海には海の流れ、潮流ってものがある。
地球には地球の流れ、軌道というものがある。
時代の流れは誰も変えられない
「時代の流れを受け入れる・・・・」
私は一人さんの話を聞きながら、一人さんが何を言わんとしているかを推し量っていました。
私たち商人は、世界ランキングと戦わなくてはいけない。
日露戦争で例えれば、世界ランキングは列強・ロシア、町の商店は弱国・日本ほどの違いがある。
「時代の流れを受け止めるということは、勝ち目が無いのは目に見えているから負け組に甘んじろ、ということではないんでしょ。
戦っていかなきゃいけないのよね」
私がそう言うと、一人さんは、にっこり微笑んでいました。
「もちろん、その通り!!」
時代の流れを受け止めるというのは、こういうことだよ。
世界ランキングと戦うことから逃げられやしない。
商人の世界は、誰からも守られていないんだよ。
いきなりリングの上に上げられてて、自分で戦わなきゃいけない。
それは、誰にも避けられないことなんだよ。
そういうことを受け入れようよっということなんだよ。
今、ものの値段が下がっているよね。
そうすると、経済評論家や経済学者が、
「世界ランキング」と戦うことから逃げられやしない。
商人の世界は、誰からも守られていないんだよ。
そういうことを受け入れようよ、ということなんだよ。
今、日本は物の値段が下がっているよね。
そうすると、経済評論家や経済学者が、
「こうやってデフレを解消しましょう」
って言うけど、政治家や経済学者に頼んで、こんな時代が来ないようにしてもらおうとしても無理なんだよ。
あれは、自分達の希望的観測、
「こうなればいいな」
って言ってるだけなんだよ。
勘違いする人が多いんだけど、時代とか、歴史というものは、人間が作っているんじゃないの。
例えば、ファッションで言うと、時代の最先端を走ってて、ファッションリーダーって言われてる人がいるじゃない?
一見、その人が流行を作ってるように思うけど、実はそうじゃない。
予め、人の好みというものがあるんだよ。
ファッションリーダーは、他の人より先にそのこのみを取り上げているだけなんだ。
だから、流行るものがすでに決まってるんです。
人間が欲するものも決まってるんです。
だから、誰かが時代をリードするなんてことはできないんだよ。
海には海の流れ、潮流ってものがある。
地球には地球の流れ、軌道というものがある。
それを、人間の力で変えようなんてことはできないでしょ。
それと同じように、人間が生活しているこの場所には、時代の流れというものがある。
頭のいい人が一人、二人でてきてなんとかなるようなものじゃないんです
だから、嫌だろうが、嫌じゃなかろうが、そういう時代が来るんだよ。
ただし、
「激しい時代が来るんですね」
と思うか、思わないかは、各人が自分で考えることなんだ。
俺がとやかく言うことではないんだよ。
世界ランキングの来日はツイている
「激しい時代が来ると思うか否かは、個人の自由」
そういった一人さん。
では、一人さんは、どういうふうに考えているのでしょうか。
そのことを尋ねると、一人さんはこう言いました。
俺かい? 別に怖くなんかないよ。
世界ランキングがやってきたところで、商売の仕方が全く変わることはないでしょ。
「今、目の前にいるお客さんを喜ばせる」
商売のコツって、昔っから、これしかないんだよね。
それで、何がお客さんを喜ばせるのかが分からなければ、成功しているところを見つけて、真似すればいいんだよ。
幸い、俺たちにはそれを教えてくれる仲間がいる。
俺たちは、車みたいなものなんだ。
ハンドルがあって、タイヤがあって、ワイパーがあって、一個一個違う個性が集まって、一台の車なんだ。
だけど、ハンドルにもたれかかっているタイヤはないんだよね。
そんなタイヤがいたら、車にはならないんだよ。
もちろん、俺も、えみちゃんも、まだ未熟だよ。
だから、これからも色々学ばなきゃいけない。
だけど、俺達は未熟でありながらも、タイヤはタイヤとしての働きを果たしている。
ハンドルはハンドルの役割を果たしている。
俺は自分の役割をやり続ける。
えみちゃんも、他の社長たちも、それをやり続けられる人だと確信している。
だから、俺は。「世界ランキング」は怖くない。
というより、むしろ、俺はツイてると思ってるよ。
こんなこと言うのは生意気だけど、今まで世界で戦いたいと思ったら、」こっちから出かけて行かなきゃいけなかった。
それが今、向こうからわざわざお出ましいただいているんだから、こんなにありがたいことはないと思っている。
それでお互い自分を磨いてさ、商人として学ばせてもらってさ。
その中でいろんな気づきをもらって、人生の修行もさせてもらって、もっともっと魂的に成長するんだって、ワクワクしているよ。
多分、一人さんはそういうだろうと予想はしていましたが、あまりにも予想通りのの答えだったので、私は笑ってしまいました。
一人さんという人は、そういう人なんです。
変えられないものは、変えようとしない。
変えられるのは自分だけなんだ、と明らかに眺め、いつも、一つ上を目指し続けている人なんです。
ですが、あんなことを実にあっけらかんと言ってのけるなんて。
私は、改めて、
「すごい人を師匠にしてしまったな」
そう思いました。
ですが、一人さんにそのことを言うと、
「えみちゃんがそう思うのはえみちゃんの自由だけど、俺はそう思わないんだよね」と・・・・・。
人間は環境に流される動物だというように考えている人もいるけれど、そうじゃないよ。
人間は環境を作る動物なんだよ。
今、俺達がいる環境は、人間が作ったんだよね。
真っ黒な夜を明るくしたのも人間なんだよ。
人間が環境を悪くしたと言うけれど、その環境そうとしているのも人間なんだよ。
それで、この不況を何とかしようとする人もいる。
財界にもいるし、政界にもいる。
でも、環境を作っているのはそういう人たちだけではないんだよ。
世の中不満だらけだけど、みんな、その中で幸せを見つけようとしている。
そういう環境を作ろうとしている人が学校の先生にも、町工場で働いている人にも、近所のおじさん、おばさんの中にもいるんだよ。
厄年だろうが、八方塞がりだろうが、
「そんなもの、困ったことじゃありませんよ」
って、目の前の現実を何とかしようとしている人がごまんといるの。
俺はそういう人たちを見るとね、こう思うんだよ。
「この人はかっこいいな。
みんなが参ったしている中で、一人勝ちしてるな。
自分はまだ青いな」って・・・・・・。
だから俺も、その人たちに負けちゃいられないんだよ。
余計な話なんだけど、もう一個、ちょっとだけいい話を教えてあげよう。
これからは「一人勝ち」の時代が来るんだよ。
これがまた、いい時代なんだよ。
一人勝ちの時代は、誰もが勝てる良い時代
「一人勝ち」
それは、2番目以下は全部負け、ということです。
どうしてそれが、いい時代だというのでしょう。
「一人さんが今言った「一人勝ち」の時代、一人勝ちって、どういうものなんですか?
その先を聞かせてください」
そう言って一人さんにせっつく私に、一人さんは、
「そう急ぎなさんな。
この後コーヒーを美味しいよ。
あぁ、幸せだなぁ」と。
そして、のんびりコーヒーを味わった後、こんな話をしてくれました。
俺が言う「一人勝ち」というのは世間の常識とちょっと違うんだ。
誰でも勝てるんだよ。
まず、仕事の世界での「一人勝ち」について話すね。
例えばだよ、今、ある観光地が、非常にお客さんが来なくて困ってるとする。
その時、そこの商店街の店主が集まって意見を出し合ったり、行政に掛け合ったり、いろんなことをするんだけど、それじゃだめなんだよ。
なぜって、みんなで何かをやろうとすると、
「うちはそんなことはできない」
「私はこうなんです」
とかって、それぞれ、いろんな事情を言ってくるんだよ。
その事情を調整している間に、チャンスが逃げちゃう。
じゃあ、どうするかって言うと、簡単なの。
「一人勝ち」している人が出てくればいいんだよ。
「あなたたちの事情は、あなたたちでいっててくださいい。
私は、皆さんの意見調整に付き合ってる暇がありません。
でも、私は私でバリバリやりますよ」
っていう人間が現れたら、そこが助かるんだよ。
例えば、自分がホテルをやってるとしたら、その街中のホテル・旅館が全部参ったしても、お客さんがバンバン来て、めちゃくちゃ儲かってるところがあれば、そこと取引している魚屋から八百屋から、みんな元気になっちゃう。
それから、
「あのホテルだけがやけに元気いいな。
何やってるんだろう。
うちも真似をしよう」
っていうやつが出てくるんだよ。
そういう時代なの。
価値観が変わっているんだよ。
今までは、大きい方が得だから、何でも「大きく、大きく」って、してきた。
だけど、この10年くらい前から、大きいところが駄目になってきているでしょ。
政府が色々指導して何かやってもうまくいかなくて、国が大赤字を抱えてる。
大手銀行も調子良くない。
それから、大地主だった人も、土地が売れない上に税金まで取られちゃったりして。
だから、みんなで寄合して、みんなで一緒に何かしようっていう時代ではないんだよ。
うんそれが「一人勝ち」の時代なの。
それで、一人勝ちの時代の一人勝ちは、色んな所にいるんだ。
商売やってお金を儲けた、会社で同期の中で一番出世した、学校で成績が一番だった、これも勝ちなんだよね。
だけど、他にも勝ちがあるんだよ。
それは何かと言うと、心の一人勝ち。
一億三千人分の一人勝ち
本当に楽しそうに、嬉しそうな顔をしながら、
「心の一人勝ちがある」
という一人さん。
そんな一人さんを見ていると、私もワクワクしてきました。
「心の一人勝ちって楽しそうだね。
早く続きを聞かせてくださいよ」
そうやって一人さんをせっつくとさん、一人さんはこう言いました。
心の一人勝ちっていうのは、こういうことだよ。
例えば、オーストラリアの先住民で、アボリジニという人たちがいるよね。
俺は、
「あの人たち、不便な暮らしをしてるんだろうな」
とかって思うけど、アボリジニの人にこんなことを言われてごらん。
「私たちはアボリジニは最高です。
私たちが住んでいるとこは楽園です。
都会にいるあなた達が、本当、。
あんなごみごみしたとこに住んでて・・・・・・」
俺は、恐れ入りました、と言うしかないよ。
だから、心の一人勝ちっていうのは、いろんな事情が出てきた中で、
「自分は、幸せだ」
と思った奴が勝ち、それ以上のものってないんだって、俺は思ってる。
別に、俺の意見に賛成していただかなくてもいいの。
何を思うかは、その人の自由だからね。
だけど、人はオリンピックに出るために生まれたんじゃないんだよ。
オリンピックで金メダルを取るために生まれてきたんじゃないの。
幸せになるために生まれてきたんだよ。
オリンピックで金メダルを取らないと、幸せになれないって言うんなら、銀メダルイカは全部不幸せって事になる。
そしたら、世界で幸せな人は、一人しかいないことになる。
でも、俺が幸せなんだよ。
誰だって、幸せになれるんだよ。
それで、幸せっていうのは、どのぐらい感性が豊かになれるかで決まるんだって俺は思っているんだね。
感性が豊ってね・・・・・・、感性っていうのは、生きているうちにだんだん研ぎ澄まされていくものなんだ。
例えば、子供の頃だと、バラ園で1万本のバラが咲いているのを見て、
「わぁー、すごい」って圧倒されるじゃん。
そのぐらいの衝撃がないと、豊かな気持ちになれないときがあるんだけど、感性が研ぎ澄まされてくると、道端に咲いているたんぽぽだとか、ぺんぺん草の花を見て、
「あっ、こんなとこに咲いてる。すごいな」
って、百万本のバラの花を見てるのと同じぐらい、感動しちゃったりする。
それから、おかずがアジの開きと漬物しかない時に、
「こんな簡単なもので済ませろというのか」
って、いっちゃう時もあるよ。
だけど、夜明け前に漁師が沖に出て、アジを捕ってだよ、それを干して、市場へ出してお**、魚屋さんがそれを買って、店に出して、家の人がそれを買って焼いてって。
そうやってアジの開きが出てきたんだよね。
だから、世の中には簡単なものってないんだよ。
そのことが分かった時は、決して簡単なものを食べているんじゃないの。
「自分は、今、すごい料理を食べているんだ。
美味しいな、幸せだな」って思う。
そういう感性を持てた人は、勝ち。
だから、簡単なものはないんだと言う、この事実を事実として受け取られるか、どうか何だよ。
「うん、これは、すごい」
って思って、食べた時、心がすごく豊かになっちゃう。
そしたら、その人は誰が何を言おうと、一人勝ちなんだ。
それで、心の一人勝ちって広い、ありとあらゆるとこに勝ちがあるんだよ。
あるお坊さんが、年を取った時、檀家の人に、
「これからは、少し余生を楽しんでくださいね」って言われたんだって。
その時、そのお坊さんは、こういったの。
「人間には、余ってる命なんてない。
子供の一日も、大人の1日も、どれも大切なんだ」
俺は、このお坊さん、一人勝ちだと思うよ。
だけど、余生を余生と思っちゃいけないんですかって、そんなことないよ。
「自分はもう死ぬんだと思ってた。
だけど、今もこうして生きている。
この、余った人生を、自分は楽しく生きるんだ」
って思ってるんなら、それも一人勝ちでしょ。
ごちゃごちゃ言ったけど、「〇〇だから、幸せ」というのか、「〇〇だから、不幸せ」というのか、それだけの問題なんだ。
それで、結論が幸せなら、それが勝ちなんだ。
ヴィトンのバッグを持って、シャネルのスーツを着て、フレンチを食べているのが幸せなんだ、というのもありなの。
だけど、定食屋でアジの開き定食を食べてて幸せだ、というのもありなんだよ。
幸せっていうのは、はかれない。
基準もない。
その人の心の中にあるもんなんだね。
一人、一人、違うんだよ。
今、日本の人口が1億3000万人だとすると、1億3000万人ぶんの心の一人勝ちがあるんだ。
追伸 厄年
だから神様のお役に立ちますよと出てきているのに役に立たないので
厄年というのがありひどい目にあうんです。
ちゃんと役に立ってる人は仕事でも何でも厄年になると急速に進歩を遂げます。
厄年というのはお役に立っているか立っていないかがわかる年なんです 。
人間は仕事が成功したとか何が成功したとかで天に帰るわけにはいきません。
天に帰る時は今まではブスッとしていましたが少しはニコニコと出来る
ようになりましたと か困ってる人がいれば元気出せよとか言えるように人間になりました。
人に愛情を与えることが出来るようになって帰ってきました。
成功とは土地を3000粒を持ちました とかは向こうの世界では通りません。
ビルを10本立てましたとかは通りません。
それよりも年配の方に元気だね前世では情けないけれども年をとっても
あんだけ働かなければいけないとか身分が違うんだとかそんな傲慢だった自分が
おばあちゃん元気で働いているねとか優しいことが言えるようになりました 。
これを成功者と言います。
人に対して少しでも笑顔を見せて愛ある言葉をしゃべるんです。
1年前と比べれば少しはましになり10年前は穴があったら入りたいぐらい恥ずかしくとも10年前よりはかなりマシになってあと何年生きるかわからないけれども
少しはましになって故郷に帰っていってくださいね。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きもございません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。