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斉藤一人さん かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂

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海外渡航が大罪であることは充分承知している。

しかし、国家危急の今、「已むに已まれぬ大和魂」が自分を突き動かしたのである。

 

 


相手を信じて言う
「いい素材」を活かす言葉


魔法の言葉は
「君ならできる!」

 

人間というのは、もともとどんな人でも、「いい素材」を持ってまるでできます。

でも、その素材を、腐らせるか、活かすかは、その人の「やる気」と「勤勉さ」にかかっています。

私が、お弟子さん達にいつも行っている「魔法の言葉」があります。

この言葉によって、自分が持って生まれてきた「良い素材」を生かすことができるんです。

それは、

「君ならできる!」

この「君ならできる!」という言葉のポイントは、「この人は、本当にできるんだ」と信じていうところにあります。

だって、「君ならできる!」と言いながら、「こいつ、本当はできないんじゃないかな・・・・・・」と思っていたら、教える言葉に熱が入りません。

そう思ったら、一生懸命、喋ることができないんです。

その人が、本当にできるからこそ、神様が私の前に連れてきているのです。

私も、本当にできると信じているからこそ、熱を入れられて教えられるのです。

時々、私が教えたことに対して「それって、難しいですね」と言う人がいます。

私はその言葉を聞くと、悲しくなるんです。

その人は、きっと小さい頃から、「君ならできる!」って言われたことがないのでしょう。

何かすると心配されたり、失敗すると怒られたり。

慰められたことは、あったかもしれない。

だけど「君ならできる!」って言ってもらったことがなかったんです。


吉田松陰は、全ての弟子の可能性を心から信じた


吉田松陰は、私塾をやっていた時に、下級武士の子や農民の子に学問を教えて、素晴らしい人材をたくさん育てました。

その頃、上級武士の子供は、「藩校」っていう学校に通っていたんです。

でも、下級武士の子や貧しい農民の子供は、学校に行けなかったんです。

吉田松陰は、どんな田舎の子だろうが、どんな貧しい農民の子だろうが、全員、

「君ならできる!」

そう思って、育てたんです。

明治維新を起こしたのは、全員が下級武士でした。

この人たちが、どういう気持ちで明治維新を起こしたのか、わかりますか?

「ふざけるな!」という気持ちです。

下級武士達は、いくら努力したって、いくら才能があったって、上に上がれなかったんです。

この制度のままでは、国が駄目になってしまう。

強国の属国になってしまう。

その制度に「ふざけるな!」という気持ちで革命を起こしたんです。

恵まれて育った家老の息子が、、この国をひっくり返したいと思って、明治維新を起こしたんじゃないんです。

下級武士たちが、命がけで起こしたんです。

吉田松陰より優れた学者って、山ほどいるんです。

でも、その優れた学者より、吉田松陰の方が有名なんです。

「吉田松陰のすごいところって、どこですか?」って言うと、弟子を信じる気持ちなんです。

松陰は、弟子たち全員を、「君ならできる!」「あんたならできる!」って信じていました。

弟子たちは、その松陰の言葉を信じて、どんどん成長していきました。

松陰の私塾から、立派になった人が何人も出ました。
その結果、「素晴らしい弟子をたくさん育てた」ということで、松陰自身も有名になったのです。

松陰にも奇跡が起きたんです。

 

かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂


現代語訳


 
海外渡航が大罪であることは充分承知している。

しかし、国家危急の今、「已むに已まれぬ大和魂」が自分を突き動かしたのである。


吉田松陰略歴


吉田松陰は幕末の思想家であり、教育者です。

長州藩(今の山口県)に生まれ、将来を嘱望された人物でありました。しかし、友人との仇討ち旅行に参加する為、脱藩。

また、ペリーの船に乗り込もうとして失敗し幕府に捕まってしまいます。

この行動により牢屋に入れられてしまった松陰は牢屋を出た後に松下村塾で教え、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文などの多くの志士を育てました。

しかし、時の老中間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を企てたということで30歳の時に安政の大獄によって刑死しました。


「かくすれば・・・」の歌をよむまでの経緯


1853年(嘉永六年)浦賀にペリーが来航

江戸にいた松陰は師匠と共に黒船を見に行きました。

最初は憤慨した松陰でありましたが、
日本の為に自ら外国技術を学ぶ!と留学を決意。

しかし、当時外国に行くことは「死罪」となる大罪でありました。。。


1854年(安政元年) ペリーが再び来航

ついに日本の鎖国が解かれ、日米和親条約が締結されます。

その日米和親条約が締結された後、下田の海に浮かんでいたペリーの船。

そこに、吉田松陰は弟子の金子重之助と共に小船で近づき、見事乗船に成功します。

そして黒船の船員に対して「アメリカに連れてって欲しい」と訴えました!!

しかし、やっと条約を締結した直後。

幕府をあえて怒らせるようなことをしたくないアメリカ側は松陰達の依頼を拒否しました。

残念ながら松陰と金子は密航に失敗し、幕府に自首します。

そして捕縛されてしまいました。

江戸の獄から地元長州に移送される途中、

高輪泉岳寺前で今回の短歌「かくすれば・・・」を松陰は詠みました。

この泉岳寺は赤穂義士のお墓があるお寺です。

自らの心を赤穂義士に寄せて詠んだのでありました。


江戸の獄から地元長州に移送される途中、

高輪泉岳寺前で今回の短歌「かくすれば・・・」を松陰は詠みました。

この泉岳寺は赤穂義士のお墓があるお寺です。

自らの心を赤穂義士に寄せて詠んだのでありました。


かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ


国レベルの事象に対して自分事として捉えていること。

国家単位の出来事を自分事として捉え、考え、行動することが果たして今の自分にできるでしょうか。

 

頭で考えたことを実際に行動していること。

当時「異人を斬り捨ててしまえ!」や「アメリカの先進的技術を学ぶことが大事だなんてことを口にする人はいたが、松陰はそれを実行に移しました。

「言う」と「行動」では100万倍の差がありますね。

 

勢いの行動ではない。冷静且つ大胆

決して単なる暴走ではない。

冷静に頭で考え、大胆に行動に移している。冷静になると行動できないし、大胆だけだと行動に一貫性がなくなる。

松陰は冷静かつ大胆!

 

「かくすればかくなるものと知りながら」
つまり、頭ではどういうことをしたらどうなるかは分かっていた!

「已むに已まれぬ」

しかし、心がどうしても自分を行動に掻き立てるのだ!

「大和魂」
その心とは「おれは日本人である」という大和魂である!

 

日本のためにはアメリカの技術を学ぶことが必要である。

しかし、外国に行くことは大罪である。この矛盾の中、自らを行動に掻き立てるのは信念でありました。

それはヤケになった行動ではなく、いたって冷静な行動であります。

自分の信念に忠実に行動し、その行動の結果が自らにとっては最悪の「死」という結果であっても、それは良しとする。

なぜなら信念に従って行動したことは、必ず人に伝わり、結果日本の為になる。と松陰は確信していたのです。


「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ」

そんな決断を人生で何度できるでしょうか。

自分事として考えると、松陰の偉大さがよくわかりますね。

自分の信念は何か?いざという時「行動」を選択できるか?自らにたまに問いかけてみてもよいのではないでしょうか。

 

 

斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読ありがとう御座います。

 

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