人は誰でも、何かしようとするときは完璧を期します。
ところが、やってみると100%完璧にはいかない。
78%で、人間の最高なんです
人間は最高で78
私は「不完璧主義者」です。
なぜ、私が不完璧主義者かと言うと、自分自身が不完璧な人間だからです。
日本の精密機械は、精度が高いと言われますが、1mmの1/10000とか、何かしら狂いがあるんです。
企業はそれを改善しようとして、またがんばる。
それでも、1/100000とか、狂いが出るんです。
仕方がありません、人間は不完璧なのですから。
「78対22の法則」、別名「ユダヤの法則」というものがあるんですが、それによると、人間がやることは最高で78%なのだそうです。
人は誰でも、何かしようとするときは完璧を期します。
ところが、やってみると100%完璧にはいかない。
78%で、人間の最高なんです。
たとえ完璧主義者であっても、100%はできません。
人間に完璧はないんです。
完璧主義者というのは、完璧にできなかったことをずっと悔やんで自分を責めるか、他人を責めるか。
いずれにしろ、人間を責める人のことです。
そうなると、自分で自分のことを嫌いになるか、責めた人から嫌われるかのいずれかになってしまう。
私は、どっちも嫌だから、不完璧主義者なんです。
どちらが良くて、どちらが悪いと言っているのではありません。
私は個人的趣味で、不完璧主義がいいと言っているだけなのです。
ただし、主義者だからといって、いい加減にあるのではありません。
やるからには、やはり、100%を目指す。
でも、人間がやることを最高で78%だから、結果については、
「よかったね」
と言うんです。
それで、できなかった22%をチェックしておいて、次回はこれを改良する。
これで人は良くなるんです。
ただし、次回、この改良点を100%クリアしたつもりでも、まだ完璧とは言えない。
やはり、結果は78%です。
そうすると、再び残りの22%をチェックして改良する。
これを限りなく続けていくことで、少しずつ、人は完璧に近づくんです。
でも、限りなく完璧を目指すけれど、完璧にはなれない。
だからこそ、退屈しなくて済む。
人生が楽しいんです。
不完璧主義って、いいでしょ。
人に何かを教える時もそうですし、教わるときも、不完璧主義でいると、楽しいですよ。
「完璧にできない事が許せない」
と言っていると、教える方、教わるほう双方が苦しむだけです。
完璧主義で物を教えると、教えられる側の人間は、挑戦するのが嫌になってしまう。
人が嫌がることをさせようとする時は、ものすごいエネルギーがいるんです。
疲れてしまう。
完璧ではないもの同士、なんとか完璧に近づこうとして生きている。
これで十分です。
「お互い、がんばってるね」
と、言えたらハッピーです。
恥をかきながら人は向上する
最近、私は色紙に文字を書かされることが多くなってきたんですけど、私は字を書くのが苦手なんです。
字を書くと、ものすごく下手なんです。
だから、色紙を書くのは恥ずかしい。
だけど、
「恥をかきたくない」
と思っていたら、何もできません。
それで、商人というものは、人から何か頼まれたら、即座にやらなければだめなんです。
「習字を習って5年後に書きます」
みたいなことを言っていたら、商売は成り立たなくなってしまう。
だから、恥をかくしかないんです。
ところが、日本人は、恥をかくことをものすごく嫌うんです。
それは、小さい時から、周りの大人たちに、
「恥をかいてはいけないよ」
と、教わってきたからなんだと思います。
この「恥をかいてはいけない」というのは、孔子という人の教えだ、という人がいるんです。
孔子の教えは、江戸幕府に非常に重んじられ、武士にもてはやされました。
なぜ、もてはやされたのかということについては、各方面で色々なご意見があるかと思うんですが、私はこう考えています。
時の権力者というのは、一度自分が天下を取ると、この状態がずっと続けばいいと思うんです。
権力の座を他に明け渡さないためには、どうしたらいいのかと考えたとき、下の人間が動かないようにすればいいんです。
そうすれば、将軍様は、ずっと将軍でいられますから。
だから、「恥をかいてはいけない」というんです。
なぜかと言うと、糸が何か新しいことをしようとすると、10のうち9は失敗するんです。
失敗すると、大抵は恥をかく。
そこで、「恥をかいてはいけない」という教えがあると、人はだんだん萎縮します。
自分が何かをすればするほど、恥をかく回数が増える。
「ああ、自分は動いてはいけないのだ」
と思うんです。
だから、私はお弟子さん達にも、お弟子さんの会社の社員にも、こう行ってきました。
「恥をかいていいんだよ」
「人間は恥をかきながら向上するんだよ」
と言ってきました。
そしたら、みんなが、見違えるように良くなってきたんです。
私自身も恥をかいてきました。
私も10年前の自分を思い出すと、「穴があったら入りたい」どころか、「穴を掘ってでも入りたい」ということが、山ほどあったんです。
でも、そのおかげで、私は10年前の自分よりいくらか利口になりました。
人間が利口になるとは、
「何て自分は馬鹿だったんだ」
ということがわかること。
それがわかれば、人間は進歩したことになるんです。
恥をかくことは悪いことではありません。
もちろん、本当は、孔子さんも、恥を掻いちゃいけないなんて、馬鹿なことは言ってませんよ。
恥ずかしいと思った時、人は次の手を考える。
向上するんです。
でも、恥をかくことはいけないことだと思っていたら、その突破口を開くことができません。
だから、分からないことがあったら、知っている人に質問すればいいんです。
質問をすると、恥をかきますが、分からないことを質問するから、人は利口になるんです。
売れて、本当に頭のいい人は、知らないことを質問するんです。
だから、誰かが質問した時は、
「こんなことも知らないのか」
と、私は思いません。
「あの人は、知らないことを質問できる人だ」
と、尊敬の念でもって拍手を贈ります。
だから、今日からみんなで恥をかきましょう。
恥をかきながら覚えたことは、一生忘れません。
心にザクリと刻まれてしまうんです。
そして、心にたくさん日々ばヒビが入ってできた模様が、人間の芸術になるんです。
タイヤがパンクしている車は走れない
私は、税金をたくさん支払うゲームを楽しんでいますが、本当のことを言うと、「納税一番」を目標にしていたわけではないんです。
そんなことを言っても誰も信じてくれないんですが、本当はそうなんです。
もちろん、お金持ちにはなりたかったんですが、私は納税一番になるために一生懸命働いたんじゃない。
いつでも、どこでもハッピーな人間になりたかったんです。
だけど、人間って、ただ、生きていればいい、というものじゃないんです。
人間って、仕事をしなくちゃいけない。
それから、好きだろうが、嫌いだろうが、お金がないと生きられない。
「私は、お金がなくても生きられます」
って言う人がいるかもしれませんが、それは誰かが代わりに働いて、お金を稼いでくれているんであって、お金がなくても生きられる人はいないんです。
でも、お金があって、仕事もうまくいっていればハッピーか、と言うと、そうでもない。
例えば、仕事が嫌で嫌でしょうがないと、会社にいる間も辛くて、仕事が終わってから飲みに行っても、ハッピーじゃないんです。
仕事もお金も大事だけれど、体や心に問題を抱えていたら、「幸せ」を感じられない。
「幸せ」って、車の四輪みたいなもので、どれか一つタイヤがパンクしたままだと、辛くなってしまうんです。
だから、私は、どうしたら、心が幸せを感じられるだろうか、ということを考えていたんです。
今から、私なりに考えてきたことを紹介しますけれど、私が言う「幸せ」って、私の「幸せ」ですから、それが正しいと思わないでくださいね。
私が「幸せ」と思うことと、みなさんが「幸せ」と思うこととは違いますからね。
「私は、シャネルのバッグを買えたら、幸せなのよ」
という人は、それでいいんです。
ただ、私にとって、バッグは物を入れるだけだから、100円ショップのバックでもいいし、シャネルのバッグでも、どちらでも構わない。
私はシャネルのバッグを買わなくても、幸せなんです。
そんな私と、皆さんとを比較することはありません。
「幸せ」は、自分の心が決めるんです。
だから、私の言うことは参考意見だと思って、後は自分でアレンジしてください。
見つからなかったら、どうしたらいいのかって?
他の人の話を聞けばいいんです
そこにヒントがあるはずです。
それがだめなら、また別の人の話を聞けばいい。
そのうち、ぴったりハマるものが見つかるはずです。
一生懸命探して、いろんな人の参考意見を聞くと、少しずつ、少しずつ分かるようになると思います。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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