だから逆に言うと、例えば、一人さんは「急がない、巻き込まれない、引きずられない」で、一人さんらしく生きていると、絶妙なタイミングで「こと」が起きてくるのです。
- 急がない、巻き込まれない、引きずられない
- 起きるべき「こと」は絶妙なタイミングで起きる
- 小さな努力の積み重ねが、ある日「強運」に変わる
- 奇跡は必ず起きる
- 天職に巡り合える人、巡り合えない人
- 追伸 1/3の努力で3倍の成果 「天職」なら10倍稼げます
急がない、巻き込まれない、引きずられない
人にはそれぞれ自分の生きる道というものがあります。
生まれてくるとき、全員、それをいただいて出てくるのです。
私たちはそれぞれ自分の生きる道に沿って歩き、自分の人生を創っていきます。
自分の生きる道に沿って歩いているとを切るべきことが起き、次第に自分のお役目というものが出来上がってくる。
そういうふうに人生は展開していくようになっています。
例えば、モーゼという人がいます。
モーゼは昔々、古代イスラエルの世に、指導者あるいは預言者として活躍した人物です。
生まれてすぐに捨てられ、拾われてエジプトの王と一緒に育てられたのに、ムチで打たれた労働者を助けようとして謝って人を殺してしまい、エジプトを去ることになります。
ところが、その後、神の啓示を受け、イスラエルの民を奴隷解放へと導いたと、伝えられています。
モーゼは数奇な運命をたどったように見えますが、ただ「モーゼの生きる道」に沿って生き、そして、あの奇跡が起きたのです。
それは、イスラエルの民を連れてエジプトを出たモーゼが、エジプト軍によって紅海まで追い詰められた時でした。
もう手が手に持っていた杖を振り上げると海が割れ、モーゼ一行はエジプト軍から逃げることができたのです。
そして、彼の後を追って海を渡ろうとしたエジプト軍は、海に沈んでしまいました。
このような奇跡でさえ、モーゼがモーゼの生きる道を生きてきた中で、起きるべくして起きたことなのです。
起きるべくして「こと」が起きるのなら、生きがいがないじゃないですかって、そういうことを言っているのではないのですよ、私は。
私が伝えたいのは、「急がない、巻き込まれない、引きずられない」なのです。
自分の生きる道を懸命に歩いていると、自分の御役目が見えてきます。
そのためには、「急がない、巻き込まれない、引きずられない」。
起きるべき「こと」は絶妙なタイミングで起きる
この前、テレビを見ていたら、「本当に海が割れるんだろうか」という話をしていました。
それによると、ある一定の区域に隕石が通ると磁場が狂って、海が割れる可能性がある、ということでした。
ところで、隕石というのは何千年も前から宇宙を飛んでいるんですよね。
モーゼが生まれる前から、隕石は宇宙空間を移動していたのです。
その隕石が、なぜか、モーゼ一行がエジプト軍に紅海まで追い詰められたタイミングで、その区域に入ってきた。
何千年も前から宇宙を飛んでいた隕石が、です。
それによって海が割れ、そしてまた、モーゼIKKOが渡りきったタイミングで、エジプト軍が海に沈むようになっていたのです。
起きるべくして、その「こと」は起きたのです。
ところが、もし仮に、モーゼががんばりすぎたり、急ぎすぎたり、人の人生に巻き込まれちゃったりすると、モーゼはモーゼの生きる道を失ってしまいます。
仕事や家庭のこと、人間関係でも、「なんかうまくいかないな」と思うようなことが起きる。
つまり、起きるべき「こと」が起きなくなってしまうんだよ、って言いたいのです。
だから逆に言うと、例えば、一人さんは「急がない、巻き込まれない、引きずられない」で、一人さんらしく生きていると、絶妙なタイミングで「こと」が起きてくるのです。
焦らず自分らしく生きていくことが大切なんです。
小さな努力の積み重ねが、ある日「強運」に変わる
丁稚から身を起こした松下幸之助さんという方がいます。
私が敬愛している先輩の一人です。
皆さんの中にも、松下幸之助さんはすごいと思っている方が少なくないでしょう。
すごい大変な思いをされたのだろうな、と思いきや。
子供時代に、自転車屋の小僧さんとして勤めていた松下さんは、その自転車屋さんの小僧の中で一番になろうとしただけでした。
電気屋さんになった時は、簡単なソケットを作っていたんです。
何が言いたいのかと言うと、強運というのは、必ず自分の手が届く範囲の努力、それの積み重ねなのです。
人は全員、それぞれ自分の手の届く所に必ず出世のチャンスがあるんです。
それなのに、他人と自分を見比べて慌てて一気に上に行こうとするから、転んでしまう。
うまくいかないのです。
そういうことは絶対にしちゃいけないんです。
その時その時の、自分ができることだけ、やるんです。
他人は他人、自分は自分なんです。
奇跡は必ず起きる
急がない、巻き込まれない、引きずられない・・・・・・・。
これらの言葉は、最近、私が自分の心に留めているものです。
「引きずられない」とは、他の人の運命に引きずられない、ということ。
「巻き込まれない」とは、他の人の人生に巻き込まれないことです。
そして「急がない」。
「急がない」とは「何もやらない」ということでありません。
何の努力もしないで「幸せになりたい」って無茶ですよ。
幸せになるには、幸せになるようなことをやらなきゃならないのです。
人は、自分ができる努力はみんなしているんです。
度外れた努力とか、度外れたがんばり方をすると、自分が自分じゃなくなって、神の作った天命がズレてきちゃうんだって、私は思っている人なんです。
私は神が与えてくれたこの道を信じて、天命に任せて人事を尽くそうと思って生きてきました。
今もそうなんです。
起きること、起きることに対して、その時の自分ができることを淡々とやっているのです。
そうやって生きていたら「自分なりの奇跡」「その人なりの奇跡」というものが起きるようになってくる。
確かに、全くがんばらないで、天からもらったこの命を、何で価値なく生きちゃうの。
と言いたくなるような人もいるでしょう。
でも逆に、がんばりすぎて、せっかくの人生を台無しにしてしまう人も、意外といっぱいいるんじゃないかな。
もしかして、あなたも、そういう人かもしれません。
だから私は伝えたい。
あなたに伝えたいのです。
急がない、巻き込まれない、引きずられない。
そのために「ツイてる♪」んです。
この言葉、「ツイてる♪ ツイてる♪」って何度でも言ってください。
そして、自分に起きたことに対して、自分のできることをやって行くんです。
そうすると自然自然と「自分の生きる道」に運ばれて「自分のお役目」というものが出来上がっていきます。
「私のお役目は何でしょう」とか、「私の生きる道は何だろう」などと、あなたが考える必要はないんです。
自分はツイてると思いながら、自分ができることをやればいいだけなんです。
それをやっているうちに、その人、その人なりに、ツイてる♪ すごいことが起きる。
人生というのは、そういうふうに、なるようになるものなんです。
だから安心してればいいですよ。
ツイてる♪ ツイてる♪
それがその人なりの奇跡を起こすのです。
天職に巡り合える人、巡り合えない人
人というのは、いろんな才能の人がいるんです。
例えば、平気で高いところに上がれちゃう人がいます。
重いものを持つのが全然苦じゃなくて力仕事に向いている人もいます。
色々です。
でも自分の才能というものに気づいている人は極めて稀、なのかもしれません。
例えば、ある女性で、コンパニオンをしている方がいらっしゃったんですけれど、その女性はね、お客さんがいい男だろうが、なかろうが、誰に対しても分け隔てなく親切なんです。
そして、聞き上手。
相手がどんなに、つまらない話をしても、「うん、うん」ってちゃんと頷いて、一生懸命、聞いてあげる。
この人は接客業の鏡みたいな人だ、すごいなと思ったら、なるほど道理で、彼女はものすごい近眼の人でした。
彼女は接客の時は眼鏡を外して接客をしているんです。
眼鏡を外すとほぼ見えなくなってしまいます。
自分が接客している相手がいい男かどうか判別がつかなくて、誰に対しても分け隔てなく接するんです。
そして、うなずきはね、首を振る癖、みたいなものがあるのだそうです。
分かりますがか?
視力が良くないことも、首を振る癖も、コンパニオンという仕事にものすごく役に立っているんです。
でも、それって努力して得たものですか、というと、そうではないでしょう。
ということは、それ、才能なんですよ。
コンパニオンという仕事が、その才能を開花させてくれたんです。
だからといって、視力が良くない人はみんなコンパニオンをやりなさい、と言っているのではありません。
人って向き向きですからね(肯定的な一人さんの辞書の中には「向き不向き」という言葉がありません)。
それよりも、私が願っていることは、皆さんが幸せならいいんです。
どんな仕事をしているか、ということよりも何よりも、あなたが今、幸せであることが一番大切です。
それで、色々な仕事をやってみて失敗だったらやめればいいんです。
そういう経験をしながら、仕事に呼ばれ呼ばれて、やがては「これが私の天職だ」と思えるような仕事と巡り合う。
人生はそういうものです。
あなたは今、幸せですか?
大切なのは、仕事の中身ではなく、その仕事であなたが幸せと思えるかどうかです。
追伸 1/3の努力で3倍の成果 「天職」なら10倍稼げます
自分に向いていない仕事って、無意味に辛いんですよね。
楽しくないの。
そのくせ、ちっとも収入が増えないんです。
私が昔、父の経営する水産会社で働いている時もそうでした。
「こんなに提案しているのに、何で採用してくれないの?」とか、「これをやれば売れるのに、何で聞いてくれないの?」とか、そんなことばかりでした。
しかも、私の給料は一向に増えないんです。
当時、私は何でもひとりさんに相談していました。
この時もひとりさんはニコッと笑って、こう教えてくれました
「おまっちゃんは、社員向きじゃないんだよ。
向き不向きって、何でもある。
会社なんかでもそう。
女子向きの人もいれば、部下向きの人もいる。
中には、社長向きの人だっているんだよ。
社長向きの人が社員をやってもうまくいかない。
だって、向いてないんだものね」
この時私は、「あっ、本当にそうだ」と、目が覚めるような気持ちになりました。
社長向きの人は、ただの社員はできないんです。
一人さんの言うとおり、私もそうだったんです。
私は今、自分で商売をしています。
今の「経営者」という立場から、当時の私のことを思い返してみると、この時のひとりさんの言葉が本当によくわかります。
確かに、昔の私は社員向きじゃなかったんです。
あの頃の私のような社員が会社にいたら、社長はやりづらいだろうなとも思います。
だって、必ず社長に歯向かってしまうのですから・・・・・・。
何かと言うと「いや、こっちの方がいいです」なんて言う社員は、経営者にとってみれば、使いづらいものです。
また、一人さんの仕事の向き不向きについて、こんなことも教えてくれました。
「向いていないことをすると、3倍の苦労をして、1/3の成果しかないんだよ。
この反対に、向いていることをやると、1/3の努力で、3倍の成果が上がる」
ということは、「向いていない仕事」をする時、仮に人並みの苦労しかしないと、単純に計算すると、収入は普通の仕事の約1/10しかないってことなんです。
この逆に、人並みの努力でも、普通の約10倍も稼げることになります。
つまり、向いていない仕事と向いている仕事では、同じだけ努力しても、収入が100倍も違っちゃうんですよ。
これ、本当なんですよ。
私は今の仕事が本当に楽しいんですが、それだけじゃなく、会社員だった頃と比べると収入の桁が二つも多くなりました。
本当に、一人さんの言うとおり、百倍の成果が出るようになったんです。
仕事の向き不向きの、このとんでもない違いを知らないと、本当に損をしてしまいます。
そして、このことについて、ひとりさんがとても大事なことを教えてくれたんです。
「自分を活かせるような、その人に向いた道が、誰にでも必ずあるんだよ。
だって、命というのは、生きるための知恵のことだからね。
「(い)きるため(のち)え」で「いのち」と言うんだ。
だから、命をもらったということは、生きるための知恵を全員が授かっているということなんだよ。
それだけの知恵をみんなが持っている。
ただ、それを発揮する術が分かっていないだけなんだ。
だったら、それを見つければいいんだよ」
自分が生きていくのに授かっている知恵を活かせるのが、自分の向いている仕事なんです。
これは、天職と言ってもいいかもしれません。
そんな道を見つければ、それまでよりもずっと楽しく、幸せに生きられるようになるはずです。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。
お世話になっております。
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