を喜ばす、ということ以上に、わくわくできて、楽しいものって、ないかもわかんないよ。

私自身は、人を喜ばせる以上の楽しみは「ない」と確信してるんです。

実際に自分がやってみての感想だよ。

神がくれた、本当の楽しみ。

だと、私は思ってます。

そうやって言うと、すぐ「一人さん、それ、本当ですか?」って質問が来るんですけど。

それはね、私に聞いちゃ駄目なんです。

自分に聞いてください。

幸せって、自分の心が決めるものだからさ。

だから、自分が人を喜ばすことをやってごらん。

そしたら、私の言ってることが分かるから。


幸せな人は、なぜ、幸せなのか


この前、素敵な踊りを踊ってる人と、偶然、出会いました。

その人はレストランをやっているんだけど、「うちの店にはあまりお客さんが来ないんです」っていうのね。

私は、その人の話を聞いてて、こんなことを思った。

「もしかしたら、そこのレストランに来たお客さんが、誕生日は何かお祝い事があった時、その人のために、1曲、踊りを踊ってあげたら、すごく喜ばれて楽しくなるだろうな」って。


何を言いたいんですか、って。

人間って、自分が楽しむことを先に考えちゃう傾向があるんだけど。

自分が楽しむことを考えるのはいいんだよ。

私は何も、「それは悪い」と言ってるんじゃないからね。

ただ、意外なことに、自分を先にするより、相手が楽しむことを先に考えると、もっと、もっと自分が楽しくなってくる。

自分の楽しみを優先した時の何倍、何十倍も楽しいんだよ、って。

それを言いたいんです。


だから、自分の趣味が踊りだとする。

自分が好きな踊りを踊ってると、「それだけで自分は楽しくてハッピーなんです」って。

だけど、知り合いの誕生日とか、周りにお祝い事やなんかがあった時、「自分の踊りで、人を楽しませられないだろうか」

そうやって考え出した時から、もっと、もっと楽しくなってくる。

わかるかな。


例えば、畑にニンジンの種をまけば、人参が出る。

キャベツの種をまけば、キャベツが出る。

ごぼうの種をまけば、ごぼうが出る。

ここまで、OKですね。

そうすると、農家の人は畑にたねをまきながら、「美味しくて、体にも良い野菜を出したら、みんなに喜ばれるだろうな」とか考える。

「喜ばれるものを作るには、水やりはこうして、肥料はこれにして」とか。

農家の人は種まきしながら、そんなことを考えて、ワクワクしてるんです。

それと同じように、「人が喜ぶ」ことを考える、人を喜ばすという幸せの種をまいていると、すごく楽しくて、幸せになる。


それで幸せの種をまく、人を喜ばすって、「誰々の誕生日を祝ってあげよう」とか、ちょっとしたことで良い上に、、変な話、あまりお金をかけなくても、人を喜ばすことはできるんですよ。

マグカップに字を書いてあげる、なんてのは、100円か、200円の話でしょ。

人を褒めたり、人に優しい言葉をかけてあげるとかって、ただだよ。

それでも、ものすごい効果がある。

「効果がある」というのは、人から笑顔が貰える、って事だよ。


人の笑顔って、生活の足しにも何にもならないようだけど、実はすごいの。

人が喜んで笑顔になった、そういう顔を自分に見せてくれた時って、釣り人が狙ってた石鯛を釣った時とか、ゴルフでホールインワンした時と同じか、それ以上の喜びがあるんです。

素敵な思い出として、いつまでも心に残り、人生を豊かにしてくれる。


人を幸せにする、人を喜ばせることをやったら、自分だけじゃなく、相手の心にも「嬉しいな」っていう思い出が残る。

 

追伸 一億三千人分の一人勝ち

 

本当に楽しそうに、嬉しそうな顔をしながら、

「心の一人勝ちがある」

という一人さん。

そんな一人さんを見ていると、私もワクワクしてきました。

「心の一人勝ちって楽しそうだね。

早く続きを聞かせてくださいよ」

そうやって一人さんをせっつくとさん、一人さんはこう言いました。


心の一人勝ちっていうのは、こういうことだよ。

例えば、オーストラリアの先住民で、アボリジニという人たちがいるよね。

俺は、

「あの人たち、不便な暮らしをしてるんだろうな」

とかって思うけど、アボリジニの人にこんなことを言われてごらん。

「私たちはアボリジニは最高です。

私たちが住んでいるとこは楽園です。

都会にいるあなた達が、本当、。

あんなごみごみしたとこに住んでて・・・・・・」

俺は、恐れ入りました、と言うしかないよ。

だから、心の一人勝ちっていうのは、いろんな事情が出てきた中で、

「自分は、幸せだ」

と思った奴が勝ち、それ以上のものってないんだって、俺は思ってる。

別に、俺の意見に賛成していただかなくてもいいの。

何を思うかは、その人の自由だからね。

だけど、人はオリンピックに出るために生まれたんじゃないんだよ。

オリンピックで金メダルを取るために生まれてきたんじゃないの。

幸せになるために生まれてきたんだよ。

オリンピックで金メダルを取らないと、幸せになれないって言うんなら、銀メダルイカは全部不幸せって事になる。

そしたら、世界で幸せな人は、一人しかいないことになる。

でも、俺が幸せなんだよ。

誰だって、幸せになれるんだよ。

それで、幸せっていうのは、どのぐらい感性が豊かになれるかで決まるんだって俺は思っているんだね。

感性が豊ってね・・・・・・、感性っていうのは、生きているうちにだんだん研ぎ澄まされていくものなんだ。

例えば、子供の頃だと、バラ園で1万本のバラが咲いているのを見て、

「わぁー、すごい」って圧倒されるじゃん。

そのぐらいの衝撃がないと、豊かな気持ちになれないときがあるんだけど、感性が研ぎ澄まされてくると、道端に咲いているたんぽぽだとか、ぺんぺん草の花を見て、

「あっ、こんなとこに咲いてる。すごいな」

って、百万本のバラの花を見てるのと同じぐらい、感動しちゃったりする。

それから、おかずがアジの開きと漬物しかない時に、
「こんな簡単なもので済ませろというのか」

って、いっちゃう時もあるよ。

だけど、夜明け前に漁師が沖に出て、アジを捕ってだよ、それを干して、市場へ出してお**、魚屋さんがそれを買って、店に出して、家の人がそれを買って焼いてって。

そうやってアジの開きが出てきたんだよね。

だから、世の中には簡単なものってないんだよ。

そのことが分かった時は、決して簡単なものを食べているんじゃないの。

「自分は、今、すごい料理を食べているんだ。

美味しいな、幸せだな」って思う。

そういう感性を持てた人は、勝ち。

だから、簡単なものはないんだと言う、この事実を事実として受け取られるか、どうか何だよ。

「うん、これは、すごい」

って思って、食べた時、心がすごく豊かになっちゃう。

そしたら、その人は誰が何を言おうと、一人勝ちなんだ。

それで、心の一人勝ちって広い、ありとあらゆるとこに勝ちがあるんだよ。

あるお坊さんが、年を取った時、檀家の人に、

「これからは、少し余生を楽しんでくださいね」って言われたんだって。

その時、そのお坊さんは、こういったの。

「人間には、余ってる命なんてない。

子供の一日も、大人の1日も、どれも大切なんだ」

俺は、このお坊さん、一人勝ちだと思うよ。

だけど、余生を余生と思っちゃいけないんですかって、そんなことないよ。

「自分はもう死ぬんだと思ってた。

だけど、今もこうして生きている。

この、余った人生を、自分は楽しく生きるんだ」

って思ってるんなら、それも一人勝ちでしょ。

ごちゃごちゃ言ったけど、「〇〇だから、幸せ」というのか、「〇〇だから、不幸せ」というのか、それだけの問題なんだ。

それで、結論が幸せなら、それが勝ちなんだ。

ヴィトンのバッグを持って、シャネルのスーツを着て、フレンチを食べているのが幸せなんだ、というのもありなの。

だけど、定食屋でアジの開き定食を食べてて幸せだ、というのもありなんだよ。

幸せっていうのは、はかれない。

基準もない。

その人の心の中にあるもんなんだね。

一人、一人、違うんだよ。

今、日本の人口が1億3000万人だとすると、1億3000万人ぶんの心の一人勝ちがあるんだ。

 

 

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斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

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