「復讐するのは神の仕事」といって、その報いは神様がちゃんとやってくれることだから、あなたが勝手にその人に報いを与えちゃダメなの。
- 無常を知ると時代の兆しが見えてくる
- 人は環境が厳しいから死ぬんじゃない
- 相手に復讐するのは、あなたの仕事ではありません
- 神を信じないと価値のあることはできない
- チャンスは「知恵と忍耐を学ぶ機会」として現れる
- 追伸 復讐するは我にあり
- 追伸の追伸 嫌な奴への復讐は、天にお任せ
無常を知ると時代の兆しが見えてくる
価値や価値観が変わる時って必ず来ます。
その兆しをどう読むかというと、いつも「常はないんだ」と思っていることが大切なの。
するといろいろなことが見えてくるでしょう。
人間って「このまま続いて欲しい」という願望を持っています。
でも、神は人間に成長を求めているから無常を与えるんだよね。
「日本は国土が狭いから、土地の値段は下がらない」と多くの人が信じていました。
でも、下がる時代が来たんです。
だって、永遠に上がり続けていたら、最後は誰も買えなくなってしまうからね。
だから結局、最後には正しいところにおさまるようになります。
教えでも、昔は小乗仏教が主流で一部の人しか学べなかったのが、大乗仏教が出てきて、みんなが教えを学べるようになりました。
さらに昔は「女性は不浄で、男しか成仏できない」って言われていた時代があったほど。
でも、私たちはみんなお母さんから生まれてきたんだよね。
それに、男しか成仏できないとしたら天国は男だらけになります。
そんなところに私は行きたくないし、そんなところが天国の理由はありません。
常識も変わります。
昔は結婚前に男女が同棲するってすごく不道徳のように思われていたけれど、今ではそんなこと当たり前で、「結婚前のお試し期間」みたいな感じとして、それを勧める人が多いんだよね。
離婚も昔は恥ずかしいことのように思われていたけれど、今ではアメリカ人の二人に一人、日本人の3人に1人は離婚する時代になりました。
仲がいいなら一緒にいればいいけれど、仲が悪いのにずっと一緒に居なさいっていうのが間違いだとわかる時代が来たんだよね。
追伸 質問 お金の流れ
ボーナスが入ってきました。
贅沢をするのがいいですか?
それとも貯金する方が良いでしょうか?
ご教示いただければ幸いです。
斎藤一人さん
お金がない時は、うんと切り詰めた生活をしていたのに、お金が入ってくるようになると、手のひらを返すように贅沢な生活をする人がいます。
こういう人を、神様はちゃんと見ています。
なぜなら、その人の行い次第では、もう一度「貧しかった頃の修行」に戻す必要があるからです。
お金が入ってきたら、まず貯金をしなければいけません。
なぜなら、「お金の流れ」というのは」、必ず変動があるからです。
世の中は、「無常」です。
今の状態がずっと続くことは、絶対にありません。
必ず、流れが変わるときが来ます。
そういうときに、その流れを乗り越えるためにも、貯金というのは必要になってきます。
例えば、売れない作家の人が、突然、ベストセラー本を出して、思いもよらない額の印税が入ってきたとします。
予想外の入金を見て、どれほど心が踊っても、その時に、「先のこと」をしっかりと考えなければなりません。
なぜなら、次の年に、多額の税金の請求が来るからです。
また、次に出す本が、今回のように、うまい具合にベストセラーになるとも限りません。
常に「先のこと」を予測して、入ってきたお金を使うようにしなければなりません。
お金の使い方について、こんな名言があります。
「仕事がうまくいった時は笑顔で定食を食べて、仕事がうまくいかない時もフランス料理を食べられる」
どういうことかというと、仕事で成功して、どんなにお金持ちになっても、下町の定食屋さんの料理を、笑顔で美味しく食べるような気さくな人柄でいること。
また、仕事がうまくいかない時でも、フランス料理を楽しむことができるような、まとまった額の貯金をしておくこと。
こういう人になりたいものです。
お金が入ると、途端に贅沢をする。
こういう人を神様は嫌うんです。
お金が必要になる時のことを考えて貯金しておきなよ。
人は環境が厳しいから死ぬんじゃない
これからは心の時代です。
こころの時代とは「心で幸せになる時代」のことです。
だから逆に「心で不幸せになる人」も出てくる時代でもあると言えます。
昔は食べることがやっとの時代がありました。
だから、悩みの中心は「どうやって食べるか」だったのね。
食べ物とかモノの問題だったんです。
それが、時代が変わって日本では「食べることに困らない時代」が来ました。
昔の食べることに困っていた時代、厳しい時の方が自殺者は少ないものでした。
つまり、人は環境が厳しいから死ぬんじゃないんだよね。
昔は「欲を捨てなさい」って言ったけど、今は欲のある人の方が「生きよう!」っていう意識が強いから死にません。
つまり、「欲を捨てなさい」というのは貧しかった時代の教えなんです。
昔は、実際に目の前にある問題に対してみんな悩んでいました。
でも今は、想像が生み出したものに悩んでいます。
そして、その想像が生み出したものの大半は、実際に起こらないことだったりするんだよね。
だから、想像して不安ならそれに備える。
備えてもまだ不安なら、それは備えの問題じゃなくて、心の問題と言えるでしょう。
そんな時は心を豊かにして、心の中から不安を追い出しましょう。
相手に復讐するのは、あなたの仕事ではありません
私たちは様々な出来事を通して学びを得ます。
その中でもっとも大きいのはお金と人間関係からの学びです。
人間関係とは、親子や夫婦、会社の上司や部下、同僚と様々ですが、さらに言えば「自分自身との関係」も含みます。
神は自己責任を嫌います。
「私はいいから、あなたが幸せになって」じゃなくて、まずは自分が幸せになって、その幸せを出来る範囲で周りに配っていけばいいんだよね。
それが神の望みでもあるの。
それと、「自分さえよければ」というのも自分を大切にしていないことだよね。
人によっては「自分さえよければ、他人に迷惑をかけても関係ない」と思うかもしれないけれど、他人に迷惑をかければ必ずその報いは自分が受けます。
だから結局、それも自分に大切にしていないのと同じことなんです。
また、相手に悪口を言われたり、嫌なことをされたりしたら、その人に「仕返しをしよう」としますが、これもいけません。
あなたの悪口を言ったら、その報いを受けるのはその言った人なんです。
報いとは良いことをすれば良いことで報われて、悪いことをすれば悪いことで報われることを言います。
「復讐するのは神の仕事」といって、その報いは神様がちゃんとやってくれることだから、あなたが勝手にその人に報いを与えちゃダメなの。
大体、人の悪口って言った方が負けだからね。
言い続けている人は大負けなの。
それはあなたまでその人につられて相手の悪口を言ったら、自分の運勢まで悪くなっちゃうんだよ。
だから、私たちが出来る事っていうのはね、「相手を黙らせる」ことではありません。
「相手が悪口を言っても、自分は言わないようにする」ことが本当の真理なんだよね。
私たち人間は完璧じゃないから間違えることだってあります。
そこで成長できる人が、「間違った時に謝れる人」なんだよ。
「謝るとカッコ悪い」と思うかもしれないけれど、謝らない人、または謝れない人の方が、よっぽどカッコ悪いよね。
謝れない人って我が強いんです。
我が強いっていうことは、それだけ魂に汚れがついてるってことなの。
それで私たちは皆、その汚れを落とすために生まれてきているからね。
人は完璧じゃないんです。
織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も完璧じゃなかったの。
それでも後世に名を残すような偉業を成し遂げることができたんだよね。
神を信じないと価値のあることはできない
神様の事を信じないよりも信じたほうが成功しますし、幸せになれます。
神を信じないと、「人生の最高責任者は自分自身」ということになります。
すると、「こんなことをしたらバチが当たるから行っちゃダメ」というような、自分の行動に対して歯止めがきかなくなる人が増えます。
「人をいじめたり、悪いことをしたりすると地獄に落ちる」って思いない人は歯止めが効かなくて、自分の人生をダメにしちゃうんだよね。
だから、私たちは神の最高傑作なんです。
「自分は神の最高傑作であり、価値のある人間なんだ」と思えると、価値のあることをするようにできているんだよね。
自分に投資をするっていうことも、要は「自分は価値ある人間だ」と思えるかどうかなんだよ。
自分のことを「価値のない人間だ」って思っている人は、価値のないことをしてしまいます。
人間って、同じ顔の人など一人もいません。
双子だってよく見ると、どこかが違うよね。
それと同じで、同じ運命の人なんて一人もいません。
寄せては返す波ですから同じ波って一つもないの。
つまり神が作ったもので同じ物って一つも無いんだよ。
それで、神が作った人間は、一人ずつ顔も性格も違うけれど、みんな価値のある人間で、それぞれの個性を活かして成功するようにできています。
だから、学校教育でうまく行く人もいれば、そうでない人もいるの。
つまり、「学校の勉強ができないからダメだ」っていうことはあり得ないからね。
人間一人一人が神の最高傑作であり、それだけで成功できるように作られています。
だから、「知らないこと」とは、知らなくっていいことなの。
それで何か問題が起こったら、それは学ぶ時だと思えばいい。
そのことさえわかれば誰でも成功できますし、誰でもお金持ちになれます。
ただ、ほとんどの人は「これじゃあだめだ」と思い込まされているの。
まず自分の価値に気づかないと、「価値あること」はできないからね。
追伸 何を言われても気にならなくなる
とはいえ、人はいろいろ。
悪口を言ったり、愚痴を言って、人からエネルギーを奪おうとする人も、残念ながらたくさんいます。
人の悪口だって聞きたくないし、まして自分のことを悪く言われたりしたら傷つきます。
しばらく立ち直れないかもしれません。
誰かからエネルギーを取らないと生きていけなくなり、仕事の帰り、お酒を飲みながら上司の悪口を言って憂さ晴らしをしたり。
そんなことをするのは寂しいし、陰では悪口を言いながら、職場では逆らえず、上司にへつらっていると、そんな自分が嫌になります。
そしてまた人からエネルギーを奪って・・・・・・。
今、幸せじゃない人は、そんなことを繰り返しているのではないでしょうか。
ところが、人のいいところを見つけて褒めるようになると、ちょっと嫌なことを言われても、「この人、疲れているのかな」「虫の居所が悪いのかな」と思って、必要以上に落ち込まなくなります。
「3褒め」の達人になると、「不機嫌なんだ。いいことを言って、エネルギーを与えてあげよう」と思うようになります。
相手の気分に左右されず、常に上機嫌でいられるわけです。
毎日、相手に言われたことで傷ついたり、相手が何を考えているのかわからない時でも、「上機嫌な人」は、ぐずぐず考えたり、怒りに震えて「許せない」などというような小さな器ではなくなり、心の平常心が保たれて「最近、がんばってるね」などと大きな心で相手のいいところをポンと言って、「ところで」と、相手にぶつかっていく懐の深さも出てきます。
自分が相手を傷つけてしまったかもしれないと思った時は、「あんなこと言ってごめんなさいね。私もどうかしてたのよ」と、謝ることもできます。
「許せない」と怒りに震えて、悔しさで枕を涙で濡らすのも、「あんな事を言って嫌われちゃったかな」とぐずぐず考え、相手に話しかけられない自分がいるから。
「命褒め」をして、相手のいいところを見つければ、話しかけられるようになるのです。
だから、誤解が誤解を呼んで人間関係をこじれさせることもないし、時間が経って、さらに話しかけにくくなるということもありません。
何かあっても、傷が浅いうちに解決できるようになるのです。
気持ちが豊かになるから、売られた喧嘩も買いません。
イライラした相手を見ると、労ってあげたいという気持ちにさえなるのです。
「そんなことで悩んでいるなら、何とかしてあげたい」と思うようなゆとりさえ出てきます。
何より、相手を変えようと思わなくなります。
人を変えようと思うのは、自分の価値観が絶対だと思って、他の人の「いいとこ」を認められない時。
「いいとこ」を見つけていくと、「この人はこの人でいいんだ」と思えるようになるのです。
認め合って生きていけるようになる。
素晴らしいことだと思いませんか・・・?
チャンスは「知恵と忍耐を学ぶ機会」として現れる
神様は不公平なことはしません。
だから、誰にでも「誰にでもお金持ちになるチャンス」はあります。
そのチャンスは、あなたにとって「知恵と忍耐を学ぶ機会」として現れます。
つまり、「神様が望んでいることをやれば、必ずお金持ちになれる」ようになっているの。
それと、お金持ちになりたいのなら「お金の性質」も知らなければいけないよ。
魚を釣る時も、その魚の性質を知らないと釣れないよね。
同じように、お金の性質を知らないとお金持ちにはなれないのです。
魚の性質を知らないと、どれだけ網をかけても魚は獲れません。
風向きや潮の流れを見て、どこに網を打つかというのも、魚をの性質を知らないとできないことです。
毎回、毎回、漁に行けば大漁で帰ってくる人がいたら、その人はただ「運がいい」のではありません。
「どこに網をかけたらいいのか」を必ず知っています。
だとしたら「神様に願う必要はないんじゃないか」って言う人がいるかもしれないけれど、魚の性質や潮の流れを作ったのは神なんだよね。
神様がいるかいないかって、いないと思っている人にはいないの。
私は何も、「何か宗教を信仰しなさい」とか言っているのではありません。
神社でお賽銭をあげるのでも、神様はお金を求めていないんだよね。
神社って色々と維持しないといけないから、その維持管理費みたいなものなんだよ。
だから、10円あげるのと1000円あげるのとでは100倍ご利益が違うのかというと、そんなことはないんだよね。
それとか、よく拝み方にうるさい人がいるけど、大切なのは拝み方じゃなくて、神様がいるんだと信じることなんだよ。
追伸 復讐するは我にあり
それね、カルマにしろ、だるまにしろ、紺瀬したことは来世に出るんです。だから紺瀬、一生懸命いいことしているのは、来世のためなんです。
だからよくあんな良い人が、なぜあんなに苦労しているのというのもあるんです。
それとあんなに悪いことしているやつが、罰も当たらないで、なぜあのまま死んでしまうんだろう。
紺瀬したことは来世に出るんです。
なんて悪い奴なんだと思っても、自分が代わりに罰を与えてやろうと思ってはいけません。
神様は復讐するは我にあり。
我って誰ですか?
我とは神様のことです。
あなた方はしなくていいんです。
神様がします。
汝報いを受けんという続きの言葉があるんです。
あなたがすればあなたが報いを受けるんですから、神様のすることに口出しはしないんです。
だから、何でうちの上司は自分ばっかり怒るんだろう。
それは自分が上役だった時に、人のことばかり怒っていたんですね。
だからそれが現象となって出てくるんです。
そのことが理解できると、前世で自分がしたんだから、今日は随分刈り取ったぞ。
要するに自分が蒔いた種を自分が刈り取るんです。
今日は収穫祭でずいぶん刈り取ったから、あの野郎とか恨み事ばかり言ってると、また悪い種をまくんですね。
悪い種を蒔いて悪い種をずっと刈り取っていたら、それを因果が巡るというんです。
ずっ~と因果が巡ってるんです。
どこかで悪いものを刈り取った後、部長ありがたいお説教ありがとうございますとか、なんとか言って、これで因果が消えましたとか、神様というのは常に明るくて愛があるものなんです。
だから相手がどんなに冷たい態度をとっていても、こちらは明るい種をまけばいいんです。
だから毎日いっぱい飲む時は収穫祭なんです。
追伸の追伸 嫌な奴への復讐は、天にお任せ
人間関係の問題は、色々あるんですけれど、「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。
これだけ覚えておけば、色々な問題がある中の8割は大丈夫。
解決するんです。
この世の中には嫌な奴っているでしょう?
嫌味を言ったり、威張ったりする嫌な奴がどこに行ってもいるんですけれど、それをやめさせようとしちゃいけないんです。
「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることはできないのです。
悪いことをした人には必ず、悪い報いが来る。
だから、事の成り行きは、天の神様にお任せするんです。
そして・・・・・・ここが大事なところですよ、いいですか。
「やられたらやり返せ!」って、その嫌な奴の悪口を言っていると、今度は言った人には悪い報いが来てしまうんです。
自分の畑に自分がピーマンをまいたからピーマンがなる。
自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。
そして、自分が蒔いたものを、自分が刈り取るんです。
隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、あなたではありません。
それと同じで、あなたが嫌味なことを言われた場合、悪いことが起きるのは、あなたではありません。
あなたに嫌味なことを言った、その人間です。
つまり、放っておいても、勝手に開いては痛い目を見るようになっているのです。
それを、あなたがもし「嫌味を言われて嫌な思いをさせられたんだから、こっちも、あの人に嫌味をお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、あなたから、居心地の良くないムード(波動)が出てきます。
それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄って来てくれません。
それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。
だから、復讐しようとしてはいけないのです。
復讐はあなたの仕事ではありません。
それだけ頭に入れておくと、人間関係は大体何とかなります。
なぜか、そうなんです。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きも御座いません。
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